昨日の朝日新聞の記事に,「教育のデジタル化」と大きく取り上げられていました。
最新のパソコンやタブレット型端末を用いた各校の授業例を挙げ,その効果を紹介していました。
文部科学省がモデル校として指定し,その研究を深めている学校も増えてきているようです。
ちなみに,私も授業でICTをよく活用します。
「一日に一回は必ず」といっていいほど使用しています。
以前は教室にプロジェクターを持ち込んで使用することが多かったのですが,最近は教室に大型デジタルテレビが設置されたおかげで,それを使うことが多いです。
テレビにパソコンやデジカメ,書画カメラ(実物投影機)をつないで,各視聴覚機器として活用します。
時折,管理職の先生や年配の先生,また授業参観で保護者の方々に見ていただくと
「すごいですね~」
なんて言われることも多いです。
いわゆる「チョーク&黒板」オンリーの世代からすれば,これらの機器は目新しく,その授業というのは新鮮なのでしょう。
一方子どもたちはというと,最初のころは「お~」なんて反応もありましたが,今ではすっかり当たり前になっています。
さて,私もこの授業でのICTの活用については色々と研究をしているところです。
(昨年はそれに関する論文が地方の冊子に掲載されました ちっちゃな自慢 笑)
それで,繰り返しICTを活用し,いろんな形を試行してみる中で,強く感じていることがあります。
これは,昨日の朝日新聞でも言われていました。
ICTは授業の手段にすぎず,それ自体が目的になってはいけない!
これを痛感します。
冷静に考えれば当たり前のことなんですけどね。
黒板が授業の手段の一つであるのと一緒で,どんなハイテクで,どんな高価なものでもやっぱりそうです。
教室に珍しい機器を持ち込んだからといって満足してはいけない。
新しいプレゼン教材を作った時点で満足してはいけない。
インターネットからいいデジタル資料をゲットしたからといって満足してはいけない。
そういうことです。
これは往々にして陥ってしまいがちなICT活用のミスの一つだと思います。
例えば,
工場が品物を生産する様子について,とても分かりやすくおもしろく撮影したテレビ番組があったとします。(最近この手が多いですよね)
授業でちょうどそういったことに関連する社会科の学習をしているから,そのテレビを録画し,授業で視聴させる。
1時間まるまる視聴させて,終了。
だとしたら,言うまでもなくこれは授業と言えないでしょう。
子どもの主体的な学びが生じないからです。
テレビを見せることが授業の目的になってしまってはいけません。
テレビを使って,子どもの学びをたくさん作りだすことが目的です。
テレビはそのための手段にすぎません。
「ICTを使えば学力が上がる」なんて説がいろんな方面から上がるようなご時世になっていますが,それは単純なことではないということを忘れてはいけません。
使い方一つで,ICTも巧にも罪にもなりえます。