前回からの続き
…。
…。
と,ここまで思って,ちょっと自分を追い詰めすぎかなって,ブレーキをかけたくもなりました。
そうです。
私は
「できない子の気持ちが分からない」
という自覚は今までなかったにしても
「できない子にできるだけ寄り添う」
ように努めてきたことは,間違いありません。
自信を持って言えます。
今までに何度も,できない子ができるようになる姿を見てきました。
「先生やったー!できたよー!」
って感動をともに味わえる,素晴らしい場面がたくさんありました。
だから相変わらず私は体育が好きだし,できない子たちへの指導に熱が入っているんです。
なんか,自分の頭の中でめぐる反省とか自負とか自責とか自信とか,ごちゃごちゃになってきましたが,
結論。
私には,やはりこれからも「できない子の気持ちは分からない」のでしょう。
低い跳び箱が跳べない子が,どんな気持ちでいるのか,想像はできますが,その気持ちをくみ取ってあげようとは精一杯努めるのですが,
「分かるよ。先生もそうだったもん」
とは言えないということです。
それは,もう事実です。
じゃあ,そんな私は,この子たちにどう在ればいいのか。
何というか,うまく表現できないのですが,今正直に心がけたいと思うのは
「ほどよい距離から,分かりやすく,優しく導いてくれる先生」
で在りたいと思います。
できる私の方へ,できない子たちをひっぱって距離を埋めようとするのではなく,できる私が,できない子たちの方へ歩み寄って距離を埋めたいです。
そのためには,かける言葉や,体育の時に見せる態度,子どもたちに与える課題を,これまで以上に考える必要がありそうです。
そして,できない子たちとって,
「もう少しがんばれば,先生がしてることができそう」
って思える,
「ほどよい距離」
にいる手本,目標,憧れになりたいです。
そして,得意の体育だからといって決して傲慢にならず,独りよがりな熱血にならず,
「分かりやすく,優しく」
あるよう努めます。
知らず知らずのうちに,
「こんな簡単なこと,言わなくても分かってるだろう,できるだろう」
と,決めつけてしまっていることがあるかもしません。
そんなところにメスを入れて,より噛み砕いて「分かりやすく」示すようにしたいです。
それでもなかなかできない子たちにも,懐深く,根気強く,「優しく」関わっていきたいです。
今回の研究会で発表した,あの温かい雰囲気の先生のようにはなれないでしょうが,それでも私は私の立場から,いい先生になりたいと,改めて強く思いました。