小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

ついにあの子が立ちあがった!そのときクラスは

2014-02-08 14:23:13 | 学級生活の攻略法

6年生教室,国語で「海の命」を読んでいます。

私,個人的に大好きです。

「やまなし」も好きですが,こちらはまた違う楽しみ方があります。

本当に,読めば読むほど,言葉にこだわればこだわるほど,味わい深くなる作品です。

毎回これを授業するときは,その味わいをどこまで深く子どもたちに追究させることができるか,それを私自身が挑んでいます。

もちろん,国語専門ではないし,国語に関してめっきり勉強不足なんですが,私なりに色々と工夫し,毎年違う授業をしています。

さて

前回の授業では

「なぜクエは『おだやかな目』をしていたのか」

という問いに迫りました。

ワークシートに自分の考えを書く子どもたち。

幅広くいろんな考えが書かれていましたが,それを出し合い,検討していった結果,下の4つに子どもたちは絞り,意見もほぼ同数で分かれました。

・父を殺したことを後悔していたから

・瀬の主として堂々としていたから

・太一に教えたいことがあったから

・太一を父と同じ目に合わせたくない(殺したくない)と思っていたから

それに,私は

・その他

と付け加えました。

そして,再検討。

「次の5つのどれだと思いますか。その根拠とともに,もう一度考えてみましょう。」

年度当初,学力に大きな課題があった子たちですが,こんな授業に熱を込めて取り組む姿も見られるようになりました。

うれしいことです。

そして,しばらく時間を置き

「では,考えをまとめた人から,どうぞ自由に発言してください。」

これは私がよくやる手法です。

先生が指名するわけじゃなく,発言したい子が自主的に起立し,何の合図もなく発言します。

その子の発言が終わったら,また次の子が自由に発言します。

もし発言しようとする子が重なってしまっても,先生は特に何も言わず,自分たちで譲り合って発言します。

高学年らしい形だと思います。

最初はうまくできませんでしたが,繰り返しやってるうちに,スムーズにできるようになりました。

そして今回も,さっそく一人目の子が立ちました。

そして二人目。

三人目。

いつもの調子で続きます。

このやり方は,先生の指示なく子どもたちが授業を進めているという知的な雰囲気を作ることができる一方,どうしても積極的な子たちがどんどん発言していってしまうことになります。

そんな中でも,普段なかなか発言に消極的な子たちだって,発言してほしいと願って,いろいろと言葉をかけるのですが,なかなかです。

今回もお馴染みの子たちの発言がここまで続き,そして四人目の子が立ちました。

そのとき

「えっ」

私は驚きました。

私と同じ驚きを,クラスの子たちもみんなしていました。

立ったのは,普段進んで発表することはない女の子でした。

学力は高いものがあるのですが,性格的にもおとなしく,クラスの中ではすっかり物静かな存在として定着している子でした。

その子がここで立ったので,元気者の男子たちなどは目を丸くしていました。

私は,うれしくて,興奮気味に

「よく立った!ここで立てるとは…」

みたいな声をすぐにかけたくなりましたが,ぐっと我慢してその子が口を開くのを待ちました。

私だけでなく,クラス中が息を飲んで発言を待っていました。

そして,その子は特に緊張した様子もなく,ワークシートを手に取り,しっかりとした口調で話し始めました。

その女の子の,その積極的で堂々とした姿に,クラス中が驚き,刺激を受けたのはもちろんですが,その発言の内容がまたよかった!

「私は『その他』だと,思います。」

(まじ?)

という顔の子どもたち。

(きたぞ!)

私はにやり。

「このクエは,いくら150kgの大魚であろうと,魚は魚です。魚に感情なんてないと思います。」

この挑戦的な意見に,少しざわつく子どもたち。

次からは,もう痛快でした。

「よく読んで見ると,このクエは父が獲ろうとしたときも,戦った形跡はありません。もりを刺され,その場を動いていないんです。」

子どもたち(そういえばそうだな…)

「そして,今回太一が来た時もそうなんです。このクエはどんな状況であろうと,誰と対していようと,様子は変わっていないと思います。」

私(それだ!)

「太一は『瀬の主』とか言ってるけど,このクエ自信は,自分をそんなたいそうなものなんて思っていないはずです。他の魚と同様に,このクエも自然の一部であり,ごく穏やかに暮らしているんだと思います。」

まさかの子の,まさかの意見に,何とも言えない空気がクラスにできました。

授業をしていて,一年に数回味わえるか味わえないかの痛快感です。

私は鳥肌が立つほどでした。

この,いわゆる「逆転現象」に,「海の命」の面白さが何倍も何十倍も深まったことは言うまでもありません。

意外で,突拍子もない意見でしたが,他の子どもたちは腑に落ちました。

もう私の出番はなくてもいいほどでしたが,

「海って,そういう場所なんだね」

と言ってみました。

「そこに飛び込んだ人間(太一・漁師)は,一方的にいろんな感情を抱いて,魚とは理解し合えない部分があるのかもしれないね。でも,ここから太一の成長が始まるわけです。」

今回の授業で,「海の命」がおもしろくなったこともそうですが,何より痛快だったのは,あの女の子の活躍でした。

普段出しゃばらない子だからこそ,逆に,大きな影響力を持っています。

クラスを動かすほどの力を持っているということです。

先生にはできない,子どもにしかできないことだと思います。

あの女の子は一皮むけたことでしょう。

そして,クラスも一皮むけたことでしょう。

そんな素晴らしい機会は,普段の授業のほんの1シーンに潜んでいるものなんです。


中学校の先生が言った,気の利いたかっこいい一言

2014-02-07 07:02:36 | 教師力UPの攻略法

先日,受け持つ6年生がもうすぐ進学する中学校の入学説明会でした。

この会は,先生が子どもたちを引率して行き,保護者も参加します。

中学校生活に関する説明,中学生の授業参観,そして部活動見学など,貴重な時間です。

徐々に,中学校への進学を身近に感じだした子どもたちは,それへの不安や期待もいろいろと口にしだすようになりました。

この説明会にも,緊張した面持ちで臨んでいました。

さて

中学校側からの一通りの説明が終わったあと,その進行を務めていた先生が,最後に参加している小学校側の保護者に向けてこう付け加えました。

「以上で説明は終わりますが,何か分からない点はなかったでしょうか。もしありましたら,何でもおっしゃってください。」

と,ここまでは当たり前のセリフですが,続きがありました。

「私たちは長くこの仕事をしていると,

『保護者もこれくらい知ってて当然だろう』

と無意識のうちに決めつけてしまうところがあり,説明がおろそかになってしまいがちなんです。

そして,保護者の方々に指摘されて気付かされることも多いんです。

だから,どうぞ遠慮なく何でもおっしゃってください。」

(あぁ,親切な一言だな)

と思いました。

確かにそうなんです。

先生って,学校にしかいないから,そのことについて頭でっかちになってしまい,学校の外にいる人たちのことに,考えが及ばなくなりがちです。

そしてやっかいなことに,先生自身がそのことに気付いていない。

だから,保護者は先生の話が分かりにくいことがある。

でも,「学校に関する専門家」に,「当たり前」とされているような初歩的な質問をするのは気が引ける。

それで質問しないまま進んでしまう。

そんなことが往々にしてよくあるように思います。

そんな危険性を,この進行の先生はよく理解しているのでしょう。

学校の先生には珍しい,とても謙虚で視野の広い先生だと思いました。

そして,それを上手な言葉で伝えられている点が,腕のある先生だと思いました。

我が子を初めて中学校に上げる保護者にとっては,安心できる一言だったことでしょう。

一方的にどんどん説明するだけの,傲慢な中学校だったら,不安ですもんね。

私も,この気の利いたかっこいいセリフを,今度どこかの場でそっくり真似させてもらおうと思っています。


指示の出し方「~しましょう」派?「~しなさい」派?それとも?

2014-02-04 21:12:03 | 「教師-子ども」関係の攻略法

例えば,授業中,机でノートを書いている子どもたちに,顔を上げさせて,言葉をかけたいとき。
先生は何と指示を出すでしょうか。
細かな違いになりますが,何通りかあり得ます。

ア「顔を上げましょう」
これは優しい感じがしますね。
丁寧で,子どもに寄り添った言葉かけのように聞こえます。
先生の温かい人柄が「ましょう」に表れているようです。
どちらかというと,やはり低学年の先生に多いような気がします。

イ「顔を上げなさい」
これはいかにも「指示」ですね。
「命令」にも聞こえます。
先生が上からドカンと。
「しなさい」に引き締まった雰囲気を感じます。
こんな言い回しをする先生は,またこの「しなさい」が似合う先生なのでしょう。
授業中のけじめをつけ,厳しさを一貫して持っている先生のように思えます。
私は,この「しなさい」の言い方をするのに,駆け出しの頃は躊躇していたように思います。
こんなに「えらそうに」言える立場ではないような感じがして。
これが自然と使える先生は,やはりある程度経験があり,自分の指導に自信をつけている先生なのかもしれません。

ウ「顔を上げます」
これは,意外とよく聞く言い回しですね。
語尾がすっきりしています。
一見すると,変ですよね。
顔を上げるのは子どもたちなのに,先生が上げるみたいに聞こえます。
が,これも自然と子どもたちへの指示になります。
先生と子どもの関係としては,最もニュートラルな感じがします。
厳しさも優しさも極端には表れず,どんな先生でも,どんな子どもたちへも使えそうな言い回しです。

エ「顔を上げてください。」
これもよく使われていると思います。
アと同様に丁寧ですが,ア以上に先生が謙虚になっている感じです。
若手の先生や,やはり優しい人柄の先生に多いように思います。
この言い回しについて,ずっと前の研究授業で話題になったのを覚えています。
若い先生の研究授業でしたが,授業後の研究会で,教頭先生がズバリと指導。
「先生は,何でも「~してください」と指示を出していましたが,あれはやめたほうがいいでしょう。子どもたちに「お願い」をしているようで,指示の出し方としてはおかしいです。」
これがもっともかどうかは分かりませんが,そういう捉え方もあるんだということでしょう。
イと比べるとおもしろいですね。
同じ指示なのに,こうも違います。
方や命令口調。
方やお願い口調。

オ「顔を上げろ」
これは… ほとんどいないでしょうか。
でも,他の指示に変えてみるとあり得ます。
体育の授業での「座れ!」という威勢のいい指示を聞くことはあります。
文字にすると,とても乱暴な感じがしますが,これがしっくりときてしまう先生がいるとすれば,またその先生の人柄が表れているということになります。


以上,思いつくままに5つ並べてみましたが,いかがでしょうか。
自分が普段どれを使っているか,思い出せるでしょうか。
意識しないままに,一つの言い方に固執していることに気づくかもしれませんね。
逆に,いろんな言い方を多発している先生もいるかもしれません。

「どれがいい」
「どれがベスト」
なんてものを選ぼうとすると,先生によって意見は分かれるところでしょうね。
選ぶこと自体,難しいように私には思えます。
しかし,肝心なことは,
先生の指示,その細かな言い回しひとつで,それを受ける側への印象は変わり,それは授業の雰囲気を変え,そして先生の人柄を築いていくことになるということです。
そのことを先生自身が十分に認識したうえで,言い回しを決めておくべきだと思います。
同時に,
指示を出す先生と,指示を受ける子どもたちとの関係にもよるでしょう。
双方にまだ遠い距離感がある場合。
双方がかなり近い距離感な場合。
それで言い回しも変わってきます。
どちらにも,「しっくりとくる」言葉があれば,それが一番いいですね。


やはり言葉は,それを発する人の人物像を表しますね。
言葉で仕事をするのが先生です。
その細部にまでこだわる姿勢を忘れずにいたいものです。


私に「できない子の気持ち」が分かる日が来るだろうか

2014-02-02 08:01:05 | 教師力UPの攻略法

前回からの続き

…。

…。

と,ここまで思って,ちょっと自分を追い詰めすぎかなって,ブレーキをかけたくもなりました。

そうです。

私は

「できない子の気持ちが分からない」

という自覚は今までなかったにしても

「できない子にできるだけ寄り添う」

ように努めてきたことは,間違いありません。

自信を持って言えます。

今までに何度も,できない子ができるようになる姿を見てきました。

「先生やったー!できたよー!」

って感動をともに味わえる,素晴らしい場面がたくさんありました。

だから相変わらず私は体育が好きだし,できない子たちへの指導に熱が入っているんです。

なんか,自分の頭の中でめぐる反省とか自負とか自責とか自信とか,ごちゃごちゃになってきましたが,

結論。

私には,やはりこれからも「できない子の気持ちは分からない」のでしょう。

低い跳び箱が跳べない子が,どんな気持ちでいるのか,想像はできますが,その気持ちをくみ取ってあげようとは精一杯努めるのですが,

「分かるよ。先生もそうだったもん」

とは言えないということです。

それは,もう事実です。

じゃあ,そんな私は,この子たちにどう在ればいいのか。

何というか,うまく表現できないのですが,今正直に心がけたいと思うのは

「ほどよい距離から,分かりやすく,優しく導いてくれる先生」

で在りたいと思います。

できる私の方へ,できない子たちをひっぱって距離を埋めようとするのではなく,できる私が,できない子たちの方へ歩み寄って距離を埋めたいです。

そのためには,かける言葉や,体育の時に見せる態度,子どもたちに与える課題を,これまで以上に考える必要がありそうです。

そして,できない子たちとって,

「もう少しがんばれば,先生がしてることができそう」

って思える,

「ほどよい距離」

にいる手本,目標,憧れになりたいです。

そして,得意の体育だからといって決して傲慢にならず,独りよがりな熱血にならず,

「分かりやすく,優しく」

あるよう努めます。

知らず知らずのうちに,

「こんな簡単なこと,言わなくても分かってるだろう,できるだろう」

と,決めつけてしまっていることがあるかもしません。

そんなところにメスを入れて,より噛み砕いて「分かりやすく」示すようにしたいです。

それでもなかなかできない子たちにも,懐深く,根気強く,「優しく」関わっていきたいです。

今回の研究会で発表した,あの温かい雰囲気の先生のようにはなれないでしょうが,それでも私は私の立場から,いい先生になりたいと,改めて強く思いました。