昨日は常陸太田市にある「西山の里」へ花菖蒲をサクッと見に行ってきました。ここは水戸黄門の隠居所として知られている西山荘の入り口にある庭園みたいな公園。山から流れてくる湧き水で菖蒲園が出来ているのです。
一昨日水府街道を走ったとき,農家の田んぼの菖蒲がキレイに咲いていたので,こっちのほうも見頃だろうと推察して来てみたら案の定今が盛りp(^^)q。人も沢山来ていました。
潮来のアヤメ園とは違って,クルマのナンバーを見ると,こちらはお客の地元度が高いです。
老健施設のワゴン車も幾台も来ていて,車椅子を押してもらっているおじいさん、おばあさん達も写真を撮ったりして賑やかに楽しんでいらっしゃるようでしたo(^-^)o。
「ザ・観光地」っていうんじゃなくて,老若男女で楽しめるローカルな雰囲気がまた良いですよねー。
帰りがけには地元の産物が並ぶ売店で水府特産のしそジュース(安いワインより高い!当り前か?)を購入。冷やしてロックで飲むと最高に美味しいのです。これも楽しみ(^O^)/。
あ,常陸太田特産の雪村団扇も売っていました。おばあさんが一人で作っているんです。もう80年近くも…。
去る5月24日(日)に,旧金砂郷村の大方地区にある鹿島神社で「御田植祭」が行われました。すでに写真を1枚UPしておりましたが,このような地域に連綿と続く伝統行事は,きちんと記録して残しておきたいと思い,再度写真を選んで組んでみました。御覧頂ければ幸いです。
朝の8:15から神社で祭典が行われていたのですが,この日は日和ってしまってそちらはパス。神社から少し離れた所にある「神饌田」(←なんと読むのでしょう)での田植えを見学することにしました。開始予定時間は10時。30分前に着いてみると,もうたくさんの人が集まっていました。
おそらく神事を行うために東金砂神社から来た神職さん。それに巫子さん。そして実際に田植えを行う五月女さんたち。ほかに男手も若干名。見物人たちも多数来ています。
まずは茣蓙の上で二人の巫子さんが音楽に合わせてお祈り(お祓い?)をします。次にいよいよ五月女さんたちが田んぼに入って行き,神職さんを中心に横一列になります。
そこへ向かって男手たちが苗の束を投げ入れるのです。距離があるから,これがなかなか大変。適当な場所に届かなかったり,泥が跳ねて五月女さんたちの顔や衣装に掛かったり。そのたびに歓声が上がります。
田植えの方法としては,男手二人が田んぼの外から縄をはり,それに合わせて一列ずつ植えていきます。田植え音頭(?)のような音楽も流れます。
新聞記者をはじめ,カメラマンも多数来ているので,途中で神職さんが手を止めて,「ハイ,みなさん。ここで顔をあげて正面の人たちに笑顔を見せてあげましょう」とか,サービス精神もおありでした。
このような行事は今後もずっと続いていって欲しいですね。なお,ご本人たちの肖像権もあるので,今回はお顔が判別できないように小さいサイズでUPしました。
那珂市額田にある阿弥陀寺は,かつて額田城のあったところに建つ親鸞ゆかりの寺です。創建されたのは1217年。樹齢320年の枝垂れ桜があります。今日は仕事を定時で上がって,夕暮れ時の桜を見に行きました。
というのも,昼間のうちに電話でお寺に聞いてみたところ,「今が見ごろ」ということでしたので,これは行かなきゃ…と。明日からは雨模様だし,今日はお月さまも満月に近い。タイミングとしてはベストでした。
現着してみると,すでに結構な人が来ています。ほとんどの人が三脚を立てて,満開の桜を撮っています。
僕も,手持ちではありますが,Carl Zeissの明るいレンズ搭載ののRX100で撮りまくりました。陽が落ちて暗くなる時間帯は,花の表情・色合いも刻々と変わり,一本の木でこんなに色々な姿を見られるのかと,改めて感じ入りました。今日は本当に行って良かった。この項,つづきます。
西金砂神社の小祭礼が始まりました。この祭りは平安時代に始まって今回が第199回目。1200年の歴史を持つ,大変に古い祭祀なのです。6年に一度,未年と丑年に当たる年に,天下泰平や五穀豊穣を願って開催されています。
この小祭礼や72年に一度,東西の金砂神社で行われる大祭礼が始まった平安時代初期は,まだ近畿地方に古代国家ができてから日が浅く,確固たる権力はありませんでした。そこで古代国家は,支配地域を東北地域まで広げようとしたことから,人々に天下泰平を願わせたものとされています。また,五穀豊穣の願いは,たびたび凶作が起きていたことからつながったものと考えられています。(常陸太田市の㏋より引用)
3月26 日は祭りの初日。旧金砂郷村の西金砂神社を出発した行列が,山道を歩いて旧水府村の天下野に到着します。様々な装束を着た氏子たちが行列を作って歩く様は,近くで見るとなかなか壮観です。天下野の山道に出たところで,行列を待ち受けていた天下野の役員たちと挨拶を交わします。僕は傍に寄って口上を述べるのも聞きました。
それが終わると,下の広場で祭事が行われます。立派な神輿の周りに四本の竹の木が立ち,そこを中心に西金砂神社の宮司さんたちが祝詞を述べたり,五穀豊穣・天下泰平の祈願をします。3人の宮司さんの後ろには筝の吹き手が並び,古式ゆかしい音色を響かせます。
そこをぐるりと囲むように沢山の見学の人たち。僕はその最前線に座って,写真や動画を撮りながら 今この瞬間の様子をしっかりと目に焼き付けようとしました。今日は午後から仕事を打っ遣ってやってきたわけですが,本当に来て良かった。天下野での祭祀を見ることができて本当に良かった。
皆様,あけましておめでとうございます。
昨年はこの拙いブログを読んでいただき,ありがとうございました。
本年も気の向くままに書いていこうと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。
さて,昨日は暗いうちに起きて初日の出を見に行きました。
「自分にふさわしい場所」ということで久慈川の河口を選び,素晴らしい初日の出を見ることができたのですが,なんとカメラのメモリーを忘れてしまって写真を撮れずじまい(涙!)。しかし,しっかりと脳裏に焼き付けてきました。
今日はしっかりとメモリーを入れて,初詣に行ってきました。場所は「西金砂神社」。
金砂郷の奥のほうの山のてっぺんにある神社で,72年に一度の奇祭「金砂大祭礼」の行列が出る神社でもあります。
クルマで山道を登り,鳥居からは細長い階段というか道を上ってゆくと,山の頂上に本殿があります。
ここからは眼下に奥久慈の山々が広々と見渡せ,ある意味ひとつのビューポイントでもあります。人が少ないのもよろしいです。二礼,二拍手,一礼で,今年の無事息災を祈願ししてきました。
そんなわけで,今年もどんどん走りに行くぞー。
そんなわけで,今日はで出かけるのです。日立市の白銀町にはかつて日本でも有数の鉱山(主に銅鉱を産出)がありました。今でも細々と稼動しているのですが…。付近には労働者の社宅や商店など,鉱山を中心とする街ができていました。そこに住む人たちの慰安の場所が「共楽館」だったのです。
日立鉱山によって建築されたのは1917年。もうすぐ100年ですね。当時は映画や芝居などを観るための劇場として,1階は長椅子,2階は座布団の桟敷席で,1300人くらいが収容できたそうです。
今では日立市に移管され,市の武道館となっていますが,行政とともにNPOによっても管理,修復がされて,内外ともに綺麗に保存されています。
そこで本日13時30分より開かれたのが「大煙突賛歌」。日立鉱山や大煙突の歴史を,個人が記録してきた映像や,日立鉱山が制作した映画で往時を偲ぶ」という企画です。僕はこの企画をチラシで知った時から「絶対に行く」と決めていたのです。
内容は期待にたがわず,とても良かったです。煙害対策として380メートルの山の上に1150メートルの大煙突が建築されたのです。建設にかかわった当時の労働者の人たちの様子も見ることができたし,地域の市井の人たちの歴史に触れることができました。
次回は「日鉱記念館」に,ぜひ行ってみたいと思います。
11/8(土)のイチョウまつりでは大発見がありました。
地元に住んでいらっしゃる根本愛子さんというおばあさんが制作したひょうたん工芸です。自家製のひょうたんに細かい穴を開けてデザインしたこの作品の数々。
旧変電所の中で展示会をやっているというので,「どんなものなのかな?」と中へ入ってみると,その鮮やかさにとにかくビックリ(*_*)。
奇麗すぎるひとつひとつのデザインが実に凝っています。動物や魚,花や植物などが精密画のように描かれていますよ。
しかも開けた穴にガラス?を埋め込んでいくのですから…。すべておばあさんの手造りだそうです。
いったいどれだけの手間がかかるのでしょう
ご本人が会場内にいらしたのでお話を聞いたのですが,11月の初旬にも他所から展示会のオファーがあったそうですが,そっちに行ってしまうと,こちら地元のおまつりに参加できなくなるので,お断りになったそうです。素晴らしい。
素人が言うのもなんですが,これなら大きな街などでも個展も開けるのではないでしょうか?実際オファーも来ているわけですから。いえ,それが良いっていうんじゃなくて,それぐらいに素敵な作品なのです。
大きな版でご覧になっていただきたいので,フォトチャンネルにもUPいたします。スライドショーでご覧ください。
そんな訳で10/8(土)の第二部は,常陸太田の町屋宿にある煉瓦作りの旧変電所のイチョウまつりへ行くのです。
水の豊かな里川には,現在も小規模な水力発電所が四つもあり,それぞれが稼動中です。この変電所はその昔,常陸太田へ電気を送るものてして使われていました。
現在は地域の集会所として使用されていますが,その脇にある銀杏の葉がが色づく11月の第二土日に開かれるのがこのまつり。
周囲には手作りの行灯が沢山,沢山並んでいます。行灯には地域の小学生や幼稚園生が思い思いの絵やメッセージをを書いています。
岩手県大槌町の子供達が書いた絵もありました。目を引いたのは「ぼくらはくじけない。負けないぞ。大槌町」というシンプルで力強い文字。幾つの子が描いたのだろう?これだけで強い意志を感じますね。
出店のコーナーも,地元の人たちだけです。地元の造り酒屋,檜山酒造さんとか,喫茶店とか,自然薯研究会のおじさん達とか,けんちんうどんや蕎麦を売るおばさん達とか,野菜を売る農家の人たちとか,焼き物=陶器を売るお店とか,そういう人たちだけです。
それにしてもこれだけ沢山の行灯に火を点けるのは大変だったろうな~。
「河内の文化遺産を守る会」によって運営されている手づくりのまつり。とてっも好きです。今年の文字は「結」でした。
また来年が楽しみ。