何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

どこへ帰る

2015-05-28 12:30:00 | ひとりごと
昼間は真夏を思わせる暑さだが、朝晩は肌寒いくらいひんやりとしている。

人間にとっては悪くない天気だが、寒暖の差が激し過ぎるのか、葉に白い綿のようなもの(カビのようなもの)がついている。はじめはペチュニアの葉で見付け、そのうち花水木の葉まで白くなってきたので、お世話になってる庭師さんに見て頂くと、うどん粉病。
うどん粉病といえば野菜とくにキュウリがなるものだとばかり思っていた。少なくとも我が家でうどんこ病といえばキュウリだったのだが、天気が変だと思いがけない病気が思いがけないものにまで流行る。
では、花水木から少し離れたところに植わっているキュウリはというと、「つよっしー」の名の通り、今のところは大丈夫なようだが、うどんこ病に効くという酢を霧吹きでかけておいた。頑張れ!つよっしー

ところで、いつも剪定してもらう松の根元に米粒が落ちているのを見咎めた庭師さんから「門被りの松に、米のとぎ汁などあげないで下さい。」との御小言。
今まで良かれと思い、せっせと研ぎ汁を撒いていた家人としては「米のとぎ汁は栄養があって良いのでは」と訊ねずにはおれなかったらしいが、その答えは「農薬たっぷりの米のとぎ汁は、枯らしたくないものには与えないで下さい。特に私が剪定する松には撒かないで下さい。」とのこと。

我が家がお世話になる庭師さんは本職の農家さんでもあるので、ここは素直に教えに従うしかないが、松に撒いてはならない研ぎ汁の本体の米を食べる人間の立場は一体?と思わざるを得ない「うどん粉病騒動」であった。
天候不順に病害発生、農薬散布と安全な食品、こうしてみると猫の額の家庭菜園はともかく農業は難しい。その農業の新たな担い手に期待が集まっているようだ。

<「田園回帰」の新たな動きに期待>2015年5月26日(火)8時57分配信 共同通信より引用
政府は26日、2014年度の「農業白書(食料・農業・農村の動向)」を閣議決定した。都市住民が新たな生活スタイルを求めて都市と農村を行き交う「田園回帰」の動きを取り上げ、農村の活性化に期待を示した。
14年に都市住民1147人を対象に農山漁村への定住願望を聞いたところ「願望がある」「どちらかというとある」と答えたのは31・6%だった。前回調査の05年より11ポイント上がった。世代別では特に20代男性の関心が高い。
鹿児島県志布志市と地元JAが協力して特産のピーマンを作り新規就農者を増やしたことや、島根県邑南町が食と子育てに力を入れて定住を促す例を紹介した。



どの夏野菜もそれぞれ難しいが、この私でも唯一毎年失敗がないのがピーマン。
このピーマンの成功をもってして定住型新規就農者の増加を図ろうと試みるのは少々無責任な気がしないでもない。おそらく「帰去来辞」(陶淵明)を意識した農業白書だと思うが、あの有名な「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす 」の帰去来辞には序章があるのを、知らしめているのだろうか。

帰去来辞 序
余家貧 耕植不足以自給
幼稚盈室 瓶無儲粟 生生所資 未見其術
自分は貧しい生活の中で、農耕に励んでも自給もままならぬ、子どもらは家に満ちて常に腹をすかせているのに、カメには貯えていたアワも無くなり、生命を維持していくための糧について、未だに算段がつかない。

陶淵明は仕官する前に自給自足がままならない極貧生活を身を持って経験しているが、その厳しさを知ったうえで「少きより俗韻に適ふこと無く 性 本と丘山を愛す~荒を開く南野の際 拙を守りて園田に歸る」(拙を守って偉くなれ)と悟り、「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす なんぞ帰らざる」と高らかにうたい田園へ帰っていく。

私ですら失敗しないピーマンで定住を促すのは無責任ではないかと御上の政策に不満を感じて思い出した作品がある。
「水神」(帚木蓬生)
この作品を読むと、予報が当たらない気象庁や無責任な農業政策をたてる御上に不満ばかり言っている自分が恥ずかしくなる。
そのあたりは、つづく


ちなみに、「帰去来辞 序」を知らしめているのか、と偉そうに書いたが、実は私は知らなかった。
「帰去来辞」を検索していて、「序」を見つけただけの付け焼刃の知識。
陶淵明の有名どころ特に雑詩其の壱「歳月不待人」や「帰園田居」は大好きだが、「帰去来辞」は冒頭の菅原道真による訳の素晴らしさが原文を凌いでいる気がするので、原文にはあまり関心がなかった。
偉そうな物言いを少し反省している。