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みんな同じ命

2015-05-30 12:51:06 | ひとりごと
「水神」(帚木蓬生)について書くつもりだったが、ニュースは生ものであり噴火という緊急事態なので、話題を変える。

<「犬残せない」「自分の船で」=短時間で決断、避難の島民-口永良部島>
2015年5月29日(金)22時33分時事通信より一部引用
飼い犬を連れてヘリに乗る人、自分の船で避難する人。鹿児島県・口永良部島で新岳が噴火した29日、島の住民が取るものも取りあえず、迷いながらも短時間で避難を決断していた。
海上保安庁によると、島北東部の湯向地区沖に到着した同庁巡視船の乗員は午後1時ごろ、島に上陸。地区にいた住民8人に避難を促した。
男性(77)は当初、「飼い犬を残してはいけない」と避難をためらっていたが、乗員から「一緒に連れて行って構わない」と説得され避難に応じた。
犬を連れた男性は約40分後、他の住民5人と巡視船へ。その後、巡視船に停止していたヘリで屋久島に運ばれた。



犬は間違いなく家族の一員だと感じている私としては、「飼い犬を残してはいけない」という男性の気持ちは痛いほど分かる。
避難を要する災害が次々起こる我が国では、避難時のペットの対策も徐々にではあるが進んでいる。

この問題が関心を集めたきっかけは、何といっても「マリと子犬の物語」(藤田杏一)だと思う。
2004年10月23日、新潟県中越地方をM6.8の地震が襲った。これは被災地山古志村での兄妹と飼い犬の物語である。

主人公の11歳と6歳の兄妹には母がいない。
4年前母が亡くなった時、妹の綾はまだ2歳だったので、母の記憶すらない。
そんな兄亮太と妹綾が一匹の捨て犬と出会う。親兄弟とはぐれた子犬に自分を重ねあわせた綾が、犬が苦手な父を説得し子犬を飼い始める場面が物語前半を占めるため、この家族とマリと名付けられた捨て犬とマリが産んだグー・チョキ・パーの結びつきの強さが伝わってくる。
この家族に新潟中越地震が襲う。
全壊の家の下敷きになり意識を失っている祖父と綾を助けるために、マリは前足を血で滲ませながら倒壊した土壁を掘り続け、更には、救助にきた自衛隊員を二人のもとに誘導し、マリのおかげで二人は助け出される。
しかし、救助のヘリコプターに犬を乗せることは出来ない。
飛び立つヘリコプターからマリと子犬を見て泣き叫ぶ綾と、行ってしまうヘリコプターを追い続ける犬の場面は涙で文字がかすんで読めなかった。

避難所でも命の恩人の犬を忘れられない家族に、山古志村が水没するという知らせが届く。
居た堪れなくなった兄と妹は犬を救うべく徒歩で村へ帰るが見つけることは出来ず、高熱を出して寝込んでしまう。
そして、ついに山古志村一時帰宅の日が訪れる。
山古志村は闘牛のための牛と鯉の養殖で生計をたてている人が多い。大切な命であり生計の糧でもある牛や鯉を諦めなければならない人達のことを思うと父はヘリコプターで犬を連れ帰ることに躊躇いがあったのだと思うが、地震直後に綾と祖父を救助した自衛隊員は、この兄と妹の犬を思う気持ちを痛いほど理解していた。「自分は山古志村に残るから犬を連れて帰って欲しい」という父に、自衛隊員は「みなで帰ろうと」という。
犬を連れ帰った兄と妹に、避難していた山古志村の人々は温かかった。
牛や鯉を残さざるをえなかった人たちは、生き物の命の尊さと、それを慈しむ兄妹の優しさを十分に分かっていたから。

涙なしには読めない物語ではあるが、村人と自衛隊員の理解と優しさのおかげでマリと三匹の子犬は助けられ、安堵のうちに読み終えられる。しかし、残され喪われた命の方が多かったことは忘れてはならないし、この時から7年後の東日本大震災でもペットの受難は続いた。

あちこちに残るペットの骸。飼い主を喪い彷徨うペット。避難先で飼えないため預けられたペット。
ペットを禁じる避難所に入ることを拒み、半壊の自宅でペットと過ごす被災者の方。
災害時のペットをめぐる問題は何度となく特集が組まれた。

その甲斐あってか、環境省は2013年指針を示した。
<災害時、ペットは原則一緒に避難/環境省が初指針/鍵はスペースの分離>2013/08/21 18:02共同通信より一部引用

環境省は20日、大災害時はペットの犬猫は飼い主と一緒に避難させることを原則とし、地方自治体に態勢整備やルール作りを促す「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン(指針)」を作成した。東日本大震災を教訓にまとめた。同行避難を明記した指針は初。全国の自治体に配布し、国の防災基本計画にも盛り込む。
指針は、自治体や飼い主などが普段から準備するべきことと、発生時の対応を列記した。
飼い主には、ペットが迷子にならないように飼い主の情報を記録したマイクロチップや名札を付けるよう促し、少なくとも5日分の水とペットフード、予備のトイレ用品などを備蓄するよう求めた。避難所で他の人に迷惑をかけないためのしつけや、避難ルートの確認などの対策も示した。
自治体には、避難所や仮設住宅にペットを受け入れられるように飼育スペースや方法を決め、普段から同行避難の訓練をするよう求めた。災害発生時に被災ペットを受け入れる動物救護施設の設置なども盛り込んだ。
獣医師会にも、協力可能な動物病院や獣医師のデータベース作成などを呼び掛けた。
東日本大震災では、住民が津波や原発事故で緊急避難を余儀なくされ、ペットとはぐれた例が多かった。一緒に避難しても鳴き声や動物アレルギーなどの問題から避難所で受け入れが認められないケースもあったため、指針を作って国の考えを示した。
一方、ペットが多様化する中、指針が想定するのは犬と猫だけで、他の動物については「まだ方針を決めていない」(同省動物愛護管理室)としている。自治体によっては人への危害を防ぐため、大型犬や危険な動物を同行避難の対象外とするケースもある。



着の身着のまま逃げ出す災害時に、何をペットの話かと思われるかもしれないが、ペットと暮らす人間にとって、ペットはかけがえのない家族なのである。
それを理解し指針が示され、今回船での避難に犬が同行できたのは、辛いニュースの中で、少しだけホッとできる情報だった。

ところで、皇太子御一家は犬と猫とカメを飼われている。
皇太子御一家が迷い犬や迷い猫ばかりを飼われている事から拝察するに、人間の保護と責任から逸れてしまう生き物の命に敏感なのだろう。東日本大震災後に敬宮様は、犬や猫はもちろんのことカメの避難についても職員と相談された、と読んだことがある。
一人っ子の敬宮様にとって犬や猫やカメさんは、やはり特別な存在なのだと思うが、命に責任を持つという姿勢を10歳にして有しておられるのは素晴らしく、それが初等科卒業文集につながっているのだと思っている。
「受け継がれる命を育む御心」


蛇足ながら、2年前この環境省の指針を知って我が家でも、常に一月分余分のドライフードと真水を準備はしている。が、齢80を超え、ふやかし御飯を食べる毎日なので今更ドライフードを咀嚼するのは難しいし、目も耳も鼻も利きにくくなり不安感も大きいのか鳴くこともあるので、環境省が許してくれても避難所に連れて行くわけにはいかないと思い、避難用のテントの購入を考えていたところの、今回の噴火だった。
地球規模で地殻変動の時期に入ったと思われるので、何時どんな災害に見舞われるか分からない。今一度、身の周りを点検しようと思っている。