「時と空間を違え傷つく権」で、どれほど優れた暦であっても、その耐用年数を超えれば誤謬が生じるし、土地柄が違えば(つまり借り物)誤謬が生じると書いた。
あらゆる文化を伝えた中国の暦を800年盲信し、盲信すること長きにわたるうちに神秘化し、それを守ることが自国の伝統だと勘違いし、変化を絶対的に拒否し、新たに改めるすべての術を消し去ってゆくという’’旧慣墨守’’は、日付がズレ蝕を外すという科学的に明確な現象を突き付けられてさえ、改めることが難しかった。
この’’旧慣墨守’’ぶり、現代も思い起こさせられることがある。
かの国の文化(儒教)・律令制が導入される以前の日本は、女性が国を総べることも多く、当時の世界を見渡しても画期的な女性に財産所有(田畑の相続)を認める制度さえある母系社会であったが、いつの間にか儒教の思想にどっぷり浸かり神秘化し、それを守ることこそが伝統だと信じ、変化を拒み、新たに改める術をことごとく消し去りつづけて1400年。
男児をあげることと男児であることが最高にして唯一の存在価値であり、男児をあげた女性と男児だけを重んじ
女児を産んだ女性は心を病むまで追いつめ女児は社会的に抹殺せんとばかりに叩きのめす、これが日本が世界に誇る伝統なのか。
「天地明察」(冲方丁)は神道について、こう語っている。
『神道は、ゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している。死すらも’’神になる’’などと言って否定しない。’’禊ぎ’’の本意たる’’身を殺ぐ’’という言葉にすら、穢れを削ぎ落として清めるという意味はあれど、穢れを消滅させる、穢れたとみなされた者を社会の清浄を保つために滅ぼすといった意味合いはないと言っていい。否定すべきものを祓い、流れさる一方で、その権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない。』
神道は「権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない」というならば、なぜ女児を産んだ女性は心を病むまで追いつめられ女児は社会的に抹殺せんとばかりに叩きのめされてきたのか、男児がいない東宮は消えよとばかりに「退位せよ、離婚せよ、廃太子せよ」と書きたてられてきたのか。
神道の真理に混在した借り物の思想を長きにわたって墨守し続けてきたために、真理の根幹に誤謬が生じているのではあるまいか。
これを正す法はないのか、「天地明察」から様々な抵抗に遭いながら改暦が成し遂げられる過程を振り返ると。
「政治の安定を目指す保守正道」と「改革でもって民の生活を守ろうとする革新派」が手を携える幕府。
幕府と天皇・朝廷・神道との橋渡しをして理を守ろうとする水戸光圀と闇斎。
民の知性が活きることを願い知恵を授ける関孝和。
いと高き方々が、それらの願いを受け入れ、正しい良い時を刻むようにと変化を受け入れ、最終的に大変化の号令となる天皇の詔。
それこそが、日本で最初の日本独自の暦、大和暦となるのだ。
かの国の暦を墨守すること800年、儒教的精神支配は1400年。
日本人全てが心を一つに大和心に立ち返えれば、改暦と同じく自ずと正しい道に辿り着くはずだと信じたい。
そのためにも、『革新だけでは置いて行かれる人々の怨みが政道の障りとなり、保守だけでは新たな世を求める人々の鬱憤を招く』(天地明察)ここの橋渡しをする偉大な智慧者が現れることを強く望んでいる。
そして、「天地明察」たる未来が広がって欲しいと願っている。
ところで今皇太子ご夫妻は、北極星が見えない地域の人々が航海の目印にする南十字星がまたたくトンガを訪問されている。
春海はいう
『正しく天の定石をつかめば、天理暦法いずれも誤謬無く人の手の内となり、ひいては天地明察となりましょう』
日本からは見えないけれども、多くの人にとり北極星と同じく目印となる南十字星を御覧になった皇太子ご夫妻の視座がさらに広がり、天地明察となりましょう・・・・・となることを心から祈っている。
あらゆる文化を伝えた中国の暦を800年盲信し、盲信すること長きにわたるうちに神秘化し、それを守ることが自国の伝統だと勘違いし、変化を絶対的に拒否し、新たに改めるすべての術を消し去ってゆくという’’旧慣墨守’’は、日付がズレ蝕を外すという科学的に明確な現象を突き付けられてさえ、改めることが難しかった。
この’’旧慣墨守’’ぶり、現代も思い起こさせられることがある。
かの国の文化(儒教)・律令制が導入される以前の日本は、女性が国を総べることも多く、当時の世界を見渡しても画期的な女性に財産所有(田畑の相続)を認める制度さえある母系社会であったが、いつの間にか儒教の思想にどっぷり浸かり神秘化し、それを守ることこそが伝統だと信じ、変化を拒み、新たに改める術をことごとく消し去りつづけて1400年。
男児をあげることと男児であることが最高にして唯一の存在価値であり、男児をあげた女性と男児だけを重んじ
女児を産んだ女性は心を病むまで追いつめ女児は社会的に抹殺せんとばかりに叩きのめす、これが日本が世界に誇る伝統なのか。
「天地明察」(冲方丁)は神道について、こう語っている。
『神道は、ゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している。死すらも’’神になる’’などと言って否定しない。’’禊ぎ’’の本意たる’’身を殺ぐ’’という言葉にすら、穢れを削ぎ落として清めるという意味はあれど、穢れを消滅させる、穢れたとみなされた者を社会の清浄を保つために滅ぼすといった意味合いはないと言っていい。否定すべきものを祓い、流れさる一方で、その権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない。』
神道は「権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない」というならば、なぜ女児を産んだ女性は心を病むまで追いつめられ女児は社会的に抹殺せんとばかりに叩きのめされてきたのか、男児がいない東宮は消えよとばかりに「退位せよ、離婚せよ、廃太子せよ」と書きたてられてきたのか。
神道の真理に混在した借り物の思想を長きにわたって墨守し続けてきたために、真理の根幹に誤謬が生じているのではあるまいか。
これを正す法はないのか、「天地明察」から様々な抵抗に遭いながら改暦が成し遂げられる過程を振り返ると。
「政治の安定を目指す保守正道」と「改革でもって民の生活を守ろうとする革新派」が手を携える幕府。
幕府と天皇・朝廷・神道との橋渡しをして理を守ろうとする水戸光圀と闇斎。
民の知性が活きることを願い知恵を授ける関孝和。
いと高き方々が、それらの願いを受け入れ、正しい良い時を刻むようにと変化を受け入れ、最終的に大変化の号令となる天皇の詔。
それこそが、日本で最初の日本独自の暦、大和暦となるのだ。
かの国の暦を墨守すること800年、儒教的精神支配は1400年。
日本人全てが心を一つに大和心に立ち返えれば、改暦と同じく自ずと正しい道に辿り着くはずだと信じたい。
そのためにも、『革新だけでは置いて行かれる人々の怨みが政道の障りとなり、保守だけでは新たな世を求める人々の鬱憤を招く』(天地明察)ここの橋渡しをする偉大な智慧者が現れることを強く望んでいる。
そして、「天地明察」たる未来が広がって欲しいと願っている。
ところで今皇太子ご夫妻は、北極星が見えない地域の人々が航海の目印にする南十字星がまたたくトンガを訪問されている。
春海はいう
『正しく天の定石をつかめば、天理暦法いずれも誤謬無く人の手の内となり、ひいては天地明察となりましょう』
日本からは見えないけれども、多くの人にとり北極星と同じく目印となる南十字星を御覧になった皇太子ご夫妻の視座がさらに広がり、天地明察となりましょう・・・・・となることを心から祈っている。