何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

生きることと見付けたり

2015-07-14 23:54:50 | ひとりごと
「世情~頑固者と臆病者」で引用した新聞記事を読んだとき実は一つ気にかかっていたことがある。が、これを関連付けて書くことは不適切だと考え、「逃げること上等」で一区切りしたつもりだったのだが、ギリシャのデフォルト問題との関連で読み始めた本である言葉に出会い、今一度考えてみることにした。

「逃げること上等」と書いたが、日本では「転がる石に苔むさず」の精神で「ここでダメな者が他で通用するはずがない。ここでもうひと踏ん張りしろ」と説かれることが多いので、ホリエモンが提案する「大事なのは逃げてもカッコ悪くない雰囲気作り」は意外と難しい。
また場所を変えることが絶対的に無理なこともある。
敬宮愛子様である。

「世情~頑固者と臆病者」で引用した新聞記事には、中2の生徒が受けたイジメには「髪をつかまれて机に頭を打ちつけられる」「給食の配膳中に体を押される」という行為があったと書かれているが、これは小2の敬宮様が受けたと云われる暴力行為と重なるものである。当時雑誌には「給食室へ移動される時に、敬宮様は首根っこをつかまれ下駄箱に頭を突っ込まれたことがあり、その恐怖から給食室で給食を食べることを怖がられるようになられた」「雅子妃殿下について税金泥棒と罵声を浴びられたのもショックであった」と書かれた。
仮に、これが事実ならば、中2の男子生徒が耐えがたいと思う暴力行為を小2で受けられた敬宮様の心の傷は如何ばかりかと思うが、雑誌記事が書いたことでもあるので、この行為そのものについては、これ以上言及するのは止めたいと思う。が、このイジメ報道を契機に敬宮様と雅子妃殿下はマスコミによる公開リンチともいえる真の「イジメ」に遭われた。

敬宮様が皇族であろうとなかろうと、8歳9歳のまだ大人の保護を受けるべき年齢の児童の学校生活を探るため、毎朝毎夕100人からの報道陣が校門前につめかけカメラを向け、翌週には雑誌に大見出しでバッシングを載せるという所業を公開リンチ「イジメ」と呼ばずして何と表現できるだろうか。
心ある日本人は皆マスコミの酷い所業に心塞がれる思いをしていたと思うが、あのマスコミの公開リンチが、善悪の判断がまだつかない子供や感性の鈍い大人に与えた悪影響は計り知れない。
義務教育を受ける児童生徒は静謐な環境で学習する権利があり、まして通学に不安を覚える状況ならば大人による細やかな配慮を要するのは、敬宮様が皇族であろうとなかろうと、どの児童生徒であっても同様であるが、それが悉く踏みにじられた。
これは、子供であっても気に入らなければ叩きのめしてもよいという風潮と、皇族であっても(権威あるものであっても)気に入らなければ叩きのめしてもよいという風潮を作りあげた。
加えて教育現場においては、通学に不安のある子とその親は、雅子妃殿下の付き添いを受けながらも毎日通学される敬宮様のスタイルに一縷の望みを見出していたが、マスコミが突きつける「異常母子」の言葉は、その希望をも打ち砕いたのだ。

マスコミが皇太子御一家に行ってきた公開リンチ「イジメ」が日本社会に与えた悪影響は計り知れない。

自分と自分の母親を、言葉の限りをつくして誹謗中傷するマスコミが大挙して待っている校門をくぐって通学せねばならない8歳9歳の少女の気持ちを一度でも考えたことがあるのだろうか、大の大人のマスコミは。
しかし、決して場所を変えることのできない敬宮様は大人の冷酷非道な所業に打ち勝たれた。
そのきっかけとなったのが、管弦楽部でチェロを担当されたことだったという。
それまでは、暴力と罵声を浴びた場所のみが敬宮様の学校での行動範囲であったが、新たな活動の場が出来たのだ。
それが、音楽と親しむ空間と時間である。

学校という場も皇族という立場も変えることは出来ないが、そのなかにあって違う空間に没頭するという時間を見付けられたのだ。
「イーハトーブの星」で皇太子様とヴィオラについて書いたが、楽器の練習をする時間が、敬宮様のお心を違う空間へ解き放つ役割を果たしたのではないだろうか。それは、もちろん文字通りの「逃げること」ではないが、問題に真正面から四角四面に取り組むのとも異なるある種の精神的「逃げ」の効果をもたらしたと思うのだ。

逃げることは弱いことではない。
本当に弱いのは、相手が逃げるしかないと思うほどに追い詰めイジメ抜くこと。

冒頭で、ある本が再度「逃げること」を考えるきっかけとなったと書いた。
それは、「鬼はもとより」(青山文平)だ。
ギリシャのデフォルト問題やアベノミクスとの関係で興味をもち読み始めた本だが、そこは「死ぬことと見付けたり」をモットーにする武士による経済政策の話、やはり数々の精神論が散りばめられており、当初の目的の経済論よりも精神論に比重をおいて読んでしまった。

武士にとっては、死ぬよりも生き続ける方が辛いことがあり、まして逃げるなどというのは生き恥を晒す以外の何物でもない時があるが、この小説では何度となく「逃げてくれ、その場を離れてくれ」という言葉が現れる。
『これも手前勝手な頼みだがな。腹を切るならば、版木を持って逃げてくれ。ともかく、生きてくれ』
『まずは、伯父上ともども、逃げることです』
『體の深くに、無数の(精神的)疵を溜めこんでいく。いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からず、その疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。そうなる前に、いまの席から清明を離れさせなければならない』

「死ぬことと見付けたり」の武士ですら「逃げてくれ、(席を離れて)生きてくれ」と願いあうのだから、やはり
「逃げること上等」なのだ。

そして、反論することも逃げることも叶わない状況を、遣り過ごし成長する術を心得られた敬宮様は、最強だと信じている。