何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

犬と私の物語

2015-09-02 21:45:25 | 
「(読むなら)今でしょ」と本仲間が貸してくれた「天佑なり~高橋是清・百年前の日本国債」(幸田真音)をまだ読み始めてもいない。
人様からお借りした本は、出来きるだけ早く読みお返しするのを常としているが、大量に日本国債を刷ったことで知られる高橋是清の本の背表紙と新国立競技場のゴタゴタや模倣エンブレム問題を見ていると、嫌でも1940年幻の東京オリンピックとその四年前に起った2・26事件を関連付けてしまい、なかなか読む気力が湧かないが読まねばならぬ本だと思っている、とお詫びしつつ、まだ読み始めてもいない。

借りた本を読んでいないのに、違う本を読むのは非常識だとは分かっているが、我が家のワンコの幼少の砌に
そっくりな写真の表紙に惹かれて「犬とあなたの物語~犬の名前」(十倉和美)を読んでしまった。

二重の意味で思いがけない内容で、重かった。
仲良さそうな夫婦の間に可愛い犬がいる写真の表紙なので、てっきり「犬との生活は楽しいですよ」という内容だと思ったのだが、人と犬との別れの話で、しかも別れの理由が私が想定するものではなかったため、辛く重かった。

齢80をこえるワンコが一日でも長く生きてくれることを願う日々の私としては、畏れるべき人とワンコの別れといえば、ワンコが虹の橋を渡っていってしまうことだ。
猛暑から一転して肌寒くなり、しかも湿度が高いという今の環境は、激烈な痛みでショック死しかねない場所に神経痛をもつワンコには非常に嫌なもので、震えている、食欲が落ちた、悲痛な鳴き声をあげる、夜泣き徘徊する、というワンコの(準)介護に家中の者が寝不足ヘロヘロの毎日ではあるが、日頃は好き勝手している家族銘々が役割分担を決め協力するのは、一日も長くワンコと生活したいから。

これが逆になることは、考えてもみなかった。
飼い主が先に逝く。
「犬のあなたの物語」では、飼い主一郎が若年性アルツハイマーになるので、正確には犬より飼い主が先に逝く悲劇とは少し違うが、あらゆる記憶が遠のいていくにもかかわらず、記憶が薄れていっている自分を認識できる状態の苦しさ辛さ、それを犬が慰める場面は、読む者の胸に迫ってくる。
病が進行し、飼い犬の名前「ラッキー」も忘れながらも、犬を飼っていたことだけは忘れない一郎が、ラッキーに「ジロー(一郎が子供の頃に弟分としていた犬の名)」と呼びかけた時、他の名前には決して反応しないラッキーが、まっすぐ一郎を見つめて一郎の頬を舐める場面は涙なしでは読めなかった。
『一郎のためにできることは何でもしてあげたい。
 だって、一郎は僕の大切な人だから。
 美里(一郎の妻)は一郎に近づこうとするラッキーから、そんな思いを感じ取った』(『 』は引用)

ペットを家族として暮らす人間は、ペットのために出来ることは何でもしてあげたいと思うものだが、それはペットとしても同じかもしれない。
そうだとすれば、ペットが人間を見送らねばならない場合、残されるペットは心身ともに悲しく辛い。

いずれ来る時を恐れ一日でも長く生きておくれと奉仕する日々だが、逆の場合を考えれば、それは遙かにマシなのかもしれない。
かわいい表紙に誘われて読んだ「犬とあなたの物語」から、重く哀しい慰めをもらった気がしつつ、諸々の世話に今日も明け暮れている。

ところで、このラッキーは動物愛護センターから引き取った犬である。
動物愛護センターのような所にいる犬は、迷い犬ばかりなのだと思っていたが、実は違うのだと、この本を読み知った。
衝動買いのようにペットショップで買い、使い捨てのおもちゃのように簡単にポイ捨てする人、子供ができた、引っ越し先の住まいではペットが飼えない、今の犬種には飽きたので違う犬を飼いたい等など、俄かには信じがたい理由で、飼っていた犬を自ら動物愛護センターに持ち込む飼い主がいるそうだ。

『飼い主がなんらかの理由で飼えなくなったと持ち込まれた犬、迷い犬や捨て犬。その中から、職員である獣医師が新たな飼い主との生活に順応できそうな犬を選び、譲渡会で里親希望者と対面させているのだという。
それ以外の犬は、保護といっても、この施設ではわずか五日間。飼い主が持ち込んだ犬は、その翌日に殺処分される。
ひっそりとした芝生の一角には動物慰霊碑がある。』(『 』は引用)

収容された犬は一日たつごとに、奥のブースに移されていく。
そして、五日目を迎えた犬は最期の時を迎える。
『犬の殺処分には炭酸ガスを使っているが、実際は約一時間かけて窒息死させていくようなものだ。犬は真綿で首をしめられるように、ジワリジワリと死んでいく。』(『 』は引用)

(この本によると)全国で十万頭以上の犬が収容され、引き取られる犬は殺処分されるうちの、ごくわずかな数に過ぎないそうだ。

これまでも動物の殺処分がなくなることを願って書かれた敬宮様の作文を記してきたが、この本で殺処分の酷さと、殺処分に追い込む理由が人間の身勝手さであることを知り、敬宮様の優しさだけでなく怒りも、感じた。

どの動物も命の重さは等しいにもかかわらず、自分に都合の悪い存在であれば、目の前から平気で排除する人間の身勝手さに対する悲しみと怒り。

捨て犬・猫という言葉を使わず「保護された犬・猫」と表現される繊細で優しい敬宮様なので、人間の身勝手さを(ご存知であっても)責めてはおられないが、初等科卒業文集の課題「夢」に、動物の殺処分がなくなることを願って書かれた作文の末尾「人も動物も大切にされるようになることを願っています。」の 意味は重いものだと改めて感じている。(作文、「命を育む御心」