何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

繋がっている歴史から学ぶ

2015-09-05 23:37:57 | 
「(読むなら)今でしょ」と渡された「天佑なり」(幸田真音)
株価の乱高下下下もそのうち収まるだろうと思いながら待っていたが、週末のニューヨークも一層下げ収まる気配がないなか(ワンコの夜鳴きも収まる気配がないなか)、「天佑なり」を一気読みした。

作者幸田真音氏自身があとがきで『繰り返される政権交代、関東大震災、そして世界的な大恐慌という背景のなかで、当時この国が向き合わされてきた厳しい財政問題が、いままさに日本が直面している現代のそれと、あまりにも酷似していることに改めて愕然とした」と書いているが、似ているだけに同じ轍を踏んではならないとの思いも強く持ちながら読んでいた。。

この本は上下巻600ページだが、上巻はまさに「高橋、これ着よ」の半生記。
これが未曾有の危機に総理大臣と六度の大蔵大臣を任される人物なのだろうかと感じながら下巻を読み進めていくと、高橋が大車輪となって働きはじめる頃になり、それまでの経験が見事に活きてくるのに気付かされる。
英語を学ぶために訪れたアメリカで奴隷となってしまう経験や、何度となく就職と失職を繰り返す経験は、社会的地位で人を判断しないという懐の深さや、開き直りと出たとこ勝負の押しの強さに繋がっていくように思われる。
アメリカやペルーで生活した経験と知人恩人に外国人が多いことは、欧米の物量・技術を正確に判断することや、財政を考えるうえで国民生活を念頭に置くことに繋がっていくように感じられた。
また、職を転々とするなかでも、株の仲買の店をもった経験と英語教師として優れた人材を育てたことは、相場観(勘)を持つという点でも人脈を広げるという点でも後々大きな意味をもつようになる。
特に、「(先例のあることなら、ただ優秀な人に教えを乞えば良いが、)先例のないような事件については、高橋さんの所に行くに限る。必ず即刻いい考えを出される」と言われたのは、奴隷・失業から官僚・銀行員まで様々な立場についた経験や、教師でありながら生徒でもあるという経験が、危機において悲観的にならず柔軟な発想をもつのに役立ったからだと感じつつ読んでいた。

今でも、総理経験者が財務(大蔵)大臣に就任すれば「平成の高橋是清」と評されることもあるし、当時の世相と酷似していることから「求む平成の高橋是清」と云われることもあるが、「出る杭は打たれ、出ない杭は早々に捨てられる」現在なので、果たして平成の高橋是清はいるのか、いないのか。

「国債の日銀直接買い取り」という方法が閃いた時の是清の言葉を現在の経済政策に当てはめると、「平成の高橋是清」は何処にと思われる。
『これはあくまで一時的な便法だ。こういう特例的な金政策を執るときは、必ずきちんと出口を設定しておくのが鉄則だ』
『国債を博打や賭事の道具に使われてはたまらないからな。』
『これはあくまで一時の便法だぞ。劇薬は一歩間違えれば毒になる。出口も作らず続ける事だけは、避けなければならぬ。』
是清在任期間中に発行された国債は39億円にまで膨らみ、86%が日銀直接引き受けだったが、その91%は当初の宣言通りに日銀から転売され市中で消化されたおかげで、世界中を不況の暗雲が覆っているなか、日本だけはいち早く厚い雲から脱するのだ。これは、高橋是清の先見の明と手腕によるところだが、出口戦略がないまま世界同時株安に翻弄されている現在を見ると、強く「求む平成の高橋是清」と思わざるをえない。

しかし一方で、高橋是清のとる経済政策については、当時でも『実力のない空景気で・・・・・・天下の人間はことごとく成金になるんだというような感じを、日本国中の人間が持つような有様で』『放漫な放言』と断ずる人もいたし、海外事情に通じ財政健全化を重んじる立場から、軍事費増強を望む軍に対し真っ向から反論しつつも、結果的には日銀直接買い取りの恩恵を一番受けたのが軍部で、その予算は二年で二倍以上に膨らんだこともあり、評価は分かれるところもあるようである。

評価が分かれる経済政策について語るべき才覚はないが、高橋是清の幼少からの経験がすべて後に活きてくることから人生や運命の「必然」について考えさせられた。そして、高橋是清が2・26事件で凶弾に倒れた事から、歴史と運命は変えられるのかを2・26事件を舞台に描いた「蒲生邸事件」(宮部みゆき)を思い出したので、近々読み返してみたいと思っている。
もう一点、この時代は有名な5・15事件や2・26事件だけでなく三月事件や十月事件が起こっているが、これらを国民がどう見ていたのかを知ることは、今、道を考えるうえで重要だと思っている、そのあたりを少々、つづく。


ところで、高橋是清はアメリカから帰国し、東大の前身ともいわれる大学南校(開成学校)で教官をしたのち、請われて唐津藩の 英語学校耐恒寮の教員となり有能な人材を育てているのだが、唐津といえば肥前国にあり、同じ肥前国には佐賀鍋島藩が設立した弘道館を前身とする佐賀中学がある。
この佐賀中学出身であるのが、雅子妃殿下の曽祖父江頭安太郎海軍中将である。
江頭氏は海軍兵学校在校中全科目で首席を占めたといわれ、海軍大学校を首席卒業という稀な秀才であり、特に英語の力は抜きんでていたと云われるが、高橋是清の奮闘のかいあって肥前国(佐賀)に英語教育の大いなる風が吹いていたことも影響していたのだろうか、などと想像しながら、読んでいた。

ちなみに、海軍兵学校では首席卒業者は明治天皇に拝謁できる習わしとなっており、天皇陛下からは御言葉を賜り、学生は将来の抱負を述べることが許された。
江頭安太郎氏は1886年(明治19年)その席で「これからの日本人は、もっと外国に出て国際的にならなければいけない。皇室も積極的に外交に務められるべきだ」といった趣旨の話をされたそうだ。
その日から約100年後、外交官であった曾孫は皇太子妃となった、皇室親善外交を期待された雅子妃殿下の誕生である。

歴史はつながっている。