何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

号外 二百十日の地の噴火

2015-09-14 12:48:32 | ニュース
二百十日はなんとか過ぎたが、どうもいけない。

東日本の大水害の被害の全容もまだ分からず、行方不明の方が数多くおられるなか、何を書くのも躊躇われていたが、躊躇っているうちに次の自然災害が日本を襲おうとしている。

<阿蘇山で噴火発生 警戒レベル3に引き上げ> 9月14日 10時14分NHKより一部引用
14日午前、熊本県の阿蘇山で噴火が発生し、噴煙の高さが2000メートルまで上がって火口周辺で大きな噴石が飛んだのが確認されました。
気象庁は噴火警戒レベルを入山規制を示す3に引き上げて中岳第一火口からおおむね2キロの範囲では大きな噴石や火砕流に警戒するよう呼びかけています。
気象庁によりますと、14日午前9時43分ごろ阿蘇山の中岳第一火口で噴火が発生しました。噴煙の高さは火口から2000メートルまで上がり、火口周辺に大きな噴石が飛んだのが確認されたということです。



この山域のカルデラ破局噴火の恐ろしさを書いた「死都日本」(石黒 耀)について書いた時、「二百十日」(夏目漱石)も併せて読んでいた。
(参照、「神坐す山の怒りの火」 「破局に終わらせない知恵を」 
    「伝承は神の教え其の壱」 「伝承は神の教え其の弐」 「神の教えを継ぐ皇太子様」

その阿蘇山まで噴火するとは。
「二百十日」は、阿蘇山に登ろうとする圭さんと碌さんの会話で話が進むが、身分と能力について等、この時代ならではの諸々を、漫談のような語り口に包んで強烈に風刺している。
「二百十日」で漱石が云わんとしたことは、私の解釈では、民衆は捨てたものではない、むしろ優秀な民を活かさぬようなら、そのような社会の方が間違っている。
阿蘇山が噴火したことで、又、噴火の本になるが、災害に屈しない民こそ国の宝だと信じられるような本を教えてもらったばかりだ。
「起返の記~宝永富士山大噴火」(嶋津義忠)

災害の本は当分は精神的にキツイと思い、今しばらく時が経ってから読むつもりだったが、「富士山噴火」(高嶋哲夫)では桜島の麓出身の自衛隊員の対応が冷静かつ迅速であったこと思えば、災害を「知っている」ということは、いざという時に大きな違いを生むのは確かだ。そうであれば、江戸時代に富士山噴火に立ち向かった「民」の覚悟を書いた「起返の記」を今読むことは、急がれるし必要なのだと覚悟を決めさせた、今日の噴火である。

ただ今この時は、阿蘇山の噴火が収束し、被害が少ないことを願うばかりだが、地殻変動の活動期に入り、気候変動の影響による異常気象が頻発する我が国では、いかなる災害ももはや他人事ではない。
明日は我が身の覚悟を決め、心して備えをしなければならないが、今は東日本水害の復旧と阿蘇山噴火の収束を心から祈っている。