何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

災害と戦しちょるごたる   銀杏城・肥後もっこすは勝つ

2016-04-15 12:51:55 | ニュース
余震が続いている。
一夜明け、被害状況が明らかになるにつれ、震度7の大きさ恐さを改めて感じている。
<長周期地震動の「階級4」を国内初観測 震度6強の余震で> 産経新聞2016.4.15 05:42配信より一部引用
熊本県益城町で14日夜に発生した震度7の地震で、気象庁は15日、同県宇城市で発生した震度6強の余震で、長周期地震動の「階級4」を観測したことを明らかにした。平成25年3月に長周期地震動の観測が試行されて以来、国内初。
気象庁によると、15日午前3時までに発生した余震は計75回。うち午前0時3分に宇城市で発生した震源の深さ約10キロ、推定マグニチュード(M)6・4の最大余震は、同市内の地震計で長周期地震動が4段階中最大の階級4を観測した。
長周期地震動は、大規模な地震で発生する周期の長い揺れで、高層ビルなどの高い建物に大きな揺れを生じさせる。


阪神淡路大震災を目の当たりにしたとき、「これほどの災害を目にすることは、自分が生きている間には二度とないだろう」と思ったが、あれから何度同じように酷く辛い災害に日本は襲われてきたことだろうか。
何時頃からか、災害を伝えるテレビ画面を見るのが本当に本当に辛くなり、何か心が沈み込むような感じをもつようになってきている。
だからこそ、自分に言い聞かせるためにも書いておかねばならないと思うことが、ある。

人生のあれやこれやに翻弄され、今は今でワンコをうしなった悲しみから立ち直れていないような私が、災害があったばかりの今書くべきことでもないかもしれないが、災害列島に住む者として明日は我が身との覚悟をもつため、あえて書いておこうと思っている。

それは、絶え間なく余震に見舞われる被災地がかつて銃弾が雨あられと降った激戦の地であったことから、西南戦争に続く人生模様を書いた「光と影」(渡辺淳一)を思い出したことに、ある。

「光と影」は、陸軍将校として西南戦争で戦い共に銃弾の貫通により右腕の関節上部の紛糾骨折という怪我をおった小武と寺内の人生を書いている。
政府は医薬物資を九州まで運べず又抗生物質などもなかった時代、小武と寺内はお互い励まし合いながら、治療を受けるため船で大阪に向かう。二人の傷はひどく化膿し切断は免れないという状況のなか、同じ病院で同じ日に切断の手術を受けることになったのだが、二人はその運命を受け入れていた。
だが、日に二度までも有能な若者の腕を切り落とすことに辟易とした軍医はふと、切り落とさねばどうなるか試してみたくなる。
軍医のふとした一瞬のひらめきで、先に手術した小武の腕は切断され、後に手術することになっていた寺内の腕は残された。
これが後々人生を大きく分けることになる。
腐った腕を切り落とされた小武が早々に退院し社会復帰を果たすのに対し、膿んだ腕を残したままの寺内はいつまでたっても膿と熱がひかず長く闘病生活を送ることになる。
だが、膿と熱がおさまり、さほど使い物にはならないとはいえ、ともかく両腕が残った寺内が軍にもどり出世階段を上りはじめた頃から、同期で一番優秀だったと云われた小武の苦悩は始まる。
片腕ゆえに陸軍友好クラブの管理人でしかない小武と、最終的には陸軍大臣から総理大臣にまで上り詰める寺内。

腕をなくした不自由とそれによって失ったものを嘆きながら、腕が残った寺内を羨み、人を羨み妬んでいる自分に自己嫌悪を覚えて更に苦しむという長い年月が老いとともに終わろうとしていた頃、小武は二人の人生を分けた手術の事実を知ってしまう。

小武は、同じ右上腕部の紛糾骨折ではあったが医学的理由があり二人の治療法が異なったのだと思っていたが、そうではなかった。
二人はまったく同じ状態ではあったが、単にカルテがおかれていた順番という違いだけで、腕を切り落とすか残すかが決まったのだと知り、発狂してしまうのだ。

腕を失ったとはいえ膿や痛みから早く解放され、名誉の負傷を理解しあえる人のなかで早期に社会復帰できたという事実と、腕が残されたために膿と熱がひかず「腕を切り落としてくれ」と叫びのた打ち回りながら長く苦しだという事実は見落とされがちで、その後の経歴だけで「光」と「影」の烙印が貼られてしまう。
一見すると、小武は「影」で寺内が「光」にも思えるが、同じ一人の人生のなかにも「光」と「影」があるのは、私程度の年齢を生きてくれば誰しも身に沁みて感じている。
あの時あの道を選ばなければ・・・という後悔の念をもつ事柄も一つや二つではない。
まして、それがカルテの順番、突然に襲ってくる災害であれば、何にその怒りをぶつけていいのか分からない。
だが、「光と影」を読んだとき、中学生の頃に部活の先輩から借りて読んだ「エースをねらえ!」(山本鈴美香)のなかの宗方コーチの言葉が浮かんだのだ。
たしか、この世に起る出来事にもともと幸・不幸はないのだと、それを決めるのは人間なんだ、というニュアンスの言葉だったと思う。

あの頃あの言葉に甚く心を打たれはしたが、その後に降りかかる人生のあれこれに盛大に右往左往し、宗方コーチの境地には至れない私なので、災害に苦しむ方々に「この世におこる出来事にもともと幸・不幸はないのだと、それを決めるのは人間なんだ」などとは言えるはずもない。

だが、災害列島日本に住む者として、明日は我が身と云う覚悟をもたねばならないとき、国も個人も、起っている事実以上の「影」をまとわりつかせないように心せねばならないとは思っている。

速報・余震つづく 頑張れ肥後もっこす

2016-04-15 00:46:05 | ニュース
熊本益城町で震度7=倒壊10棟以上、負傷者12人―火災も、強い余震続く時事通信 4月14日(木)21時34分配信
14日午後9時26分ごろ、九州地方を震源とする地震があり、熊本県益城町で震度7の揺れを観測した。
気象庁によると、震源の深さは約10キロ、地震の規模(マグニチュード)は6.4と推定される。警察庁によると、この地震で12人が負傷した。震度7の揺れが記録されたのは2011年3月の東日本大震災以来。


また日本に一つ、被災地と呼ばれる場所ができてしまった。
夜間であるため被害の状況は明らかになっていないが、テレビに映し出される地震直後の各局報道フロアの様子を見れば、震度7の大きさは十分伝わってくる。
何時ごろからか災害のニュース映像を見ると、胸が締め付けられ息苦しくなるような感じがする。

あの緊急地震速報の音を聞くと、それだけで胸がふさがれる感じがする。

本震の震度7だけでも恐ろしい思いをされただろうに、これだけ余震が続くとおちおち後片付けもしておれず、不安な夜を迎えておられることだと思う。

発生時刻         情報発表時刻     震源地  マグニチュード  最大震度
2016年4月15日 0時34分ごろ 2016年4月15日 0時38分 熊本県熊本地方 4.5    4
2016年4月15日 0時26分ごろ 2016年4月15日 0時29分 駿河湾南方沖 4.8      2
2016年4月15日 0時20分ごろ 2016年4月15日 0時23分 熊本県熊本地方 4.0    3
2016年4月15日 0時13分ごろ 2016年4月15日 0時17分 熊本県熊本地方 3.9    3
2016年4月15日 0時03分ごろ 2016年4月15日 0時07分 熊本県熊本地方 6.4    6強
2016年4月14日 23時43分ごろ 2016年4月14日 23時48分 熊本県熊本地方 5.0   4
2016年4月14日 23時28分ごろ 2016年4月14日 23時32分 熊本県熊本地方 4.4   4
2016年4月14日 23時00分ごろ 2016年4月14日 23時04分 熊本県熊本地方 3.3   3
2016年4月14日 22時51分ごろ 2016年4月14日 22時54分 熊本県熊本地方 3.5   3
2016年4月14日 22時47分ごろ 2016年4月14日 22時51分 熊本県熊本地方 3.5   3
2016年4月14日 22時43分ごろ 2016年4月14日 22時46分 熊本県熊本地方 4.3   4
2016年4月14日 22時38分ごろ 2016年4月14日 22時43分 熊本県熊本地方 5.0   5弱
2016年4月14日 22時31分ごろ 2016年4月14日 22時35分 熊本県熊本地方 3.3   3
2016年4月14日 22時26分ごろ 2016年4月14日 22時30分 熊本県熊本地方 3.6   3
2016年4月14日 22時22分ごろ 2016年4月14日 22時27分 熊本県熊本地方 4.6   4
2016年4月14日 22時19分ごろ 2016年4月14日 22時23分 熊本県熊本地方 3.3   3
2016年4月14日 22時16分ごろ 2016年4月14日 22時20分 熊本県熊本地方 4.2   4
2016年4月14日 22時09分ごろ 2016年4月14日 22時15分 熊本県熊本地方 4.3   4
2016年4月14日 22時07分ごろ 2016年4月14日 22時12分 熊本県熊本地方 5.7   6弱
2016年4月14日 22時06分ごろ 2016年4月14日 22時09分 --- --- 6弱
2016年4月14日 22時03分ごろ 2016年4月14日 22時07分 熊本県熊本地方 3.3   2
2016年4月14日 22時00分ごろ 2016年4月14日 22時04分 熊本県熊本地方 3.0   2
2016年4月14日 21時53分ごろ 2016年4月14日 21時58分 熊本県熊本地方 4.0   4
2016年4月14日 21時42分ごろ 2016年4月14日 21時48分 熊本県熊本地方 4.9   4
2016年4月14日 21時37分ごろ 2016年4月14日 21時44分 熊本県熊本地方 3.9   4
2016年4月14日 21時26分ごろ 2016年4月14日 21時36分 熊本県熊本地方 6.4   7


熊本城をバックに、頻繁に流れる地震速報を見ていると、何故だか銃弾が雨あられと飛び交った「田原坂」が浮かんだ。
一の坂、二の坂、三の坂の両側の土砂は崩れてはいないだろうか。

雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
春は桜 秋ならもみじ
夢も田原の草枕

かつて激戦地となったことが嘘のように今はのどかだという田原坂周辺がまた突然の難に見舞われている。

余震が鎮まるように
被害が最小限でおさまるように

頑張れ 肥後もっこす