何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

心つなげ!

2016-04-19 19:33:11 | 
昨日の「龍の背を乗りこなせる火の国の人」で、「永遠をさがしに」(原田マハ)を手に取ったのは表紙に惹かれたからだと書いたが「優しい死神の飼い方」(知念実希人)を手に取ったのも同じ理由だ。
知念氏の作品を初めて知ったのは「天久鷹央の推理カルテ」だったが、そのときは表紙を見て読むのを躊躇ったので、本を選ぶとき、表紙が果たす役割は意外なほど大きいのかもしれないと今更ながらに感じている。

「優しい死神の飼い方」の内容については改めて書くつもりだが、今日は本書のなかの一文とあわせて書いておきたいニュースを見かけたので、それを優先しようと思う。

鯱を失った熊本城、全半壊している家屋、避難所に身を寄せておられる被災者の方々に追い打ちをかけるように続く余震のニュースを見ていると胸が締め付けられるように苦しくなるが、それでも発災以降あまり悲観的な論調で書いてこなかったのは、地球規模で地殻変動と異常気象がおこる時代に入り誰もが被災者となる覚悟を持たねばならないので、過剰な悲観論と自粛ばかりでは、そのうち神経がもたなくなるかもしれないと感じたからだ。

しかし、悲しく空しい現実を明らかにせねばならないほどに、心の荒廃は進んでいるのかもしれない。

<被災地で車に誘い込まれそうになる事件発生 熊本県警が注意を喚起>  2016年4月19日 1時38分 西日本新聞 より一部引用
熊本県警によると、地震で混乱が続く熊本県内の被災地で、避難先などから車の中に誘い込まれそうになったり、不審者につきまとわれるといった事件が起きており、同県警は「お子さん、女性を1人にせず、複数で行動する」「夜間の行動は避ける」「人通りの多いところを通行する」などを呼びかけている。
また、不審者や不審車両を目撃した場合は、ナンバーなどや車の特徴をメモし、最寄りの警察署などに通報するよう、協力を求めている。

<熊本地震 火事場泥棒許さない 被災地へ私服警察と覆面パトカー投入> 産経新聞 4月18日(月)16時32分配信より一部引用
警察庁によると、熊本県外の警察に指示し、私服捜査員と覆面パトカーを応援として投入する。熊本県警と協力し、被災地のパトロールを強化すると共に、不審な人物の職務質問などを進める。
熊本県では、14日に益城町で震度7、16日夜には熊本市で震度6強を観測するなど、大地震が相次いだ。各地では被災者らが次々と避難し、18日朝の時点で県内638カ所の避難所に、計10万4900人が身を寄せている。
こうした中、窃盗に気付いた住民らが被害を訴えるケースが増加。熊本市内を中心に、避難が本格化した16日から17日にかけて、空き巣や事務所荒らしなどに遭ったとする110番通報が、約20件入っている。
被災地では、建物の崩落や道路の損壊により地域ば分断され、住民らの避難で広域が「無人状態」となっている地区がある。
警察庁は、被害に遭っていても、被災者が避難していて被害に気付いていないケースがあるとみており、今後、被害が増加する恐れがあると判断。住民が不在の住宅街などでパトロール活動を強化するほか、移動交番などを配置して、警戒を強化する方針を決めていた。


東日本大震災の被災者の方が、遠方への避難が進まない理由として「盗難が多すぎるので、自宅から離れられない」と語っておられるのを聞いたことがあるが、「紙つなげ 彼らが本の紙を造っている」(佐々涼子)にはそれを窺わせる事例が多く書かれている。
被災者は語る。(「紙つなげ」より引用)
『報道では美談ばかり言われるけれど、そんなもんじゃない。人の汚いところをいっぱい見ました』

『商店街はしばしば強奪の標的となった。モラルを失った者たちが、バットやゴルフクラブを持って町を徘徊していた。』
『集団の力を借りて、男たちは(バットやゴルフクラブで)破ったガラス扉から侵入すると、次々と服を盗ってバタバタと逃げて行った』
『被災地は無法地帯だった。電気もつかず電話もつながらない。いくら大声で叫んでも警察が駆けつけてくれる気配はなかった。』
『近隣の住人であれば顔見知りだろうから、日和山あたりに逃れた住民だろうか。被災直後のこの地域は、外部から隔絶されており救援すら届かない。外から入ってくることは考えにくいが、普通に暮らしていた人間が悪い奴らになったのだろうか』
『自然災害で店が壊されてしまったなら、それは運命と諦めもつくかもしれない。だが、津波の被害は免れたのに、この店は人間の力で壊されたのだ。窃盗犯の顔を見れば、唇にうっすらと笑みすら浮かんでいる』

荒廃した人が破壊したのは、物ばかりではない。
『ゴルフ練習場があるんですよ。ネット立ってるでしょう?津波がザーッと来て、遺体がたくさんひっかかって見つかった。その指先が切り取られてたって。遺体は水で膨らむから、指から指輪は抜けなくなる。だから貴金属を盗りたい奴が、指切って持ってくっていうのよ。それは外国人だという噂だよ』

東日本大震災のときにも、治安の乱れはあったにせよ、美談でくるまれる余裕がまだしもあったのかもしれないが、あれから5年、人心は更に荒廃したのか、美談でくるむ余裕すらなく、発災4日後にして警察庁が覆面パトカーと私服捜査員の投入を決定せねばならない事態となっている。

「紙つなげ」はフィクションではない。
丹念な取材に基づいて書かれた実話だということを肝に銘じて、そこに記される被災者の言葉を、我々は心に刻まなければならない。
『自然災害で店が壊されてしまったなら、それは運命と諦めもつくかもしれない。
 だが、津波の被害は免れたのに、この店は人間の力で壊されたのだ。』

冒頭で書いた「優しい死神の飼い方」には自然災害で亡くなった方の魂について書かれている。
『人間という傲慢な生物は、まるで自分達が世界の中心であるかのように考えている一方で、思いのほか自然に敬意を払っている。自然災害で命を落とした者は、特に地縛霊化する確率が高いわけではない。寿命で死ぬのと思じように、自然災害によって命を失うのも、人間は「運命」として受け入れる性質があるのだ』

突然の大災害で尊い命を失なわれた方々は無念であるに違いないが、八百万の神々に敬意を払う日本人ならば自然の理には頭を垂れるものなのかもしれない。だが、神様のもとへ向かう途中ふと振り返り眼下に見たものが、被災した我が家が窃盗に荒らされる場面だったり、伴侶との思い出深い指輪をはめた薬指が切り落とされる場面だったりしたとき、心安らかに神様のもとへ向かえるはずがない。

誰もが被災者になりうる時代、災害への備えは生活必需品だけではなく、モラルの再構築こそ必要なのかもしれない。

ところで、「優しい死神の飼い方」を手に取ったのは、表紙に惹かれたからだと書いた。
表紙をブログに掲載することが、著作権法に触れかねないことは承知しているが、①表紙を掲載する理由が記されている事②掲載サイズの規定を満たしておれば、引用の類推として許されるという説があるそうだ。(判例が確立していないので確かなことではないと付記しておかねばならないが)
この表紙の絵がもつ優しさは、犬種が違うとはいえ我ワンコを思い出させてくれものであり、又それ故に「死神~」という題名にもかかわらず本書を手に取ることとなったのだ。
そして、読んでみると、本書の犬のツンデレぶりは我がワンコに通じるものがあり、この表紙のおかげで読むことができたことに心から感謝している。
表紙に心からの感謝を示すためにも、装幀と装画に携わられた方の御名前とともに表紙を掲載させて頂くことを許されたいと思っている。         http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334929145

装幀 谷口博俊(next door design)  装画 くまおり純




参照、「紙つなげ」「神つなげ!「てんでんこ」の悲痛」 「祈り つなげ!」) 「愛つなげ!」