ある時期ヘルマン・ヘッセの本たちは、私にとって大切なものだった。
特に、「デミアン」(ヘルマン・ヘッセ 訳・実吉捷郎)をいつも手元に置いていていた時期がある。
昨日(7日)には、その本の冒頭と幾つかの言葉を思い出さずにはおれないニュースがあった。
<2016年10月8日配信、産経・皇室ウィークリー455より一部引用>
皇太子ご夫妻の長女で学習院女子中等科3年の敬宮愛子さまは6日、体調不良のため皇居内の宮内庁病院で検査を受けられた。雅子さまが付き添われた。宮内庁によると、9月26日から授業を欠席しており、10月1日にあった運動会も参加されなかった。
小田野展丈東宮大夫によると、夏休み明けの宿題の提出やテスト、運動会の準備で忙しく、お疲れになっていた。熱などはないが、胃腸の弱りやふらつきのご症状がみられる。検査結果に異常はなかった。担当の侍医は「少しずつ快方に向かっているが、ご快復にはもう少し時間がかかる」と話しているという。
愛子さまは登校に意欲を見せ、「運動会に出たかったので、とても残念」「学校に行って、早く友達に会いたい」とのお気持ちを示されているという。
(『 』「デミアン」より引用)
『ぼくはもとより、自分の中からひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみたにすぎない。
どうしてそれが、こんなに難しかったのだろう。』
上記は、主人公・ジンクレエルの少年時代から青年時代を描いた作品である「デミアン」の冒頭であるが、この思いは、ある時期を過ごす若者にとって共通のものかもしれない。
思春期からのある一定の期間、人は感受性が鋭くなり、清らかで正しい善の世界と悪意や裏切りによる悪の世界の狭間でひどく揺れ動いたり、希望する進路と実力との隔たりで悩んだり、そもそも自分が真に望むことが分からないと悩み込んだり、といった時期を持つ。
自分の中から自ずとほとばしり出ようとするものを生きることだけでも難しいのに、内からほとばしるものを抑えつけなければならない少女がいる。
敬宮愛子内親王殿下だ。
御誕生された時、国民の多くは「この方が将来天皇になられる」と信じ、その為の法改正の準備も万端整えられたが、事情が変わり一皇女で生きられるのかと思いきや、事あるごとに「敬宮様を女性天皇に」という声が国民の間から湧き起ってくる。
そして、現在もまさにその議論の最中だ。
運動会でのご活躍を思い出しても、偏差値72とも云われる優秀さを思い出しても、また宮内庁文化祭に出展される習字や裁縫や創作物を思い出しても、敬宮様は文武両道に秀でておられるが、何より御立派なのは、そのためにたゆまぬ努力をされることだ。例えば、その環境からスイミングを習うことが出来ない敬宮様は水泳が苦手だったというが、学習院は小6の夏、海での遠泳という課題があり、女子でも数キロ泳がねばならない。これに向け、夏休みごとに須崎御用邸で練習を始められたのが、小3というから驚きだ。 「大きな力を与える継続」
敬宮様は、苦手なことから逃避したり、立場を利用し事を有利に運んだり、実力もないのにあるかの如く見せようとはなさらない。
目標を定め、コツコツ努力を続ける敬宮様。
だが、敬宮様を取巻く諸々は、自ずとほとばしり出るものに従い生きることを許さないどころか、ご本人の努力ではいかんともしがたい問題である。にも拘らず一生を左右する重大問題なのだから、お悩みは深いものと思われる。
解決策の糸口を探していると、こんな文を見つけたが。
『鳥は卵から出ようとする。卵は世界だ。
生まれようとする者は、一つの世界を破壊せねばならぬ。
鳥は神のもとへ飛んでいく。その神は、名をアプラクサスという』
「デミアン」は、『生まれようとする者は、一つの世界を破壊せねばならぬ』と云うが、敬宮様を包む殻は、敬宮様を守るものと縛るものが幾重にも重なっているため、いずれを割れば新たな良い世界に辿り着けるのか定かでないし、その卵を割らねばならぬのは敬宮様ではないかもしれない。
つまり、敬宮様を戴ける世になることは、男女の区別なく命そのものが尊重される世を意味するのだから、国民一人ひとりが真剣に考えねばならない、寧ろ国民自身の問題なのだ。
では、敬宮様はどのようにして、ある卵の世界から生まれ出ながら、より大きな卵の世界を作っていかれるか。
「デミアン」にはそのヒントが書かれているように、思う。
『どんな人間にも、なにかの「任務」はあるが、自分でえらんだり、限定したり、勝手に管理したりしていいような任務は、誰のためにも存在してはいない。新しい神々を欲するのは、間違っている。世界に対して何ものかを与えようとするものは、まったく間違っている。目覚めた人間にとっては、自分自身を探すこと、自分の心を堅固にすること、自分自身の道を、それがどこへ通じていようとも、手探りで前進すること、それ以外に決して決して、なんの義務もありはしないのだ。』
『どんな人間にとっても、真の天職とはただ一つ。自分自身に到達することだ。』
『かれの本領は、任意の運命をではなく、自己独特の運命を見出すこと。そしてそれを自分のなかで、完全に徹底的に生きつくすことだ。』
初等科卒業文集の課題「夢」に動物の殺処分がなくなる世を願われた優しい敬宮様。 「受け継がれる命を育む御心」
一緒に暮らす犬や猫は皆、捨てられていたり迷い込んできたものだが、その犬や猫を大切にし、決して捨て犬・捨て猫やら野良犬・野良ネコやらと呼ばず、「保護された動物」と呼ばれる繊細な敬宮様。
このような敬宮様が本来有しておられる繊細さと優しさを更に堅固にして前進していかれれば、必ずや敬宮様にとって真の天職へ辿り着かれると信じている。
それが険しく厳しい道であることを思う時、ジンクレエルにデミアンという精神的支柱たる友がいたように、敬宮様にもデミアンのごとき存在がおられることを願うが、他からは伺うことのできない世界に住まわれているし、お気持ちを語る自由も有してはおられない環境では、なかなかに難しい。
だが、小6の夏休みに「御堂関白記」を研究されている敬宮様ならば、歴史と御先祖様を友に、この困難な時も乗り越えられると信じている。
そして、乗り越えられた先には、上高地で見せられたあの笑顔を超える笑みが湛えられんことを心より祈っている。
追記
小6の時は、苦手組として500メートルを泳がれた敬宮様だが、その後も努力を続けられ、自由参加の昨年中2の遠泳では3キロを泳ぎきられたという。ここをクリック!
特に、「デミアン」(ヘルマン・ヘッセ 訳・実吉捷郎)をいつも手元に置いていていた時期がある。
昨日(7日)には、その本の冒頭と幾つかの言葉を思い出さずにはおれないニュースがあった。
<2016年10月8日配信、産経・皇室ウィークリー455より一部引用>
皇太子ご夫妻の長女で学習院女子中等科3年の敬宮愛子さまは6日、体調不良のため皇居内の宮内庁病院で検査を受けられた。雅子さまが付き添われた。宮内庁によると、9月26日から授業を欠席しており、10月1日にあった運動会も参加されなかった。
小田野展丈東宮大夫によると、夏休み明けの宿題の提出やテスト、運動会の準備で忙しく、お疲れになっていた。熱などはないが、胃腸の弱りやふらつきのご症状がみられる。検査結果に異常はなかった。担当の侍医は「少しずつ快方に向かっているが、ご快復にはもう少し時間がかかる」と話しているという。
愛子さまは登校に意欲を見せ、「運動会に出たかったので、とても残念」「学校に行って、早く友達に会いたい」とのお気持ちを示されているという。
(『 』「デミアン」より引用)
『ぼくはもとより、自分の中からひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみたにすぎない。
どうしてそれが、こんなに難しかったのだろう。』
上記は、主人公・ジンクレエルの少年時代から青年時代を描いた作品である「デミアン」の冒頭であるが、この思いは、ある時期を過ごす若者にとって共通のものかもしれない。
思春期からのある一定の期間、人は感受性が鋭くなり、清らかで正しい善の世界と悪意や裏切りによる悪の世界の狭間でひどく揺れ動いたり、希望する進路と実力との隔たりで悩んだり、そもそも自分が真に望むことが分からないと悩み込んだり、といった時期を持つ。
自分の中から自ずとほとばしり出ようとするものを生きることだけでも難しいのに、内からほとばしるものを抑えつけなければならない少女がいる。
敬宮愛子内親王殿下だ。
御誕生された時、国民の多くは「この方が将来天皇になられる」と信じ、その為の法改正の準備も万端整えられたが、事情が変わり一皇女で生きられるのかと思いきや、事あるごとに「敬宮様を女性天皇に」という声が国民の間から湧き起ってくる。
そして、現在もまさにその議論の最中だ。
運動会でのご活躍を思い出しても、偏差値72とも云われる優秀さを思い出しても、また宮内庁文化祭に出展される習字や裁縫や創作物を思い出しても、敬宮様は文武両道に秀でておられるが、何より御立派なのは、そのためにたゆまぬ努力をされることだ。例えば、その環境からスイミングを習うことが出来ない敬宮様は水泳が苦手だったというが、学習院は小6の夏、海での遠泳という課題があり、女子でも数キロ泳がねばならない。これに向け、夏休みごとに須崎御用邸で練習を始められたのが、小3というから驚きだ。 「大きな力を与える継続」
敬宮様は、苦手なことから逃避したり、立場を利用し事を有利に運んだり、実力もないのにあるかの如く見せようとはなさらない。
目標を定め、コツコツ努力を続ける敬宮様。
だが、敬宮様を取巻く諸々は、自ずとほとばしり出るものに従い生きることを許さないどころか、ご本人の努力ではいかんともしがたい問題である。にも拘らず一生を左右する重大問題なのだから、お悩みは深いものと思われる。
解決策の糸口を探していると、こんな文を見つけたが。
『鳥は卵から出ようとする。卵は世界だ。
生まれようとする者は、一つの世界を破壊せねばならぬ。
鳥は神のもとへ飛んでいく。その神は、名をアプラクサスという』
「デミアン」は、『生まれようとする者は、一つの世界を破壊せねばならぬ』と云うが、敬宮様を包む殻は、敬宮様を守るものと縛るものが幾重にも重なっているため、いずれを割れば新たな良い世界に辿り着けるのか定かでないし、その卵を割らねばならぬのは敬宮様ではないかもしれない。
つまり、敬宮様を戴ける世になることは、男女の区別なく命そのものが尊重される世を意味するのだから、国民一人ひとりが真剣に考えねばならない、寧ろ国民自身の問題なのだ。
では、敬宮様はどのようにして、ある卵の世界から生まれ出ながら、より大きな卵の世界を作っていかれるか。
「デミアン」にはそのヒントが書かれているように、思う。
『どんな人間にも、なにかの「任務」はあるが、自分でえらんだり、限定したり、勝手に管理したりしていいような任務は、誰のためにも存在してはいない。新しい神々を欲するのは、間違っている。世界に対して何ものかを与えようとするものは、まったく間違っている。目覚めた人間にとっては、自分自身を探すこと、自分の心を堅固にすること、自分自身の道を、それがどこへ通じていようとも、手探りで前進すること、それ以外に決して決して、なんの義務もありはしないのだ。』
『どんな人間にとっても、真の天職とはただ一つ。自分自身に到達することだ。』
『かれの本領は、任意の運命をではなく、自己独特の運命を見出すこと。そしてそれを自分のなかで、完全に徹底的に生きつくすことだ。』
初等科卒業文集の課題「夢」に動物の殺処分がなくなる世を願われた優しい敬宮様。 「受け継がれる命を育む御心」
一緒に暮らす犬や猫は皆、捨てられていたり迷い込んできたものだが、その犬や猫を大切にし、決して捨て犬・捨て猫やら野良犬・野良ネコやらと呼ばず、「保護された動物」と呼ばれる繊細な敬宮様。
このような敬宮様が本来有しておられる繊細さと優しさを更に堅固にして前進していかれれば、必ずや敬宮様にとって真の天職へ辿り着かれると信じている。
それが険しく厳しい道であることを思う時、ジンクレエルにデミアンという精神的支柱たる友がいたように、敬宮様にもデミアンのごとき存在がおられることを願うが、他からは伺うことのできない世界に住まわれているし、お気持ちを語る自由も有してはおられない環境では、なかなかに難しい。
だが、小6の夏休みに「御堂関白記」を研究されている敬宮様ならば、歴史と御先祖様を友に、この困難な時も乗り越えられると信じている。
そして、乗り越えられた先には、上高地で見せられたあの笑顔を超える笑みが湛えられんことを心より祈っている。
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上高地ルミエスタホテル「上高地通信」より
http://www.lemeiesta.com/blog/2016/08/entry-1252.php
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追記
小6の時は、苦手組として500メートルを泳がれた敬宮様だが、その後も努力を続けられ、自由参加の昨年中2の遠泳では3キロを泳ぎきられたという。ここをクリック!