「穂高の木ワンコの木 その弐」の末尾で、もしかすると続く、と書いたのは、もしかすると山pから大正池の画像を貰えるのではないかと思ったからだが、山pも私も現在忙しく、丁寧に探している時間がない。
だが、せっかく「欅の木」(井上靖)に大正池の記述があり、しかもそれが井上靖氏らしいと云えばそうだが、かなり稀有な表現であるので、記録しないのでは’’もったいない’’。よって、例によって例の如くウィキペディアのお助けを得て、記録しておく。
大正池を初めて見たケヤキ老人の感想。
『おや、おや、これは立ったまま死んでおりますな。大正時代に火山の爆発でできた池のことは聞いておりましたが、たくさんの木がその時から今日まで、このように死体のまま立っていようとは思っておりませんでした。なるほど、これは見事でございます。立派でございます。人間の遠く及ぶところではございません。
『やはり木というものは、何百年も生きるだけあって、立派なものでございますな。
死んでも立派でございます。少しも醜くございません。生まれたところに堂々と立っている。
人間はこのようにはまいりません。焼かれて、葬られて、消えてしまいます。情ないものでございます。
-ああ、いいものを見せて頂きました。
生きている木ばかり見ておりまして、死んだ木の立派さには思いをいたす余裕はございませなんだ。
いや、まことに、どうも立派で』
上高地を訪問するものの山には登らなかった頃は、大正池の立ち枯れやそこで泳いでいるオシドリの写真を毎年飽かず撮ったものだが、山に登るようになると、往路は早朝5時にバスターミナルに到着すると、そそくさと着替えや朝食を済まし歩き始めるし、帰路は疲れて大正池まで足を延ばす余裕がないため、近年は御無沙汰している。
たしか数年前、大雨のせいで予定を変更した際に大正池に行ったはずだと思うのだが、その画像を丁寧に探している時間が無い。といいつつ、一緒に登った時に山pのカメラで私が撮った(らしき)写真は入手した。

この写真は去年、大雨にやられて’’涸沢小屋’’で1日半停滞していた時の写真。
長野県警山岳警備隊の方が、朝5時の朝食時に現れ、登るな~オーラ全開に「山は逃げない」という内容を懇々と説いておられた。権力に弱い(もとい)素人山登り派の私達はその指示に素直に従い’’食っちゃ寝’’、(もとい)眠くなれば眠り、お腹がすけば(すかなくとも)行動食を消費し、それでも潰せない時間は、小屋で知り合った人達とオセロや人生ゲームに興じて過した。
とても贅沢な時間だった。
ところで、ここ涸沢は井上靖氏の「氷壁」にも「穂高の月」にも登場する、山登りの聖地だ。
「穂高の月」には、井上氏が宿泊された山小屋について’’涸沢小屋’’と記されていて、右の写真が’’涸沢小屋’’のテラスだが、どうも内容からすると、井上靖氏が泊まられたのは、’’涸沢ヒュッテ’’のような気がしてならない。
他にも、井上靖氏が愛してやまなかった梓川の画像も山pから頂戴した(私が撮ったものらしいが)。
「越えるべき川 愛でるべき川」の繰り返しになるが、「穂高の月」(井上靖)から梓川の美しさが書かれた箇所を引用しておく。
『上高地附近では、梓川はその清澄な流れの色が見る者の眼をそばだてしめるが、併し梓川の真の美しさが現れ出すのはそれから上流である。梓川の川幅はどこまで行っても狭くならない。上高地附近よりももっと広い川幅を見せ、右岸或は左岸に美しい白い磧を抱いたまま、淙々たる川瀬の音を響かせたまま樹林帯を流れている。気品がある川である。』
『私は今度の穂高行で、上高地から横尾の出合まで、梓川に沿って歩いた何時間かの行程が、一番楽しかった。』
『(略)梓川は大河の表情を持ったまま北アルプスの山ひだへと分け入っている。
私は涸沢小屋の月と梓川に惹かれて穂高に登ったのであるが、梓川の流れは、このためだけにもう一度来てもいいと思ったくらい美しかった。穂高へ来てよかったと思った。』
これは、明神岳の向こうから差し込んでくる輝く朝日を待つ梓川なので、井上靖氏が特に好まれた徳沢から横尾までの梓川ではないが、早朝誰もいない時間の上高地は、まさに神降りる地だと思わせる静謐さと神秘さをたたえている。
神降地よ 穂高よ ワンコよ永遠に
先輩まるちゃんとワンコへ
今日、ワンコよりほぼ一歳年上で、天上界住人歴11日先輩の「まるちゃん」がお友達になってくださったよ。
ワンコは、わんこ見知りが激しかったけれど、まるちゃんは優しいから、きっとすぐ友達になれると思うよ。
まるちゃんは部屋んぽとピョンピョンで鍛えているから足腰とっても丈夫だと思うのだけど、ワンコのプリケツもなかなかのものだから、一緒に時々帰ってきておくれよ。だって、まるちゃんママも私も地上からこれだけ愛を送っているのだから。
それから、まるちゃんママさんの腰痛がすっかり完治されるように、まるちゃんもワンコも天上界からエールを送ってね。
まるちゃん&まるちゃんママさん これからもワンコともども宜しくお願いいたします。
参照
槍のてっぺんにも、穂高のてっぺんにも立っているにもかかわらず、ここに載せる画像を私が持ち合わせていない理由は、「カメラとご意見番」にある通り。
だが、せっかく「欅の木」(井上靖)に大正池の記述があり、しかもそれが井上靖氏らしいと云えばそうだが、かなり稀有な表現であるので、記録しないのでは’’もったいない’’。よって、例によって例の如くウィキペディアのお助けを得て、記録しておく。
大正池を初めて見たケヤキ老人の感想。
『おや、おや、これは立ったまま死んでおりますな。大正時代に火山の爆発でできた池のことは聞いておりましたが、たくさんの木がその時から今日まで、このように死体のまま立っていようとは思っておりませんでした。なるほど、これは見事でございます。立派でございます。人間の遠く及ぶところではございません。
『やはり木というものは、何百年も生きるだけあって、立派なものでございますな。
死んでも立派でございます。少しも醜くございません。生まれたところに堂々と立っている。
人間はこのようにはまいりません。焼かれて、葬られて、消えてしまいます。情ないものでございます。
-ああ、いいものを見せて頂きました。
生きている木ばかり見ておりまして、死んだ木の立派さには思いをいたす余裕はございませなんだ。
いや、まことに、どうも立派で』
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写真出展 Wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kamikochi_Taisho-ike04n3200.jpg (立ち枯れの木々)
上高地を訪問するものの山には登らなかった頃は、大正池の立ち枯れやそこで泳いでいるオシドリの写真を毎年飽かず撮ったものだが、山に登るようになると、往路は早朝5時にバスターミナルに到着すると、そそくさと着替えや朝食を済まし歩き始めるし、帰路は疲れて大正池まで足を延ばす余裕がないため、近年は御無沙汰している。
たしか数年前、大雨のせいで予定を変更した際に大正池に行ったはずだと思うのだが、その画像を丁寧に探している時間が無い。といいつつ、一緒に登った時に山pのカメラで私が撮った(らしき)写真は入手した。
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この写真は去年、大雨にやられて’’涸沢小屋’’で1日半停滞していた時の写真。
長野県警山岳警備隊の方が、朝5時の朝食時に現れ、登るな~オーラ全開に「山は逃げない」という内容を懇々と説いておられた。権力に弱い(もとい)素人山登り派の私達はその指示に素直に従い’’食っちゃ寝’’、(もとい)眠くなれば眠り、お腹がすけば(すかなくとも)行動食を消費し、それでも潰せない時間は、小屋で知り合った人達とオセロや人生ゲームに興じて過した。
とても贅沢な時間だった。
ところで、ここ涸沢は井上靖氏の「氷壁」にも「穂高の月」にも登場する、山登りの聖地だ。
「穂高の月」には、井上氏が宿泊された山小屋について’’涸沢小屋’’と記されていて、右の写真が’’涸沢小屋’’のテラスだが、どうも内容からすると、井上靖氏が泊まられたのは、’’涸沢ヒュッテ’’のような気がしてならない。
他にも、井上靖氏が愛してやまなかった梓川の画像も山pから頂戴した(私が撮ったものらしいが)。
「越えるべき川 愛でるべき川」の繰り返しになるが、「穂高の月」(井上靖)から梓川の美しさが書かれた箇所を引用しておく。
『上高地附近では、梓川はその清澄な流れの色が見る者の眼をそばだてしめるが、併し梓川の真の美しさが現れ出すのはそれから上流である。梓川の川幅はどこまで行っても狭くならない。上高地附近よりももっと広い川幅を見せ、右岸或は左岸に美しい白い磧を抱いたまま、淙々たる川瀬の音を響かせたまま樹林帯を流れている。気品がある川である。』
『私は今度の穂高行で、上高地から横尾の出合まで、梓川に沿って歩いた何時間かの行程が、一番楽しかった。』
『(略)梓川は大河の表情を持ったまま北アルプスの山ひだへと分け入っている。
私は涸沢小屋の月と梓川に惹かれて穂高に登ったのであるが、梓川の流れは、このためだけにもう一度来てもいいと思ったくらい美しかった。穂高へ来てよかったと思った。』
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これは、明神岳の向こうから差し込んでくる輝く朝日を待つ梓川なので、井上靖氏が特に好まれた徳沢から横尾までの梓川ではないが、早朝誰もいない時間の上高地は、まさに神降りる地だと思わせる静謐さと神秘さをたたえている。
神降地よ 穂高よ ワンコよ永遠に
先輩まるちゃんとワンコへ
今日、ワンコよりほぼ一歳年上で、天上界住人歴11日先輩の「まるちゃん」がお友達になってくださったよ。
ワンコは、わんこ見知りが激しかったけれど、まるちゃんは優しいから、きっとすぐ友達になれると思うよ。
まるちゃんは部屋んぽとピョンピョンで鍛えているから足腰とっても丈夫だと思うのだけど、ワンコのプリケツもなかなかのものだから、一緒に時々帰ってきておくれよ。だって、まるちゃんママも私も地上からこれだけ愛を送っているのだから。
それから、まるちゃんママさんの腰痛がすっかり完治されるように、まるちゃんもワンコも天上界からエールを送ってね。
まるちゃん&まるちゃんママさん これからもワンコともども宜しくお願いいたします。
参照
槍のてっぺんにも、穂高のてっぺんにも立っているにもかかわらず、ここに載せる画像を私が持ち合わせていない理由は、「カメラとご意見番」にある通り。