34Leftで

チャリオで20分
羽田空港が子供の頃からの秘密基地
ハンバーガーとモンブランが大好きで時々オリーブも

この町に生まれ この町で生きて

2021年04月04日 | 昭和の
おいらが 生まれ育った町
川崎大師。

どこへ行くのも この駅から。

駅横の踏切
すぐ先に味の素のアミノ酸を全国に運ぶ為の引き込み線があった。

昭和のあの時代、京急大師線の終電が通った後
小島新田駅先の川崎臨海鉄道からディーゼル機関車が専用タンク車を牽き 往復して行くのを見たくて夜中に布団を抜け出し🏃。
国鉄の軌道幅は狭いので大師線のレールの内側に もう一本レールが有ったんだ

ごりやく通りにある理髪店横には写真店がある。
45年前 頭の悪い おいらを
担任が単位と引き替えに
欧州研修団へ強制的に参加させた。 その時に親戚が餞別代わりにフィルムを買ってくれたら、ココの女将さんが
サービスにX線が通らない袋を付けてくれた

先輩の電気屋さん
厳しく指導されやした。

川崎大師の隠れた名物
地元人気のだるまコロッケが美味いんだなぁ。

ここには靴屋のM子ちゃんの
家があったんだ
中学生の時、彼女の鞄を間違えて持ち帰り
スッゲェ恥ずかしい思いをした

小学校横の神明神社に御低頭

表参道裏のココには
おいらより一つ下の女の子
みっちゃんが住むアパートがあった、幼馴染みの彼女
中学生になって綺麗になり
学校中のアイドルに。
友達から紹介しろと迫られ難儀しやした。

その隣りには佐須医院があった
温厚な先生で 何でも治せる なくてはならない地元医院なんだ
おいらが精神不安定の時
眠剤を処方してもらおうと受診したら
薬の効き目は十人十色❗
そんな物より
温かい牛乳飲んで
難しい本でも読んでろ❗と
ばあちゃんの御臨終にも立ち会ってくれた

その裏には建設資材の総合商社の山本商会の倉庫がある。
小学生の時、道に落ちてる五寸釘を拾い紐にぶら下げ
地面を牽いて砂鉄を集めた

川崎大師には数軒の久寿餅屋さんがある
その一つが表参道にある住吉屋総本店。

大山門前にある住吉と混同してしまう。
表参道の住吉屋が本家で
大山門前の住吉が分家なんすロケーションが良い分家が有名になってしまった。
おいら達地元で商いしているものは 本店さん・分店さんと呼び分けていた。

川崎大師で一番古い久寿餅屋さんの「小倉屋」さんがあった場所もビルになっちまった。
他にも乳酸発酵の強い匂いを前面に出した昔の久寿餅を こしらえていた「磯福」や
駅前にあった「福島屋」も無くなってしまった。

唯一 残っている個人店の「恵の本」
今でも手作りに拘っている

そうそう忘れてた
ごりやく通りにある
八つ目や鰻の「まつもと」
目黒不動尊から暖簾分けされ この地に出店。
歴史は浅いけど味は
地元のお墨付き。

裏門横のしょうづかのお婆さんには必ず御低頭

変わること
変わらないこと

それもイイ
そのほうがイイ🎶