戦後77年。
当時を知る人は貴重な存在だ。
ポツダム宣言に反し、ソ連軍によってシベリアに抑留された人は60万人で、
そのうち6万人が祖国日本に帰ることがかなわず亡くなったそうだ。
また、満州からの引き揚げ者は120万人いたが、
15万人が亡くなったという。
本日、それぞれの体験者が語る講演会に参加した。
約100席の会場は満席だった。
第1部では抑留体験者:長澤氏(大正14年3月生)が
第2部では引き揚げ経験者:服部氏(終戦時8歳)が
貴重な体験談を話した。
御年97歳の長澤氏は実にかくしゃくとしていて、
その立ち居振舞い、発声・滑舌がしっかりしていることに
まずもって恐れ入った。
記憶もしっかりしている。
抑留の状況を詳細に語った。
服部氏の引き揚げ談では、
チチハルまで約800kmの道のりを一カ月以上さまよいながら
逃げ歩いた過程を昨日のことのように語った。
もし、これが夏ではなく冬だったら・・
120万人の引き上げ者は全員亡くなっていただろう
とおっしゃっていたのが印象的だった。
私の両親は満州で終戦を迎えた。
父はシベリアへ抑留され、
母は引き揚げ者となった。
すでにこの世にはいない両親の生きた時代に
少し触れたような気がした。
同時開催されている展示会では、当時の遺品や衣服が展示されていた。
抑留画家(抑留を経験した画家)の絵は写真以上にリアルさを感じた。
このイベントは毎年開催されているようだ。
私も生きている限り、この歴史を受け継いでいきたい。
当時を知る人は貴重な存在だ。
ポツダム宣言に反し、ソ連軍によってシベリアに抑留された人は60万人で、
そのうち6万人が祖国日本に帰ることがかなわず亡くなったそうだ。
また、満州からの引き揚げ者は120万人いたが、
15万人が亡くなったという。
本日、それぞれの体験者が語る講演会に参加した。
約100席の会場は満席だった。
第1部では抑留体験者:長澤氏(大正14年3月生)が
第2部では引き揚げ経験者:服部氏(終戦時8歳)が
貴重な体験談を話した。
御年97歳の長澤氏は実にかくしゃくとしていて、
その立ち居振舞い、発声・滑舌がしっかりしていることに
まずもって恐れ入った。
記憶もしっかりしている。
抑留の状況を詳細に語った。
服部氏の引き揚げ談では、
チチハルまで約800kmの道のりを一カ月以上さまよいながら
逃げ歩いた過程を昨日のことのように語った。
もし、これが夏ではなく冬だったら・・
120万人の引き上げ者は全員亡くなっていただろう
とおっしゃっていたのが印象的だった。
私の両親は満州で終戦を迎えた。
父はシベリアへ抑留され、
母は引き揚げ者となった。
すでにこの世にはいない両親の生きた時代に
少し触れたような気がした。
同時開催されている展示会では、当時の遺品や衣服が展示されていた。
抑留画家(抑留を経験した画家)の絵は写真以上にリアルさを感じた。
このイベントは毎年開催されているようだ。
私も生きている限り、この歴史を受け継いでいきたい。