山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

小山田のかたくり群生

2007年04月01日 18時41分56秒 | Weblog
小山田端公園で先週の日曜と今日のみオ-プンとかで、3時閉園ギリギリの覗いてみた。相当の数のおばさん達が見学にきていた。このあたりは、昔はこのあたりは牧場だったが、巨大マンション集積地となってしまった。牛の声が聞こえたのどかなところだったが、昔日の面影がこの僅かな公園となってしまった。どこが丘でどこが谷かは現在は分からなくなってしまっているが、私にはよく分かるが。大雨が降れば歴然とする筈だ。写真は携帯電話から。

ホシザクラは明日探してみてみよう。膝と足をいためぬよう、お出かけ時間を明日は1時間半までとしよう。
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3 コメント

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足痛と桜見物 (Unknown)
2007-04-02 10:25:01
○3月中は収まっていたがまた、足が痛むのは下旬の温泉&撮影旅行の影響か? 今回は食事にも気をつけてたし相変わらずの禁酒は継続しているからこれで発作が起きたのでは通常生活も辛いということになる。
ビッコを引けば歩けるので大きく支障があルト言うことではないが、痛みが伴うからなんとも鬱陶しいかぎりである。気分が明るくなれない。
両国に痛風専門の医者がいるというので行ってみようと思うが、痛風は特効薬的なさしたる治療は無いと聞くし完治もしないとのことなので余り望みは持たないことにしたい。一病息災で上手く付き合って行くしかないのだろう。
○そんなわけで昨日はいつもの光が丘公園の桜見物だが、雑誌などで散歩の名所などと喧伝されているらしくて、駅頭からもの凄い混雑で辟易する。いつもは15分もあれば良い距離が足痛のせいもあって30分もかかってしまう。帰りのことを考えると痛む足をひきづって余り遠出をするのも考え物。今日は目を付けていた桜の古木を眺めて~写真も曇りになってしまっては桜の花びらの鮮やかさが出ないので止め。
帰りは幸いにも痛みが薄らいだので、今のうちにと寄り道しないで歩いた。
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信州・小諸の中棚荘 (Unknown)
2007-04-02 10:32:24
先週は天気が良いので写真を撮りに長野の更埴、小諸、望月に行ってきた。
雑誌やテレビで有名な小諸の旅館に泊まったが、ここの売りは木造の建物で大正・昭和レトロと自然とくつろげるお風呂。

この宿の良質の温泉と眺望で有名なお風呂は太い丸太の湯枕もあってなかなか寛ぐ。

宿泊代は少し値が張るが、木造の平成館の一階なら広めで眺めも良く温泉の内湯も付属で快適。

食事は田舎風を維持しながらも昔に比べてセンスが良くなっているので感心。

注意すべきは、木造建築と長い廊下と遠い目の風呂場なので寒さに弱い人の冬の利用は良く検討したほうが良いだろう。

総合的に「○」値段相応に満足できる旅館である。

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山で見る「かたくり」 (Unknown)
2007-04-05 11:55:03
携帯とは思えないしっとりとした雰囲気が出ている。最近の携帯付属のデジカメは侮れない時があるねえ。屋外よりも室内、晴天よりは曇りなどの方が写りは良いような気がするが。

こんな状態の「かたくり」は始めてみたね。植物園だとみんなこんなに瑞々しく生き生きとしているんだろうか?
30数年前に秩父事件のメンバーの足跡を辿って秩父山中の見捨てられた峠道を歩いていた頃に良く見かけたけど、そんなときの「かたくり」の一群はぬれ落ち葉のように土にへばりついていたように記憶している。

明治17年。時の高利貸しと高利を許し重税を課す権力に立ち向かう準備をしていた秩父事件の多くの農民達や幹部たちが、この峠を幾度と無く行き交ったであろうが、その年の春にもこのように咲いていたのだろうか。

多分、今はもうあの峠道も草に埋もれてしまっただろう。もしかするとその峠道には今も「かたくり」が咲いていてこの写真のように瑞々しい姿を見せているのだろうか。

秩父事件は六千人もの農民たちが時の政府に威力のある武器を持って立ち向い正規軍と戦闘を行なったということで歴史上最初で最後の出来事だろう。
歴史的には「事件」と呼ばれるが、時の政府からは騒動、暴動と呼ばれるということになる。

今、国会で話題となっている憲法改正も後世になって歴史的にはなんと評価されるのであろうか。

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