古川から陸羽東線に乗り換えると一気にロ-カル線の景色が広がる。単線だから、一層旅情が募り始めてきた。駅ではこけしの看板がお出迎えをしてくれた。宿は駅から歩いても行ける距離だが、坂道を登ればまだ汗をかくから、宿の送迎車を利用させてもらった。温泉はアルカリ性泉、酸性泉の二つがあるが、いずれも極めて上質な温泉で、また来たくなる実に気持のいい温泉だった。話に花が咲き、欠席者の悪口から、加賀藩出身2名、地元伊達藩2名、薩摩藩1名のメンバ-では、ついには絵に描いたというか、仙台でのお国自慢がの例えのような同窓会になった。ついには加賀、薩摩は見せかけで、伊達は裏高250万石の話まで花が咲いた。無駄な抵抗はやめて、郷に入ったら郷に従うことにしましょう。
例年、指宿へ同行の親父がついに旅立った。昨年10月のブログは、その親父の先輩の旅立ちの訃報からのものだった。写真の右側の白髪の人物だが。その写真の中心に立っている親父からは、すぐに哀悼のコメント投稿があった。それから1年もたたぬうちに、何か追いかけるように逝去してしまった。病に臥して、最早スカラ座日本公演を覗くには無理だと思ったが、春の指宿で砂湯を楽しんでいた頃は、公演前にはまさか旅立つとは思えなかった。管理人は先週の旭川からの来週は鳴子温泉に出かけるため、初秋からハコテン、破綻状態。親父が元気で、仮に誘われても行けない。親父のオペラ好きはチョット前にも記したが、やはり、親父が元気で誘われたら、貯金箱を壊して、覗きに行ったかもしれない。
昨年の春、指宿/山川の砂湯温泉を楽しんだ後バスで指宿に帰るため、温泉海岸から坂道を登り始めた頃、降りそうだった雨が降り始めた。人参畑に囲まれた屋根のないバス停、伏目でなかなか来ないバスを待った。海から吹き上げる風と開聞岳から吹き降ろす風に、春の雨が降り注ぐ様相となった。指宿の宿から借りた傘が折れる横殴りの雨の中、身を隠すところもないので、うずくまって20分ほど辛抱強く待った。体も吹き飛ばされそうな風で、びしょぬれになりながら、互いに笑って待っていた。砂湯の温まった体も冷えてしまい、宿の風呂に直行となった。誰も知らぬ二人だけの想い出かも知れないが、開聞岳だけが承知のはずだ。
写真は畑に浮き上がる開聞岳。指宿の旅は、今度は一人想い出を訪ねての旅か。