山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

都バスで花見のつもりが

2010年03月31日 16時35分34秒 | Weblog
永年我が健康を支える鍼灸師のいる四ツ谷三丁目から品川に出たが、ふと地下鉄でなく、バスで花見がてらと、思い立ち都バスに乗車した。途中、信濃町~青山~墓地~麻布~二の橋~魚藍坂~高輪とバスは走る。言うなれば、徳川旗本屋敷跡界隈巡りになる。バスが走る街並はすっかり、マンションなどでコンクリートジャングルになってしまったが、ところどころ昔からのお店があり、昔の面影を残す。地下鉄網も出来上がり、経由先は何もバスを利用せずともよさそうだが、乗客を見れば、入れ替われど、足元危ないシルバーパス族がほとんどだった。地下鉄の階段とバス利用不可がバス乗車に向かわせているのだろうか。肝心の桜は信濃町と青山墓地通過地だけ。街はアスファルトジャングルでもある訳だ。品川の駅付近は一変したが、駅構内の広告がペーパーレスに。沿道の目線先は液晶動画、静止画像も液晶になっている。広告中味変更はコントロールセンターの操作で済む。アルバイトのポスター貼りは失業だ。
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淡い桜色から薄紅色に変わった

2010年03月30日 23時48分54秒 | Weblog
今朝は町田在住の先輩達に案内をいただき、恩田川の桜並木を中心に歩いた。寒い朝だった、桜も3分咲きかとも思われたが、日が強くなるととに5分咲き程になり流域の桜を満喫した。平日だから予想通り人出も少なく、心地よい花見だった。日本人に生まれて良かったと地元台湾飯屋の昼ご飯で思った。花見前にお屋敷跡が町田市の公園となって水琴窟がひっそりひそむ所に行った。その昔、茶道を4年やったのに記憶がない。この歳になって勉強をさせられた。帰宅後、家人に尋ねたら、すっかり馬鹿にされたが、知らぬは一時の恥と思い直した。帰りの車窓からの桜は薄紅色に変わり、春を感じたよき日だった。先輩から2010町田さくらまつりのパンフレットを花見前にもらったが、4ケ所のお薦めスポットがある。案内の先輩達にこのブログで御礼を申し上げ、今度は同じく人出を避けて独力で尾根緑道へ出かけよう。
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これじゃ、アメリカまで行く体力

2010年03月22日 20時21分48秒 | Weblog
昨日は昼過ぎから午後八時過ぎまで劇場にいた。演目はニーベルングの指環四部作の最後作、神々の黄昏。休憩は50分の2回で5時間の公演は長かった。今回はバルコニ-席から、かぶりつきに近い席の通路だったが、足は伸ばせるが、後ろの観劇者を思いやり、バルコニ-ほど体を動かせないから辛くもあり、眠気もあった。席料も高くなり、財布もお尻も痛いものとなった。ブリュンヒルデのソプラノは前作のジークフリートと同じソプラノだった。今が絶頂なんだろうか、延々と歌いまくる強いビブラは、強い声を要求されるツ-ランドット姫でも見て、お気に入りになった。ハーゲン役のバスにも感動を覚えた。暇をみて、手持ちのバイロイトのワグナ-オペラビデオを見てみようという気持ちになった。しかし、どうもアブストラクトな舞台や衣装は好みでない。まだまだ、この傾向が続くのか。画像はMETの昔のもの。桜が咲いたので、今週は千葉で花見ゴルフ
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新聞はもうだめなビジネスと

2010年03月15日 17時24分43秒 | Weblog

廃刊されたRockey Mountain Newsオ-ナ-が語ったドキュメンタリ-が先日放送された。広告獲得の激しい価格競争に追い込まれ、その上、不況により広告収入ダウンで従業員は辛い憂き目にあった。解雇された社員が会員を募り、有料ニュ-スサイトを立ち上げようとしたが、上手くいかなかった。原子力汚染を深く掘り下げた記事を書いていた記者が退職後たどり着いたのは、ジャ-ナリストのNPOサイトだった。ここでは取材(源)を欠く、意見を申すのじゃ-ナリズムは排される。どこかの関係者には居心地の悪い世界だ。結果として無駄(徒労)な取材もありえることもいとわないのが、ジャ-ナリストの基本だと思う。そういえば、取材がともわない立花隆の講談社のネット記事は削除された。ネットの記事は新聞などからのものが多い。ジャ-ナリストのサイトは多々あれど、ネットポ-タルが独自に取材することはない。現実に起きていることだが、新聞が部数を減らし、広告も値切られたり、減らしたりの悪循環は取材が頼りないからの面がある。ペ-パ-から有料のサイトに移行しようが、意見や投稿で成り立っているメディアなら、お先真っ暗だといえよう。画像は井伊直弼が開国の年に創業した冒頭の新聞最終号一面。

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80年代を彷彿するゴルフ

2010年03月12日 23時12分28秒 | Weblog

衛星放送でPGAゴルフの放送がない時代の頃、曜日を忘れたが深夜に前週だったか、前々週の試合を日本テレビが川田太三の解説のもとで放送をしていた。フレッドカプルスを知ったのはこの頃だった。この頃には飛行機事故で亡くなったニッカポッカのペインスチュワ-ト、後にガンと戦って優勝したポ-ルエイジンガ-、飛ばし屋だったディビスラブⅢなどがPGA上位の若手常連だった。手袋も使わない、柔らかい手首を使った独特のスイングのカプルスは年に1回程度しか優勝できなかったのは、当時のやさしい顔からも見られるようなナイ-ブな性格からだったのか。マスタ-ズ優勝の92年は年が明けたときから、驀進して、下馬評のとおりフロイドを下して優勝した。その後の全米オ-プンでは下馬評どおりとならなかった。離婚、腰痛と選手生活も実力から言えば冴えなかったといえようか。昨日は衛星放送で3月7日シニアのTOSHIBA CLASSICが放送。カプルスが優勝だ。今年50歳でシニアデビュ-3戦目の2勝目。シニアでは腰に負担がないから、もっと勝ち続けるような気がする。ワトソンも調子がいいみたいだし、シニアは面白そうだ。トムレ-マンと一緒に廻ったが、パットも入り、まるで全盛時代だ。解説も川田で懐かしさが倍増で、実に楽しかった。

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昨日、横浜の中古レコード屋で

2010年03月02日 15時10分02秒 | Weblog

その昔、よくCharlie Parkerの弦楽オーケストラがバックのLPからテープダビングして聴いていた。最近、CD買って携帯プレイヤーで聞きたいと思っていたら、横浜中古レコード屋に新品があった。Night and Dayのアルバムから4曲おまけとなっている。今日CDから携帯プレイヤーに入れて、電車内で聴く。April in Paris からSummer Timeと続いていくが、最初の録音は映画に何回か使われた。まだテレビでも、思わぬ時に聞ける。曲には歌詞が。April in Paris Chestnuts in blossoms Holiday tables Under the trees April in Paris This is a feeling No one can ever Reprieveの節のHoliday tablesは40年前の3月に初めてパリで実感した。Summer Timeになると何とも言えぬ悲しさが伝わってくる。子供を亡くした悲しさか、破天荒な自滅的人生からか。曲はスタンダードが多いが、歌われなくなってしまったものもある。おまけのAutumn in New Yorkあたりで、ふとDextor Gordon主演のRound Midnightを想いだす。主人公が曲を思いだせず、ジャズ好きの広告宣伝マンにこの曲の詩を尋ね、想い出して吹き出すサックスは重く、暗い。パーカーは彩りあり、街並み、公園など思い浮かべる。パ-カ-の朗々のサックスは、時代から来る音質の悪さを越えて、21世紀まで伝わっていく。

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