山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

桜前線か花吹雪

2008年03月30日 13時47分44秒 | Weblog
昨日午後はご近所の方々と花見をした。最早、4連続日の焼酎は体力的に厳しい。帰宅後は横になる。桜は八分咲きか。雨も予想され、今週半ばは花吹雪か。思えば75,6年前後は桜の季節にはパリ・コレクションでパリにいた。桜は拝めず、往復のJALの機内で小柳ルミ子の桜前線を繰り返し聴いた。桜が見られぬ悔しい思いで聴いたから妙に記憶に残っている。桜に絡む曲ではちあきなおみの「花吹雪」がいい。昨日花粉は今日発症で、うんざり。マスク・メガネで戦車道路の桜でも見に行こう。恩田川の2Kほど続く桜並木は満開だろう。
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オペラ・アリアかと思ったら演歌

2008年03月23日 20時20分33秒 | Weblog
ブログの演歌でメ-ルがあった。で、本稿を起すことに。この間から暫し、はまっていた「ちあきなおみ」のついでは「西田佐知子」も聴いた。彼女も演歌というより今ならJPOPだろう。西田佐知子は声がビブラ-トがなく、声が乾いた感じだが、どことなく寂しい。演歌で寂しいのは北島三郎だろう。これが、彼の一番の魅力だろう。脱線。中学生時代の関西修学旅行に「アカシアの雨が止むとき」が道中バスのラジオでなり響いていた。この時代、北陸放送に30分の時間をもらって、生意気にグレンミラ-の特集でディスクジョッキ-をやった。高校生頃は、NHK金沢FM実験放送でJAZZ&POPSをまた30分やった。いずれもギャラをもらったが「東京ブル-ス」はNHKの当時のギャラの一部で買った戦利品的記念のもの。この画像のド-ナツ盤は家で密かに眠り続けている。そのうち見逃し続けている「アイ-ダ」の想い出でも。
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花粉承知で春の花散歩

2008年03月22日 21時23分05秒 | Weblog
なまくらな生活で今週は体重2キロアップは悪天候にも責任あり。来週の千葉/太平洋クラブまでに元に戻そう。てな訳で手始めに、天候恵まれて小山田へ。ここは春の花が百花繚乱の手前。写真をアップ。(左上=馬酔木、左下=ギシギシ、右上=菜の花と仏の座、右下=一重のこぶし・・・・八重もきれいだが)桜が開花寸前。これではエバ-グリ-ンの太平洋で緑の中の桜ゴルフも楽しみだ。チベットの弾圧はオリンピックに暗雲が、ウォ-ルストリ-ト紙ではスポンサ-が不買運動に巻き込まれるのを危惧しているとある。チベット関連はここがニュ-スのポ-タルか。匪族政権がオリンピックをやる資格はあるのかは、ことの始めから疑問だ。春先は心軽くなるが、夜のTVニュ-スは気が重くなる。
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毎日がドキュメンタリ-

2008年03月18日 22時55分41秒 | Weblog
揖宿お出かけ不在中に、ロシアの現状ドキュメンタリ-を録画。昨日までに全10編見たが。そしてチベットで反乱が。アメリカではサブプライム問題で証券会社が銀行に引き取られたが、株価格が昨年まで1株170ドルのものがなんと政府介入で2ドルで。総額はヤンキ-スのA-RODの年棒より低いらしい。ロシア録画を見る限り、あの国はゴロツキ国家だ。またチベットを制圧したのは山賊(共匪)国家。自己責任の国がいざとなれば強者に肩入れ。花粉で目が痛み、外出がつらい。鼻はフマキラ-からの塗り薬で、ゴルフしても鼻水の難を逃れている。遠出ができず、戦車道路の終わりかけの梅写真でも。カネカケ豪華国立アイ-ダはチケットが入手できないから見送り。日本オペラは政治家や有名人を見かけるが、国から金を引き出してやってるが、企業を含め民間からのバックアップする篤志家が多くない。昔の社会主義国家の芸術につなっがていくんでは。
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夕刊から

2008年03月14日 17時58分04秒 | Weblog
一昨日の赤川コラムにメトロポリタンのオ-ネギン公演が記載されたが、ドミトリ・ホロストフスキーとルネ・フレミングのもの。素気ない舞台はDVDで見ることもないかも。CDでいいのでは。ザルツブルグの走る椿姫も素気ない。舞台が素気なければ、歌う力しかアピ-ルできない厳しい舞台。飾り立てたり、容姿と演技が中心にきて、作曲者が意図している音階から半音下げたりして歌うのは今風なのか。眉間がのびたままで、楽々歌いテレビ(ヴィデオ)映りがいいのが今風なのか。歌劇は歌が一番。容姿と演技ならミュ-ジカルか映画が一番。マリオ・ランツァみたいに映画で生きたオペラ歌手もいる。全てが記録できる時代では真に力のあるものが、時を越えてこれからも記録が売れていくのではないか。画像は揖宿の魚見岳に咲く極楽鳥花。下の黄色くなっているのが、最盛期。南アフリカが原産とネットにあった。 
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揖宿たより8(最終)

2008年03月04日 20時34分51秒 | Weblog

揖宿駅から鹿児島空港のバスチケットを鹿児島交通の駅前営業所で求めた。このチケットは行き先まはスタンプ印で日付は手書きだ。万能チケット、額面も書き放題。回収されるので記念に撮影した。鹿児島空港レストラン階はで薩摩豚、黒豚の張り紙が目立つ。ただ一軒ロイヤルは同じ料金帯の980円ではアメリカ豚使用とうたっている。これだけが信用できる偽装でない産地証明の豚だ。黒豚を安くできるわけがない。このあたりは、なんとか良心に従って欲しいものだ。

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揖宿たより7(風強く、黄砂もからむか春霞)

2008年03月03日 11時41分43秒 | Weblog
魚見岳も宿泊宿、吟松の窓から霞む景色に、思わず登りたくなって尾掛まで来た。残念だが、雨降りだして、先週の伏目で雨風で吹き曝されことを思い出して取り止めた。しかしこの霞みかたは異常だ。暫くしてなんと黄砂だと分った。駅前のネットが使える昨年開業の喫茶店情報茶館に避難した。雪隠詰めの最後の指宿になりそうだ。パソコンを触っていると喫茶店のママさんから別に経営している喜入にある「青い鳥工房」もアップしろとせがまれたご勘弁。ご当地名物そらまめのバイトがここでは破格の月30万円であるそうだ。腰を痛めそうだ。本日は砂楽で最後の砂湯は30分でENJOY。宿「吟松」の部屋から魚見岳方向の写真は腕ではない、黄砂の性だ。
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揖宿たより6-6(坊津日帰り紀行-6)

2008年03月02日 22時28分11秒 | Weblog
写真は秋目の手前の泊浦。秋目は鑑真が5度目にして上陸した地として歴史に名前を残しているが、鑑真記念館があるところは本当にここで上陸したかわからない。館の中は、井上靖の小説天平の甍のスチ-ル写真も。周辺には日中友好の卒塔婆みたいな板切れが刺さっている。毛沢東が死んで暫く迄は、鑑真は彼らがいう友好の証だった。板切れには日本から出発した訪問団の記念のものもある。訪日したのもある。いずれも歳月を感じるものだ。今では鑑真を語らなくなった。踊らされて訪中した人たちが訪問先でどう歓迎されたがわからぬが、その頃は文化革命が終焉しても共産党の歴史は学んでいても、下放されたりして自国の歴史を知らない連中ばかりのはずだ。そうは言っても昨年現地で映画が製作されて、DVDになっているが。しかし、館の内外の雰囲気から、夕暮れとあいまってうら寂しい気分になった。笠沙の野間岬までまだ20KM残っている。日暮れは6時過ぎだ、急ごう。
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揖宿たより6-5(坊津日帰り紀行-5)

2008年03月02日 22時27分52秒 | Weblog
写真は坊津歴史資料センター輝津館の前で撮影した。建物は立派だ。入口前にいた館員の人がこの建物は国のお金で建設されたと言う。B&Gもあり、やはり出資者は日本財団だった。ともあれ展示品はしっかりしていて民俗的なものもよくわかる。坊津は唐の時代以前から大陸と交流があった。江戸幕府から厳しい密貿易の取締りがなければ、まだまだロケ-ション交易の歴史を積み重ねたであろう。寂しい漁村となった今日、大陸からやってくるのは毒性の強い酸性雨だけかもしれない。時計は4時を回ろうとしているが、鑑真和尚の上陸地、秋目にはまだ着いていないし、まだ距離が残る。
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揖宿たより6-4(坊津日帰り紀行-4)

2008年03月02日 22時27分32秒 | Weblog
最初の景観は耳取峠からの眺めだった。枕崎市街、東シナ海上から凛とした開聞岳。天気のいい日は大隈半島の佐多岬も見えるらしい。ここは南さつま海道八景のひとつになっていると説明看板にあった。そこから坊津へと向かう。山に張り付いたような狭い断崖道路から見える入り組んだ海岸は昔の伊豆の西海岸に似ている。道路問題が世情うるさくなっているが、こんな道も国道。入り江の坊津の町の狭い道脇に、密貿易=抜け荷で富を築いた写真の商人館「倉浜荘」があった。突然外から踏み込まれても、いいように忍者屋敷風に中はなっているらしいが、家主がいないので中を覗くことができなかった。坊津はこじんまりした入り江にある、暫く滞在してみたい小路で出来上がった町だ。市長は町の道路を拡張を訴えているみたいだが、そうなれば観光資源が失せてしまう。
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揖宿たより6-3(坊津日帰り紀行-3)

2008年03月02日 22時27分01秒 | Weblog
終点の枕崎駅は無人でホ-ムだけ。乗車賃精算2両編成の前方車、運転車両の出口でおこなう。ホ-ムからは地元ドラッグやス-パ-の建物に阻まれて周辺がよく掌握できない。ホ-ム先に値切った古いタクシ-と運転手が待っていた。やさしい運転手さんでよかった。いかつい親父にボロ車の旅はかなわない。最初に火之神(ひのかみ)公園と立神岩が見える丘にある旅館の駐車場に案内された。市内も南国の空気が感じられた。あとは市内見学。お魚はかつお・…、最初から土産ものかぁ?最後は薩摩酒造で手作り、地元限定焼酎を買った。火之神公園から枕崎市内一望はは、イタリア観光気分だが、隣の平和祈念展望台は、戦艦大和の沈没地点から北側約200kmに位置する鎮魂の丘。天候次第で奄美諸島が見える。気分がしまった後はみなみ薩摩市に向かうが枕崎から野間岬まで難所が続く国道226号線往復60KMの旅の開始。
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揖宿たより6-2(坊津日帰り紀行-2)

2008年03月02日 22時26分22秒 | Weblog
各駅停車のルディ-ゼルは指宿駅を出て3つ目の駅、西大山で停車をする。ここは去年は歩いてきたところだ。JR最南端駅で、開聞岳が見晴らしよく見えるので暫く停車をする。日曜とはいえ、少ない乗客の殆どが観光客。無人ホ-ムで僅かな本数の運行列車を待っていた人達と乗客が群がって写真撮影。こちらも1枚撮影。枕崎までこれから1時間。
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揖宿たより6-1(坊津日帰り紀行-1)

2008年03月02日 22時25分52秒 | Weblog
よ~っしたまには観光だ。揖宿には幾度となく来ているが、枕崎方面には行っていない。人間いつ死ぬかは分らない。との思いから朝、枕崎のタクシ-会社に電話で坊津周辺観光を値切り交渉。総キロ数約60KMの5時間半、17000円で決まり。まずはJR枕崎線1時間強の枕崎駅までの旅から。地図は駅前の看板からパクリ。行き先は地図の左端の一番上の野間岬だ。
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指宿だより5(鰻温泉)

2008年03月01日 15時29分05秒 | Weblog
今日は山の方へ出かけた。奇山、竹山を背中にして鰻湖畔にある鰻温泉への坂道を歩いた。有名な蒸気かまど、スメというものはTVでは何回か見ているが、本物は初めてだ。各家にある。鰻地区は今は60戸というから、限界集落に近づいているかも。そのスメで蒸した温泉卵を公衆浴場の売店で買って食して、硫黄泉の風呂を浴びた。今日の砂湯は市営のものにする予定だったが・・・・・・・・・ヤメした。鰻温泉は西郷隆盛が征韓論で故郷に帰り、ここに逗留したらしい。明治政府に反乱を起こした江藤新平がここに流れてきて西郷と激論を交わしたらしい。画像は公共用のスメか。
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