昨年の3月スカラ座公演のモ-ツアルトの魔笛の録画を引っ張り出して2晩に分けて見た。背景が全て影絵で単調で眠気をもようすオペラだったが、眠らずに見たのは2つに分けたせいだろう。影絵は結構複雑だったが、安上がりだろう。その前の週に見た亡くなったサルヴァトーレ・リチートラの出たカヴァレリア・ルスティカーナは殆んど椅子ばかりの舞台で、スカラ座は豪華絢爛の世界の歌劇場には合わないような様な気がする。オペラのビデオもHDの時代にしては、背広姿や照明などばかりでは、つまらない。フランコ・ゼフィレッリの演出がHDの世界には合うと思う。腹痛もようやく正体が見えてきそうだが、暫くブログはお休みかもしれない。
今週初めに恵比寿まで。恵比寿ガ-デンプレ-スの広場の屋根を遠くから見るたびに、欧州の駅をなんとなく思い浮かぶ。雪もまだ残ってなんとなく見た目には情緒があったが、携帯電話のカメラではニュアンスの全てが消えてしまっていた。屋根だけなら、おらがクニの金沢駅のものは負けない。小田原駅のホ-ムの屋根も大きいが。雪の降る間はスギ花粉が飛散しなくていいいが、仙台の先輩から彼の地は冷凍庫とメ-ルが来た。ならば、多摩はちなみに冷蔵庫だろう。長い付き合いの鍼灸師がみんなの体を見ているだけで、今年の寒さの厳しさがわかるという。ゴリゴリ、カチカチ、コチコチ何でもありだ。鍼灸師は腹痛は春になれば回復だろうという。今日は腹痛解消のため外科だが、未だ原因わからず、来月まで持越して、お医者と相談だ。残りは整形外科しかない。整形なら、ほとんど治る話は聞いていないから、持病になってしまう。加齢は病を呼び、行動範囲を狭くしていく。体が痛くても、断舎利みたいなことをせず、表に出て頑って行きたい。来月は恒例山形寒鱈祭りがあるが、この日からだんだん暖かさに向かう。もうちょっと我慢で春になる。
昨年昔の上司が新国立劇場でオペラを見たいと行ったので、昨日同行した。折角だから音が良い中央のど真ん中の一番高い席がいいというのでやむなく大枚をはたいた。出演者交代があったようだが、放射能キャンセルだろうか、気にならない。放射能で、当日でなければ出演者はわからないと思っている。韓国人のルドルフォは出足ちょっとビブラ気味、リリコだからしょうがないが、だんだん上り調子。ミミは声から年齢を感じるので、元上司のオペラグラスをちょっと拝借して、顔をアップしたが、あたりだった。演出も奇をてらうことなく、よくまとまっていた。元上司はこれじゃ、はまりそうだと真顔で言った。結構、ブツブツいうタイプだから、少し心配していたが、演目もプッチ-ニだから安心していたが。画像の悪いのは折ったパンフレットからだから、そうなった。
松井のスト-ブリ-グ。今日はダルビッシュがレンジャ-スで契約はスポ-ツでは一大ニュ-ス。総額費用は破格な金額だ。ホワイトの社会、テキサスでは好ましい雰囲気ではないような気がする。また球団予算から、他の選手の年棒ダウンと契約期間縮小は必至だろう。ボストンにいたタイガ-スのDHマルチネスがアキレス腱切断で今年は無理らしい。松井にヤンキ-スから破格の安い年棒での接触もあり、マルチネスが故障となった今は行き先未定のDHのデ-モンなど含めFA組の交渉が加速する。アメリカはクリスマス商戦あたりから就業者は増えつつあるが、日本より不況のどん底だ。高額で2か月も不振なら即解雇につながる。去年の松井は危なかった。スロ-スタ-タ-と言っていられない。
金沢には雪がなかった。鱈は煮物、白子で食べたが、刺身も現地特別の刺身となった。石川県から富山県あたりで新鮮な鱈にたらこをまぶして食べる、こつけ刺し。鱈の生は味が弱いから工夫がいる。甘口醤油で食す。普通は昆布締めになるが。もう暫く鱈は食べなくてもよい。お酒は地元の福正で甘口だが飲める。シッカリ中味のお銚子5本はやった。そのあと、カラオケということだったが、歌は歌わずバカ話でお店の人とおしゃべりで午前様、もう飲まぬのタイトルのセリフで別れたが、ボトルを入れたからまた誘うことになる。ホテルで寝たのは、夏なら夜明けの時間だった。切符よは安かったが、金沢ではお札に羽が生えて飛ぶ。出発の朝、墓参りをして、近江町市場へ買い物。後は仏前と自分用に親父の好きな越山本店へへ行き、姉妹に合うのをすっぽかして、列車前倒ししてそそくさと東京へ。元気になるのは明日ぐらいか。
昨晩は北の国しかないそいの刺と鱈、やりいかは美味かった。大宮まで舞い戻って、越後湯沢から金沢へ。八戸、大宮、越後湯沢と三回乗換えの東日本縦断は老体に堪える。今日は鱈を食べよう。鱈と言えばリスボンの12月の鱈料理は美味かった。もう昔、80年代初めだった。リスボンで二百人近くの宴会設定があり、前日に音楽バンドや料理の下打合でテージョ河のほとりの会場のレストランに行った。全て順調で、時間が余った。それも予定の行動で、季節柄、翌日のメニューににない地元鱈料理を三人で文字通り鱈腹食べた。店はとっくに閉店だtったが特別な計らいだった。そういえば、保存用の棒ダラは欧州でよく見た。さて、今晩は鱈の白子が、お目当て。明日朝は、両親墓参のつもりだが、花が間に合うだろか。その後、近江町市場で魚を見て、小坂蓮根に金時草は必須。五郎島サツマイモの東京では品質が悪いが送る程でもない。時間許せば、姉の顔も。乗車のはくたか号は白銀の越後湯沢を抜け、直江津に着いた。比べて、すっかり雪がない状態。携帯プレーヤーのイヤーホーンのバッキングが外れてなくなった。まだ金沢まで2時間弱。今日は座りっぱなしで運動不足だ。画像は越後湯沢の屋根の雪下ろし映像から抜き取りした。
八戸で快速しもきた号に新幹線から駆けて座席確保した。電車は降雪地帯十和田湖町エリアの上北あたりで、ストップ。野辺地でポイント故障で、だんだん暗くなり、夜のとばりが降りてから、ようやく動き出した。この時期に若い頃、何回かオランダのアイトホーフェンや当時西ドイツのハンブルクに出かけた。雪が深々て降り凍てつく寒さは故郷の金沢の比ではない。トラブルもあり、考えればどうということもない。新潟新幹線がない頃、営業が成功するか不明で、近いと思って新潟の燕まで日帰り闇出張した。帰りに乗ったはくたか号が大雪で動かず、車中泊となった。乗員が乗客のために、パンやおにぎりを探して駆け回る中、念のため車内で二つ買った富山の鱒寿司を夜半食べて過ごした。仕事がうまく行っての帰りだから、飲み過ぎ二日酔いで難なくごまかした。労働組合が強く、管理職に迷惑かけられない時代だった。
昼前に東京駅に着いて、地下の弁当ストーリートの浅草今半へ。今まで意識がなかったが、気がつけば、正月も終わりなのに溢れる乗客の割りにパブリックスペースが東京駅にない。荷物一時預かりは長い行列、少ないトイレも小さく、同じく列を作る。土産物屋と飲食店はたっぷりだが、どうにかならぬものかと思う。消費税から逃れて儲け優先の商業第一主義だ。仙台まで晴天だったが、八戸辺りまで持つかどうか。予報では雲らしい。風さえなければいいが。明日は朝に折り返して金沢へ。申し訳ないが、昨日姉から送って貰った金沢の和菓子、柴舟セットを開けずに下北への土産にした。同郷の大学クラブの先輩は今金沢にいて、白山神社の左儀長に参加してるらしい。ドンド焼きと言ったら、神事につき、叱かられるか。ドジャースの黒田はヤンキースに行ったが、松井はどこへいくか。父親は東海岸の球団がいいと言うが、そりゃ見ている方もアメリカンリーグが面白い。いずれにしても、松井が常時出場なんてのはもう困難だ。打てていても、加齢から休養日が要求される。35歳過ぎた選手は毎年球団渡り鳥で、お役に立てそうな球団で活躍がベスト。生涯一球団は今年引退したヤンキースのボサーダが目立つ。これからの選手が渡米するが、日本で実績あっても、米国に実績がないわけだから、最初から球団に恐ろしい金額を提示するのは、無茶というものだろう。新幹線は今仙台に到着。震災以後、東北に踏み入れていないが、車窓景色では被害が分からない。
元旦は住んでいるところが村だったころの鎮守の森にあった八幡神社に例年のとおり初詣に出かけた。今日はお腹の調子回復祈願を大国魂神社にお願いしに出かけた。境内にある厄年一覧表を見たが、自分の年齢では厄がもうなかった。生きているのが不思議な年齢になってしまった。初打ちは松竹映画に最初に出てくるような富士山を見ながらの御殿場のゴルフだった。その分だけ晴れてはいるものの底冷えがした。枯れ芝の下は霜で凍てついて硬く、クラブが入りにくくなじめず、暫く閉口した。2月中旬過ぎまでゴルフはやめよう。下北に出かけるので、大学の先輩とともに仙台の先輩を訪ねることにしていたが、逃げられたので、大胆に下北から郷里金沢まで移動することとし、松本に出てきた仲間と北陸冬の味覚を楽しむことにした。寒鱈の白子のあぶり、寒ブリ刺しは外せない。こうばこ蟹が終わっているのは残念だ。姉妹弟には内緒で一泊で折り返す。JR東日本の特別企画運賃に感謝をしたい。元の職場の上司が次は一緒に言ってきた。指宿ならすぐに決まるのだが。