親戚が集まる義兄の49日の法要が21日となって、帰沢することとなった。高校同期会が一週前だが、長くいてもいいが、これは見送り。今年は新旧お盆の両親の墓参り。今回は家人もなくのんびり。旅は一人が一番。次は気の合った男同志のゴルフか温泉が一番。予備日の土曜日は、茶器が揃って展示の中村記念美術館へ行ってみよう。昼休み前あたりが、参観者も少なく狙い目かもしれない。午後は犀川大橋から上流へ遡って2.3時間歩いてみたい。気の合った温泉プロ、オペラ指宿親父とお盆の頃で犀川上流まで歩いて、実況メ-ル交信したのが懐かしい。到着の日には山の上町から大樋町あたりの旧北国街道も歩いてみたい。法事当日の食事処は料理よりも建物とその室内がいい。特に朱の壁の部屋がいい。冬に金沢の旅行をした人ではここに宿泊すると感激するらしい。酒がメインで料理は食べなかった父親愛好の魯山人が板場の修業した山乃尾、景色のよい元家老 横山男爵が建てた別邸の金茶楼、美味しい料亭は別にあるが、料亭の多さは金沢特有だろう。貧血財布の筆者は市内で一番古い駅前ホテルが定宿。交通至便、寺もまた近い。長く引き立ててもらっているホテルの人からもPRを頼まれたので記載した。アップする画像がないので、家人が作った指ぬきを。先日の帰沢の時に加賀手毬の技法を聞いて作り、出来のいいのは付属品で、シアトルのキルト展に送ったらしく、残ったひとつを座布団敷いて撮影。松井選手もオ-ルスタ-後は5割近い打率で、どうやら加賀人は調子がいいようだ。ゴジラハウスでも行ってあやかりたい程だ。馴染んだ多摩も近年多摩らしくなくなってきており、そのまま金沢に残ってもいいと思える齢になってきた。
土用の鰻ではなかったが、先日築地に用向きで出かけた。つい最近まで仲間がここで仕事でいて、お茶を飲むくらいだった。仲間ならず約束の人が都合で不在で、時間つぶしには丁度の昼食時間。相手が帰ってくるまでは、近くのお食事処を考えたら、20年ほど前が最後の鰻、宮川本店を想い出して、入った。鰻は人と会う時に社用で一番使いやすい便利な食事かと思う。案の定、和室にはそれらしき人で席が埋まっている。4人席で相席とも言われたが、最後まで一人だったのも、相席を嫌う社用族のおかげか。出てきた鰻は料金の割にはしょぼい。最近鰻の値上りがあるので、ひょっとして片手までいかないと納得の鰻にありつけないのかも。鰻を待っている間に、急性アルコ-ル新宿で一休みした鰻屋を思い出した。酔っていてもまずかった。その名は双葉(不味いのは昔から知っているのに!!)。築地もチェ-ン店の出店が相当あるが、美味しそうなお店がまだまだ残っている。銀座で勤務していた頃はタクシ-で基本料金で食事しに行ったのが懐かしい。肝吸いはよかった。金沢の鰻は関東と違い、自火焼きだがこれもそれでいいものだ。美味しいなら、関東、関西ところ選ばず。
オ-ルスタ-の仙台も元気づく。NYでも加賀人は元気が付く。古巣ヤンキ-スを相手に5打数5安打長打2本の1打点。残念ながら追い込みが効かず、アスレティクスは負けたが。相手投手の最後は守護神リベラにも打った。5回に下の画像のように走者が好返球でホ-ムでアウトで打点が入らず残念。ここを押さえていれば勝てたかも。次からはフロリダのタンパのレイズと対戦。正確にはタンパベイ・エリアというべきか。Tampa、 St.Petersburg、 Cleawaterの風光明美な海岸の街々はOrlandoのツア-はあっても、ここまでのものはない。
今朝は新聞配達員が誤ってドアチャイムに触れたか、鳴って、早朝目覚めてから眠れず。ダラダラして、遅い朝食とテレビ。質問をはぐらかし答えずの奸は、こちらが寝不足もあって、イラ缶ならず見ていてもイライラする。外国人献金受領は本来議員クビで、前の外務大臣はポストだけ逃げ出して終わったが。北朝鮮に2億円バラマキのニュースもあり、事実なら一国の総理ならぬ、議員、いや国民も失格だ。気がつけばパソコン放送で松井が表題の日米通算500号、今年の遅い第7号。打点も3点で打率は4の3。このところ調子が上向きで、ようやく得意の夏だがと期待していた。打率より打点と出塁率をより上げて欲しいと願っている。ツインズの西岡もまだ9番で、打率は上がらない。松井が頑張らないと、今これと言った日本選手がMLBにいなくなる。もう暫くで、ヤンキース戦だが、4番のA-Rodが膝手術でいないのが寂しい。ホームラン量産の3番タシュアラは体は大きいがコンパクト打法。松井も2009年ワールドシリーズでのMVPはコンパクトだった。これで節目ができ、大振りは控えれば、アスレチックスは少しは上昇できるだろう。後半は前半の借りの返しの時期だ。
初七日の今朝義兄の仏前には葬儀の時に市長から喪主に渡された証が標題だ。市長は市の伝統産業に多大の功に報いての説明をしていた。意味が解らぬので調べてみた。敬い仰ぐいみとあるが、影には「心に思い浮かべた、目の前にいない人の姿。」の意味もある。ようやくぼんやりと理解できた。敬仰もあるが、故人だから、影を使ったと思われる。今度は49日の納骨に再び金沢へ。景仰でバ-に行くのははばかられない。死んだ親父と同じで元気ならイケイケドンドンは快く了解だろう。昼からの寺6件の墓参りの難所は卯辰山にある墓苑、一番遠く小中学性の頃は遠足の地のひとつで車代と時間を考えたら、時間でタクシ-を借り上げた方が得と思われた。指宿の枕崎から南薩摩の鑑真和尚の上陸地、坊津へ行く時以来のタクシ-料金交渉をしたら、墓参お手伝いコ-スがあって、2回行使のダブル料金で成立。実メ-タ-より2千円安くなった。運転手さんも若く優しい人で、最後の下車時に2時間かかっていませんが、よろしいんでしょうかとの声もあった。鞍月用水をアップ。紫陽花も終わり。
高校仲間と家人と3人で食事をした。肴はできるだけ東京で食せないものを食べることにした。画像のものなどを食べ、最後はポロポロ気味の魚素麺で〆たが、アルコールも入って行かない予定の、しばらく寄っていないボッタクリのバーへ。アラシクスティの元ジュディオング風のママとアラフォ-おバンにやっぱりボッタクラれたたが、時計を見れば一時半ごろまでいたからしょうがない。翌朝はけだるさが待っていた。画像はつき出しの写真も綺麗に撮れたが貝にのた左はこのわた。右上は能登半島で獲れれる白さえび、左下はやや毒性があるので丁寧に洗って食べる赤西貝、右下はたれが付き過ぎだった夏の金沢名物どぜうの蒲焼、他はすべて略。
家人が本を買いたいという。片町にあった書店を探したが、柿木畑に移動していた。商業地区は片町からこちらに移動してしまって、この書店がようやく適当な地を探し当てたと言うことだろうか。デパートの商品の貧困性といい、街は変わっていく。変わっていくのは町並みも。戦災を受けない金沢は時間をかけて路幅を広げたが、建物は高さの凹凸が激しく、更に邸宅の横にアスファルトの無機質な駐車場や倉庫、戦前の建物の横にマンション、街中は野放図な風景破壊が近年続いている。観光で来た人は、石川門や兼六園では満足はしないはずだ。街並みが出鱈目だ。本屋で家人と別れて独り用水路に従ってホテルまで歩いた。途中足軽の家と言うのをみた。懐かしい木の皮を引いた屋根に石が残っている。旧街道の北国街道の大樋町にいたる家並みなどに見られた風景だ。今はどうなっているか、今度行ってみよう。
家人がキルトをやっているが、手鞠に興味も。朝は南町にある作品、材料、教室をやっているお店を覗くことになった。水引の方が楽しいが。地元デパートで和菓子を知り合いに送り、明日は義兄の初七日だからということでYシャツも足りず、買った。ブランドの数が2種類しかないには驚いた。好みではないが、やむ得ず買って、案内嬢に荷物を預けて、成巽閣へ。途中のスコールのような雨は、下車したら雨宿りの場所もないので、ずぶ濡れは必至なのでバスの終点の大学病院まで行って雨宿りをした。20分後に戻った成巽閣は家人の好みの今回の展示物の世界だった。お姫様のおもちゃもあり、それなりに楽しかった。画像はお店の指ぬきと手毬。下は手箱の蓋だがサイズは実際にはそれぞれ全く違う。
義兄葬儀は盛大で知事ー市長まで出席の地方特有の地縁、血縁に地元学校人脈のなどが絡みつく世界。ユーターン希望は目の当たりに広がるこの光景を見ると、消え失せる。金沢近郊に住めば、そのあたりは多少は緩和されていいのかも知れない。今日の告別式に中学時代の英語の教師に声かけられる。俺は誰か解るか云々。白髪でちっとも分からぬが、英語の教師だったといい始めて、先生の名前が出た。お陰様で…地球のあちこちと出かけることができてとおべんちゃら。君も大きくなったと…返事をいただいた。標題はそのときに習った記憶ある英語。2年前のに会った数学の恩師の親戚だったのを思い出した。夜半、本日の中陰の精進料理不味く、宿泊ホテルの近くの寿司屋で妹との口直しの一席は、引き続き不幸な結果になった。観光客相手の地元民なら行かない店だった。妹の長女の店で再会を約して別れた。画像は葬儀と火葬待ちの庭園。
仲間を含む関係者に連絡して、滞在時の予定は確定した。羽田に向かうバスは空いていて、静かでよかった。前日のジムでエアロビの後のスクワットは膝が悪くないので、25キロかスタートして、最後にいつもより10キロ足して45キロ背負って合計60回やったのが原因か。膝でなく、腰痛が始める。金沢に帰る前に入念に他の機械もフルに使ったエキササイズのやりすぎだろう。過ぎたるは及ばざるの言葉どおりになった。中央高速走る車窓から夾竹桃の花が見える。40年ほど前の夏にローマからナポリに至るアウトストラーダ=太陽道路に延々夾竹桃が咲き誇っていた。日本の高速道路にも夾竹桃が多いのは、排気ガスに強いのだろうか。結婚が近い頃で、バス同乗の婦人警官に親切にしたらずっとアプローチされて、逃げ回った。何故か高速道路の夾竹桃を見ると、悲しい警官を思い出す。義兄の葬儀は社葬だ。親族には味気ない形だけのもの。49日に、改めて金沢に行って故人を偲ぶことになろう。夾竹桃はやめて、金沢に向かうバスから撮影した青い静かな日本海をアップしよう。
この稿を起こす前に、姉から義兄の不幸を知らされた。来週はお盆で帰省墓参りだったが、帰省を早めることとなった。9日から通夜と葬儀、週明けは早目の墓参りになる。子供の頃から目をかけてくれた義兄も、夏に他界は寂しい。3年前にもらったドライバ-とパタ-が遺品になった。昨年のステ-キご馳走が最後の食事に。亡くなった指宿砂湯のオペラ親父も夏に他界で、間違ったレハ-ルの説明をしたままだ。レハ-ルはヒットラ-がお好みのオペレッタ作曲家、夫人はユダヤ人だが見逃されていた。仲間のユダヤ人がレハ-ルを通じて命乞いをしてきたが、彼は仲間を見捨てたと説明し、ひどい奴と親父が言っていた。しかし、実際には助命嘆願をして却下されていたことを知らなかった。間違いの訂正よ、お盆だから、あの世に届け!!暗いと言えば、歌劇場で貰った画像のカレ-ラスのコンサ-トのチラシから。チラシを見て驚いた。今やカレ-ラスの声は年齢から硬い。若い頃のレハ-ルの簡素なスト-リ-の微笑みの国から「君はわが心のすべて」を歌詞をつけてYoututeにアップしてみた。2分10秒あたりの ピアニシモで歌うところは師匠の亡きステファノにそっくりだ。舌の動かさないのも、さすが当時超一流のオペラ歌手。何年かぶりにブログに映像を張り付けてみた。その後の保養地〈1998年7月 カイザー・ヴィラ(皇帝の館)(オーストリア・ハ゛ートイシュル)〉 でのコンサ-トの歌ももいい。出演順にハンプトン(B)、リンド(S)、カレラス(T)、ドミンゴ(T)に当時一番の美人のアンドレア・ロスト(S)。放送時の録画のチャンスを失い、Youtubeでお目にかかるとは思っていなかた。
北海道ゴルフ輩と酒席は昔やった酩酊となった。ここで、自由解散にしてもらい、自力帰宅を計ろう。家人に遅れる電話は、タクシ-ならぬ公共乗り物帰宅命令。暑さでビ-ルがぶ飲みと冷酒で急性アルコ-ル中毒症状なんだろう。酔いざましに新宿ウナギ店で外の人の波を見ながら、旨くもない店でけいブログ作製で時間潰す。美味しいウナギは、姉から明日到着だが、義兄は明日もしれないと聞いた。自らの体調不安は、酷暑で命落としていった先輩達をを見て合掌しか。合掌先はそれぞれに違うが、自らに向けるのは早すぎる。画像は携帯にありました。まずいうな丼でした。