山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

昨日は夏なのに鬱陶しい

2007年07月31日 12時36分05秒 | Weblog
昨日の雨と雷で閉じこもり。午前様で選挙報道をTVで見まくり、寝不足。背景を田んぼにして、集まった過疎地村人を前に辻説法は村人だけでなく、全国の村人も見ることになった。これで過疎地の人は縁を超えて周囲に臆することなく、投票したに違いない。この映像は「角栄辻説法」を彷彿させ勝利の予感させた。過疎地では郵便集配所が廃され、現地では郵便物が遅れ始めている。宅急便に拍車がかかり、安い郵便は先細る。恐いのは郵便局が集めた金が日本政策投資銀行にいくことだ。社会保険庁の金の行方も問題視されてるが。簡保の宿?、あれって金の出所はなどと・・・・なんて考えたら・・・・・・ヤバイヤバイ。ヤメ画像音盤は世紀を超えてJAZZで一番売れているらしい。Charlie Parkerが売れたは20世紀どまりらしい。BLUEは21世紀になっても売れ続けているとNHKの番組でやっていた。この番組はたびたび再放。我が家の押入れにもBLUEはあります。内も外もBLUEの昨日でした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷夏でBlueberry狩り遅れ

2007年07月28日 13時57分24秒 | Weblog
小山田の先の住民がこの日照時間少い冷夏にブル-ベリ-狩り督促の早朝メ-ルがあった。2年前に同住民と町田の木曽団地付近の農園に出かけてが。同じ町田でもややはずれだが相原に農園がある。足を伸ばせば、御陵近くの八王子の下恩方にかなりの観光農園がある。甘さを重視すれば、アト2週間は必要かなぁ。相原なら美味しいアイスクリ-ムもいけるアイス工房ラッテがある。8月のお楽しみ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も蝉の脱皮シ-ン

2007年07月25日 18時06分29秒 | Weblog
写真右に蝉が。花は月下美人で昨晩3輪、強烈な匂いを放って咲いていた。一夜限りの華やかなかつ寂しい花でもある。蝉が例年、脱皮。羽がヒグラシのような状態。本来の色になったところで、飛び立つのであろう。飛び立つ時間までは付き合いきれない。全英オ-プンゴルフは最後のプレ-オフまで見た。続いての夜更かしは、体に悪い。しかし、ガルシアは情けないことになった。3日間もトップで逃げ切れなかった。ゴルフはパットで決まる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いま、鉄人とはこの人か

2007年07月23日 21時23分10秒 | Weblog
昔プロレスラ-で鉄人、ル-テ-ズがいた。画像の方は高齢でも予想を超えた声が出た2006年のメトロポリタンから。オペラの鉄人だ。昨日の衛星放送で同年「プロムス」出演でまた見ることができた。放送はワーグナー「ニーベルングの指輪」の第二作「ワルキューレ」だった。
出演はジークムント:プラシド・ドミンゴ  ジークリンデ:ワルトラウト・マイア
管弦楽:コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団  指揮:アントニオ・パッパーノ
プロムス(Proms)はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールを中心に行われる世界最大のクラシック音楽祭だそうだ。意味は「プロムナード・コンサート」の略=コンサート開始当初に聴衆がそぞろ歩いていた(promenading)という意味らしい。毎年見てたが、途中で眠ってしまう。録画は初めて。ホロストフスキー見てから興味が。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風も財布も足元もフラフラ

2007年07月17日 21時26分10秒 | Weblog
写真は中島めんやのショ-ウィンドウから。帰りの朝、連れ合いが不室屋で豆乳プリンを買っている間に撮影。すだれ麩か車麩を買うのが筋ってものだが、この地の出身じゃないから、まあいいか。金沢観光名所のひとつに武家屋敷土塀群があるが近隣に江戸末に武家屋敷を寺にした超雲寺がある。ここの塀は昔のものに近く、崩れいく武士社会をあらわしているのではないか。庭も風流などないが、武家の庭の面影がある。タクシ-の運転手さんもさすがに知らない。管理者が年を食っただけか。金沢「あめや坂」の話も。今回は台風で思い切って2延泊で財政赤字も甚だ激しくなってしまった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルフだったのに金沢城内へ

2007年07月17日 21時25分20秒 | Weblog
前日は連れが東山にあるでミクロの世界の雅というべきか、さくだで連れが金沢箔の工芸を金箔割り箸で体験した。そばの東茶屋街でお昼は松花堂弁当を楽しんだ。当日は魚市場休みなのに、お造りが美味い。高い昼飯だったからか。ここまでは、千里浜CCだったが、急遽キャンセルになって、その日拝領したドライバ-とパタ-が使えず、多摩へ引き上げてからとなった。
金沢城内は戦前は陸軍第七連隊司令部、戦後は金沢大学があったところで、面影が消えて、今は公園化。金沢城天守閣構想の予備段階か、長屋が時代劇映画撮影場のような様相を呈している。ススキがもう城内に一部割いているが、ススキもとりどりある。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利家公祀る尾山神社へ

2007年07月17日 21時23分13秒 | Weblog

尾山神社へ行って、利家公の若い日の赤母衣の姿の銅像をを見に行った。歴史小説には[槍の又三]のかぶれ者若武者。神社にはお松の方の碑文も。神社では赤ちゃんの初参りで、奏上音楽が響いいていた。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

14日金沢 美術の小路

2007年07月17日 21時22分21秒 | Weblog
しとしと降る雨の中、美術館巡りに。手始めに、前田家の家宝が展示中の石川県立美術館へ。重要文化財と国宝が目玉。それは京焼・野々村仁清の逸品、左の雌が平成になって寄贈されて、300年以上の時代を経て一対となった。

この色絵雌雉香炉と色絵雉香炉で見れば見るほど唸ざるを得ない。 この日は茶道具が揃う中村美術館と家老といっても5万石の藩老本多蔵品館へ。林にあるこの美術館群の間に散歩道がある。急な階段もあるが、梅雨で雨量も多く脇には滝が流れており風情があった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13日の金沢での晩飯

2007年07月17日 20時52分40秒 | Weblog
毎度行きつけの店へ。ネットでも探せないから店の名前を伏せよう。能登の漁師と契約して、その日に揚がった魚を全部買い取って始めた割烹料理屋。繁盛して、店も移転。友人には紹介したこともあるが、悪い評判はまずない。老舗割烹の親父もくる。昔の方が親父も元気だったが、最近はお年ですかな。食べたもの思い出そう、のど黒、甘鯛、ひらめ昆布〆、鮎、甘エビ、しま海老、泥鰌の蒲焼、岩牡蠣、梅貝、季節じゃないので加賀じゃなく愛知産の蓮根蒸し、魚素麺など。
昼は近江町市場の「鮨処 源平」。去年から店が大きくなった。その前は店構えも小さく、安くて”高い”もがありつける店だった。お昼前からお客が数珠繋ぎで順番を待っていたが、今はその辺の街のお寿司屋さん。他事ながらこれまでの口コミで来店客あるだろうが、先行き不安。高いのがわかっていて、ケ-スの中の魚の種類に興味があり入りました、料金考えながら注文。お腹も気持ちも満足しない。市場の回転すしに人が流れるのを理解だが、お店は回転と違いを出したいのが本音かな。やはり寿司は評判持ち直しの金石の[宝生寿司]というべきか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加賀温泉、山代へ

2007年07月12日 05時32分27秒 | Weblog
明日から新盆で墓参り。墓掃除終わって、山代温泉へ。乗った電車は異様な感じ、棚とつり革を外せば元を糺せば寝台車じゃないか。JR西日本の電車は東に比べて窓もくすむ。いや、泥汚れというべきか。本州最北端ロ-カル列車でも東日本ではこんな光景は見たことない。
お宿はグレ-ドアップしてくれた。お客が少ないからか。温泉旅館の飯は一切期待していないが、やはり。つくりおきが基本だし、材料は特段地の魚を出してるわけでも。安い材料をキレイに出すというのが基本でしょう。温泉は申し分ないが、山代は街中温泉だから、風景は期待ゼロ。宿は女性人気だから、管理者にはイマイチでしたが。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日の続き Frank Sinatra映画

2007年07月11日 20時38分48秒 | Weblog

「夜の豹の出所」は不明だが、原題は「Pal Joey」で、シナトラが演じる主人公の名前。映像は、この映画の宣伝用。この時代は映画館で次の映画の宣伝を見てた。シナトラが、登場人物を黒板にそれぞれ定義して、MOUSEがいつの間にかMOUTHになって・・・・・。残念ながらサンフランシスコの美しい風景が出てこない。KIM NOVAKだが、ヒチコック映画「めまい」に故James Stewartと共演。あの映画の舞台はやはり、シスコと郊外。Bay Areaだ。映画のハイライトポイントは昔と変わらず。尋ねて観光に行くのも悪くない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビでシナトラの映画を見た

2007年07月11日 00時07分53秒 | Weblog
「夜の豹」と変な名前のサンフランシスコが舞台の映画。当時歌が絶頂のシナトラにリタヘイワ-スと売り出しのキムノバックが共演。キムノバックの歌ではないが、吹き替え「My Funny Valentine」の歌も容姿と共に妖艶。高校生の時はあのお色気は本当にまぶしく、ヒチコック映画「めまい」の筋と一緒に脳裏に焼きついた。ノバックの音楽映画はタイロンパワ-主演のピアニスト、エディディユ-キン物語も見た。ノバックはシナトラを親分としたRat Pack=くず鼠野郎って意味かな?の一員亡きサミ-デ-ビスJRとの色恋沙汰も有名だ。安直お色気映画に出すぎて凋落し、ついには晩年自伝の原稿を自宅火事でなくしたという不幸な女。映画ラストシ-ン、シナトラとノバックの二人が歩くシスコのノブヒルの光景は今は様変わり。 懐古のよき時代?

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鰻がじゃなくて、器のどんぶりが売り

2007年07月08日 12時28分04秒 | Weblog
鰻を食べに片道2時間半かけて出かけた。ところは写真のお城があるところ。天守閣が知らない間にできていた。もともと天守閣がないところをどこかのをパクったらしい。
お店は城手前の赤い看板の鰻・割烹。創業明治4年とか。マッチ箱には老舗と刷り込まれている。自ら老舗というのは一番臭い。お通し、前菜、御椀、お造り・・・・蒲焼。2時間半以上かけて間延びした料理運びで酒ばっかし飲んでました。鰻は蒲焼のお重だけ。御椀、お通しどこにも鰻なし。器は厚めの木椀に輪島塗となっているのが自慢。使っているのも紀州備長炭と自慢。わかった、料理じゃなくて、材料か。日帰り味覚不明のミステリ-ツア-は、体力、財力なきものには帰りはきつかった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小山田/水仙の湯

2007年07月04日 22時50分13秒 | Weblog
この一週間の土日、ゴルフ以外は小山田露天三昧。平均一時間半は滞在。最後にハ-ブ(よもぎ)のスチーム風呂で仕上げ。いってみれば、トルコ風呂だが、オリジナルはSPAからだろう。SPAの経験は80年末代に今は取り壊されて、跡地にはWynn Las Vegasという高価格大ホテルが建っている。経験したホテルは現地ではDIとよばれたDesert Innだった(写真)。宿泊した奇怪な富豪ハワ-ド ヒュ-ズが買取り、リノべーションした。トルコ風呂はよもぎでなく西洋のハ-ブだった。ハ-バルラップ療法も体験した。熱いハ-ブに漬けたシ-ツのお化けをミイラのように体にぐるぐる巻きにして30分ほど暗室で寝かされる。何ともいいようのない心地よさは疲れを一気にとってしまう。ゴルフ場も有名で岡本綾子がアメリカで初めて優勝し、顕彰額が通路に飾られていた。ゴルフ場も改造されて、昔の面影がないらしい。少なくともここは10回は宿泊した。90年代半ばには、今度はサンディエゴの郊外CarlsbadのLa Costaで体験。このホテルもゴルフ場36ホ-ル、タイガ-ウッズが本格的にメジャ-デビュ-で有名。4泊して2ラウンドしたが、庶民が遊ぶニャとかく金がかかり過ぎかぁ。夕食1回は外だったが1泊あたり10万。USD=JPY100だったか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふとハンニバル

2007年07月01日 20時39分20秒 | Weblog
映画にも、ジャズにも同名のハンニバルはいるが、本物のHannibal Barcaの像はナポリの博物館にある。実際の顔ではない。(下の硬貨の方が近いか)しかし、いかにも「無念」の一存を表しており、忘れがたい。歴史は勝者ロ-マ側からの記述になっている。指揮官、政治家としては超一級の世界史人物なんだろう。ハンニバルに勝利したロ-マの将軍「大スキピオ」の甥「小スキピオ」は、滅ぼした炎上のカルタゴを見つめ「ローマもいつか滅びる日が来るのであろうか」と同行の歴史家ポリビウスに語ったが、そういいながらペンペン草も生えぬよう塩までカルタゴの地に撒いた。この悲劇を日本の将来と重ねる本があるが、賛成しない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする