山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

谷が長い、山や谷の一年だった

2012年12月31日 22時47分58秒 | Weblog

 

今年も一年健康でなかったが、年を越すことができることに感謝している。放射線治療で救われそうだ。しかしその副作用で怖さを感じた。放射線浴びても無感覚で、やがて追っかけやってくる副作用は遺伝子破壊。破壊が治療の本筋だから良しとしなければ。しかし、知らずに健康な人が蝕まれ、病気に陥るのは公害病の代表、水俣病と同じではないか。水銀が蓄積されて、訴え出て、因果関係で裁判が延々と続き、発病者が他界した頃に決着はまだまだ記憶に新しい。原発も解決策のない燃料棒の収容満杯に近い今、再び稼働に新規工事、続々出てくる不安定地盤の原発の報道。金か命か。水俣の構図と変わらないというよりもっと酷い。NO NUKEも振り返れば、文化人というのは集会や声明発表だが、選挙の今年でも政治活動はない。ハリウッドの人達は明瞭に政治活動もし、ベルリンの壁が崩壊した頃の東欧の文化人達は立ち上がった。日本の文化人というのは何もない。今更のことでないが。全く無力というより無能というべきか。東京新聞では福島原発の詳細報告があるが、まだまだ水をかけているだけが現実で、前政権が何を言おうと何も変わっていない。大きな地震がきたら・・・・恐怖の対象そのものだ。考えれば米ソ対決核戦争の恐怖以上かもしれない。閑話休題。本日は伝説の公演、クライバー指揮、パヴァロッティ、コトルバシュ、ルチアポップが揃ったスカラ座のLA BOHEME公演全編がYoutubeにアップを発見。市販のDVDは画像が歪み、物好きでなけれ手が出なかいというものだった。えええ!!なんでこれがこんなに綺麗な映像でと思ったが、誰かに消される前に、正月3が日の間に鑑賞させていただきます。これにちなみ来年はいい年でありますよう。

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朝のニュ-ス

2012年12月28日 19時25分03秒 | Weblog

北陸の小さな町の少年の’僕には夢がある’は今日ここで終わった。来春はヤンキ-ススタジアムで引退式だと思う。イチロ-、クロダが見送ってくれると思う。トシヨリとからかった大物ジ-タも。MLBでの日本人スラッガ-は松井以外にいない。またMLBでの平均出塁率は3割6分となっており、イチロ-の3割6.5分と遜色ないものだ。米国人はスラッガ-でないと評価がよくない。ビ-ルにホットドッグでの娯楽観戦ではチマチマのスモ-ルベ-スボ-ルは好まないのだろう。ヤンキ-スの現監督ジラルディも、それはやらないと言明していた。コンパクトスイングは長打を量産したが、筋力の衰えか、今年は大ぶりも結構あった。ヤンキ-スで4番打者はこれから日本で出るのだろうか。ともあれ、今年のような打てなくてイライラ観戦もつらいが、なくなるのは、同郷人として寂しい。地元紙北国新聞に、松井に来年第一子が誕生とのこと。松井は米国に残り、FOR THE TEAMのマインドがMLBに根付くよう監督業を目指すなら最高だ。画像はヤンキ-スのHPから評論はさらにあれこれ2つあった。ワ-ルドシリ-ズMVPのインタビュ-も懐かしい。 

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今年の想い出(3)大橋家

2012年12月27日 21時39分53秒 | Weblog

またもや岡山だが、倉敷の夜だった。何枚も写真を撮ったから、同行のゴルフおばさんからバカ扱いをされる始末。HPでも動画が公開されている。別にどういうこともないのだが、ほろ酔いで白壁の夜景の街を歩いているとフト気が緩む。この風景の前に食べたこの店の鯛の骨蒸しは美味かった。

僅かな放射線を浴びて思うこと。無知覚のまま、遺伝子が破壊されがんも破壊されるが、引いてはいろいろな症状が出てくること。強い放射線やその蓄積でこれから死に向かう者はまだしも、将来ある子供たちはどうなるのか。結果見えてくる。金を優先し、命を軽るんじるのはよく拝金共産主義と呼ぶ国と同じではないのか。体を壊し、また国土を毀損する出口のない得体のしれないものを推進する反省のない戦犯政治家が国をつかさどる。

本日朝、やはりと思ったこと。松井が練習や鍛錬をせず、体が衰えてきたこと。例年のように故郷にも帰らぬという。来春ヤンキ-スオ-プニングは松井の引退式からだろう。

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前立腺ガンと放射線の記録(2の2)  PSA0.01への期待

2012年12月27日 17時33分19秒 | Weblog

 

治療病院泌尿器科の医師は手術からの説明だが、遠回りをして時間が費やした者には若干イラつくものだった。次回は家人同伴を求められ、当日放射線治療のダメ押しをした。説明義務からか、医師は延々と説明された。MRIは当然として、念のため骨転移の検査で、国立相模原病院へ行くこととなった。その結果、肺の影のを指摘があり、若い頃の宴会でバカ騒ぎで肋骨にひびが入ったことを思い出させた。カルテには影ありとなったが。10月上旬、Jクリニックに相談したら、このレベルでは骨検査はしないとのことだった。医師によって判断が違う。Jクリニック医師は6月末検査から3ヵ月過ぎており、看過できずホルモン注射(1ヶ月有効)をした。同時に放射線科への医療情報を作ってくれて患者からの説明は不要になった。

10月中旬に放射線科部長と面談し、この治療を開始して8年だが、このレベルでの治療者で亡くなった人はいないと言われた。ただ混み合っているので来年からとの話だった。遠回りした事情を話すと、多少放射時間スケジュ-ルが乱れるが、今年中に終わらせようと努力していただき、10月25日~12月25日の平日毎日計42回の放射が決まった。最初から10回は毎日の施療時間が午前、午後、夕と乱れたが、途中で病院都合に合わせますと申し出たら、順番が毎朝3番目となった。一日が計画性を持てるようになった。第一日目は体をスキャンして、腰の左右と腹部にマ-クを付された。4,5日は消えず、薄くなると書きなぞった。これに合わせて毎日スキャンをして前立腺の位置を確認するようだ。360度3次元放射で動的フォロ-のできる医療施設だが、膀胱に一定の尿があることと排便後があれば、前立腺が動かずに安定するとかで、厳守するように言われた。便秘症だったので、毎日欠かさず便秘薬を服用し、朝は予約時間1時間前には排尿を守った。放射線の副作用は便秘、下痢、頻尿で、この症状の中で排便・排尿のリズムを作っていくのは結構苦しいものだった。最初は何も副作用はなかったが、10日目あたりから、排尿後に経験のない嫌な排尿感と頻尿、一日3回もある下痢(便秘薬を減らすことも)が始まり、予想通り痔になった。お出かけは必ずトイレの場所をイメ-ジして行動だった。それ以外は普通の生活で、運動は時間の自由度があるジム程度は大丈夫だった。演奏中の席外しは難しいオペラは見送った。

治療中の初めて検査、12月18日にPSAは0.5となった。放射線医師は放射線の効果が出るのはまだだ先ですと言われたが、10、11月(1ヶ月有効)と12月(3ヶ月有効)のホルモン注射が効いているのかもしれない。ホルモン注射は2月(3ヶ月有効)で終わるが、結構体がだるくなりやすく、初めての時は突然汗をかくときもあった。元気、頑張りがきかないのと女性化が始まり、ジムのインストラクタ-からは体が丸いと言われたが、まだ胸は大丈夫だ。遠回りをした夏の胃と大腸ガン検査を済ませ、骨検査もしてあるので、痔による出血や疲れからの腰痛にはがんと結びつくものはなく、何の心配もない。

治療は終わったが、これからPSAを見ながら再発をチェックするくことになる。今回の施療には発病を体験された大学、元の職場の先輩が親切に相談にのっていただき、ここでお礼を申し上げたい。また、がんサポ-ト情報センタ-で放射線に傾いたのも報告をしておきたい。今後どうなるかわからぬが、医療の進歩で放射線がだめなら、超音波とかあるようでここは余計なことを悩まぬようにして免疫力アップに心掛けたい。

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前立腺ガンと放射線の記録(2の1)  PSA0.01への期待

2012年12月26日 08時02分41秒 | Weblog

前立がんで亡くなる人がよく報道されている。同じがんで頑張った闘病記録がよくHPで見ることができる。この病になって、大いに参考となった。自分も何か書き残した方がよいと思い、簡単に綴ることにした。今年初めにPSAの値が5に突入し、値の上昇度合いが気になるところとなった。この10数年前立腺痛で世話になっているJクリニックの元大学病院部長先生から生体検査を受けることも必要との説明があった。思案の末、6月末にロボット手術で有名な専門病院で1泊2日の生体検査をおこなった。検査日は飲み物も含めての絶食と前夜の食事制限もあり、しんどかった。朝入院手続きで、検査は夕方近い午後だった。検査のための麻酔は病院によって違うらしいが、下半身麻酔をしたので、痛みは感じなかった。翌朝までは点滴のみの絶食は長かった。腰痛が始まった朝に尿管も外され、ベッドに縛られていたのが解放され、ほっとして帰宅した。病院で事前に説明があったように翌日から血便と血尿が一週間ほど続き、前立腺に軽い痛みがしばしあった(検査採取の数が多かったようだ)。

7月中旬初めに検査結果が判明したので、病院の説明を受けた。良い顔と悪い顔のガンが採取16のうち各一つあり、グリソンスコアーが3+4で7の初期がん(Bクラス)だった。2つのガンはいずれも前立腺の中心にあり、ガンは内部に留まっていると思われるとのことだった。覚悟はあったものの、医学進歩があっても、ガンと言われると生死の不安が頭によぎる。日をあらためて、Jクリニックの先生から1.切除、2.内部放射線、3.外部放射線4.ホルモンなどの治療法の説明を受けた。先生の略歴をHPで見ることができ、米国での病院勤務や出版燃されており、手術も含めたベテランだということをあらためて確認した。治療方法のいづれにしても再発の可能性はつきまとうと言われた。手術もすべての前立腺は切除できなく、外側は残るという。手術なら欧米では主流になりつつある、チョンボのない少ないロボット手術、放射線なら小線源外部照射の施療と病院を紹介された。手術後のQOLの劣化、放射線の副作用、いずれを選んでみても、何もなしですまされない。QOLを考えれば2ヶ月通院治療の外部放射に傾いたが、まだ施療できる病院が都心に限られていたが、何と通える近さのところに運よくあり、こちらにすることに決めようと思った。

しかし一方、胃と大腸がガン発生の確立が高いと例年定期検査をしている病院から春に指摘があり、同病院では外部照射戦導入との予定とあったので、胃や大腸のガンの併発なら困るので、こちらの方の施療も同病院内科の医師に相談し、紹介で泌尿器のベテラン医師に相談したが、外部放射線はまだ未導入で、希望にかなえられないとのこととだった。持参したプレパラ-ト報告を見て、生体の採取個数が多すぎると驚いていた。通常はこの半分以下らしい。医師は夏休みと、プレパラ-トの生体検査細胞の再検査、そして遅い放射線病院への紹介状で随分遠回りをした。長年お世話になっている内科の医師は前立腺がんは進行が遅いからと変な励ましまで受けた。ここで病院の検査結果のグリソンスコアは3+3の6だった。Jクリニックの先生の話では検査する人でグリ-ソンスコアが若干変わるのという。結局、近くて通える拠点病院で外部放射線施療をおこなうこととした。HPで調べたら最新治療なので、施設のあるどの病院も順番待ちのようで、順番が来るまでホルモン治療で進行を食い止めているところもあった。

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イブは大山街道のスタ-ト

2012年12月24日 23時37分09秒 | Weblog

 

昔の会社の仲間、計3人で大山詣でをしようということで、本日二子玉川から開始した。梅の咲く頃までに、大山で湯豆腐を楽しみながらを目標だと云いながら多摩川を渡った。川を渡ったところから街道入口には大山街道のステッカ-があちこち貼られ、街灯には街道の標識が延々と溝の口まで目立つ。地元国学院大学の箱根駅伝応援幕も下がり、正月も近いことを感じさせる。川崎市のふるさと館で街道の案内をしているが、現存するものはお寺ぐらいだった。溝の口を過ぎると、目標の多摩プラ-ザまで田園都市線を遮りながら線路を右で見たり、左と歩かされた。この路線の街々は、アップダウンが厳しいのは分かっていたが、身をもって体験した。山岳の安いゴルフ場を歩いてるみたいで、フラットなところは駅がある谷底ぐらいだろうか。次回は年明け晴天決行で多摩プラ-ザから鶴間あたりまで。本日の歩数は2万と時間は3時間。多摩プラ-ザの小龍包の店で久しぶりのビ-ル3つとランチセットでどっと疲れが。

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今年の想い出(2)牛窓の夕日

2012年12月22日 17時39分34秒 | Weblog

 

日本のエ-ゲ海と言われる牛窓に行きたくて、初夏に岡山に出かけたが、曇り空で海の景色は楽しめたが、残念ながら不十分だった。いずれ生きているうちに向かい側の小豆島へも行ってみたい。オリ-ブはスペインやギリシャでは行き先々にお目にかっかったが、温暖を一度体験したい。温泉もあるようだし期待したい。牛窓でのホテルの夕食はカウンタ-から窓越しに見える海を楽しみながらの鉄板ステ-キ、物足りなくて追加もした。

 

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暮れのイルミネ-ションに思う

2012年12月21日 22時00分44秒 | Weblog

画像は本日の夕方の恵比寿ガーデンプレイス。このスマホの写真は前の携帯に比較して数段性能が落ちる。がっかりだ。中央ににある鐘のまばゆいイルミネ-ションが他の輝きと同じレベルで面白くない。サッポロビ-ルの跡地ではビ-ルを味わいたいところだが、昼飯の小さなグラスで我慢して後にした。クリスマスもこの辺りは、往時に比べれば不況のためか、寂しい。クリスマスイブは外でなく家でが、固定化しつつあるから盛り上がりに欠ける。クリスマス商戦は日本ではそのうちいらなくなるかもしれない。恵比寿のイルミネ-ションを見ながら、クリスマスのパリのぼんやりした白色光の街を想い出した。その昔、ホテルで偶然会った入社同期がフランス語が得意なのに乗じ、どこかの飲み屋でホロ酔って見た街の夜景は情緒があった。後年のジュネ-ブで除夜の教会の鐘の音を聞きながら、年越しそばならぬ、まるちゃんカップそばをすすりながら、ホテルの窓からの夜景も落ち着いたものでよかった。12月31日はレストランがどこもかしこも予約が入り、ロクな夕食がとれずのことだったことも思い出した。忘れていた旅の記憶が甦った。 

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鎌倉の名はつくが…

2012年12月09日 14時10分15秒 | Weblog

銀座、京都、鎌倉と言う名のは全国に見られる。別所は信州の鎌倉だが、何かイメ-ジが離れている。鎌倉が整備され過ぎているのか、こちらがそうでないのかよくわからないが。宿を後にして、日本で唯一の八角の塔、国宝「八角三重の塔」を見物に出掛けたが、感銘はなかった。お寺は曹洞宗、能登の総持寺とよく似ている。八角の塔と言えばイタリアのデルモンテ城の方が歴史的に面白いが。泊まり先は大正ロマンの宿だが、こたつで食事も懐かしいが、最近の宿スタイルに慣れてきているから一泊限りでよい。昼食は昨年の鰻屋ということで、山越えで岡谷に出たが、降雪が激しいところがあり、スリップで右往左往の車があった。冬の故郷でよく見かけた都会の車のトラブルだ。

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上田から別所温泉は蕎麦屋2軒

2012年12月08日 20時43分07秒 | Weblog

金沢の仲間と約束の上田駅前で落ち合った。車に拾ってもらって事前に調べたお蕎麦屋さんで治療中禁酒にかかわらず、お銚子一本と蕎麦と天然きのこおろしの昼食をとった。蕎麦はそばの実を発芽させた手打ちだが、東京の有名どころの蕎麦並みの味と料金。5軒を調べてあったが、粉雪が霧のように舞い散り、先行き天候の不安があったので宿泊地の蕎麦屋であと一軒挑戦をすることにした。途中、生島足島神社に立ち寄って今後の生活の安穏を祈願した。別所温泉では先のお店の支店はあるが、昔からあるお蕎麦屋さんへ行った。ひなびたところにあり、家庭蕎麦の延長といったところで、温泉宿にチェックインする前に小腹がすいていたら寄るには丁度いいかもしれない。料金は東京のその辺のお蕎麦屋さんといったところだが、悪くはない。画像は上田のお蕎麦屋さんのあった柳通りの風景。元土蔵が見受けられる。

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今年の想い出(1)胡人駱駝騎乗

2012年12月04日 23時55分24秒 | Weblog

 胡人、時代的にはソグド人と思われるが、このソグド人と言えば、歴史上有名なのは、楊貴妃にまつわる安氏の乱の安禄山。写真禁止を知らずに入った小さな部屋にこの小さな唐三彩が思わず、窓明かりで撮影。バックを帰宅して黒にしたら色が浮かび上がった。遠く古代唐帝国のロマン、シルクロ-ドへの想いが出てくるが、実際には過酷なシルクロ-ドを往来した商人たちは、敵ともならない国々の兵や山賊に負けない屈強な武装集団でもある。いつの世界も現実は厳しいものだ。

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12月1日は遠目で

2012年12月02日 14時05分02秒 | Weblog

解体中の赤坂プリンスホテルを見た。曇天から小雨の中、指示先不明のUタ-ン就職説明会で、説明要員で永田町に向かう途中だった。このホテルができた時は、サラリ-マンとしてはのどかな時代で、出社したら喫茶店での朝のコ-ヒ-打合せから始まることが殆どだった。上司から喫茶店でなく、わざわざ丸の内から紀尾井町までやって来て、コ-ヒ-を飲んだ。それがこのホテル利用の初めと記憶している。宿泊はないものの、高校同期会の会場や飲み食いで利用させていただいたが、全国にまたがっていたこのホテルの系列での宿泊は好みではない。新入社員のころ、旧館元旧李王邸にあるナポレオンを粋がって、大学の先輩と利用したことも懐かしい想い出だ。5,6年前ぐらいに、近所にあるホテルの社員が同ホテルの施設案内でエレベ-タ-待ちをしていて、ホテルから見える李王邸について、「あれは何かと」尋ねられて「何でしょう?」などと会話が行き詰っているところに、はずみで出しゃばってちょっと説明をして、気まずい雰囲気を作ってしまったことも。今年は先週半ばに目眩もあったりして、赤坂プリンスホテルのように、病も含めて、解体・再建の解体だった年のような気がする。

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