そろそろ携帯もスマホと思っている。薄い富士通ARROWSがよいと思っている。昨日はまもなく使わなくなる携帯で浅草からスカイツリ-の画像を撮った。昨日の炎天下、新橋から、浅草ビュ-ホテルまで、荷物をもって出かけた。タクシ-と思ったが電車でと思い直し、JRと秋葉原乗り換えでつくばエクスプレスを利用でよかった。つくばエクスプレスの秋葉原駅構内は冷房が効いていて助かった。ホテルも改装前以来の訪問、大体浅草はどじょうとか食べ物以外には用がない。写真を撮っていると、自転車に乗ったおばさんが、わざわざ停まって、ここが一番ツリ-全体の写真がいいよといわれた。しかし、どこで撮影したかわからぬ構図なので、少し動いて、近くの新仲見世の入口に向かうところから撮影した。周囲の看板もよく見ると楽しい。ホテルの商談会も終わり、中国へアルバイト添乗するという仲間のところへ出かけた。英語は堪能だが、それ以外高齢のとりえのない添乗員は世間は必要としないから止めろといいながら、夜遅くまでワインを過飲してしまった。今朝は体が重い。ひと眠りしよう。
日本のスポ-ツHPもアメリカのものもこの程度の記事だった。戦力外の松井報道はもうニュ-スにもならない。激しいブ-イングのトロピカ-ナ球場のシ-ンは見ていてもフアンとしては辛いものがあった。芯をやや外した壁塀際手前の落下のフライ球は、若い頃なら壁に当たるか、中に入っていたろうと思う。素人ながら、ヤンキ-スの不調な頃はコンパクトに打って、不調を脱していたとの記憶がある。芯を食って、ホ-ムランもあったように思う。たらればはもうお終いだから書くのはやめよう。運よくどこかの球団で拾ってもらって、打ったとしても続かないだろう。TV解説者の村上がヤンキ-スとマリナ-ズ戦でヤンキ-スのアンドリュ-・ジョ-ンズ評して、終りというからには松井も終わりだろう。野球小僧は引き取り手がいなくなった時に初めて引退だ。子供の頃から人生そのものの野球とはそう簡単に離れられないだろう。終りの初めはエンジェルス移籍でなく、アスレテックス移籍からと思う。セコハン選手買付再生球団移籍は野球選手が終わりを意味した。この球団もサンノゼ球場移動で方針を変えて若手中心にになったようだ。
イチローはヤンキースへ。今日のヤンキース対マリナーズ戦からヤンキースで登場だろう。テレビが見られないから録画で外出した。故障中の足の早いガードナーの後釜だから7~9番あたりと思う。同じ年齢のリードオフマンのジータの衰えが目立つが、イチローも同じで、1番は無理。今年限りの契約と思う。福留もヤンキースと契約だが、五十嵐も同じ。黒田はエースだから、メジャ-契約2人目。マリナーズから移籍した選手が他球団で活躍が目立つ傾向がある。マネジメントに問題があると思う。特に年度、優勝に絡まないとお宝選手を放出する。金かけず、万年どん尻では、地元フアンもいきあがらない。球団オーナーは任天堂。(以降帰宅直後)打って走ったらしい。春先に松井も声が上がった外野は、元マリナ-ズ→フィリ-ズのインバネス、前アトランタのジョ-ンズのイチロ-と同じロ-トルがいるから、レギュラ-ではないと思う。
全英オ-プンはどんな時でも、最終戦はこの20年近くTV観戦は外したことがない。画像は最後にずっこけて18番ホ-ルに座り込むアダム・スコット。テレビ放送会社は石川遼からタイガ-・ウッズに中心を変えていくが、この姿勢は最後まで変わらなかった。最終バック9ではア-ニ-・エルスが上がってきているのに、まだタイガ-の映像が流れる。試合の主役はずっとダントツのトップに立っていたアダム・スットのはずだ。タイガ-はクラブを構える以前から映像、その他はクラブを持ってからか、結果が出てからで、長いコマ-シャルを含めて、よい実況放送とは言えない。その昔、ストロ-ハットを脱いで、ブロンドを靡かせて18番ホ-ル、優勝に向かうグレッグ・ノ-マン以来の豪州勢iの優勝かと思ったが残念な結果に終わった。人柄の良いエルスが勝ったのは、フアンとしては文句のないところだが、メジャ-に勝たせたいとスコット優勝に応援していたから、どこか拍子抜けしてしまった。
昨晩、東京都交響楽団定期演奏会がサントリ-ホ-ルであった。オペラのおばさんから前から誘われていて、その先輩とともに3人で隣のホテルで食事をしてからコンサ-トに出かけた。懐が寂しき者にはチケットと食事代のお札がひらひらと飛んでいく。先週新宿のチェ-ンホテルに所用があり、ロビ-はアジア系の人々で喧噪だったが、ここはさすがに少ない。指揮者が突然病で代わった。先の2曲はホテルのビ-ルが効いて半分眠っていた。予想に反して音もよく、ライブを堪能できた。内容は以下のとおおり。
曲目
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- ベートーヴェン:「エグモント」序曲
- ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死
- チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」
- 指揮
- 小泉和裕
昼は駅前クリニックの先生に治療措置依頼の病院依頼をした。措置の方法によって、病院を決めるとのことだったが、世話になっている病院の内科の先生の紹介で同じ病院の泌尿器科にした。頭から呼吸器、胃腸まですべてのデ-タが残っているこの病院の方が何かの時には有利と考えた結果だ。駅前の先生は前大学病院の部長で、調べればこの道の権威だったので、心配だったが快く受けてくれた。いずれにしても面談した2人は手術はせず、放射線治療とのことだった。 治療の病院では、大腸ガンなど切除の手術は有名で圧倒的経験があるが、前立腺は少ないようだ。放射線再発率は切除以下とネットで見た。医療の進歩とデータがきっちり取れるようになったからと思う。病院の医師の話しでは、このPSAレベルでは生体検査は早いようで、特に検査した病院での前立腺への生体検査針が多かったのが批判的だった。生体検査を決めたのは自分だからやむ得ない。本来ならもう少し月日が経ってからPSAの値が上がってからでも良かったようだ。
PSAの値が徐々に上がって、年明けから気になったので生体検査をしたら、初期がんの結果が出た。切除か放射線を体に取り込む手術か、医者に返事をしなければならなく、ここ暫く悩みそうだ。同じ病の経験の先輩がいるので、週明けに相談をすることにした。ご丁寧に帰宅したら、関係の冊子が送られてきていた。御礼をここで申し上げとおきたい。放射線と言えば、今日夕方は永田町へ行った。かってしったる永田町、日比谷高校側から上がったが、早くも私服と機動隊車両が路上に溢れ、官邸、議事堂などの丘の上は道路が分断され、行き止まり作られていて、人の波が繋がらない。これでは気勢があがらないのも甚だしい。夜のとばりがおりてから、仕事帰りの人々が集まり始めた。丘の麓は短時間参加で丘から降りて来る人々と通行止めない地下鉄出口から上がった人々が合流し、凄い熱気と人の波だった。ヘルメットかぶっている輩がいる訳でなし、官憲に分断されて怨みは必ず爆発すると思っていたら、経産省前では、福島県の女性のがー役人の皆さんは福島で勤務してみなさいとか.......と声高に叫ぶ。財務省へも、人波が。規制という弾圧はまちがいなく、16日の代々木公園集会には多くの人々を集めさせるだろう。当日は先輩とガンの相談で、代々木には行けない。
知事庁舎を後ろから見ていたので、全く気がつかず、立派なお屋敷は誰のものと思っていたら、県知事の宿舎だった。墓掃除で家人と歩いていて、恥をかいてしまった。金沢ではまだ紫陽花が盛んだった。前日の卯辰山の墓苑に行ったときは、うっそうと生い茂った木々や草木群は墓地に至る道を暗くしていた。梅雨の真ん中というところか。知事のお屋敷を見ながら、柿の木畠に出た。以前に買い物した店に行ってみたいと家人がいうので、辰巳用水が入口の柿の木畑へ。そのあと姉の招待で金沢近郊の犀川温泉♨滝亭へ。部屋の露天はやめて本浴場の露天へ。温泉は北海道以来。
金沢到着の昨日、雨のなか家人と地元友人とよく行く店に出掛けた。梅貝、しゃこ、赤いかなどの食し始めても、画像のちび鮎も旨くなかった。店が混んでいて下手な料理人が担当しているのかもしれない。亭主はニコニコしていたが。雨中満員で機嫌がいいのだろうが、こちらはよくなかった。今日の法事の食事も昨日に続いてダメだった。東京のホテルの和食と変わらない。日本海に面した町とかけ離れたものだった。
歯痛がするので半年ぶりに歯医者に。知覚障害でケリ。歯医者へは歯周病予防で昨年は毎月通った。歯磨きの免許皆伝をもらったが、加齢までは医者の手にかかる範囲ではない。歯が黄ばんでいると言われ、ブラシングしてもらった。白と言えば、今週の日曜日、NHKで大英博物館のギリシャ彫刻の放送があった。パルテノンはかっては彩があったと、想像画像も見たことがあったが、彫像までとは知らなかった。今の科学で色素を測定すると彫刻も画像のようになるから驚きだ。ロ-マ時代の彫刻もそうなんだろうと思うが、果たしてどうだろう。アテネには2度行ったが、パルテンノンには早起きして、Hotel Grande Bretagneから朝日を浴びて、アクロポリスを上ったことがある。人も少なく感動の一瞬は記憶にあるが、もはやどうやっていたものやら、途中の記憶がさっぱり出てこない。当時のフレンチポップ、Mireille MathieuのAkropolis Adieuは記憶がある。