夕刊「赤川のオペラ」コラムを読んではいつも安心をしている。今日はBergonziとStellaの昔日の日本オペラ公演が記載されていた。好きなCorelliなどの有名歌手のCDに隠れて、彼らのオペラCDがいつの間にかある程度たまってしまう。これは端正な歌い方には、ついやはり興味がいくということだろうか。画像はメトの指揮者Levineの25周年記念ガラのもの。10年以上昔で70歳のころのもの。幕間で歌ったは「ルイザミラ-~穏やかな夜には」だが、得意のレパ-トリ-ということもあってか拍手の嵐だった。このガラの映像は6時間以上のもので、もう3回以上は見ただろうか。華やかなガラで、これ以上のガラものは見ていない。物故したKlausも出ていたが、やんやの喝采は、ファンは本物を知っているということなんだろう。
立ち上がる核の狼煙に、米兵士は前に向かって進むおぞましい映像は過去何回か見てきたが、今回のカラーは初めてだ。昨晩はフルシチョフがアメリカに核攻撃を仕掛ける話ながら、途中東北地震でニュースに代わってしまった。いつの日かの再放送が楽しみになった。時間経過とともに、外交機密文書が公開され、加賀生まれも長生きした成果が、歴史のお楽しみとなっている。特に旧東欧の文書ものが赤裸々で内幕暴露に近いから面白い。張作霖爆殺や事変がスタ-リンの指示とか出てくるから興味が尽きない。三百年ほど経てば、事実が確定することもあるから、後世に任せるしかないだろう。核の愚かさを訴えた、原爆や水爆の父、オッペンハイマ-やサハロフが政府の圧力にも負けずに戦ったことをここで称えたい。8月頃になると気持ちが重くなる番組が多くなるが、思い込みなしでのものでお願いしたい。
全盛期、荒野のガンマン風だったGreg Normanが連続2日間も頭で、今日は最終戦。勝てば韓国の英雄となる崔がそれを追っかけ、前年優勝の粘りのHarringtonも加わっているが、誰が勝つのだろうか。調子がよけりゃ、Lehmanおっさんあたりもチャンスがある。そうなればレトロというかレガシ-というか、懐かしメンバ-の揃い踏み。Normanの嫁さんがChris Evertで画面に現れた。なんでも彼女は6月に再々婚らしい。紐みたいな前夫Lloydを早々と捨てたのを記憶してるが。Jimmy Connorsと婚約破棄とかでICE DOLLといわれた顔色変えぬ両手うちプレ-とは随分イメ-ジを損なったのを記憶している。ライバルのレスビアンNavratilovaは逆に男っぽくて、ジャンル問わず、どこの世界も面白いものだ。ゴルフは全米健闘のMediateにも頑張ってもらって、80,90年代のセコハン選手大会を盛り上げてもらおう。そうなればボケた記憶も甦り、観戦のお楽しみが倍増になる。80年代の頃Normanはマクドナルドのロゴシャツを着て不幸な子供達を招待して、せっせと寄付に励んでいたのを記憶しており、彼には好印象。そういえばPalmerが元大統領のBush、Normanが前大統領のClintonのゴルフコ-チだったはずだから、凄いもんだ。鮫マ-クのゴルフウエアをアメリカで好んで買った時代もある。フロリダでは傘マ-クも。今夜も眠れそうにない
大野の七間町の商家よりこの味噌屋の方が趣がある。尾張町の端、近江町市場の入口前にある。最近まで、頑張っていた古い商家といえば老舗中屋だったが、移築で元の場所にはない。金沢滞在最終日だったが、福井の盆地まで出かけたのは何はともあれ、収穫だった。金沢の街並みがどこか最近改築した高値売りの温泉旅館風になっていくというか、映画のスタジオ風。いずれ、やりすぎに禍根を残すことになるだろう。それとやたら、石像と石碑の乱立も。
光景が鮮やかに、少年時代の記憶を甦らせてくれた。常盤橋に至る川沿いの道の家並みは昔との時間のつながりを持たせてくれた。常盤橋の袂の小さな森の中に「ごり」料理のごりやがある。元気なら管理人と同じ世代の方がオ-ナ-のはずだ。明治生まれの親父は元気な頃よく出入りしていたのを覚えている。ごりが好みでもなく、ただの酒飲みで、今の時代のように他に店があまりなかっただろう。ごりは美味しいと思ったことはないが。写真はごりやの裏の高台から撮影。上薬がきいた瓦屋根が見える。実は、この撮影場所の上に、中学生時代にお世話になった恩師の家が・・・・・結婚式以来お会いせずに写真だけを撮って帰る管理人の非情さを自ら悲嘆し、先生が健在なうちに、来月旧盆の同窓会には手土産もって伺うことを心に誓った。
東の茶屋街から出てきて、浅野川大橋の上を徘徊している。出発まで時間があるので、大橋の袂に来た。このあたりは地形環境から橋場町という。主計町の入口に「乃木将軍と辻占い少年の由縁」石碑が新しく建っていた。乃木神社に行けば像がある。上流に向かいながら写真を撮ることにしてまずは撮影。写真手前の橋は、近年再建した「梅橋」。その先に小さく半円形で見えるのが天神橋。天神橋途中には泉鏡花の滝の白糸の像も。北島三郎の加賀の女の二曲目に歌われている。川縁はすっかり様変わりで、コンクリ-トのマンションが林立する。東の茶屋街はまだ瓦の屋根が残っている。炎天、先を急いで天神橋へ。
子供の頃、梅雨時期の渇水の際は加賀平野のお百姓さんは相当水で難渋していたのを地元新聞でよく見ていた。管理人が東京で社会人になった頃にこのダムは出来たらしい。石をを積み上げたダムは否応なく目に焼きつく。写真では迫力に欠くが実物は見てのお楽しみ。帰り道に撮影。帰り道、地元民愛用の銭湯タイプの源泉掛け流し温泉を楽しみにしていたが、遅くなってお百姓さんで混みあってて、敬遠。残念。温泉は鶴来にあるが、温泉のメッカだからここは名を伏せておこう。
周囲の山々からの水が集まる大野まで来ると、水が豊かできれいだ。何もない水辺に沿って健脚を試してみたくなる。町に入っても、城下町の雰囲気が薄い。たどり着いたのが、ようやく街並み保存か、かろうじて城下町をしのばせる町人街、七間町がある。朝市が有名らしいが、着いた頃は午後。残った僅かな観光資源、まばらな古い民家を現代人好み風に補強して通りをオ-プンモ-ルにして残している。商家風の町の観光協会に入って少し物をお尋ねしたが、そのぞんざいな言葉は僅かに残っている家々に申し訳が立たない。大野、勝山へ出てきたが、吉村昭の小説天狗争乱に記されている水戸天狗党の終焉の地の足跡が何もないのが残念。利家公と越前攻めの金森氏が開いた大野もまたコンクリ-トの城が。わが、加賀の国では城跡と城門しかないが・・・・・・・・。母親から、天狗争乱の話は聴かされており、幼子心でおぼろげに記憶があったが。幕末当時はの加賀藩では一大事であったろうから母親の代まで話が伝わったろうに。、400名近くが加賀藩お預かりで斬首などされているのに、何もないとは。
石川県と県境の恐竜化石の宝庫の町だ。山麓を抜け盆地になると、そこが勝山の町だ。大野の町に向かう途中、信仰に厚き人が建立した有名な越前大仏のお寺が見えてくるが、隣の勝山城もすぐに視界に入ってくる。写真の通りのコンクリ-トで固まったお城で、中は武具などの博物館となっているようだ。お城の周囲は田圃であまりにも殺風景なので、田圃ナシをアップ。いずれも見学は勘弁してもらって一路勝山へ。
元金沢人は栃餅は食べたことがない。餡子が中にあるものと外にあるものがあっが、一折に計5つだからお店の姉さんの愛嬌で6つにした。馬鹿はバラバラ買いで4つで折り合いをつけるが、賢人のわれらは蕎麦で腹ポンなのに食べることもできないのに、なんと・・・・。白山神社の和田屋の鮎なら、多分それぐらいの数は食べられる。そういえば、12日の夜の魚はちび鮎だけはいけた。
夜の照明がなかったり、あっても弱い時代は夜のキリコの灯りが幻想的に街を浮かびあがらせる・・・・・・幼少の記憶ではそうだ。携帯を機種変更で買いなおして、高校時代の仲間と白山で蕎麦を喰らい、鶴来から白峰と白山山麓を抜けて、山づたいに福井県の盆地の町、大野、勝山に行くことにした。能登は記憶している時代と比較して一変しているからやめた。白山神社に参拝して、評判の蕎麦屋へ。三種盛りのセットを食べたら、さすがの大食いの管理人もお腹が張って暫く身動きができなかった。蕎麦屋は写真の草庵だが、ネットも騒いでるが、わざわざ車を飛ばすことがあろうか。途中だから立ち寄った。
口うるさいというか、ただ喋りまくり妹の車同伴避けて単独行動をして、最初は父母の寺へ。人生の行きがかり上、この寺には、守る墓は4基となったが、線香に花とキリコ添え点火迄時間がかかる。姉夫婦が来て手間どってるのと遭遇。坊さん呼出し、お経と本堂で参ると一時間はすぐに。仏教王国に生まれし管理人は親戚寺も墓参で本日の寺数は七つは…まだまだ健脚で回れますが、いずれ半日タクシー借上げになるかも。とはいえ、空梅雨の炎天下を卯辰山を除いて、歩けるところは全て歩いた。最初は上着を着ていたが、昼食を挟み9時から3時までびっしり市内散策。さすが荷物となる墓参りの必要なものは、お寺で調達し、墓前で汗を流してお経を読み上げる坊さんとのつきあいもあるから、日焼けは夏ゴルフ並になった。悲劇は3時以降に起きた。夕方姉にご馳走になるので、デパ-トでズボンを新調して携帯がないことを発見。さて、2時間、寺やバス会社にかけあい探すがない・・・・・・。バス会社の電話も発車場の女性も親切この上ない。不在承知でホテルに来て、置手紙まで戴いた。感謝。昨日の別院前の家の前の魚、何だろう。
前日の深夜酒で旅仕度は深夜に。朝は目覚めが4時半だから睡眠2時半ということになる。ふらふらして、駅前発羽田行のバスに乗る。仲間から頼まれた空港発売の千疋屋のマンゴープリンは探して、ようやく入手。小松空港にはマンゴ-プリン目当ての親父が空港に出迎えに来ていた。今宵の二次会バ-の彼女のご機嫌取りと親父の姉妹の分でもあるらしい。すんなり定宿のホテルに。過分なお部屋を提供していただき、これで毎朝ゆったりとトレ-ニングができそう。眠れそうもないし、墓参りは翌日としても、掃除だけは思って寺に行ったが、キリコがもう下がっていて、無理だったからチョコチョコとやった。昨年もビッチリやっているから問題はない。写真は寺の近所の大谷様別院前の法衣店。さて、法衣とはなかなか難しい世界のようだ。さて、夜は、仲間と行く夜の料理屋の魚が前日のだるさがあるとは言え、ウ-ンいつもと相当質が落ちている。石油高騰に発して、これから流通や飲食店も大きく変わって、激しい優勝劣敗を想像させる。加賀人は波風を嫌うから、すぐ行かなくなることはないが、この店は、ジリ貧は必至だろう。
サミットで永田町から赤坂見附付近はやたらに警備が厳しい。赤坂プリンスを横目に異様なほど立派になった都道府県会館へ向かった。ふと見附の石垣を見て、足元の石板の碑文に昔の姿の写真があった。角度を変えたりして、携帯電話で撮影を試みていると機動服のお兄さんがうろつく。地下鉄で鞄から紙切れ出して眺めていても、機動服が質問に来ようとする状況だから仕方がない。左は車夫、真中はどこかのお女中で右は帯刀しているから、武士か。ネットでこの写真の出所を探してみたが、見当たらない。今は堀もなくなり昔はこんなものかととりあえず、思っていることに。
2年前の6月30日が最後の喫煙だった。もう、どんな場面でも全く煙草を必要としなくなった。酒場で煙が上がっていても気にならないが、禁煙ゾ-ンで紫煙が上がっていると先に鼻からに来るようになって気がつく。今週初めに虎ノ門周辺を徘徊していたら、Ruth's Chrisの店が出店していた。3年前に香港に出ていたのを見ていたが、ようやく日本に上陸か。その昔、10年以上前にサンフランシスコでステ-キとロブスタ-をナパワインと共に楽しんだ。ワインは一本$300だった。2本、加賀の仲間と現地お友達4人で空けて、ほろ酔いも勘定でしらふになってしまった。ステ-キとロブスタ-はハワイ/マウイのコロニアル風のホテルKapaluaで食したのと双璧の味だった。マウイのホテルもゴルフ場を残して変わってしまった。