晩秋の金沢に向かう途中、親不知の海を眺めて、親と別れた拉致昔を思い出した。金沢で過ごした中・高生の頃、浜辺に脱ぎ捨てられたゴム製の潜水服、靴など、また不審な上陸者の足跡の記事がしばしば、地元紙や中央紙の地元紙面に載っていた。母親からは、夕方海へは行くなと言われたこともある。行方不明者の噂話も耳に入っていた。この時代の日本海側は夜ともなると近隣諸国のAM放送がかしましかった。北京放送、モスクワ放送、大韓放送と暗号読み上げ放送があった。毛沢東の文化革命が開始する前あたりは、毎晩、劉少奇は中国のフルシチョフなどとなじられていたの記憶が鮮明だ。大韓放送の「黄色いシャツ」がブレ-クしていたことも想い出した。一見何もない日本海も、暗号読み上げに見られるように、出入り自由な、海上警備も疎かな海といえる。能登沖で漁船上で拉致された寺越事件が露呈した。第十八富士山丸事件や、その後に判明した拉致者。北方オホ-ツクではソ連による漁船の拿捕・抑留と不穏、この限りでなかった。最近は福建省あたりから珊瑚船が大挙して、領海操業を繰り返したが、有効な手立てを打てないうちに、珊瑚が根こそぎ奪われ、小笠原の海底は荒廃した。海洋国と言いながら、長年与党の歴史を持つ政権の海の警備は粗略そのものといえる。領海もガ-ドできず、海外派兵の考えが出てくる思考そのものに理解ができない。簡単に言えば、外遊で金のバラマキはできるが、平和を希求する外交ができない宰相を抱えているということ。
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