
仲間が多摩エリアに寒空散歩という。祝日の今日は、日本の里山百選に選ばれた小野路は用水路のある家並みの狭い道に人と車が溢れているだろうから、小野路の剣の道場に通った新撰組の土方生家とお墓を思い出して出かけた。その昔、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで、京都で新撰組の足跡を尋ねたことがあるが、それ以来だ。旅は子母澤寛の「新選組始末記」をたよりにするのが一番良かったのだろうけれど、テレビじゃ栗塚旭出演で司馬遼になったが。日野の生家は建て直しだが、資料館は休館、お墓の石田寺は墓地進入禁止だった。紅梅をめでながら多摩川を渡り、高幡不動に遅ればせながら、お参りした。まだ、黒山の人で、護摩を焚いていた。お線香の煙もあがり、まだここはお正月だった。
実際に京都の旧家の人に話を聞くと新撰組は忌み嫌われていたという。武士であるという扱いはとんでもない話でまるでヤクザが夜盗のような存在であったとか。実際に商家には半ば強引に返すつもりのない借金をして回ったという事実もあるようだ。
そんな新撰組がいつのまにか清廉潔白な希望の正義感に溢れた純粋な若い青年の集団であるということになっている?。どうにも解せないのは小生だけであろうか。