山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

下柚木は歴史が刻まれている

2007年12月19日 22時54分05秒 | Weblog
所用で下柚木へ出向いた。1時間半ほど待たされることとなったので永林寺へ見学に出かけた。中を一度も覗いたことがない。その前に、昼飯前だったのでお代は高いが、天然きのこがまだいけるので蕎麦屋、車屋へ行ったが、生憎休みだった。若い頃銀座で働いていたと自慢していた親父の近くのすし屋へ。回転全盛のの時代に1時半過ぎなのに混んでいた。ランチ料金でまずまず。さて、八王子の寺を代表する寺の門は3つもあり、三重の塔や羅漢・大きな仁王さんなどに加え豊川稲荷と写真の素材はあるが、何となくまとまりがない。寺院の奥には柚木氏の館の柚木城址がある。城址に上がると遠くに丘の上にある南大沢の首都圏大学が見える。城址には武相十郡の太守の大石定久公の石像がある。戦国大名の北條氏が関東を収めるまでの武蔵や相模の国などは、京都の歴史を背負う代理戦争やお家騒動の繰り返しで気が遠くなる。定久公は北條氏に家督譲るは戦国大名になれなかったということか。八王子、相模原、町田あたりは武田も上杉も小田原遠征で通過しているなどから、そのあたりを考えて散策するもいいかも。

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1 コメント

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歴史と銅像 (Unknown)
2007-12-26 11:00:32
浪人がきらいなものの一つが銅像である。歴史的に史実・古文書などで証明されているとは言ってもそれが真実かどうかは神のみぞ知るってところ。

ましてや、その人物の具体的な人柄や業績となるとハッキリしないというのが実態だろう。
しかも、歴史上の人物ならまだしも許容しないでもないが、つい昨日まで居た市長の銅像を作るなんて訊くと反吐がでそうになってしまう。

昔、明治に勃発した秩父事件で秩父の村々をフィールド・歩き回っていた頃に、ある指導者の墓をやっと探し当てたら、ひ弱な浪人でも抱えることが出来そうな丸い河原の石だった。

その人物の墓だといわれる石ころに強く歴史を感じたのは、自分がまだ若かったからだろうか。

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