
鑓水は崖に竹先を鋭角にして、崖に刺すと水が採れるところからその名を由来すると聞き及ぶ。多摩丘陵一帯ではよくあったことらしい。鑓水は江戸末期は養蚕の地で、貿易商人用の夷人館もあったらしい。トロイの遺跡発掘で有名なシェリ-マンも貿易商の頃は鑓水に来たらしい。ここから横浜までに至る道を絹の道と最近はいう。絹の道博物館も絹富豪の館跡にできて、往時の歴史遺産を展示する。今日は絹の道頂上は取りやめ。江戸末期の養蚕農家の風情を残す「小泉家」をアップ。江戸末は浪人が溢れて多摩まで押し込み強盗で出没したらしい。往時の自衛で薙刀などが「小泉家」にあった。 出足の戦車道路は日曜か、お犬様街道。箱根うつぎが盛り。アジサイももうすぐ。梅雨の晴れ間は散歩、多少グヅついてもネ。大磯、ウナギ目当て散歩も近々挙行か
昼食は時間節約&お金もかから無いからパンにジュース。ミスドでカプチにドーナツにしようとしたらカプチが299円とは高いので止めてコンビニへ。アンパンにジュースで安上がり。
それを飯能始発の電車の隅のほうに陣取り食べると時間の使い方が効率的。
今の山は湿気が多くて手ごろな食べる場所=ところが少ないし飯能プリンスホテルは美味しくない。
○話しは飛ぶけど、どうもホントらしいねえ~二軒先の子供を殺したのは。
自分の娘も殺したのか、あるいは殺されたと思い込んでいて復讐なのか?~TVで喋っているのを見ても別に精神異常を来たしているようには見えないし・・。
今度の秋田の事件ばかりは驚いた。
丁度、アメリカの1930年代から60年代の状態かねえ?
日本は危険な国だと言うことを自覚する必要があるねえ。
ここには写真は掲載できないのかなあ。
百聞は一見~で写真を載せたいのだけどねえ。
風景なんてなかなか文章で表現は出来ないからね。
たったの2時間ずつとは言えども3日間連続だと少し疲れたのは気のせいか寄る年波のせいか。マア年は争えないから無理はしないことが大事だけど。
今日のトウノス(多峰主)山は飯能駅から徒歩で一時間強で200メートル足らずだがなかなか眺めが良い。
遠くは新宿のビル群から秩父山塊にウンがよければ富士山まで見える。
頂上には宝匡印石柱が安置されている。小学生はお墓があるよ!なんて驚いているが~低い四角い石柱にお花も供えられており全くお墓に間違えても仕方が無い。
お花を供える土地の人がいるのだろうけど~通常は銅筒に収められたお経を安置する宝匡印塔には花は無いのが普通だろう。まあ、どちらでも良いことだが・・。
昔に母親から聞いたのは「鰯の頭も信心から」という話だった。
天気の日の頂上は土地の元気な老人&浪人?達の社交場になっていていつもお喋りとお弁当で賑わっている。
みんな自分の家の裏山だから軽い運動靴でくる。中にはサンダル履きのお爺さんもいる。
当方は電車に乗って登山靴を履いてハイキング気分だけど土地の人々は我々が付近の公園を散歩するみたいなものなんだろう。
考えたら電車の所要時間が3時間、運賃も1200円位かかる。
気軽にハイキングするには飯能に住んでしまったほうが良いのかもしれないが~駅から3分の3DKが家賃6万円だって聞いた。