
サミットで永田町から赤坂見附付近はやたらに警備が厳しい。赤坂プリンスを横目に異様なほど立派になった都道府県会館へ向かった。ふと見附の石垣を見て、足元の石板の碑文に昔の姿の写真があった。角度を変えたりして、携帯電話
で撮影を試みていると機動服のお兄さんがうろつく。地下鉄で鞄から紙切れ出して眺めていても、機動服が質問に来ようとする状況だから仕方がない。左は車夫、真中はどこかのお女中で右は帯刀しているから、武士か。ネットでこの写真の出所を探してみたが、見当たらない。今は堀もなくなり昔はこんなものかととりあえず、思っていることに。

こんな風景の時代なら今騒いでいるような温暖化なんて問題にはならなかっただろう。便利とは地球財産を食いつぶすことと知れリだがもう遅いのかも。
風景が時代とともに激変するのは仕方が無いとして、郵便番号とやらのために昔の町名がなくなるのは本当に腹立たしい。
実家は松戸市だがその土地の呼び名は五香六実だった。
それがいまは五香の何丁目とかになってしまったようでなんとも味気ない。
個人的にはとても好きな住所名なので本当に残念に思っている。
郵便配達の方々には申し訳ないがいまだに町名は使わずに五香六実と書いてささやかな抵抗を試みているが
郵便はいつも無事に着いている。
もっとも最近は用事は電話やメールになってしまっているから、この抵抗運動も年賀状くらいになってしまっているので郵政省もいささかの痛痒も感じていないだろう。