ある日、フィガロ紙に<私>の文章が掲載された。発行部数はおよそ一万部。単純計算したとして一万人の読者がいる。その文面に目を通すとき<私>は著者であるとともに読者でもある。慎重に読み返すべきだろう。もちろんそうする。ところがそれ以前に避けることのできない自明の事情が横たわっている。
「それぞれの読者が目を見開いているとき私の見ているイメージをそのまま見ているわけではないということが信じられず、電話では人の口にしたことばがそのまま電話線を通って伝わると信じている人たちと同じく無邪気に、著者の考えは読者にじかに伝わるものと信じてしまうが、実際には読者の精神のなかに製造されるのはべつの考えなのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.334~335」岩波文庫 二〇一七年)
読者は次のような立場である。
「われわれが自然なり、社会なり、恋愛なり、いや芸術なりをも、このうえなく無私無欲に観賞するときでさえ、あらゆる印象にはふたつの方向が存在し、片方は対象のなかに収められているが、もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.481~482」岩波文庫 二〇一八年)
すると著者でしかなかった孤独な作業のあいだは次々と崩壊していく自信になさとはまた別に、掲載された文章の内容について、読者に依存することができることに気づく。「自分自身を評価するという辛い義務を他人に委ね、自分が成し遂げたものを読みながら、自分が成し遂げなかったものは少なくとも棚上げにできる」。
今思えば著者としては悔やまれる不十分な「イメージや考察や形容詞」であっても、読者はそんなことまるで知らない立場に置かれているがゆえ、かえって「私の目指していたものに比べると不十分だったことが想い出されない」だろうと予想される。<私>は自分の文章の不十分さに「ときに意気消沈すると」、逆に「すっかり感嘆している任意の読者の心のなかへ逃避」する方法に気づいた。そしてこうも考える。
「なに!そんなことに気がつく読者なんているものか。これには足りないものがある、そうかもしれない。だが読者が満足しないのなら、おあいにくさまだ!このようになかなかしゃれた箇所だってずいぶんある、連中がふだん読んでいるもの以上に」。
なんとも気楽な著者だというほかない。ところがプルーストが言いたいのは著者の気楽さではない。「私の書いたものが私自身にのみ差し出されていたときにそこに不信感を汲みとるだけであったのに、このように私を支えてくれる一万人もの賛同を頼りに自分自身への不信を棚上げした私」という時間帯が<あり得る>という言葉の作用についてである。
「ところがいまや私は、読者たらんと努力することで、自分自身を評価するという辛い義務を他人に委ね、自分が成し遂げたものを読みながら、自分が成し遂げなかったものは少なくとも棚上げにできるのだ。私はこれは他人の書いたものだと信じるよう努めながら、その文章を読んだ。すると、ありとあらゆる私のイメージや考察や形容詞は、それ自体として受容され、それが私の目指していたものに比べると不十分だったことが想い出されないからだろう、その輝き、その意外さ、その深みが私を魅了した。ときに意気消沈すると、すっかり感嘆している任意の読者の心のなかへ逃避して、私はこう思った、『なに!そんなことに気がつく読者なんているものか。これには足りないものがある、そうかもしれない。だが読者が満足しないのなら、おあいにくさまだ!このようになかなかしゃれた箇所だってずいぶんある、連中がふだん読んでいるもの以上に』。かくして、私の書いたものが私自身にのみ差し出されていたときにそこに不信感を汲みとるだけであったのに、このように私を支えてくれる一万人もの賛同を頼りに自分自身への不信を棚上げした私は、こうした読んだ自分の文章から、みなぎる力と才能への希望をとり出したのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.338~339」岩波文庫 二〇一七年)
マス-コミはいつも「私を支えてくれる一万人もの賛同を頼りに自分自身への不信を棚上げ」しつつ、それが国家規模でどんな方向へ読者を動員していくことになるか、全体主義がどれほど危険なものか、今なお身に沁みているとは思えないところがある。第一次世界大戦も第二次世界大戦もマス-コミなしにあり得なかったことは世界中の誰もが知っている。十九世紀末から第一次世界大戦にかけての同時代人だったプルーストは、言葉が時として世界を破滅させるに十分な力を持っていることに大変自覚的だといえる。