白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・著者であると同時に読者でもある<私>と世界大戦

2023年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

ある日、フィガロ紙に<私>の文章が掲載された。発行部数はおよそ一万部。単純計算したとして一万人の読者がいる。その文面に目を通すとき<私>は著者であるとともに読者でもある。慎重に読み返すべきだろう。もちろんそうする。ところがそれ以前に避けることのできない自明の事情が横たわっている。

 

「それぞれの読者が目を見開いているとき私の見ているイメージをそのまま見ているわけではないということが信じられず、電話では人の口にしたことばがそのまま電話線を通って伝わると信じている人たちと同じく無邪気に、著者の考えは読者にじかに伝わるものと信じてしまうが、実際には読者の精神のなかに製造されるのはべつの考えなのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.334~335」岩波文庫 二〇一七年)

 

読者は次のような立場である。

 

「われわれが自然なり、社会なり、恋愛なり、いや芸術なりをも、このうえなく無私無欲に観賞するときでさえ、あらゆる印象にはふたつの方向が存在し、片方は対象のなかに収められているが、もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.481~482」岩波文庫 二〇一八年)

 

すると著者でしかなかった孤独な作業のあいだは次々と崩壊していく自信になさとはまた別に、掲載された文章の内容について、読者に依存することができることに気づく。「自分自身を評価するという辛い義務を他人に委ね、自分が成し遂げたものを読みながら、自分が成し遂げなかったものは少なくとも棚上げにできる」。

 

今思えば著者としては悔やまれる不十分な「イメージや考察や形容詞」であっても、読者はそんなことまるで知らない立場に置かれているがゆえ、かえって「私の目指していたものに比べると不十分だったことが想い出されない」だろうと予想される。<私>は自分の文章の不十分さに「ときに意気消沈すると」、逆に「すっかり感嘆している任意の読者の心のなかへ逃避」する方法に気づいた。そしてこうも考える。

 

「なに!そんなことに気がつく読者なんているものか。これには足りないものがある、そうかもしれない。だが読者が満足しないのなら、おあいにくさまだ!このようになかなかしゃれた箇所だってずいぶんある、連中がふだん読んでいるもの以上に」。

 

なんとも気楽な著者だというほかない。ところがプルーストが言いたいのは著者の気楽さではない。「私の書いたものが私自身にのみ差し出されていたときにそこに不信感を汲みとるだけであったのに、このように私を支えてくれる一万人もの賛同を頼りに自分自身への不信を棚上げした私」という時間帯が<あり得る>という言葉の作用についてである。

 

「ところがいまや私は、読者たらんと努力することで、自分自身を評価するという辛い義務を他人に委ね、自分が成し遂げたものを読みながら、自分が成し遂げなかったものは少なくとも棚上げにできるのだ。私はこれは他人の書いたものだと信じるよう努めながら、その文章を読んだ。すると、ありとあらゆる私のイメージや考察や形容詞は、それ自体として受容され、それが私の目指していたものに比べると不十分だったことが想い出されないからだろう、その輝き、その意外さ、その深みが私を魅了した。ときに意気消沈すると、すっかり感嘆している任意の読者の心のなかへ逃避して、私はこう思った、『なに!そんなことに気がつく読者なんているものか。これには足りないものがある、そうかもしれない。だが読者が満足しないのなら、おあいにくさまだ!このようになかなかしゃれた箇所だってずいぶんある、連中がふだん読んでいるもの以上に』。かくして、私の書いたものが私自身にのみ差し出されていたときにそこに不信感を汲みとるだけであったのに、このように私を支えてくれる一万人もの賛同を頼りに自分自身への不信を棚上げした私は、こうした読んだ自分の文章から、みなぎる力と才能への希望をとり出したのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.338~339」岩波文庫 二〇一七年)

 

マス-コミはいつも「私を支えてくれる一万人もの賛同を頼りに自分自身への不信を棚上げ」しつつ、それが国家規模でどんな方向へ読者を動員していくことになるか、全体主義がどれほど危険なものか、今なお身に沁みているとは思えないところがある。第一次世界大戦も第二次世界大戦もマス-コミなしにあり得なかったことは世界中の誰もが知っている。十九世紀末から第一次世界大戦にかけての同時代人だったプルーストは、言葉が時として世界を破滅させるに十分な力を持っていることに大変自覚的だといえる。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ36

2023年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年六月二十日(火)。

 

遅めの朝食(午前八時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

遅めの昼食(午後二時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

遅めの夕食(午後八時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

昼寝の定位置はほぼ決まってきた。窓辺かテーブルの椅子。夏日がつづくので日中はテーブルの下や椅子かと思えばそうでもなく日の当たる窓辺ですやすや寝ていたりする。逆に朝晩の比較的涼しい時間帯に窓辺だったりもする。

 

そういえば十三日(火)のワクチン接種と重なる時期、血尿が出ているように見えていた。頻尿とまではいかないけれども続くので十七日(土)の夜から抗生剤(アモキクリア)と止血剤(アドナ)とを処方してもらい朝夕投与。すると昨日の夜くらいからやや黄色味を帯びた尿に変わり、今朝からはほぼふつうの尿に戻ったようだ。初代タマの時も子猫の時に血尿を出したことがあったのだが、三、四日の投与で治った記録がある。

 

食欲はいたって順調。

 

But were that hope of pride and power

Now offer’d,with the pain

Even then I felt―that brightest hour

I would not live again,

 

「だが、たとえ今あの誇りと力への希望が、

《あの頃》でさえ感じられた苦しみもそのままに

与えられるとしたところで、その輝かしい時も

私はふたたび生きてみたいとは思うまい」(ポオ「もっとも幸せな日、もっとも幸せな時に」『詩と詩論・P.43』創元推理文庫 一九七九年)


Blog21・謎のブロンド娘=「デポルシュヴィル嬢」

2023年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

三人の女性のうち一人の髪の色はブロンド。なぜか気になった<私>は門衛に訊ねてみた。門衛が教えてのは三人のうち誰かはわからないが、そのうちの一人の名前の綴りである。「デポルシュヴィル嬢Mlle Deporcheville」。<私は>それを「難なくd’Eporchevilleと訂正することができた」。

 

とすれば「それは、私の記憶するかぎり、ゲルマント家とも遠縁にあたる名家の令嬢で、ロベールが売春宿で出会って関係を持ったと話してくれた娘の名前もほぼそんな名前だった」と、またしても欲望は記号論的コノテーションを開始する。プルーストの狙いもそこにある。

 

「とはいえブロンド娘は、それ以上私に構うことはせずふたたび友人の娘たちと話しはじめたので、私の熱もついには冷めてしまうところだったが、じつはつぎの事実によって何倍にも燃えあがったのである。私が門衛にあの娘たちは何者かと訊ねたところ、『公爵夫人さまを訪ねてみえたんです』と答えた、『公爵夫人さまをご存じなのはおひとりだけで、あとのふたりは扉までつき添ってこられただけのようです。これがそのお名前です、こう書くのが正しいかどうかわかりませんが』。そこには、デポルシュヴィル嬢Mlle Deporchevilleと書いてあったが、私はそれを難なくd’Eporchevilleと訂正することができた。それは、私の記憶するかぎり、ゲルマント家とも遠縁にあたる名家の令嬢で、ロベールが売春宿で出会って関係を持ったと話してくれた娘の名前もほぼそんな名前だった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.321~322」岩波文庫 二〇一七年)

 

プルーストが読者の注意を向けようとするのは「なぜかわからないまま人がある顔に貼りついていた名前や情報が、一時的にその顔を離れ、いくつもの顔のあいだを漂い、べつの顔にくっついたりする」という事情である。シニフィアン(名前・意味するもの)はいつもそのシニフィエ(身体・意味内容)と絶対的接続状態にあるとはまるで限らない。シニフィアン(名前・意味するもの)は逆にいつでもシニフィエ(身体・意味内容)と切り離されている。ゆえに両者は必然的繋がりを持たない。

 

従って次の文章にあるように、<私>が最初に見立てた「デポルシュヴィル嬢=ブロンド娘」という見当はまったくの丸はずれということも十分あり得る。

 

「私は、デポルシュヴィル嬢のことを考えながら、なぜかわからないまま人がある顔に貼りついていた名前や情報が、一時的にその顔を離れ、いくつもの顔のあいだを漂い、べつの顔にくっついたりすると、もともと名前や情報を数えられていた最初の顔は、また元の未知の、無邪気な、捉えどころのない顔になりかねない、そんな待機の瞬間に自分がいる気がして、もしかすると門衛がデポルシュヴィル嬢はむしろ褐色の髪のふたりのうちのひとりだと教えるかもしれないと、とりわけそんなことを考えていた。そういう事態になれば、私がその存在を信じ、すでに恋焦がれ、もう自分のものにすることしか考えていない娘は消え失せてしまう。デポルシュヴィル嬢というその陰険なブロンド娘は、そんな致命的返答によって、異なるふたつの要素に分離されるほかないのだ」プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.324~325」岩波文庫 二〇一七年)

 

プルーストは小説家がしばしば用いる創作方法を例にあげる。

 

「小説家が現実から借りたさまざまな要素をすべて融合してひとりの架空の人物をつくりあげるように、私は異なるふたつの要素を恣意的に合体させたのだから、べつべつに採りあげればーーー名前はまさざしの意図を裏づけるわけではないからーーーふたつの要素はすっかり意味を失ってしまう」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.325」岩波文庫 二〇一七年)

 

重要なのは「異なるふたつの要素を恣意的に合体させ」ることができるし、「べつべつに採りあげればーーーふたつの要素はすっかり意味を失ってしまう」ということである。実際のデポルシュヴィル嬢がどんな人物か、本当にいるにしても<私>が考えたのとは別人なのか、というようなことには関係なく話ばかりがどんどん広がっていく言語の作用についてである。

 

居ても立っても居られない<私>がサン=ルーに問い合わせたところ、サン=ルーからの返事の手紙にあったのはこうだ。

 

「ド・ロルジュヴィルDe l’Orgevilleという名で、ドは小辞のde、オルジュはイネ科のオオムギのorge、ヴィルは町のvilleと書く。小柄、髪は褐色、ずんぐりタイプ。目下スイスに滞在中」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.329」岩波文庫 二〇一七年)

 

まるで関係のない別人だった。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて455

2023年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

昨日のように午前五時のキッチンに母はいません。すでに書いた通り六月十四日午後、大津日赤に緊急入院しました。

 

したがって朝のリハビリはまた姿を変えます。当面のあいだ本を開いて、いつ飛び込んでくるかわからない母からか病院からの連絡を待ちつつ、さらに妻の病状に目を配りつつ(特に睡眠が十分に取れているか)、二代目タマの世話をして時間を過ごすことになります。

 

ここまでは昨日とほぼ同じです。

 

昨日の正午頃、思わぬことに自分がコロナワクチン接種後の発熱。37度後半まで上がったがバファリンで解熱。

 

午後十時には就寝。しかし午前一時になぜか目が醒める。眠剤を追加して眠くなるまで待つあいだ、なんだかうろすろと起きてきたタマと遊んでやる。このところのタマはもう少し水分摂取が必要だと思っていたのでなるべく走らせる。すると走り疲れたところで水を飲みはじめた。

 

午後は母と面会可能なため病院へ行く予定。昨日あった胆管手術後の容態をよく見ておかないといけない。今日一日の過ごし方をあらかじめ整理しておく。

 

参考になれば幸いです。