アンドレの話を聞きに部屋へ急いでいると別の部屋から人間の声が聞こえてきた。ほかに来客があるらしい。一方がもう一方に話しかけている様子から、その客間にいるのは二人だろうと思われる。ドアを開けるとシャルリュスがモレルに向けて愛の詩句を連発しているところだった。
「それで私は自分の小さな客間を通ってアンドレに会いに行こうとしたとき、べつの声が聞こえてきて、私を訪ねてきた人がもうひとりいることに気づいた。私の部屋にいるアンドレに早く会いたいと気が急(せ)いだが、べつの部屋へ通された人物はもちろんアンドレの知り合いではないもののだれなのか判然とせず、私はいっとき小さな客間のドアのところで聞き耳を立てた。というのも私を訪ねてきた人の声がして、その人はひとりではなく、だれか女に話しかけていたからである。その人は『ああ!あが愛しい人、わが心のうちの人!』と、アルマン・シルヴェストルの詩句を引用して女に口ずさんでいた。『そう、きみはいつまでもわが愛しい人だ、わしにどんなことをしでかそうとも。
死んだ者たちは大地に抱(いだ)かれ安らかに眠る。
われらの消えし想いもかく眠らねばならぬ。
心のなかの形見にも塵(ちり)はつもり、
かく聖なる遺骸には手を触れるまじ。
いささか古くさいが、なんともみごとだ。それからこんなのもある、きみに会った最初の日からこう言うこともできただろう、
美しく愛しい子よ、きみは泣かせるだろう、
なに、これを知らない?
このすべての腕白小僧たちを、未来の男たちを、
すでにきみの澄んだ目の甘えるような睫毛に
その若々しい夢を委ねている男たちを。
ああ!わしもいっときはこう考えてもいいと思っていたんだ、
あの人がはじめてここへやって来た夜
わたしは誇りなど気にかけなかった。
わたしはあの人に言った、<愛してほしいの
できるかぎり長く>。
わたしはあの人の腕のなかでしか眠れなかったの』
この洪水のごとき大量の詩がどんな女に向けられたものか、たとえアンドレのもとへ飛んでゆくのがいっとき遅れるとしても、私はそれが知りたくてドアを開けた。詩を朗唱していたのはシャルリュス氏、その相手は軍人で、私にはすぐにそれがモレルだとわかった。モレルは十三日間の軍事訓練に出かけるところだった。モレルはもはやシャルリュス氏とはうまくいっていなかったが、ときどき氏に会って、なにか頼みごとをしていた。シャルリュス氏は、ふだんは恋愛にもっと男性的な形をまとわせるのだが、このように自分の恋心のやるせなさをさらけ出すこともあった。そもそも氏は少年のころ、詩人の詩句を理解し実感するには、その詩句が美しく不実な女に語りかけたものではなく、若い男に語りかけたものだと想定せざるをえなかったのである。私はできるだけ早くふたりに暇乞(いとまご)いをしたが、にもかかわらず私は、シャルリュス氏にとってモレルと連れだってさまざまな人を訪ねるのは、しばし再婚した錯覚を与えてくれる途方もなく大きな喜びなのだと感じた。おまけに氏は、心のなかで、王妃たちのスノビズムに召使いたちのスノビズムを合体させていたのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.397~400」岩波文庫 二〇一七年)
シャルリュスとモレルとの仲は以前ほどうまくいっていない。ところがモレルは「ときどき氏に会って、なにか頼みごとをしていた」。モレルには以前「コンセルヴァトワールのコンクールのヴァイオリン部門の審査委員長になる」という途方もない野心があったが、それが今はどんなふうに形を変えているかはわからないしどうでもいい。ともかくシャルリュスの華麗広範な人脈に今なお依存してなにやかやと融通してもらっているのだろう。
面倒に思える詩句の引用だがすべて引いたのにはわけがある。第一のアルマン・シルヴェストルの詩句、第二のミュッセの詩句、第三のシュリ・プリュドムの詩句はいずれも男から女へ向けた愛の言葉。ところが第四のシャルル・クロのものは女が男に向けた愛の言葉。いかにもシャルリュス的なわかりやすさが印象的な場面だが重要なのはそういうことではなく、おそらく第四の詩句を朗唱している時のシャルリュスは次のようでなければならないからである。
(1)「氏の声そのものが、このような微妙な考えを表明するときには高音となり、中音域を充分に鍛えていないために青年と女が交互に歌う二重唱のように聞こえるコントラルトの声に似て、許嫁(いいなづけ)の娘たちや修道女たちの合唱隊を内にふくむ意外なやさしさを帯びるがゆえの愛情がにじみ出るように思われた。とはいえ自分の声のなかにこんなふうに若い娘の一団を宿していると聞こえることは、あらゆる女性化に怖じけづくシャルリュス氏にとっては、どんなに遺憾なことだったであろう。しかもこの娘たちの一団は、感情にまつわる曲目を演奏したり転調したりするときにあらわれるだけではない。シャルリュス氏が話しているあいだ頻繁に聞こえてくるのは、寄宿舎の女生徒やコケットな娘の一団の甲高(かんだか)く無邪気な笑いで、それが悪意にみちた歯に衣(きぬ)着せぬ抜け目のないもの言いによって、そばにいる氏の声を調整してしまうのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.271」岩波文庫 二〇一二年)
(2)「それは氏独特の笑いであった。それはおそらくバイエルンなりロレーヌなりの祖母から受け継いだ笑いで、その祖母も同じ祖先の女性から受け継いでいたので、ヨーロッパのあちこちの古い小宮廷では何世紀にもわたり変わらぬ笑い声が同じように響いて、人びとはその声の貴重な特徴を、めったにお目にかかれないある種の古楽器の特徴のように味わうことができたはずである。ある人物の全体像を余すところなく描くには、そのすがたの描写に加えて声の模写が必要になるはずで、この繊細にして軽やかな小さな笑い声を欠いてはシャルリュス氏という人物の描写は不完全になりかねない」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.213」岩波文庫 二〇一五年)
また「氏は、心のなかで、王妃たちのスノビズムに召使いたちのスノビズムを合体させていた」。「王妃=シャルリュス」/「召使いたち=モレル」ということはこれまでの経緯から明らかなのだが、大事なのは両者ともに異なるスノビズムであるにもかかわらず「合体」させることができるという点である。
「《命令する喜びと服従する喜び》。ーーー命令することは、服従することとともに、喜びの種(たね)である。ただ前者の場合は、命令することがまだ習慣になっていないときの話であるのに対し、後者の場合は、服従することが習慣になっているときの話である。だから、新しい命令者とその下に働く古い召使いたちは、互いに輪をかけて喜びの種となりあう」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・三一一・P.211」ちくま学芸文庫 一九九四年)
ヘーゲル「主と奴の弁証法」を思わせる「互いに輪をかけて喜びの種となりあう」関係は、プルーストが作品化しているように十九世紀末から第一次世界大戦にかけて、そこらじゅうで見かけることができた。なお、ヘーゲル「主と奴の弁証法」について、主人は奴隷なくして生きていくことができないという点で、見た目とは逆に奴隷の側の優位性を見逃すわけにはいかない。