白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ19

2023年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年六月三日(土)。

 

早朝(午前五時)。しきりに足元をうろうろして遊びたがる。その前に朝の風邪薬投与。風邪薬は抗生剤と消炎剤との粉末。1ミリリットルのミルクで溶かしてシリンジで口から与える。意外と素直に飲んでくれる。

 

すぐ後にヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)四十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)四十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。飼い主がコーヒーを沸かしている間にすっかり平らげてしまう。昨日、やや弱った風情で何度か籠に入って体を休めていたが一晩で元気を取り戻したかのように見える。かといって単純に安心してしまえるものでもない。

 

午前中はほとんど睡眠。しつらえた籠の中が気に入ってくれているようだ。

 

昼食(午後一時)。もう少し遅めにしようと思っていたがタマが起き出してうろうろし始めたので人間の食事とほぼ同じ時刻に。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。朝よりやや少ない。そこで水分摂取を兼ねてシリンジでミルクを5ミリリットル与える。

 

飼い主は気分転換に浜辺へ。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.3)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.3)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.3)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.3)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.3)

 

夕食(午後七時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十五粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。シリンジでミルクを5ミリリットル与える。

 

体重測定。810グラム。昨日より20グラム増。

 

“Be that word our sign of parting,bird or fiend!”I shrieked,upstarting—

“Get thee back into the tempest and the Night’s Plutonian shore!

Leave no black plume as a token of that lie thy soul hath spoken!

Leave my loneliness unbroken!—quit the bust above my door!

Take thy beak from out my heart,and take thy form from off my door!”

Quoth the Raven “Nevermore.”

 

「『よしその言葉を別れの合図としよう、鳥よそれとも悪魔か!』躍り上って私は叫んだーーー

『お前は嵐の中に帰って行け、夜の領する冥府の岸へと帰って行け!

お前の魂が語った偽りを証拠立てる黒い羽のただ一枚も残すな!

私の孤独に手を触れずに行け!ーーー私の戸の上の像を離れよ!

この心からお前の嘴を抜き去り、私の戸からお前のその姿を消してしまえ!』

鴉は答えた、『最早ない』」(ポオ「鴉」『詩と詩論・P.160』創元推理文庫 一九七九年)


Blog21・スタレオタイプな「お約束」に微笑で応えるプルースト

2023年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

プルーストはフランス語生成過程がいかに偶然に満ちていたか、緻密精巧な必然性をどれほど持っていないか、しばしば<暴露>する。フランス語を母国語として自画自賛している人々が聞けば少なからず怒るだろうというようなことを、わざわざ文脈から外れて強調する形で論じてみせる。

 

「いくらか初歩的な教養を身につけていたエメは、A嬢をイタリック体にするか引用符(ギユメ)で囲もうとした。しかしエメは実際には、引用符(ギユメ)で囲もうとすると丸括弧を書いてしまい、ある文言を丸括弧で囲もうとすると、引用符(ギユメ)で囲んでしまう。それと同様にフランソワーズは、ある人が私と同じ通りに住んでいるdemeurerと言おうとすると、とどまっているresterと言ってしまい、しばらくとどまってもいいと言おうとすると、住んでもいいと言ってしまう。庶民の誤用はたいていの場合、ひとえに用語を取り違えてしまうことに原因があるからでーーーもっともそうしてきたのがフランス語の歴史であるーーー、そうした用語も何世紀ものあいだ相互に入れ替わってきたものである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.220~221」岩波文庫 二〇一七年)

 

作品の中でこの場所にこのエピソードを入れなければならないというような必然性が始めからない。そういうところにはそういうエピソードを、というステレオタイプな「お約束」を無視する。そんな無視にもかかわらず読者は作品を放り出すとは必ずしも限らず、何となく読み進めていくことができるし実際に読み進める。実をいうとステレオタイプ的演出には何一つ必然性がないということをプルーストは作品それ自体に演じさせる。多くのインテリが誇り高く張り裂けんばかりに胸を張って堂々と用いる唯一正しいとされる正確無比なフランス語などというものはない。それはむしろ誤解、誤読、寄せ集め、置き換え、圧縮、転移などから成っており、それこそ夢に等しく、そもそも何らの脈略もない。

 

プルーストが<暴露>してみせるフランス語についてのパロディ的な、自分で自分をからかってでもいるかのような態度はその作品構成についても言える。こうでなければならない絶対的文脈などというものはどこをどう探してみても一つもないと。プルーストは自分の作品に対してユーモア的態度で接している。フランソワーズの発音がどうもおかしいという話がややはみ出して次のような議論を意図的に接続して問いかける。問いかけというよりほとんど脱線に近い。

 

「というのも、われわれが正確な発音をこれほど誇りにしているフランス語の単語はどれも、ラテン語やザクセン語を訛って発音したガリア人の口が犯した『言い間違い』にほかならず、われわれの言語はいくつかの他の言語を誤って発音したものだからである。生きた状態の言語の真髄、フランス語の過去と未来、これこそフランソワーズの間違いのなかで私の興味を惹いて然るべき問題であった。『かけはぎ屋』のことを『<い>かけはぎ屋』と言うのは、大昔から生き残って動物の生命がたどった諸段階を示してくれるクジラやキリンのような動物と同じほど、興味ぶかいことではないか?」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.306」岩波文庫 二〇一五年)

 

自分で自分自身を二重化して微笑の衣で包み込む。

 

「大切なのは、それが自分自身に向けられたものであれ、また他人に向けられたものであれ、ユーモアが持っている意図なのである。いってみれば、ユーモアとは、ねえ、ちょっと見てごらん、それが世の中だ、ずいぶん危なっかしく見えるだろう、ところが、これを冗談で笑い飛ばすことは朝飯前の仕事なのだ、とでもいうものなのである。おびえて尻込みしている自我に、ユーモアによって優しい慰めの言葉をかけるものが超自我であることは事実であるとしても、われわれとしては、超自我の本質について学ぶべきことがまだまだたくさんあることを忘れないでおこう。ーーー超自我がユーモアによって自我を慰め、それを苦悩から守ろうとするということと、超自我は両親が子供にたいして持っている検問所としての意味を受けついでいるということとは矛盾しない」(フロイト「ユーモア」『フロイト著作集3・P.411』人文書院 一九六九年)

 

フロイトとプルーストとがただ単に同時代人だからというのではなく、言語そのものに疑いがかけられた時代。自分たちの理性も論理も含めてその根拠を構成している言語というものに徹底的な疑いの目を向けないわけにはいかなくなった時、問いかけを誤魔化して論点をすり換えることなく、すでに自分は二つに分裂した自分なのであって、気づいた時すでに自己二重化してしまっていたことを微笑をもって受け入れることができる態度に、ありあまる余裕が木漏れ日のように揺れて見えるのである。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて436

2023年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

遷延性うつ病の特徴である強固な不眠を逆利用して、朝早い後期高齢者の体調に気を配る時間帯に切り換えることも可能なスケジュールにしたいと思っていたら、さっそく今朝からやたらと朝の早い母の食事の準備を見て覚えておくことに。まずは漬物から。

 

漬物といっても特別な高級品とは違ってどこにでもあるスーパーに置いてあるどこにでもありそうな既製品。特別に配慮されたものではないぶん先にやらないといけないことが何かとあります。例えばきゅうりの漬物なら、まずきゅうりの表面の皮を包丁で削ぎ落とす。胃の不快感を訴える高齢者にとっては漬物表面の塩分がとにかくきついと言います。皮自体も堅くて無理なのだと。

 

表面の皮を削ぎ落とせばもう食べられるかといえばそう簡単ではなく、今度は中身を軽く揉みほぐしながら水洗いして塩分をさらに薄め、俎板の上に置き、ティッシュで丁寧に水分を吸い取ります。少量の漬物だけでもかなり面倒な処理に見えますが、いずれ近いうち毎朝これをやらないといけないのかと思うと気が重くなりそうです。とはいえ慣れてくればそうでもないかもしれません。

 

早く遊んでほしがって足元にまとわりつく子猫に注意しながら要領を見ておきます。今朝は方法を見ておくだけです。

 

参考になれば幸いです。