ステレオタイプ(常套句)が途轍もなくつまらないものに見えて仕方がないプルースト。もっとも、社交界に顔を出せばたちまちステレオタイプ(常套句)の洪水に襲いかかられて身動きできなくなってしまうため、揶揄する機会があればその都度これまでさんざん揶揄してきた。次のように。
「ところが心の豊かさは、社交界の無為のなかでは使いようがなく、ときにはけ口を求めてあふれ出し、はかないがゆえにそれだけ不安げな真情の吐露となる。ゲルマント夫人の口から出るとそれは、愛情と受けとられかねないものになるのであった。もっとも夫人は、そんな真情を溢れさせるとき、心底から愛情を感じていた。そのときの夫人は、男であれ女であれいっしょにいる友人にたいして、けっして官能的なものではなく音楽がある種の人びとに与えるのにも似た一種の陶酔をおぼえていたのである。夫人は、胴衣から花やメダイヨンをとりはずし、その夜もっといっしょにいたいと思う相手にそれを与えることもあるが、そのように引き延ばしたところで、空しいおしゃべり以外にゆき着くものはなく、そこでは神経の快楽や一時的な昂奮からはなにも生じないのを感じると、はじめて訪れた春の暖かさがけだるくもの悲しい印象を残すだけなのにも似て、憂鬱になるのだ。相手をする友人のほうは、この貴婦人たちが口にした約束、かつて耳にしたことどんな約束よりも陶然とさせられる約束をあまり真に受けてはならない。こうした貴婦人たちは、このいっときをきわめて心地よく感じたので、並の女性なら持ちえない心遣いと気品をこめてこのいっときを優雅な真情でほろりとさせる傑作に仕立てあげるのであるが、べつのいっときが来たら、もはや自分から与えるものなどなにひとつ残っていない。貴婦人たちの愛情は、それを表明させる昂奮が冷めたあとにまで生き残ることはない。そして相手が聞きたいと願うことをことごとく察知し、それを相手に言ってやるのに駆使された鋭い才気は、数日後には、同じように鋭く相手の滑稽な言動をとらえ、それを種にべつの客人をおもしろがらせ、こんどはその相手といとも短い『楽興の時』を満喫することになるのだ」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.446~447」岩波文庫 二〇一四年)
そうなってくると、ゲルマント家がそうなってしまったように、どんな名門大貴族のサロンといえどももはや落日を迎えつつある証拠の見せつけでしかない。機械装置が高度化すればするほど逆に人間はどう変わっていくかについて、ニーチェが語った言葉と同様の事態が生じてくる。
「《機械文化への反作用》。ーーーそれ自体は最高の思索力の所産であるにもかかわらず、機械は、それを操作する人たちに対しては、ほとんど彼らの低級な、無思想な力しか活動せしめない。その際に機械は、そうでなければ眠ったままであったはずのおよそ大量の力を解放せしめる。そしてこれは確かに真実である。しかし機械は、向上や改善への、また芸術家となることへの刺戟を与えることは《しない》。機械は、《活動的》にし、また《画一的》にする、ーーーしかしこれは長いあいだには、ひとつの反作用を、つまり魂の絶望的な退屈を生む。魂は、機械を通して、変化の多い怠惰を渇望することを学ぶのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二二〇・P.434」ちくま学芸文庫 一九九四年)
ところが次の箇所では珍しくもっと身近な事例が列挙されている。
(1)「取るに足りぬシャンソンについて『これは《泣かせる》』」。
(2)「《忘れえぬ》歓迎のしるし」。
(3)「不愉快な政治がなくなればパリの生活は『すっかり楽しい』ものになるだろうと断言」。
「ある書き手は取るに足りぬシャンソンについて『これは《泣かせる》』と記していたが、もしアルベルチーヌが生きていたら私はそのシャンソンを喜び勇んで聴いたことだろう。べつの書き手は、ともかく大作家のようで、汽車から降りたとき拍手喝采されたというので、《忘れえぬ》歓迎のしるしを受けたと書いていたが、もし今の私がそんな歓迎を受けたとしても、一瞬たりともそれを顧みることはなかっただろう。第三の書き手は、不愉快な政治がなくなればパリの生活は『すっかり楽しい』ものになるだろうと断言していたが、たとえ政治が存在しなくても私にとってこの生活はなんとも不快なものでしかありえず、たとえ政治が存在してもかりにアルベルチーヌに再会できていたらこの生活は私には楽しいものに思われたであろう」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.234~235」岩波文庫 二〇一七年)
よくあるパターンばかりなのだが、注目したいは、そのすぐ後に続いている<私>の心情である。
(1)「取るに足りぬシャンソンについて『これは《泣かせる》』」、に対して、「もしアルベルチーヌが生きていたら私はそのシャンソンを喜び勇んで聴いたことだろう」。
(2)「《忘れえぬ》歓迎のしるし」、に対して、「もし今の私がそんな歓迎を受けたとしても、一瞬たりともそれを顧みることはなかっただろう」。
(3)「不愉快な政治がなくなればパリの生活は『すっかり楽しい』ものになるだろうと断言」、に対して、「たとえ政治が存在しなくても私にとってこの生活はなんとも不快なものでしかありえず、たとえ政治が存在してもかりにアルベルチーヌに再会できていたらこの生活は私には楽しいものに思われたであろう」。
ステレオタイプな言葉の一つ一つについて、極めてもっともな反論を懇切丁寧に付け加えている。しかし読者はこの場に限ればなるほど<私>の心情について説明一つ必要とせずほとんど瞬時に理解できると答えるに違いない。<私>がアルベルチーヌを永遠に失ってしまった直後だということを知らされている限りでは。
ところが世間一般では必ずしもそうとは限らない。プルースト作品に目を通していると、書いても書かなくてもどうでもいいセンテンス、あってもなくても全然かまわないセンテンスにしばしば出くわす。実によくあることなので読者の側はだんだん慣れてきてしまう。ところが、書いても書かなくてもどうでもいいセンテンス、あってもなくても全然かまわないセンテンスが不意に現れた時、プルーストは極めて重大な問いかけを読者の目の前に音もなく吊り下げて見せていることが少なくない。この場合はまさにそうだ。
今あげた(1)、(2)、(3)。それぞれのうちどれを取っても共通して言えることがある。どういうことか。前者の<一般的見解>に対する後者の<個人的意識>という対立構造は、いずれはどれも後者の側(個人的意識の側)が退敗するようあらかじめ決定されているという重大な社会的圧力への問いかけである。
ステレオタイプ(常套句)の濫用とその圧力とがもたらす個人(あるいは固有性)の抹殺という非常事態。同じことをニーチェは別の言葉でこう述べている。
「《習俗とその犠牲》。ーーー習俗の起源は、次の二つの思想に帰着する、ーーー『団体は個人よりもいっそう価値がある』という思想と、『永続的な利益は一時的な利益に優先すべきである』という思想である。そして、これから、団体の永続的な利益は個人の利益、とくにその刹那的な満足よりも、しかしまた個人の永続的な利益やその生命の存続すらよりも、無条件に優先すべきであるという結論がでてくる。いまや、全体を益するための或る制度で個人が苦しもうと、また彼がそのために委縮し、そのために破滅してゆこうとーーー習俗は維持されねばならず、またそのためには犠牲が供されねばならない。しかし、このような心的態度が《生ずるのは》、自らは犠牲となることの《ない》連中においてだけである、ーーーなぜなら、犠牲者の方は、<個人は多数者よりも貴重なものであり得る>、同様に、<現在の享受、天国にあるこの一刹那は、苦しみのない、あるいは安楽な状態の無気力な持続よりもおそらくいっそう高く評価されるべきである>という意見を主張するからである。しかし、犠牲獣のこの哲学は、いつも叫ばれることあまりにも遅きに失している。だから彼らはいつまでたっても習俗や《道徳性》にしばられたままである。人びとは習俗の下で生き、習俗の下で教育された、ーーーしかも個人としてではなく、全体の分岐として、多数派の符牒として教育された。そして道徳性とはこのもろもろの習俗の総体や本質に寄せる感情にすぎないのである。ーーーかくして絶えず個人は、その道徳性を媒介として、自己自身を《多数派化》してゆく結果になる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・八九・P.73~74」ちくま学芸文庫 一九九四年)
なるほど<私>の意識はある一定期間に限って存続する<個人的な意識>に過ぎないかも知れない。であるによせ、いきなり<制度/習俗/共同幻想>を振りかざしてみせて、事情一つ知らないにもかわわらず一人の個人を論破したつもりになってぬか喜びしている<多数者>たちの無自覚な言動は、それこそ<共同幻想>(法・国家・習俗)の側に立って個人的な唯一性(固有性)を踏み躙る暴力ではないかと問うのである。