白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ27

2023年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年六月十一日(日)。

 

朝食(午前五時)。朝の風邪薬投与。1ミリリットルのミルクで溶かしてシリンジで口から与える。その後、ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

体重の増加だけでなく身長も伸びてきた。椅子につかまりながらテーブルの上まで自分でのぼれるようになっている。テーブルに置いてある本や文房具に興味津々。新聞紙に噛み付いてちぎったり床に落として遊んだりし始める。妻や母は戸惑いつつも微笑ましく見ている。

 

とはいえ、床に落ちたあれこれを拾い上げて元に戻すのは基本的に飼い主の仕事。初代タマの場合がそうだったように順調に育ってくれれば、この時期あたりから飼い主の側が猫の下僕へ入れ換わっていくことになる。

 

昼食(午後一時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

すやすやよく寝る。ここ数日は時間帯がほぼ同じ。だんだんルーティン化してきたのかも知れない。それならそれで猫の性格的特徴や体調管理の面でもわかりやすくなってくるだろう。

 

夕食(午後七時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

タマが椅子の上のクッションでこじんまりと休んでいる時、寝ているのかと思って覗き込んでみるとたまたま目と目が合う。とっさに「きゃあ」と鳴き声をあげる。今度の「きゃあ」はなんだろうと考えながら遊んでやると一生懸命に遊びに打ち込む。遊んでほしかったらしい。

 

それにしても「きゃあ」ひとつ取ってみてもいろんな意味があるものだ。「きゃあ」の直前の状況にアクセントが置かれている場合もあれば「きゃあ」の直後の状況にアクセントが置かれている場合もある。典型的な例は二つ。(1)「きゃあ」の直前の状況にアクセントが置かれている場合、「今まさに口が開いてお薬が入ってくる!」であり、(2)「きゃあ」の直後の状況にアクセントが置かれている場合、「これから大便を出します!」である。いずれにしても英訳すれば“Attention,Please!”ということになるのだろうか。

 

体重測定。1000グラム。昨日より30グラム増。

 

Thy soul shall find itself alone

’Mid dark thoughts of the grey tomb-stone―

Not one,of all the crowd ,to pry

Into thine hour of secrecy.

 

「君の魂は ひとりぼっちの自分に気付くことになろう、

灰色の墓石の 暗い思念に囲まれてーーー

ありとあらゆる人の群れの だれ一人として

君の 匿された時間を うかがおうとするものはない」  (ポオ「死者たちの魂」『詩と詩論・P.32~33』創元推理文庫 一九七九年)  


Blog21・ドロドロの国で<書くこと>と<制度としてのIT>の不自由

2023年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

工藤庸子は大江健三郎の方法論の一つについて引用している。

 

「第一稿を書く段階で『僕』の視線は、書いている自分を捉えることができない。

 

僕の眼の背後に暗闇の広がりがあって、そこから意識による制禦をこえたものが、次つぎにくりだしてくる、というのが、僕にとって自然な感覚である。したがって最初の原稿は、僕の肉体そのものの一部のようであるか、少なくとも僕の肉体そのものの熱や湿りけをそのまま継承していて、それは『形式』を持たない、ドロドロのかたまりのように感じられるのである(『同時代論集7』110)

 

さらにーーー

 

原稿の段階の、ドロドロした、『形式』を持たぬ、そして自分自身の熱と湿りけをわけもっているかたまりは、いわばわれわれの伝承の内なる神がみの時代の《浮きし脂の如くして》ただよう様子が、まったくクラゲのようであった、ドロドロの国に似ている。それに対し、意識の力の天の沼矛(ヌボコ)でかきまわし、滴をしたたらせるような作業をおこなわなければ、『形式』をそなえた実体はあらわれない」(工藤庸子「文学ノート・大江健三郎(第五回)」『群像・2023・07・P.184』講談社 二〇二三年)

 

この方法はいうまでもなく「古事記」天地創造神話を意識したものであり、「意識の力の天の沼矛(ヌボコ)でかきまわし」という比喩は「書くこと」による「形式化」あるいは<文体の出現>ということなのだろうと思う。

 

読者として大江作品に独特の<肉体感覚>とその<変容>に魅かれるところがあるのは、第一稿を知らなくても、さらに何度改稿されたとしても残されてしまう、そういう<残余>の生々しさに魅かれているからなのだ、おそらくは。

 

町田康「口訳 古事記」はまだ読んでいない。資金と暇と両方ともにないので仕方ないわけだが、いずれ読みたいと思っている。

 

それはそれとして、「紙」の時代の終わりとともに「ネット」の時代が到来したというだけでは致命的錯覚に陥るという工藤庸子の指摘はたいへん的を得ていると言わねばならない。工藤庸子が焦点化しているのは、書き手にとって<制度としての紙>の時代は終わったに等しいけれども、今度は<制度としてのネット>が<紙からの解放>として受け止められ、ややもすれば<制度としてのネット>という「不自由」が逆に「自由」として取り違えられているという現状である。

 

昔の紙媒体が良いと言っているわけで決してない。紙媒体時代に存在した<制度>の束縛が消え失せてしまい、次に出現した<制度としてのネット媒体>という新しい<束縛>が、あたかも、かつての「不自由」より遥かに深刻な「不自由」であるにもかかわらず、一般的には逆に「自由」を手に入れたかのように振る舞う人々の増殖への問いかけであり、そしてこの種の増殖は極めて緊急事態的な錯覚を伴ってもいて、本当にこれでいいのかという指摘である。

 

ところで工藤庸子は冒頭部の書き出しで武満徹と大江健三郎との長年にわたる<対話>について触れている。有名なエピソードであって、二人の<対話>と信頼関係に言及する作業が重要でないとはまったく思わないけれども、そもそも武満徹の音楽がほとんど始めから大江的な「原稿の段階の、ドロドロした、『形式』を持たぬ」ところから湧いて出てきたものだという事情を思い起こしたい。

 

もし武満徹作品が「音楽」だというキャッチコピーを持たされて登場していなければ、誰一人としてそれを「音楽」だと認識できなかったに違いないという気がするわけだ。にもかかわらず武満徹作品を耳にしてただちに「音楽」だと認識できた人間がいたとすれば、その感覚はかなり怪しいと思うのである。

 

武満徹作品は「音楽」というより遥かに「音」というに近い。「音楽」という<制度>へ形式化される前の<どろどろした残余>へいったん遡行し、それをむしろ逆方向から炙り出してきた<音>としてなら認識し得ただろうと思われる。その上で始めて「音楽」として捉えることが可能になったというのが実際のところではなかったかと今なお思うのである。

 

武満徹と大江健三郎との長年にわたる信頼関係、といっても、ではなぜ「長年」にわたることが可能だったか。可能にしたのは何か。それは途轍もなく深刻な東アジア的な問題に見える。土俗的でさえある。とはいえ両者とも欧米に対抗しようとしたということにはならない。むしろ日本で、日本語で書くという所作は、文学にせよ音楽にせよ、東アジア的な土俗性、日本の場合は「古事記」に描かれている過程抜きに語り得ないことに実に自覚的だったのではと思われる。

 

さらに<東アジア的土俗性>は全国各地へ拡散する形でありありと残されているにもかかわらず、<制度としてのネット>という「不自由」をいとも安易に「自由」と錯覚した社会では、<東アジア的土俗性>などもう克服された過去の遺物ででもあるかのように受け取られているというあからさまな転倒が社会的規模でほとんど問いに付されず流通している。このままの条件で推移するとすれば、欧米との違いはいずれまた決定的な軋轢として出現してくるほかない。そしてそれがどんな形で出現するか<未知の領域>に閉ざされているけれども、差し当たり工藤庸子の指摘はそう簡単に棚上げできるものではないと思えて仕方がない。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて444

2023年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

午前五時、いつものように朝早い後期高齢者の朝食の支度を横で見ています。

 

漬物(なす)は塩分を抜くために表面の皮を削ぎ落とし、中身を水洗いしながら揉み込んでさらに塩分を抜き、ラップの上に乗せてティッシュで水分をよく吸い取ってから皿に盛る。

 

ご飯の横に豆腐を置いて頂きます。豆腐は器に京豆苑「絹豆腐」を適度に崩して盛り、市販の白だしをかけてレンジで少し温めたもの。

 

だから毎朝おかずは二品。味もかなりあっさりめですが残さず食べられています。

 

ここまでは昨日と同じです。明日も同じならそれでいいのだろうと思っています。

 

制酸剤投与で食欲回復を見せた母。投与期間中のどこかで行われる検査(胃カメラなど)で、なるべく早いうちに要因の一つでもつきとめられればいいのですがーーー。

 

と思っていたら、来週には検査(胃カメラなど)があるようです。早いうちに検査してもらい結果と向き合うことが大事だろうと思います。一方、後期高齢者の場合、検査結果次第でだいたい予想できる医療費負担を思うと我が家全体に暗いムードが漂ってしまいます。

 

物価高騰に対する政府の失敗は、直接、高齢者に対する負担としてだけのしかかるわけではまるでなく、その子の世代、その孫の世代の負担として同時多発的にすみやかな打撃となります。このような社会のわかりきった構造的破綻を一つも立て直せない政府と無力なマス-コミが、なぜ国の上層部に居座り続けられるのか不可解に思うばかりです。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・<二つの死>を<等置>すること/<二つの死>の<交通あるいは性交>の<生産>

2023年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

次の箇所は生前の祖母のイメージを思い出させると同時にその死をもはや取り返しのつかない死として決定づけた瞬間を、今度はアルベルチーヌに置き換えて反復している。

 

「私が気づいたのは、アルベルチーヌにたいするこの長く尾をひいた大きな恋心は、そのさまざまな部分を再現している点で、私がかつてアルベルチーヌにいだいた感情の影のようなものであること、またその感情は死を超えても映しだす愛情の現実と同じ法則に従っていることである。というのも私は、アルベルチーヌへ寄せる想いと想いとのあいだにそれなりの間隔があき、その間隔があまりにも大きくなったりすれば、もはやアルベルチーヌを愛さなくなるだろう、いまや私にとって祖母がそうであるように、この断絶によってアルベルチーヌは私の関心をそそらなくなるだろうと感じていたからである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.256」岩波文庫 二〇一七年)

 

最初のバルベック滞在時に祖母が身をかがめようとした仕草と、祖母の死から一年以上経った後で<私>が身をかがめて靴をぬごうとした仕草とが不意に共振した時、初めて<私>は<祖母の死>という観念に襲われ「私という人間じたいがくつがえる」思いに囚われた。

 

「ところが私は、その同じ欲求がよみがえった今になって、これから何時間待とうと祖母はもはや二度と私のそばには戻らぬことを悟った。私がやっと今しがたそのことに気づいたのは、心を張り裂けんばかりに膨らませながらはじめて生きた真の祖母を感じたことによって、つまりようやく祖母を見出したことによって、祖母を永久に失ったことを知ったからにほかならない。永久に失ったのだ。私にはよく呑みこめなかったが、私はつぎのような矛盾に引き裂かれる苦しみを耐えしのぶよう努めるほかなかった。つまり一方には、私が感じたまま私のなかに生き残り、私のための捧げられた生存と愛情があり、この世の始まりから存在したはずのどんな偉人の才能やいかなる天才も祖母にとっては私の欠点のひとつにも値しないと思えたほどに、私のみを対象とし、私のみを目的とし、つねに私へと向けられていた愛がある。ところが他方では、そんな無上の喜びを現在のものとしてふたたび体験したとたん、まるでたえずぶり返す肉体的苦痛のように虚無の確信がその喜びに割りこんでくるのが感じられ、その虚無は、かの愛情を想う私のイメージを早くも消し去り、かの生存そのものを破壊し、私たりふたりの共通の宿命かと思われたものを過去にさかのぼって無に帰せしめ、祖母のすがたを鏡のなかに見るようにふたたび見出した瞬間、その祖母を、あたかも他のだれでもよかったかのように偶然のいたずらによって私のそばで数年間をすごしただけの存在、その存在にとって私などそれ以前にはなきに等しくそれ以後にもなきに等しくなるような、ただの見知らぬ女にしてしまっていた」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.355~356」岩波文庫 二〇一五年)

 

ところが<祖母の死>と<アルベルチーヌの死>とはまるで別々のものだ。

 

(1)<私>と<祖母の死>。

 

(2)<私>と<アルベルチーヌの死>。

 

この二つの死に関する<私>の記憶がいくら同じような経緯をたどったとしてもなお、<祖母の死>は<祖母の死>であり、<アルベルチーヌの死>は<アルベルチーヌの死>であるという点で、両者はどこまで行っても交わらず逆に仕切られているほかない。その意味では何ということもない平凡でありふれた事実を確認したに過ぎないかのように見える。

 

だがしかしプルーストは、その種の「習慣」として認められる仕切りの存在を再確認した上でなお、<二つの死>について<私>がたどった記憶をあえて<等置>することで<二つの死>を交換関係に置く。相容れないはずの<二つの死>をわざわざ<交通あるいは性交>させる。

 

似ているから<等置>するのではなく<等置>することで<二つの死>を交換関係に置き、両者をわざわざ<交通あるいは性交>させることで、作品は思いがけず前代未聞の事態を<生産>したと言えるだろう。