少し前こう述べた。
最初のバルベック滞在時にさかのぼる。ずいぶん長い時間が過ぎ去ったような気がする。にもかかわらず<私>と「一団の少女」との出会いは、いついかなる時でも、アルベルチーヌをアンドレやジゼルたちと置き換え錯覚させる契機として今後なおずっと働く。
その一団は「曖昧模糊とした白い星座のようなもので、そこにほかの子よりきらきら光るふたつの目とか、いたずらっ子のような顔とか、ブロンドの髪とかを見わけたとしても、それらはたちまち見失われ、すぐにぼんやりした乳白色の星雲のなかに溶けこんでしまう」。
アルベルチーヌの場合、その中から一度どころか何度も繰り返し抽出されたことがあったとしても、抽出される度にもともと刻印された最初のイメージである「ぼんやりした乳白色の星雲」へ溶け込みつつ返っていく。
「のちに一枚の写真を見て、そのわけが腑に落ちた。この娘たちは、見違えるほど完全に容姿を変えてしまう年頃をようやくわずかに越えたばかりで、そんな娘たちのなかに、ほんの数年前、砂浜のテントのまわりに輪になって座っていた、かわいらしいがだれがだれかも分からぬ子供っぽい少女の一団を、どうして認めることができたであろう?そんな一団は曖昧模糊とした白い星座のようなもので、そこにほかの子よりきらきら光るふたつの目とか、いたずらっ子のような顔とか、ブロンドの髪とかを見わけたとしても、それらはたちまち見失われ、すぐにぼんやりした乳白色の星雲のなかに溶けこんでしまうのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.395」岩波文庫 二〇一二年)
一方、もはや今では忘却の作用が明確に押し進められつつある時期に当たる。<私>は読者へこう報告する。
「アンドレは、さきに報告した会話のほぼ六ヶ月後にも私と会話を交わし、そのときの発言は最初のときに私に言ったこととはまるっきり違ったものになったが、そんな会話が交わされた唯一の原因、いや主要な原因とさえいえないにしても、その会話を決定づけるのに必要となった原因として、実際、私がアルベルチーヌを忘れたことを挙げないわけにはゆかない」
「忘却の作用が私のうちに成し遂げた新たな進展(これが最終的な忘却にいたる前の第二段階の想い出である)にすこし後で気づかせてくれたその人物とは、アンドレだった。アンドレは、さきに報告した会話のほぼ六ヶ月後にも私と会話を交わし、そのときの発言は最初のときに私に言ったこととはまるっきり違ったものになったが、そんな会話が交わされた唯一の原因、いや主要な原因とさえいえないにしても、その会話を決定づけるのに必要となった原因として、実際、私がアルベルチーヌを忘れたことを挙げないわけにはゆかない。それは私の部屋でのことだったと記憶している。というのもその時期の私は、アンドレと肉体関係に近い関係を持つのを楽しみとしていたからである。それは小さな一団の少女たちへの私の愛がいまやふたたび当初の集団的性格を帯びてきたせいで、その愛は長いあいだ少女たちに共有されていたが、一時期だけ、つまりアルベルチーヌの死に先立つ数ヶ月と死後の数ヶ月のあいだだけ、ひとえにアルベルチーヌに結びついていたのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.394」岩波文庫 二〇一七年)
<私>は「アルベルチーヌを忘れたことを挙げないわけにはゆかない」。というけれども、それが常に条件付きなのはいつものことだ。もっとも、ただ単に<未練がましい>というステレオタイプ(紋切型)とは絶縁し出した何か別のものが顔を覗かせ始めてはいる。そしてこの、顔を覗かせ始めた<何か別のもの>が、今後、忘却の作業とはどのようなものであるか、というより、そもそも<忘却とはどのような変形なのか>を見ていく契機になるだろう。
とはいえその形態変化について、わかりやすい数値で指し示したり計量して見せたりすることはまるで不可能である。まさかとは思うけれども、計量可能な愛とその変容というものが世の中にあるとでも本気で考えているわけではないだろう?、というプルーストの微笑みが目に浮かんできそうだ。
「その時期の私は、アンドレと肉体関係に近い関係を持つのを楽しみとしていた」。それが可能なのは「小さな一団の少女たちへの私の愛がいまやふたたび当初の集団的性格を帯びてきた」ことによる。「さきに報告した会話」はこうだった。
「アルベルチーヌの生前であったなら、私もアンドレに、ふたりのあいだの友情の性格について、またふたりのヴァントゥイユ嬢との友情の性格について打ち明けてほしいと頼む勇気は出なかっただろう。アンドレが私の言うことを一切合切アルベルチーヌに伝えないとも限らなかったからである。いまならそれを問いただしても、たとえ成果はあがらずとも、すくなくともそんな危険はなかろう。そう考えた私はアンドレに、詰問口調ではなく、そんなことはとうにアルベルチーヌから聞いて知っているという口調で、アンドレ自身の女への嗜好や、ヴァントゥイユ嬢との関係について話してみた。アンドレは微笑みながらやすやすとなにもかも告白した。その告白から、私は耐えがたい重大な結論をいくつか引き出すことができた。まず、バルベックで多くの青年にあれほど愛情を示し媚(こび)を売っていたアンドレに、そんな性癖があるとはだれひとり想像だにしなかったはずだが、本人はその性癖をちっとも否定しなかった。したがって私は、この新たなアンドレを発見したからには、そこから類推してアルベルチーヌも、その嫉妬を察知した私をべつにして、ほかのだれにでも同じように苦もなくその性癖を告白したにちがいないと考えることができた。だが、その一方で、アンドレはアルベルチーヌのいちばんの親友であり、アルベルチーヌがわざわざバルベックから戻ってきたのはきっとアンドレのためだったのだから、アンドレが問題の嗜好を告白したいま、わが精神が認めざるをえない結論とは、アルベルチーヌとアンドレがつねにふたりして関係を持っていたということだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.287~288」岩波文庫 二〇一七年)
アンドレは男性との肉体関係を楽しみながら同時に同性愛志向をもまったく否定していない。アンドレもまた実に気まぐれにトランス(横断的)性愛者に<なる>。
最初のバルベック滞在の頃、「一団の少女」=「ぼんやりした乳白色の星雲」の中では性愛のあり方は互いにどんなふうにでも交換可能である。その中から<外部として到着した私>がたまたまアルベルチーヌだけを抽出したとしても、アルベルチーヌへの<私>の欲望の忘却につれて、アルベルチーヌ、アンドレ、ジゼルなどは、ふたたび「ぼんやりした乳白色の星雲」へ返っていく。思春期の到来とともに後になって浮上してきたアルベルチーヌとアンドレとジゼルたちとの違いなどあってないに等しくなる。したがって<私>はすでに忘却し始めたアルベルチーヌに換わって今度はアンドレと関係することに躊躇を覚えない。
<私>の報告通り「アルベルチーヌの死に先立つ数ヶ月と死後の数ヶ月のあいだ」に限り、アルベルチーヌに対する<私>の愛の強度が著しく増大したことは確かだ。ところが時間の作用は現状を侵食することである。事態は変形していく。忘却は否応なく変形という形を取る。