父スワンに対する娘ジルベルト(=フォルシュヴィル嬢)の態度。それは次のように「スワンの死後の名声を永遠のものにする」ものではまるでなく、逆にスワンに関する「死と忘却のはたらきを早め、それを完成させ」る方向へ働いた。
「フォルシュヴィル嬢はといえば、この娘を想うと私は深い悲しみを禁じえなかった。なんということだ、ゲルマント家に招待されることをスワンがあれほど夢見ていた娘ではないか、ゲルマント夫妻が親友の頼みにもかかわらず受け入れるのを拒みつづけたあげく、後になってみずから進んで会おうとした娘ではないか。かなりの時が経過すると、時間はわれわれにとっての他人の個性を一変させ、久しく会っていなかった人たちにはうわさに基づいてべつの個性を植えつけ、そのあいだにわれわれ自身もすっかり変わって、べつの嗜好を身につけている。しかしスワンがときに娘を抱きしめてキスをしながら、『いい娘(こ)だ、お前のような娘を持てて幸せだよ。いずれ私がこの世からいなくなったとき、それでもみながお前の亡きパパのことを話してくれるとすれば、それはお前だけを相手に、ひとえにお前のためにそうしてくれるんだよ』と言って、自分の死後のために、娘のうちに自分が生きつづけることに懸念と心配のまじる希望を託したが、その思惑は外れた。それは老銀行家が、自分の囲っているきわめて品行方正なかわいい踊り子のために遺言をしたため、自分は親しい友人にすぎなかったが、あの娘は自分の想い出をいつまでも大切にしてくれるだろう、と思うのと大差はない。その娘は、品行方正とはいっても、老銀行家の友人のなかに気に入った男がいるとテーブルの下でその男の足に触れて気を惹くような女性だったが、こっそりやっていたから外面(そとづら)は非の打ちどころがなかった。娘はこの立派な男の喪に服すことになるが、じつは男を厄介払いできたと喜び、そればかりか残された現金のみならず多くの家屋敷や自動車などを使いまくる一方、いささかきまりが悪いからか元の所有者の頭文字を残らず消させ、遺産の恩恵には浴しても、それを遺贈者を惜しむ気持に結びつけることはない。このような愛のいだく幻想と比べて、父性愛のいだく幻想はずっと小さいとはいえない。多くの娘は父親のことを、財産を残してくれる老人としか考えていない。社交サロンにおけるジルベルトの存在は、人びとがときになお父親の話をするきっかけとはならず、だんだん少なくなってきたとはいえ人びとがなおも父親の話をする機会の障害となったのだ。スワンが言ったことばや、スワンが贈った品物について語るときでも、人びとはスワンの名前を口にしない習慣を身につけ、スワンの死後の名声を永遠のものにするとは言わないまでもそれを新たにして然るべき娘は、死と忘却のはたらきを早め、それを完成させたのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.385~386」岩波文庫 二〇一七年)
そんな娘ジルベルトの父スワンに対する「忘恩」とも取れる態度について、プルーストは非難しようとわざわざ書き立てているわけではいささかもない。問題はそういうことではなく、娘ジルベルトの態度が父スワンに関する「死と忘却のはたらきを早め」たことが、すぐ次に「私の内部で、アルベルチーヌについての忘却のはたらきをも早める」作用を出現させたことである。こうある。
「ジルベルトが忘却のはたらきをすこしずつ完成させたのは、スワンについてだけではない。私の内部で、アルベルチーヌについての忘却のはたらきをも早めたのである。私がジルベルトをべつの娘だと想いこんでいたしばらくのあいだ、ジルベルトが私の心にかき立てた欲望、つまり幸福を求める欲望のはたらきのおかげで、すこし前まで私の思考にとり憑いていたいくつかの苦痛や辛い気がかりが私から離脱し、それとともに、かなり以前からおそらく風化して束の間のものになっていたアルベルチーヌにかんする想い出の一団もそっくり運び去られた。というのも、アルベルチーヌに結びついた多くの想い出は、当初はその死を惜しむ気持を私のうちに維持するのに役立ったが、その気持は、こんどは逆に想い出を固定させてしまっていたからである。そんなわけで私の精神状態の変化は、忘却のたえまない風化作用によって日に日に知らぬまにたしかに準備されていたとはいえ、しかし突然その変化の全体が完了したことで、私はその日はじめて、自分のなかで連想の一部がそっくり抹消されたような空虚を感じたことを憶えている。それはずいぶん前から消耗していた脳動脈がいきなり破裂して、記憶の一部がそっくり失われるか麻痺した男が感じる印象と同じであろう。私はもはやアルベルチーヌを愛していなかった。天候がわれわれの感受性を変更したり目醒めさせたりして、われわれをふたたび現実的なものに触れさせるような日に、せいぜいアルベルチーヌを想ってひどく悲しむぐらいだった。そんなときの私はもはや存在しない愛に苦しんでいたといえる。たとえば片脚を切断された人が、天候の変化によって、失った脚に痛みを感じるようなものである。私の苦痛が消え失せ、その苦痛とともに運び去られたすべてのものが消え失せたせいで、私は人生で大きな位置を占めていた病気が快癒したあとのように、すっかり衰退していた。そもそも愛が永遠でないのは、想い出がいつまでも真実のままであるとはかぎらないからであり、また生命が細胞の絶えざる更新により成り立っているからである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.386~388」岩波文庫 二〇一七年)
ジルベルトが巻き起こした忘却作用に触発された<私>が、今度は、<私>のアルベルチーヌに対する忘却作用へ接続される。両者の忘却の間には因果関係一つ見あたらない。両者はまったく別々の事柄である。ところが一方の任意の忘却作用が、もう一方でまったく無関係な別の忘却作用を引き起こす。両者がただ単に似ているというだけで両者の間にありもしない因果関係を思い描くのはまったくの<加工=変造>に過ぎないとニーチェはいう。
「ある事物の発生の原因と、それの終極的功用、それの実際的使用、およびそれの目的体系への編入とは、《天と地ほど》隔絶している。現に存在するもの、何らかの仕方で発生したものは、それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目標を与えられ、新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。有機界におけるすべての発生は、一つの《圧服》であり、《支配》である。そしてあらゆる圧服や支配は、さらに一つの新解釈であり、一つの修整であって、そこではこれまでの『意識』や『目的』は必然に曖昧になり、もしくはまったく解消してしまわなければならない。ある生理的器官(乃至はまたある法律制度、ある社会的風習、ある政治的慣習、ある芸術上の形式または宗教的儀礼の形式)のもつ《功用》をいかによく理解していても、それはいまだその発生に関する理解をもっていることにはならない。こう言えば、旧套に馴れた人々の耳には随分と聞きづらく不快に響くかもしれない、ーーーというのは、古来人々は、ある事物、ある形式、ある制度の顕著な目的または功用は、またその発生の根拠をも含んでいる、例えば、眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない。従ってある『事物』、ある器官、ある慣習の全歴史も、同様の理由によって、絶えず改新された解釈や修整の継続的な標徴の連鎖でありうるわけであって、それの諸多の原因は相互に連関する必要がなく、むしろ時々単に偶然的に継起し交替するだけである。してみれば、ある事物、ある慣習、ある器官の『発展』とは、決して一つの目標に向かう《進歩》ではなく、まして論理的な、そして最短の、最小の力と負担とで達せられる《進歩》ではなお更ない。ーーーむしろ、事物乃至は器官の上に起こる多少とも深行的な、多少とも相互に独立的な圧服過程の連続であり、同時にこの圧服に対してその度ごとに試みられる反抗であり、弁護と反動を目的とする思考的な形式変化であり、更に旨く行った反対活動の成果でもある。形式も固定したものでないが、『意味』はなお一層固定したものでない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十二・P.88~90」岩波文庫 一九四〇年)
さらにプルーストは書いている。
「そもそも愛が永遠でないのは、想い出がいつまでも真実のままであるとはかぎらないからであり、また生命が細胞の絶えざる更新により成り立っているからである」。
この文章もまたニーチェとの共通点として重要だろう。
「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫 一九九四年)
絶対的中心というものはもはやない。可動的かつ可変的な世界が登場してきたのであり、<私>にとってはそもそも繋がりのなかったゲルマントとメゼグリーズとの<横断的交通>も実をいえばどんどん往来を開始し始めていたのである。