いつものように書店に立ち寄る。その前日くらいだったか、自宅で母の訪問看護について打ち合わせがあった。緩和ケアが始まってしばらくの頃で地域のかかりつけ医院へは毎回タクシーを利用しなくてはならず、費用面での負担は負担「感」という「感じ」のレベルから大きくはみ出し、終末期患者の精神状態はもとより患者家族の精神状態へも以前にも増して重くのしかかってくる。
小川洋子はこう書いている。
「一体世の中に、閉じ込められている人、閉じこもっている人が何人いるか、考えてみたことがございますか?無理矢理幌付きトラックや家畜用貨車に押し込められ、柵に囲われた不毛の地に連行され、外へ出るのを禁じられた人々。罪を犯し、狭い牢獄で贖罪を送る人々。世の中の誰にとっても当たり前のことが何一つできず、社会に出てゆく勇気が持てないまま、自らの内側に潜んで震えている人々。実は、そういう境遇にある方々の中に、小鳥と親愛の情を結ぶ人が少なからずおられるのです。どんな境界であろうと、小鳥は自由に越えてゆきます。小さな翼に勇気を隠し持っています。そのうえ、美しい声で心を清めてくれます。親愛の証を確かなものにしようとして、世界のあちらこちらで、小鳥ブローチは作られてきました」(小川洋子「今日は小鳥の日」『群像・2024・2・P.70』講談社 二〇二四年)
ひと目見て補足しておきたいと思った。「世の中《そのもの》に閉じ込められている人、閉じこもっている人」というふうに。しかし頭の中ですぐさま補足を半分撤回し半分残した覚えがある。そうでなければ生まれてきたこと自体がすべて否定されてしまう。人間は誰しも「世の中」に閉じ込められつつ生きているのであって、この同じ「世の中」から完全に解放されて生きている人間はひとりもいない。いるとすればそれはすでに死者だということになるだろう。
「閉じ込められている人、閉じこもっている人」とあるのは不可抗力的に「閉じ込められている人、閉じこもっている人」であらざるを得ないケースであって、このような場合に人間は、打ちひしがれているというほかない限りで、与えられた状態を自ら積極的に望んで「演じる」わけでは決してないだろう。
もっとも、なかにはジュネのようなタイプもいるにはいる。けれどそれはジュネにとって小川洋子が想定している「閉じ込め」とは違っている。ジュネにとって「小鳥のブローチ」は必要だろうか。必要でない。ジュネはそもそも「小鳥のブローチ」だからだ。そうでない何億何十億の人間がすべてジュネのようになりうるかどうか。ほとんどの場合、なり得ない。そこで始めて多くの人間はそれぞれの「小鳥のブローチ」を作り、あるいは「小鳥のブローチ」への変容を試みるに違いない。
ともあれ母の症状を病気の側から見たとしよう。「前向き」な態度だ。実に「前向き」で容赦なく日に日に患者の体を崩壊させていく。躊躇ということをまるで知らない。この意味での「前向き」な態度を別の言葉で言い換えると「小慣れた」と言うことができてしまい、話題次第で時折違和感を覚えることがある。
例えば「小慣れた文章」とはどんな言葉か。「《熟知のもの》、馴染(なじ)んでいて、もはや不審に思わないもの、われわれの日常茶飯事」へ《翻訳された言葉》であって、なるほど「小慣れている」からといってもそれが事実かどうかは一切問われずむしろ根拠からして極めて怪しい。ニーチェはいう。
「《われわれの『認識』概念の起源》。ーーー私は、これについての解明を、巷間から取ってくるとしよう。民衆の誰かれが、『あいつは、俺のことが認識(わか)った』と言うのを、私は耳にした。ーーー。そのとき私は自分に問うてみた、ーーーいったい民衆は認識(わかる)という言葉をどういう意味にとっているのか?民衆が『認識』を求める場合、彼らは何を求めているのか?知られぬものを《熟知のもの》に還元すること、それ以外の何ものでもない。われわれ哲学者ーーーそのわれわれも、いったい、認識という言葉を《それ以上》の意味に解しているだろうか!熟知のものとは、つまり、われわれがそれに馴染(なじ)んでいて、もはや不審に思わないもの、われわれの日常茶飯事、われわれがはまりこんでいる何らかの常例規則、われわれの知り抜いていることがらの一切合切、である。ーーー認識へのわれわれの欲求とは、この熟知のものへの欲求にほかならないのではなかろうか、どうだろう?すべての見知らぬもの、見慣れぬもの、疑わしいもののなかに、われわれを二度と不安にしないような何かを見つけ出そうとする意志ではなかろうか?われわれに認識せよと指令するのは、《恐怖の本能》ではなかろうか?認識者の小躍(こおど)りする喜びは、安心感を取り戻したことの欣喜雀躍(きんきじゃくやく)そのものではなかろうか?」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五五・P.395~396」ちくま学芸文庫 一九九三年)
そんなふうに癌細胞も「小慣れた調子」で患者の体をほいほい侵食していくのだろう。
長男が小川洋子の連作に目を通しながら何を考えているかなど全然知らない母。体力は日増しに奪われていくばかりで正月のお節料理は今度が最後になった。食欲不振というよりもはや出来うるかぎり嘔吐せずに何をどのように食べられるかが課題の時期。長男はおもう。ここまで深刻なら固いものや伝統的な調理法を用いるためかえって危険なお節料理でなくても必ずしも構わないというのにーーー。しかしあとひと月でようやく八十歳。
年越しは無理かもしれないと思っていたら年越しできた。さらに餅が食べられたのにはさすがに驚いた。一回の食事で一個だけとはいえ。
また訪問看護で受けるリンパマッサージ。母の両足は浮腫でぱんぱんに腫れ上がり固まりつつあるわけだが、マッサージを終えた後はほんの数時間であれどこかくつろいだ様子を浮かべる。浮腫の激しい患者にとってマッサージの一回一回が「小鳥のブローチ」のように見えた。