連作というのは何か特定のテーマ/メタファーによって繋がっていなければいけないのだろうか。おそらく大多数の読者はそう思っているに違いない。作者もまたそれを意識していないとは思われない。その間に入る編集者はもしかしたら断然そのつもりでいるのかもしれない。
ところで、連作と連載とはもちろん違っているとしてもなお。
ここではテーマ/メタファーとして「補聴器」を上げるだけでなく「補聴器」のほかに何があるのか、何かあるのか、何を言い出すのかと、欠けらほどの疑いひとつなく「補聴器=テーマ/メタファー」として読むことができる。けれども「連作」という単語を目にしてしまってからもなお、ずっと「中心としての補聴器」という定型的公式を意識したことは一度もない。どうしてだろう。
小川洋子は書く。
「『閉じ込められ、誰からも見捨てられ、忘れ去られたものを救い出すのと、閉じこもっていたいものに、それが求められる小さな空洞を与えてやるのは、私にとって同じことです』」(小川洋子「踊りましょうよ」『群像・2024・4・P.78』講談社 二〇二四年)
前作ではこうあった。
「一体世の中に、閉じ込められている人、閉じこもっている人が何人いるか、考えてみたことがございますか?無理矢理幌付きトラックや家畜用貨車に押し込められ、柵に囲われた不毛の地に連行され、外へ出るのを禁じられた人々。罪を犯し、狭い牢獄で贖罪を送る人々。世の中の誰にとっても当たり前のことが何一つできず、社会に出てゆく勇気が持てないまま、自らの内側に潜んで震えている人々。実は、そういう境遇にある方々の中に、小鳥と親愛の情を結ぶ人が少なからずおられるのです。どんな境界であろうと、小鳥は自由に越えてゆきます。小さな翼に勇気を隠し持っています。そのうえ、美しい声で心を清めてくれます。親愛の証を確かなものにしようとして、世界のあちらこちらで、小鳥ブローチは作られてきました」(小川洋子「今日は小鳥の日」『群像・2024・2・P.70』講談社 二〇二四年)
両者が似ていることは問題にならない。もっとも、問題にしたければすればいいとも思う。ただ、連載形式のようにある特定の「中心」へ向かいながら回を重ねるごとにソフトランディングしていくという事態は起こってこない。様相はいつも場所的かつ段階的差異において現れる。そう感じたのはどうしてか。
九月七日発売の十月号から始まった連作。「補聴器」と記されている時点で様々な意味の乱舞は始まってしまう。多岐に渡っていくだろう。しかし連作が十回や二十回ではなく百回二百回と書きつづけられたとしても、そこに「中心」を目撃することはおそらく最後までなく遂にないという気がぼんやりしてはいた。もし「中心」があるとすればそれこそ人間の目的は「死である」と、日に日に重症化していく母の症状を見つつ、介護者としての長男は、感じ取るほかなかったからかもしれない。
不治の病者と接しながら介護することが日常の深まりへ化していくごとに、その都度が「必ず一回限りの連作」という非中心的かつ脱中心的な特徴を見せる作品の移動性との酷似を感じ始めていた。意識するしないにかかわらず死を生の中心的命題あるいは「完成」として捉えるのとはまるで逆に、時には断続的な非中心的症状に遭遇し、時にはさらに新しく出現する非中心的な症状、これこそ膵臓癌の絶対的かつ核心的な症状であるとは誰にも断言できそうにない奇妙な症状へ付き添い、またそれを間近に目撃する頻度の飛躍的高まりからだろう、「補聴器」は思いがけず、連続性ではなく断続性の側と並走する作品として立ち現れたとしか言いようがなかった。
手元にある四月号は三月七日発売。買い物ついでに長男がちゃちゃっと買い込んできた。この週の午前中は訪問看護、午後は訪問診療とほとんど立て続け。痰の除去のための吸引は様子をみて声をかけながら吸引器を操作する。母が嫌がらない限り午前午後夜間を問わず定期的に行う。微妙な操作だが長男自身が幼少期から喘息や扁桃炎、アレルギー性鼻炎でたびたび苦悩した経験からすぐに要領はわかった。
さらにこの週になると母はすでにひと言もしゃべることができなくなっていた。痛みを伝えたい時に顔をしかめて見せるくらい。けれども地域医療のかかりつけ医院の主治医によると確かに周囲の会話は耳に入っているらしい。生来、聴覚がやや敏感なタイプだということはもっと以前から指摘されていた。
しかしなお癌は容赦しない。訪問看護師が機転を効かせ褥創(床ずれ)防止のためベッドのマットレスをより柔らかいものへ交換する手配をしてくれた。午後には交換完了。母は再び寝入った。寝入る少し前、あれほど頑固だった母が心なしかやわらかなマットレスに安住の地を見つけてほっとしたかのように頬を緩めたのが見えた。
小川洋子は書いている。
「『ああ、だからですね。補聴器を着けていただいてから、世界の音が何もかも、自分の一番近い場所から、自分のためだけにささやきかけてくれているような気がします』」(小川洋子「踊りましょうよ」『群像・2024・4・P.78』講談社 二〇二四年)
「踊りましょうよ」のこの場面では二人の登場人物の耳に「カルテット」が聴こえてくる。しかし死まであと二日を残すばかりになった母が見せた一瞬の微笑みはひとりのものだったように思う。だが、そしてもし、何かを聴いたとすればそれはどんな音楽だっただろうか。