解決すべき課題として日本の最大政治政党が長く掲げ続けてきた問題がある。
「拉致被害者全員帰国」
日本と北朝鮮だけの問題ではなく日本の地方都市各自治体をも含めて掲げられている問題でもない。
拉致問題が大きく取り上げられた当初から政治や国際問題に関心のある人々の間でずっと疑問視されてきた問題をも含んでいるのだが、そちらの側は日本政府も日本のマス-コミも一向に関心を示そうとしない。するとさらに政府とマス-コミとの癒着ぶりがあらわにされるようになってきたという経緯がある。
北朝鮮と韓国とはもはやまったく別々の国家であり関係がないと断言するジャーナリズムさえ出現してきたことでこの疑惑はかえってますます拍車がかかった。
当初からの疑惑というのは冷戦当時の様相をそこそこ知っている今の四、五十代以上の人々なら当然のように湧き起こったものだ。北朝鮮に拉致された日本人、ソ連に拉致された北朝鮮人民、アメリカに拉致されたソ連の工作員、アメリカの捕虜収容者から行方不明になったソ連の工作員、ーーーと引き続く無限の系列である。
さらにその傍系。統一教会初代教祖と北朝鮮の金日成との友好写真の発覚によって拉致問題が北朝鮮と日本だけとの間で起きていた問題でないことも同時に発覚。それとともに拉致問題に熱心に取り組む姿勢をみせていた自称ジャーナリスト櫻井よし子が拉致被害者の救済のためではなくただ単なる金儲けのための小道具として利用していたことも発覚した。
それ以前に北朝鮮諜報機関高級幹部と日本の諜報機関高級幹部とが土地取引をめぐって仲良く話し合いを続けていた件もあるにはあった。
それはともかく、日韓米はより一層強い団結を確認しなければならないが、一方、日韓と北朝鮮とはもはや何の関係もない別々の国家だとするプロパガンダが増えてきたのはいっこうに解せないと言わざるをえない。北朝鮮だけを無難に切り離してしまえば、北朝鮮に拉致された日本人、ソ連に拉致された北朝鮮人民、アメリカに拉致されたソ連の工作員、アメリカの捕虜収容者から行方不明になったソ連の工作員、ーーーと引き続く無限の系列がなかったことになってしまう。とともに拉致問題は自然消滅してしまうことになる。日本国民にとってそれこそが今の日本の最大政治政党の悲願のひとつとなったと理解していいのだろうか。
もしそうなったとしよう。さらに複雑な政治情勢に日本は足を取られることになる。ジジェクはいう。
「ポピュリズムは最終的には《絶対に》うまくいかない。右派版の場合、ポピュリズムは定義上まやかしになる。なぜならそれは敵の偽りの像を作り出すからだーーーどのような意味で偽りかといえば、基本的な社会の敵対関係を覆い隠し(『資本』の代わりに『ユダヤ人』と言うなど)、そうすることでポピュリズムのレトリックが、名目上敵対関係にあるはずの金融エリートに奉仕してしまう。左派版の場合、ポピュリズムが偽りなのはより複雑なカント的意味においてである。敵対関係における<敵>の構築は、曖昧ながら妥当な相同関係によって、カントの図式論の役割をはたすということができる。それによってわれわれは理論的な洞察(抽象的な社会の諸矛盾への気づき)を実践政治の取り組みへと変換することができるからだ。バディウの『資本主義とは戦うことができない』という言葉は、このように読むべきである。われわれの戦いを『図式化』し、表立って資本主義の手先のように活動する具体的な行為者との戦いに変換するべきだと。しかし、マルクス主義の基本的な主張はまさに、そうした人格化によって実在の敵を仕立てるのは誤りだということだーーーもし必要だとしても、それは構造上必要な幻想のようなものに過ぎない。だとすれば、マルクス主義政治は永遠に信奉者(と自分自身)を操り、ミスリーディングであることは承知のうえで事を運ぶべきだということになるのだろうか。マルクス主義の闘争はおの内在的な矛盾を運命づけられており、それはひとまず<敵>と戦いそのあとでシステム自体のより根本的な改革へ進むと主張することでは解決できない。左派ポピュリズムは政権をとった瞬間に<敵>と戦うことの限界に躓いてしまうのだ」(ジジェク「あえて左翼と名乗ろう・4・P.87~88」青土社 二〇二二年)
右派は言うまでもなく初めから失敗を運命づけられており、左派もまた政権を取ったその瞬間に「<敵>と戦うことの限界に躓いてしまう」と。