二〇二四年の3.11。年末にこうあった。
「養生とは、必ず、この世界とつながっていることがわかる。私が養生するにはこの世界を養生していかなければならない」(岩川ありさ「養生する言葉(7)」『群像・2024・1・P.376』講談社 二〇二三年)
気の遠くなるような話なのだが極めて自然でまっとうだろう。
ところが今の日本のマス-コミは日本の大部分をがたがたの絶壁から突き落とし、次にマス-コミがマス-コミ自体を突き落とし、ついには日本全体で一緒に死にましょうとでも言いたげな隠蔽報道で満ちているようにしか見えない。
「私が養生するにはこの世界を養生していかなければならない」
多分に同意したい。ところが「私が養生」しようとすると日本のマス-コミはたちまち「この世界の養生」を阻止しにかかる。そしてマス-コミ自身の死の本能と心中することを必然的過程へ改造してしまう。