ただ単に「株価が上がった」というだけで「世界に冠たる日本」が戻ってでもくるかのようなイメージ付けに忙しい日本のマス-コミ。一九八〇年代バブルの時期、浅田彰「構造と力」の中で「トラウマ」について「トラとウマにわかれて走り出す」と述べ、それを見た読者はいかにもとげたげた笑って遊んでいられた東西冷戦真っ只中。ところが「トラウマ」が多岐に分かれつつ精神障害のひとつとして避けて通れない社会問題へ急加速し日本にずっしり定着したのはその十年後。冷戦終結後のことだ。
川上未映子は大澤聡とのインタビューでこう語っている。
「川上 もちろんどの時代にも次の時代への積み残しはあるわけですが、たとえば『トラウマ』というい言葉が出てきたのも九十五年くらいで、花たちが聴くのはXJAPAN一択でした。ヘビメタは社会を飛ばして俺と世界の関係を歌うでしょう。スピリチュアルなものとすごく親和性が高いんです。
大澤 ドームライブのタイトルが『破滅へ向かって』だし。身体性の限界の突破に挑戦する。
川上 ドリカムみたいに人間の感情をみんなで歌うものじゃなくて、ひとりきりで誰もいない世界の一点だけを見つめて、後戻りできないくらいに尖っていく。XJAPANはそもそも桃子が花たちに教えるんですね。おなじ夢をみて涙を流して狂騒に身をあずけ、やがて破滅する彼女たちの出会いの儀式にふさわしい楽曲は、歴史的な解散を経て、メンバーが非業の死をとげるXJAPANしかなかった」(「川上未映子インタビュー」『群像・2023・05・P.35』講談社 二〇二三年)
該当箇所を見てみよう。登場人物のひとり玉森桃子がXJAPAN「紅」を披露するシーン。
「バラード部分が終わって曲はどうなるのかと思った瞬間、世にも激しいドラムのものすごい連打が鳴り響きーーーそこからの玉森桃子はとんでもなかった。
なにがどうなっているのかわからないほど荒々しい音の渦にまみれながら、玉森桃子の声は突き抜けるようにただ光り輝いているだけではなく、透きとおっていて儚いのに、きらめく極太の筒が喉からまっすぐに果てしなく伸びつづけているような、映像的な凄みがあった。これがなんていう種類の演奏で、楽器がなにで、どういうジャンルの音楽なのかまったくわからなかったけれど、そこで鳴っているすべての音が、玉森桃子の声が、わたしの脳天を直撃し、体をぶるぶると震わせた。
子どもの頃にテレビの名作アニメとかそういうので見たような、モーセだかキリストだかのまえで海がぶあついままに左右に割れて光がさすシーンが頭に浮かび、それと同時にものすごい銀河のイメージが胸に広がった」(川上未映子「黄色い家・P.171」中央公論新社 二〇二三年)
XJAPAN「紅」。一九八〇年中学一年生の頃からロックバンドをやっていると決してヘビメタだけを特別視するような事態は起こってくるわけもない。むしろヘビメタは中高生のための「パーティー・ソング」という位置付けで、学園祭で場を盛り上げる時や流れを変えたい時の「装置」として用いられていた。古くは例えばディープ・パープルの日本武道館公演が一九七〇年代の若年層を政治から遠ざけストレス発散装置として重宝されたように。
さらにテレビか何かで初めてXJAPAN「紅」を聴いたときはちょっと驚いた。八十年代の少なくとも後半の欧米ではとっくの間に出揃っていた「お約束」の展開と演出、イントロ頭からラストまですべて欧米ヘビメタ界で有名になって使いまわされているコード進行、リフ、メロディの連続。どこをどう切り取ってみても出てくるのはステレオタイプばかり。驚くことは何ひとつないにもかかわらず、なぜこれほどまでカルトしているのかということに驚いた。巨大ドームに集結した「信者たち」が「モーセだかキリストだかのまえで海がぶあついままに左右に割れて光がさすシーン」に実際に立ち会いつつ擬似的な死をめざす「特別な者たち」の「蕩尽」。
しかし擬似的な死ではなく本当の死をめざす「蕩尽」であればバタイユが述べており、実際に三島由紀夫が実践してみせたように割腹自殺へ立ち至るのが本筋である。ところがそうはならない擬似的な抜け穴(資本主義的再投資)のようなものが設定されており、そこになんの用があるのか隅々までは知らないけれどもある種の政治家が人気取りのために割り込んでくることができ、一般大衆が立ち騒ぎ、騒ぎから収益を上げようとマス-コミが殺到する。
そんなこととは関わりなく不況はさらに長引いた。長引いているのに「史上最高の株価を記録」と雄叫びをあげるマス-コミ。ついに「バブル越え」。とはいえ数字だけ。そこでふと思い出した。
「川上 今、みんなFIREしたがってるでしょう。投資して一億円貯めたい、そして会社を辞めたいって。ただ稼ぐだけじゃなくて、蓄財とそれが生み出す猶予への強迫観念がある。日本は不況で、ほとんど貯金なんかない人が多いのに、全体の貯蓄額は過去最高になっているのも示唆的です」(「川上未映子インタビュー」『群像・2023・05・P.46』講談社 二〇二三年)
川上未映子のインタビューが行われた正確な日時は二〇二三年三月十三日。今日でちょうど一年になる。