「群像」(十月号)で小川洋子は書いている。
「取り出された四つの骨片は、どれも形が異なり、掌の窪みにおさまるほどの大きさしかなく、繊細な姿をしていた」(小川洋子「骨壷のカルテット」『群像・2023・10・P.12』講談社 二〇二三年)
連作の第一回目にある文章。しかしなぜ記憶に残っているのか。
母が抗癌剤を中止したのが八月九日。それから一ヶ月ほど経ち緩和ケアへの移行手続きに奔走していた頃。抗癌剤使用でどんどん出てきた副作用止めの薬剤を連用するほか手がなかった時期にあたる。
人間は死ねば骨になると言われている。いや、そんな簡単な話ではないだろう、もっと分解されて地球の新陳代謝のどこかへ霧か霞のように消え失せていく。しかしともかく、いったん火葬があり骨壷に入ることになる。
小川洋子の文章が視界をかすめた瞬間、とっさには言葉にできない引っかかりを抑えられなかったことはなかなか鮮明に記憶している。文章が問題だとかそういうことではまるでなく、「繊細な姿」というほんのワンフレーズ。純文系にせよエンタメ系にせよおそろしく濫用されてきたし今なおしているフレーズだ。
「繊細な」。個人的にはもっと他に言い方がないだろうかと常々違和感を覚えずにはおれない語彙のひとつなのだがこの時ばかりはかなり強烈に引っかかった。妥当する語彙があるにせよ逆にないにせよ、どちらにしても小川洋子に責任があるはずもない。だが多くの作家がともすれば「繊細な」という形容詞で済ませてしまってもいい「制度」のようなものが日本の文学界に根付いていることに多少なりとも苛立ちを覚えたことは隠しようがない。だからだろう、ただ単に「繊細な」というだけでなく「取り出された四つの骨片は、どれも形が異なり、掌の窪みにおさまるほどの大きさしかなく」と丹念に書く小川洋子は、変な言い方になってしまうかもしれないが、「良識的」な作家に見えたのも事実である。
発売日は九月七日だった。その日の母の夕食はホウレンソウの胡麻和えとゴボウのツミレ。ホウレンソウの胡麻和えはまあまあ食べることができていた時期。しかしゴボウのツミレはほとんど食べることができていない。全身倦怠感と食欲不振が大きく前面に出ている時期でもあり、もともと母は「まずい」という言葉を用いない性格なのでその代わりに「砂を噛んでるみたいや」とぼそりと漏らした。詳しい報告ではあるかもしれないが「繊細な」形容詞ではまるでなかった。