白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ316

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年三月二十五日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

階下でタマが鳴いている。いつもと違う声。なんなんだと思って見に行くとお気に入りのぬいぐるみがキッチンのシンクに入れてあり、声をかけると「どうやって遊べばいいのだろう、飼い主」とでもいわんばかりの目で振り向く。一人遊びがしたいのかそれとも飼い主に相手をしてほしいのかよくわからない一件だった。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。キム・ゴードン。インダストリアル。エクスペリメンタルでもある。個人的にこの手のインダストリアルには抵抗がなく、ゆえにエクスペリメンタルとして聴けるという態度になるのが常。しかしキム・ゴードン、彼女はいまや七十歳。ところがなぜか時間の経過を感じさせない音源力とでもいいたいものを今なお持つ。


Blog21・形容詞「砂を噛んでるみたいや」

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

「群像」(十月号)で小川洋子は書いている。

 

「取り出された四つの骨片は、どれも形が異なり、掌の窪みにおさまるほどの大きさしかなく、繊細な姿をしていた」(小川洋子「骨壷のカルテット」『群像・2023・10・P.12』講談社 二〇二三年)

 

連作の第一回目にある文章。しかしなぜ記憶に残っているのか。

 

母が抗癌剤を中止したのが八月九日。それから一ヶ月ほど経ち緩和ケアへの移行手続きに奔走していた頃。抗癌剤使用でどんどん出てきた副作用止めの薬剤を連用するほか手がなかった時期にあたる。

 

人間は死ねば骨になると言われている。いや、そんな簡単な話ではないだろう、もっと分解されて地球の新陳代謝のどこかへ霧か霞のように消え失せていく。しかしともかく、いったん火葬があり骨壷に入ることになる。

 

小川洋子の文章が視界をかすめた瞬間、とっさには言葉にできない引っかかりを抑えられなかったことはなかなか鮮明に記憶している。文章が問題だとかそういうことではまるでなく、「繊細な姿」というほんのワンフレーズ。純文系にせよエンタメ系にせよおそろしく濫用されてきたし今なおしているフレーズだ。

 

「繊細な」。個人的にはもっと他に言い方がないだろうかと常々違和感を覚えずにはおれない語彙のひとつなのだがこの時ばかりはかなり強烈に引っかかった。妥当する語彙があるにせよ逆にないにせよ、どちらにしても小川洋子に責任があるはずもない。だが多くの作家がともすれば「繊細な」という形容詞で済ませてしまってもいい「制度」のようなものが日本の文学界に根付いていることに多少なりとも苛立ちを覚えたことは隠しようがない。だからだろう、ただ単に「繊細な」というだけでなく「取り出された四つの骨片は、どれも形が異なり、掌の窪みにおさまるほどの大きさしかなく」と丹念に書く小川洋子は、変な言い方になってしまうかもしれないが、「良識的」な作家に見えたのも事実である。

 

発売日は九月七日だった。その日の母の夕食はホウレンソウの胡麻和えとゴボウのツミレ。ホウレンソウの胡麻和えはまあまあ食べることができていた時期。しかしゴボウのツミレはほとんど食べることができていない。全身倦怠感と食欲不振が大きく前面に出ている時期でもあり、もともと母は「まずい」という言葉を用いない性格なのでその代わりに「砂を噛んでるみたいや」とぼそりと漏らした。詳しい報告ではあるかもしれないが「繊細な」形容詞ではまるでなかった。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて739

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

喪中。

 

昨日午後七時にオランザピン(5mg)二錠服薬。まとまった睡眠時間は二時間。今日の午前二時に二度目のオランザピン(5mg)二錠服薬。まとまった睡眠時間は二時間。合わせて四時間。あたかも分割払いのようだ。オランザピン摂取でこのような傾向が出たのは初めて。多少なりとも使い慣れた薬剤なので何とも考えようがないと言いたいが考えておかないといけない。

 

というのは抗精神薬の用い方に限らず生活習慣病の患者は巨大災害など万一に備えてあれこれ準備しているわけで、その効き方が不意に変わるとまた初めから使い方を設定し直さないといけなくなるから。鬱病者にとってはかなり億劫な作業。

 

読書量は増えないけれども減少傾向は止まり、ややほっとしたもののさらに増えそうな感触はまだ得られない。

 

今朝の仮祭壇メニュー。ミニトマト。一度にまとめて購入するのが経済的なので引き続きリンゴ王林。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はデューク・ジョーダン「JORDU」。


Blog21・決定的敗戦をもたらした日本全体主義の「社会的担い手」とは誰か2

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 

Blog21・決定的敗戦をもたらした日本全体主義の「社会的担い手」とは誰か2(再録) - 白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

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Blog21・決定的敗戦をもたらした日本全体主義の「社会的担い手」とは誰か1

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 

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