白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

夜の居場所2

2020年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホを追いつめたのは社会規範である。アルトーが一貫して述べているのはそういうことだ。けれども社会規範というものは、その常として、いつも「誠実そうな顔をして」近づいてくる。ゴッホが描く「自然」は「子供っぽい」という理由で。

「誠実そうな顔をして、彼のうちの子供っぽさを摘み取るためにヴァン・ゴッホにそっと近づいた、発育しつつあった(自然な)子供っぽさを切り離すために」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.160』河出文庫)

人間が持つ社会的文法は目に見えない。それは或る一定の時期における人間社会のすべての風景を根底から規定するよういつも働きかけている。すでに根絶しがたいほど慣習化した制度として常に人間の言動をその規範の枠内に保ち、規範内部に収まっているか、はみ出していないかどうか、管理監督している。そして社会規範は管理徹底のために「健康な精神」と称して、すべての人間の「身体のなか」へ入り込んで侵食してしまうことを心がけている。次のように。

「いつもはつねに乱交パーティや、ミサや、赦禱や、あるいは聖別、憑依、女淫夢魔、男淫夢魔といったような他の祭儀の際に起こるような起こるように、それがヴァン・ゴッホに対して起こったのである。つまり社会というやつが彼の身体のなかに入り込んだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.119』河出文庫)

ゴッホにとってそれは耐えがたい経験だった。ゴッホは過剰な自己探究者ではあったが、けっして過剰な性欲に苛まれていなどいなかったからである。ところが社会はゴッホの精神に対し、社会の共犯者となるよう強制した。相入れない道徳によって暴力的に侵入されたゴッホは、何ら意図してもいない罪を浴びせかけられ、社会全体に敵対する存在として位置づけられた。社会全体に行き渡った道徳という暴力というものからそのすべての憎悪を一身に引き受けなければならない立場に追い込まれた。ただ、社会の目に見えて映っているような風景でなく自分の思うような風景画を描いたというだけで。社会規範の側からすればそれほど悪質な犯罪もまたとないというわけだ。

「そしてヴァン・ゴッホはそこで千の夏をふいにした。そのために彼は三十七歳で死んだ」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.161』河出文庫)

裸婦を描いた画家はたくさんいた。日本で人気のルノワールを始め、ゴッホの友人だったゴーギャンはさらに南のタヒチへ出かけて異国の女性の丸裸の姿を多く描いた。しかし自殺に追い込まれたのは裸婦に関心がなく、身近な風景ばかりを題材にしていたゴッホなのだ。なぜだろうか。人間の生にとって「性的欲望」というものが極めて重要な政治的要素となっていたことに注目しなければならない。それは専制主義的王権時代のように抑圧され否定されるものではもはやなく、新興ブルジョワ階級によって誘導され分析され生産と人口管理と社会秩序を通して国家の力に資するものへと置き換えられたからである。抑圧はもう必要ない。だから国王が持っていた「殺す」権利は国王とともに葬り去られた。代わって、中央集権的監視と新しい社会秩序維持発展のために「生かす」ことが最大限重要視されるようになる。国家増強・国威発揚のため、「生かす」ためのテクノロジーとして性的欲望はまったく新しい社会的価値を与えられる。国家監視の下で人間を「生かす」ための生産調整として、同時に規律化し綿密詳細に管理するための身体の測定と統計。また人間社会にとって必要とされる身体的かつ精神的「基準」の増殖に資する「性的欲望」という新しい「装置」が、創設される。国家が主導する二つの視線が認められる。一つはマクロレベルで二つに分かれる。

「一方では性は、身体の規律に属する。身体的な力の訓練と強化と配分であり、エネルギーの調整とその生産・管理である。他方では、性は、それが誘導するすべての総体的作用を通じて、住民人口の調整・制御に属する。性は同時に二つの領分に組み込まれる」(フーコー「知への意志・P.184」新潮社)

もう一つはミクロレベルで国家化された医学=医学体系的国家による常時監視体制の確立とそのあくなき追求である。

「それは無限に細かい監視と、あらゆる瞬間における管理統制と、細心の空間的配備と、無際限の医学的・心理学的検査と、身体に対する一連の<微笑権力>とを引き起こす」(フーコー「知への意志・P.184」新潮社)

それらすべてにわたる情報の一元的管理によって国家は、いついかなるときでも、社会のどんな細部にでも突如として介入することを可能にした。

「それはまた、大々的な措置や統計学的測定、社会体の全体あるいは様々な集団の全体を対象とした介入を引き起こしもする」(フーコー「知への意志・P.184」新潮社)

古典主義時代から十九世紀一杯を通して性的欲望は意味を変えた。性欲は抑圧されない。むしろ「分析される」。詳細かつ綿密に分析されることで人間を「調教する」ために大いに活用されるものとなる。そしてこの「調教」はそれじたい、さらなる性的欲望を生産する。

「性的欲望は各人の個性の暗号となる、つまり個人を分析することを可能にするものであると同時に、個人を調教することを可能にするものだ。しかし同様に、それは政治的操作のテーマ、経済的介入のテーマとなり(生殖への唆かしあるいは抑制によってである)、また、教化あるいは責任賦与のイデオロギー的キャンペーンのテーマとなる」(フーコー「知への意志・P.184」新潮社)

さてしかし、このような「政治的操作」ならびに「経済的介入」の「テーマ」として浮上してきた性的欲望はどのような分析によって全面的政治性を帯びることになったか。フーコーは差し当たり「四つの戦略」を上げている。

(1)「女の身体のヒステリー化」。それが問題視されるのは第一に社会の《生産性》にとってである。女性はいつも《順調な繁殖力を維持しているべき》だとする社会規範が出現したのは太古の大昔のエピソードではない。逆に資本主義的生産様式が定着してくる過程で発生してきたまったく最近の、ここ二百年ばかりのうちに出現した近代の産物でしかない。それが世界的規模で拡張されたときこの産物はすでに全体主義的《神話》の次元にまでのぼりつめていた。さらに生物学的見地から、子供は女性の身体から生み出されるものなので、子供に対する道徳的責任と安全保証は女性の役割であるという見解がすべての異論を排除する形で固定化される。そして家族という空間の基礎的機能を根底から担うのもまた女性であるほかないとして世論を上げて一斉に規定される。この時点で発生したのが《母性》というものであり、ニーチェの言葉を借りれば世界的規模での「でっち上げ」が完成したのである。だからヒステリーは健康な女性のネガティヴな姿として、否定的なものとして、「健康な女性」という《神話》と同時に出現し、「健康な女性」というポジティヴな《神話》を支えるネガティヴな役割を与えられるとともに一種の「狂気」とされるに至る。ところがこの構造は構造自体の作用によって、理性は狂気の支えなしに存在しないという事情を覆い隠してしまう。だからといって、女性はただ単に子供を産めば良いということではない。それは資本主義の生成期において妥当する事情ではあっても、テクノロジーの高度化によって剰余価値の増殖が可能になった以上、ますます可能になっていく以上、ただ単に子どもばかり生まれてしまっては逆に国家は困惑することになる。問題は、産児制限したり逆に産児制限を抑制したりといった、人間の身体を《調整する》ことにある。生殖装置としての婚姻は労働力商品の再生産でもあるが、他方、性的欲望の装置は生殖とは関係のない性的欲望を増殖させ、それを質的にも量的にも測定し様々に分類し情報化し管理社会の実験的強化に資する。だからフーコーは「性的欲望の解放」とは呼ばず「性的欲望の装置」と呼ぶのだ。そのための身体の計測であり、中央集権的管理領域の無限の増殖強化に供される身体なのである。増殖する性的欲望を《欲望する管理》があるのだ。

(2)「子供の性の教育化」。ここで問題となるのは子どもたちの「自慰行為」である。それは「自然」なのだが「不自然」でもあるとされる。というのは自慰行為は子どもを生産しないからだ。だが自慰なしに子どもは生きていくことができるだろうか。まったくないとすれば近いうちに性犯罪に走ることは目に見えている。そこで、ありとあらゆる親、家族、教育関係者、医師、心理学者などが子どもたちの「自慰行為」目指して殺到し教育的指導の中へ注意深く監禁包囲するという前代未聞の事態が生じた。

(3)「生殖行為の社会的管理化」。国庫-財政管理に関わる。性行為ではなく、生殖行為が、政治的社会管理という措置の下に置かれる。この後者、子どもを生産する限りでの「生殖行為」の《義務化》と《責任化》とが国家によって一元的管理される。管理するのは国家である。国家であるがゆえ、結婚した夫婦の前には前提として《子供を生産する》責任と《子供を生産し過ぎてはいけない》という二重の責任が出現する。また別に性的欲望そのものは恒常的な増殖を義務づけられる。婚姻は合法だがまさしく婚姻が合法的であることによって触発されつづける非合法的な欲望〔種々の多型倒錯的欲望(たとえばフェチ、パンチラ、性風俗、小型スマートフォンの違法使用、等々)〕を生産する。それもまた身体において測定され管理され商品化されると同時に大量生産と大量消費との経済的過程へ組み込まれ貨幣による商品交換を経て剰余価値を実現する。それは国家-資本からの要請であるにもかかわらず、なぜか《社会全体に対する責任》であるという意味の置き換えが、責任転嫁が、なされる。さらにこの置き換えは、市民社会に対する国家-資本による極めて重大な詐欺ではないか、という問いについて。ニーチェはいう。

「《開戦理由とそのたぐい》。ーーー隣国と戦争をやろうとすっかり決心して、これになにか《開戦理由》をみつけだす君主は、自分の子どもの母親をすりかえて、それをそのさきは母親と思わせようとする父親のようなものである。そしてわれわれの行為の公に披露された動機はほとんどすべてそのようなすりかえられた母親ではないのか?」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・五九六・P.460」ちくま学芸文庫)

さらに性欲と生殖との決定的違いについて。ニーチェから。

「生殖は、性欲の《或る》種の満足の、一つの往々生じる偶然的な帰結であって、性欲の意図では《ない》のだ、性欲の必然的な結果ではないのだ。性欲は生殖とはいかなる必然的な関係をももってはいない。たまたま性欲によってあの成果がいっしょに達成されるのだ、栄養が食欲によってそうされるように」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八九六・P.491」ちくま学芸文庫)

さらにフロイトから。

「たいていの人にとって、『意識的』ということは『心的』ということと同じなのですが、われわれは『心的』という概念を広げようと企てて、意識的でない心的なものを承認する必要に迫られたのでした。これとまったく類似していることですが、他の人たちは『性的』と『生殖機能に属している』ーーーあるいはもっと簡単に言おうと思うなら『性器的』ーーーとを同一視していますが、われわれは、『性器的』でない、すなわち生殖とはなんの関係もない『性的』なものを承認せざるをえないのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.9」新潮文庫)

また、道徳化された生殖という国家的欺瞞について。

「人間にその性欲を、子供をもうけるための《義務》としてしか意識させないような、高度に道徳的な虚偽がありうるかもしれない」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・九四四・P.508」ちくま学芸文庫)

(4)「倒錯的快楽の精神医学への組み込み」。単純化すれば「性倒錯」の取り扱い方についてということだ。様々な欲望の観察対象として、客体化された身体として、計測される。けれどもそこから国家が汲み上げるのは、倒錯として認められる希少価値のある種々の性的欲望についての科学技術=テクノロジーとその集中管理である。《欲望するテクノロジー》とでもいうべきか。

そしてフーコーはいう。

「一般的に言って、『身体』と『人口問題』の接点にある性は、死の脅威よりは生の経営のまわりに組織される権力にとって中心的な標的となる」(フーコー「知への意志・P.184」新潮社)

問題は<性>とは何か、ではなく、「生の経営のまわりに組織される権力にとって中心的な標的となる」<性>なのだと。ゴッホは性欲にあまり重要な価値を置かない。ほとんど関心がない。それより遥かに絵画に、絵画する自分の《手》としてゴッホは生きた。ところが他方、性欲にばかり夢中になり性的欲望の科学技術化(テクノロジー化)に邁進していた国家があった。そんな国家からすれば性欲より遥かに絵画に夢中になっているゴッホを許すことは到底できない。国家権力は混乱した。不安を覚えた。そして社会化された人々から構成されたヨーロッパ市民社会はゴッホを自殺へ追いつめてしまったわけだが、それが一体どのようなことなのか、当時は誰にもわからなかった。ちなみにニーチェはゴッホの同時代人だったけれども、ゴッホの絵画はまるで売れていなかった。だからだろうか、ニーチェはゴッホについて何一つ語らないまま死んでしまっている。「『身体』と『人口問題』の接点にある性」とフーコーはいう。そしてそれは問題の立て方として正しいだろうと思われる。<生>と<性>についての考察。その重要性。けれども、二〇二〇年の世界ではマスコミというものが「米中対立」という余りにも安易な形式を持ち出して割り込んでくる。特に日本ではその傾向が強い。しかしそのような行為は日本の視聴者に対して、肝心の、日本全土に横たわる諸問題を覆い隠すという転倒を生じさせる。国家-資本が要求する性的欲望の分析とその中央集権的管理にとって、国民による生産と消費、それに見合う社会保障が確立されておらず制度化もされていない状態では、グローバル資本の自己目的的諸運動は加速を欲してさらなる停滞あるいは恐慌を反復させるばかりだというのに。とりわけ日本では、日本が危機におちいるたびにマスコミはなぜか米中対立を持ち出してきて日本自身の危機を市民社会全体に知らせようとせず逆に覆い隠そうとする。歴史的見地からいえば、危機の時期に顕著な傾向として、マスコミと国家とは急速に近づくわけだが。ところが今では、国家は多国籍資本によって、その一部分へと再編されてしまっている。

「国家はもはや戦争機械を所有するのではなく、国家自身が戦争機械の一部分にすぎぬような戦争機械を再構成した」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.234」河出文庫)

というふうに。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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夜の居場所1

2020年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホは「やり直そうとしている」とアルトーはいう。

「信じがたい人であるヴァン・ゴッホ以上に、問題の驚くべき点を理解した画家がいるであろうか、彼にあってはどんなほんものの風景も、いわば坩堝における可能態のうちにあって、その坩堝のなかで彼はいまからやり直そうとしている」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.158』河出文庫)

ところでの「坩堝」(るつぼ)とはなんなのか。ゴッホの書簡を見てみる。たとえば次のような認識と関係がある。

「家の装飾にすっかり夢中になっている。それは君が描くものとは全然別のものだが、君の趣味に合うんじゃないかと思う。以前、《花》と《樹》と《畑》という絵のことを僕に話していたが、ここに《詩人の庭》(二枚)がある。見取図のなかに習作から描いた最初の着想が入れてある、小さい方は既に弟の手元へ届いているはずだ。次に《夜の星空》、それから《葡萄畑》、《畝》、そして街路とでもよべる人家の眺めと、みんな無意識的にある関連性をもっている」(ゴッホ「ゴッホの手紙・上・P.173」岩波文庫)

無意識かどうかはわからないとしても、すべては「関連性をもって」流動していると述べる。ニーチェがいっていることもまた別のことではない。

「《道徳的》観点は局限されているーーー。各個人は宇宙の全実在と共演しているのだ、ーーー私たちがそのことを知ろうが知るまいが、ーーー私たちがそのことを欲しようが欲しまいが!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一二三一・P.656」ちくま学芸文庫)

ゴッホは何度でも「やり直す」ことができる。実際、いつも「やり直そう」としていた。世界の新しい形態の発見者だったからだ。それは場合によりけりで、実際の地理的な意味での(オランダから南フランスへの)単なる移動だけでなく、たとえば異なる分野(文学、肉体労働)への、あるいは異なる時代に属する絵画(ミレーなど)への、また、他の画家の手による「他者としての絵画」の《翻訳》への、といった既成の価値の価値転換をもたらす「場所移動」を条件として生じる。次のように。

「ゾラとバルザックはその作品のなかで画家のようにある時代の社会や自然を描写して不思議な芸術的衝動を起させ、読者に話しかける、それによって、描かれたその時代に触れさせるのだ」(ゴッホ「ゴッホの手紙・上・P.146」岩波文庫)

「絵かきのような汚い職業には、労働者の手と胃袋を持つ人間が一番適しているのだと以前から感じていた。破滅した頽廃的なパリのブルヴァールの常連よりも、もっと野性的な好みと、愛情ゆたかな、温かい性格が必要なのだ」(ゴッホ「ゴッホの手紙・上・P.180」岩波文庫)

「ミレーの複製を送ってくれてとてもうれしかった。熱心に製作中だ。芸術的なものを見ないと、僕はたるんでしまう、元気が出た。《夜なべ》を仕上げ、《土を掘る人》、《上着をきる男》はいずれも三十号画布だが、《種まき》はもっと小さい。《夜なべ》は紫色と柔らかいリラ色の色調だし、薄いレモン色のランプの光、それにオレンジ色の炎と、赤茶色(オークル・ルージュ)の男がいる。君にも見せたい。ミレーの素描から油絵にするのは、模写するというよりも他国の言葉に翻訳するようだ」(ゴッホ「ゴッホの手紙・下・P.216」岩波文庫)

「既にもう気づいたが、南仏へ行ったお蔭で北方のことがよく分るようになった。僕が想像していたとおり紫がいっそう目立つようになった」(ゴッホ「ゴッホの手紙・下・P.261」岩波文庫)

というように様々な面での絶えざる「場所移動」がゴッホに次々と新しい発見をもたらした。

「生に関しては、人類は芸術家の天才のなかにそれを探しに行くことを習慣としている」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.159』河出文庫)

芸術家の作品は両義的に作用する。人間はそれら芸術作品の中に自分の姿を探し求め見つけ出そうとする。小説、絵画、音楽、等々。そして実際見つかることは少なくない。ところがゴッホの絵画の中に自分の姿を見る人々はそれほど多くない。「創作活動」と「狂気」との関係にその困難がある。

「狂気の最初の声がニーチェの傲慢、ヴァン・ゴッホの卑下のなかに、いつ忍びこんだかを知ることは重要ではない。狂気は創作活動の最終的な瞬間としてしか存在しない。創作活動こそは狂気をそのぎりぎりの境界にまで際限なく追いやっているのであり、《創作活動が存在するところには、狂気は存在しない》、けれども、狂気は創作活動と同時期のものである、それこそは創作活動の真実の時間を始めるのだから。創作活動と狂気がともに生れ完了する瞬間、それは、世界がこの創作活動によって設定された自分を、またこの創作活動の全面にあるものに責任を感じている自分を見出す、そうした時間の始まりである。狂気の術策と新たな勝利である。すなわち、狂気を測定し、心理学によって狂気を正当化していると信じている世界のほうが狂気の正面で自分を正当化しなければならないのである。というのは、努力と論争によって世界は、創作活動の、ニーチェやヴァン・ゴッホやアルトーのそれのような度はずれた尺度をもとにして自分を測っているのだから」(フーコー「狂気の歴史・P.559~550」新潮社)

なぜ困難なのか。フーコーのいうように「ニーチェやヴァン・ゴッホやアルトーのそれのような度はずれた尺度をもとにして自分を測」ろうと試みるからにほかならない。しかし人々はむきになって彼らの作品を尺度にしたがる。こうして「理性/狂気」の分割にもかかわらず両者の関係はかえってますます不明瞭になっていくのだ。

ところでゴッホの「生」というところでいえば、近代社会の到来以来、十七世紀以来、だんだん拡がりを持ってきた「生きさせられることの耐え難さ」という転倒にある。以前は「殺されること」が耐え難かったのだが、イギリス産業革命以来、不意打ちを受けて殺されたり司法によって死刑にされたりすることよりも、何がなんでも「生きさせられる」必要性の中に叩き込まれたことと、その生には実のところ何らの「目的、目標、確固たる存在」も本当は《ない》という認識に気づき始めたからである。それも、徐々に教養の獲得を実現させてきた市民社会自身によってである。「生」は生きられるものというより、遥かに、計測され、管理され、政治的秩序の規律化に活用されるようになる。大きく二つ。

「その極の一つは最初に形成されたと思われるものだが、機械としての身体に中心を定めていた。身体の調教、身体の適性の増大、身体の力の強奪、身体の有用性と従順さとの並行的増強、効果的で経済的な管理システムへの身体の組み込み、こういったすべてを保証したのは、《規律》を特徴づけている権力の手続き、すなわち《人間の身体の解剖-政治学》〔解剖学的政治学〕であった」(フーコー「知への意志・P.176」新潮社)

さらに。

「第二の極は、やや遅れて、十八世紀中葉に形成されたが、種(しゅ)である身体、生物の力学に貫かれ、生物学的プロセスの支えとなる身体というものに中心を据えている。繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命、長寿、そしてそれらを変化させるすべての条件がそれだ。それらを引き受けたのは、一連の介入と、《調整する管理》であり、すなわち《人口の生-政治学》〔生に基づく政治学〕である」(フーコー「知への意志・P.176」新潮社)

人間の客体化に成功した国家による巨怪な作業。第一に「《人間の身体の解剖-政治学》〔解剖学的政治学〕」。第二に「《人口の生-政治学》〔生に基づく政治学〕」。共通するのはどちらも医学を通していながらそのじつ極めて「国家-政治的」行為だったことだ。この変化はすでに専制君主制=王権の無要性を物語る。国王が死刑を命じる必要性はない、というよりむしろ禁じられる。新興ブルジョワ階級は「殺す」のではなく逆に「生かす」こととその中央集権的管理調整に全力を上げるようになるからである。

「古典主義時代において、このような二重の顔立ちをもつ巨大テクノロジーがーーー解剖学的でかつ生物学的であり、個別化すると同時に概念に従って分類する、身体の技能的成果へ向かうと同時に生のプロセスそのものを見ようとするものとしてーーー設置されたという事実、それは至高の機能が爾後はおそらくもはや殺すことにはなく、隈なく生を取り込むためにあるような一つの権力の特徴を雄弁に物語る」(フーコー「知への意志・P.176~177」新潮社)

そのような転倒についてレーニンもまた気づいている。

「たとえば、われわれがすでにその深遠な意見を知っている新『イスクラ』の例の『一実践家』は、私が党を、中央委員会という支配人をいただく『巨大工場』と考えているといって告発している(第57号、付録)。この『一実践家』は、彼のもちだしたこのおどし文句が、プロレタリア組織の実践にも理論にもつうじていないブルジョア・インテリゲンツィアの心理を一挙にさらけだしていることに、気づいてもいない。ある人にはおどし道具としかみえない工場こそ、まさにプロレタリアートを結合し、訓練し、彼らに組織を教え、彼らをその他すべての勤労・被搾取人民層の先頭にたたせた資本主義的協業の最高形態である。資本主義によって訓練されたプロレタリアートのイデオロギーとしてのマルクス主義こそ、浮動的なインテリゲンチャに、工場がそなえている搾取者としての側面(餓死の恐怖にもとづく規律)と、その組織者としての側面(技術的に高度に発達した生産の諸条件によって結合された共同労働にもとづく規律)との相違を教えたし、いまも教えている。ブルジョア・インテリゲンツィアには服しにくい規律と組織を、プロレタリアートは、ほかならぬ工場というこの『学校』のおかげで、とくにやすやすとわがものにする」(レーニン「一歩前進二歩後退・P.261」国民文庫)

フーコーの言葉へ変換すればこうだ。

「監獄が工場や学校や兵営や病院に似かよい、こうしたすべてが監獄に似かよっても何にも不思議はないのである」(フーコー「監獄の誕生・P.227」新潮社)

専制君主制の没落。

「君主の権力がそこに象徴されていた死に基づく古き権力は、今や身体の行政管理と生の勘定高い経営によって注意深く覆われてしまった」(フーコー「知への意志・P.177」新潮社)

人間の「生」は注意深く監視され計測され集中管理され、人間は国家による「経営学」の中へ再編されるようになった。やがて帝国主義の時代がやって来るのだが、それは資本主義にもかかわらず平坦な過程を描いてはいない。周期的に訪れる恐慌に必ず見舞われる制度だからだ。そのようなときには労働時間の「短縮」が行われる。

「恐慌のときには生産が中断されて、ただ『短時間』しか、週にわずかな日数しか作業が行われないのであるが、その恐慌も、もちろん、労働日を延長しようとする衝動を少しも変えるものではない。なされる仕事が少なければ少ないほど、なされた仕事についての利得は大きくなければならない。作業のできる時間が少なければ少ないほど、それだけ多く剰余労働時間が作業されなければならない」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.26」国民文庫)

恐慌の時期に行われる労働の「時間短縮」という操作。失業率は飛躍的に上昇する。二〇二〇年の世界でいう「合理化」あるいは「時短」である。そしてそれを可能にするのは新しいテクノロジーの導入である。

「作業機が、原料の加工に必要なすべての運動を人間の助力なしで行なうようになり、ただ人間の付き添いを必要とするだけになるとき、そこに機械の自動体系が現われる。といっても、細部では絶えず改良を求める余地のあるものではあるが。たとえば、たった一本の糸が切れても紡績機をひとりでに止める装置や、梭(ひ)の糸巻きの横糸がなくなればすぐに改良蒸気織機を止めてしまう自動停止器は、まったく近代的な発明である」(マルクス「資本論・第一部・第四篇・第十三章・P.261」国民文庫)

ただ、機械が導入されればされるほど必要労働と剰余労働との境界線は覆い隠される。両者は同時に融合しながら押し進められるほかないからである。

「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫)

さらに。

「労賃という形態は、労働日が必要労働と剰余労働とに分かれ、支払労働と不払労働とに分かれることのいっさいの痕跡を消し去るのである。すべての労働が支払労働として現われるのである。夫役では、夫役民が自分のために行なう労働と彼が領主のために行なう強制労働とは、空間的にも時間的にもはっきりと感覚的に区別される。奴隷労働では、労働日のうち奴隷が彼自身の生活手段の価値を補填するだけの部分、つまり彼が事実上自分のために労働する部分さえも、彼の主人のための労働として現われる。彼のすべての労働が不払労働として現われる。賃労働では、反対に、剰余労働または不払労働でさえも、支払われるものとして現われる。前のほうの場合には奴隷が自分のために労働することを所有関係がおおい隠すのであり、あとのほうの場合には賃金労働者が無償で労働することを貨幣関係がおおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第六篇・第十七章・P.61~62」国民文庫)

ところが、小さな資本はいつもいつも最新機器を購入する資金を持っていない。だから小さな資本は真っ先に淘汰される。巨大な資本も順次倒産していく。しかし大手多国籍企業は一次下請け、二次下請け、三次下請けというふうに、そのリスクを世界各地に分散しているため、そう簡単に潰れるということはない。その代わりに本拠地を潰さないために下層の下請け部分を潰すことから始める。だがまさしくその点で問題は残されるのである。

「理性は、痴愚を受け入れることによって、こっそりとそれをとり囲み、それを自覚し、それを位置づけることができる。しかも、この痴愚(フオリー)〔=狂気〕をどこに位置づけるべきかというと、理性じたいのなかに、理性の諸形態の一つとして、恐らくは理性の支えの一つとして位置づけるほかはあるまい。多分、理性の諸形態とこの痴愚の諸形態のあいだでは、類似点は大きいであろう。しかもその点が人に不安をあたえる。たとえば、ごく賢明な行為が馬鹿(フウー)〔=狂人〕によっておこなわれた場合と、きわめて気違いじみた狂気の沙汰(フオリー)が普通は賢明で節度のある人間によっておこなわれた場合とを、どのようにして識別するのか?」(フーコー「狂気の歴史・P.50」新潮社)

という問題が。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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延長される民主主義31

2020年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
アルトーにゴッホ論を書かせたのはアルトーの《手》である。同じようにゴッホにゴッホの絵画を描かせたのがゴッホの《手》でありその「活動」であるように。非理性という仮面をまとった「道化」が悪い意味での「狂気」と一体化されつつ取り扱われるようになっていた頃。一七八九年フランス革命前後の時期。それ以降、人々は生きながら死んでいる。ディドロ「ラモーの甥」の言動は、当時の最後に不意打ちとして出現した狂気と非理性との結合であり、同時にその分割がすでに決定されていた言葉だ。しかしその言葉はなぜか脆い。十五世紀の画家、ブリューゲルやボッシュの絵画が明確に捉えていた確固たる狂気をもはや持っていない。鮮烈な皮肉と逆説とに満ちていながら確信的な肉体がない。仮面に過ぎない。道化に過ぎない。自信がないのではない。自分自身の真実性はすでに他者の中にしか反映されなくなっているからである。疎外されたもの。疎外されたものである限りでしか自分自身の真実性を現わし得ない、途方もなく心もとない存在でしかない。ほとんど不在というに等しい。日常の中に狂人たちが歩き回って同居していた中世ではもはやない。同居とはいえ、しかし狂人たちはかつて<阿呆船>の乗組員であった。<水>を介して<水>とともに異国から異国へと<通過>することになっていた。狂人たちはそのままの姿でただちに<通過>として出現していた。迎え入れられると同時に追い出される。けれども大変親しみのある人々。この両義的存在の群れ。歓迎されるとともに次の場所へ送り出されることが決まっている、生きている《畏怖》される存在だった。ゴッホは「無媒介の真実」とは何かを、無媒介の自然とはどのようなものかを、ただそれだけを描いた。しかしそのために尋常ではない体力の消耗を犠牲にしている。なぜなら、ゴッホは社会規範という近代の倫理的制度が絡みついて離れない状態に置かれていたからだ。

「われわれ全員がずっと仕事をして、戦い、恐怖と飢えと逆境と憎しみと躓(つまず)きと嫌悪のあまりわめき散らしたのは、われわれ全員が毒を盛られたのは、この世界のためではなく、けっしてこの地上のためなどではない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.155』河出文庫)

社会規範は目に見えない社会的文法によって規定されている。何を見るにせよ語るにせよ描くにせよ、こうでなければならないという遠近法が社会全体に浸透していた。その領域を犯すことは犯罪でありわかりやすい行為だった。しかしその領域からはみ出ていこうとする動きには途轍もなく用心深く嫉妬深い視線を張り巡らせている目に見えない警察国家の網目が社会の隅々まで張り巡らされていた。「挽き臼」というのは目に見えないが誰でも身につけている社会的文法のことだ。目に見える形ではフランス革命前後に更新されたキリスト教道徳だったり新興ブルジョワ階級の倫理規範だったりしていたが。中世の狂人たちは<通過>自体を生きることができた。だからといって狂人たちは尊敬されていたわけではない。厄介払いされる。しかしその象徴性を奪われることはないのであり、事態は次のように進行していた。

「狂人たちの航行に作用し、それに威厳をあたえているにちがいない奇妙な過重な意味が、よりよく理解される。一面では、議論の余地なき実際上の効力がはたす役割を過小評価してはならないのであって、狂人を船頭に託すことは、たしかに狂人が際限なく市域をぶらつかぬようにし、遠方へおもむいたことを確かめて、狂人にその出発を忠実に実行させることだった。だが、この事態に、水はそれじたいの不明確な多くの価値をつけ加えるのである。水は運び出す、だがそれ以上のことをする。浄化するのである。さらにまた航行は人間を運命の定めなさに直面させる。航行中は、各人はみずからの宿運にゆだねられ、いつ船に乗ろうとも、それが最後の命になる可能性が秘められる。狂人が気違い船にのっておもむく先は、あの世である。舟をおりて帰ってくるのは、あの世からである。こうした狂人の船旅は、厳密な分割であると同時に絶対的な<通過・変転>である。ある意味ではこの船旅は、なかば実在していてなかば空想的な地理書にしたがいつつ、たえず中世的人間の関心の地平にまで狂人の《出発点での》状況を展開させつづけているわけである。ーーー都市の《城門》のところで《監禁され》るという、狂人に与えられた特権によって、象徴化されもし現実化されてもいる状況を。つまり、狂人の排除は狂人を囲い込まねばならないのである。狂人は《関門》じたいのほかには《牢獄》をもつことができず、それをもってはならないとしても、狂人は通過する地点で取り押さえられるのである。彼は、外部の内側におかれているし、逆に内部の外側におかれてもいるのだ。これは高度に象徴的な立場であり、もしも、狂人のおかれるこの立場がかつては秩序の明確な要塞だったものが現代では、われわれの意識の城と化してしまったことを認めるとすれば、この象徴的な立場は現代にいたるまで、その姿のまま残っているにちがいない。

水と船旅がこの役割をはたしている。脱出できない船のなかに閉じこめられた狂人は、幾千もの支流をもつ河川、数多くの航路をもつ海、あらゆることと絶縁した大いなる不安にゆだねられる。狂人は自由自在の航路、どこにむかっても開かれている航路の途上で囚人になっている。つまり、果てしない十字路にかたく鎖でつながれているわけである。彼はこの上ない<通過者>、つまり通過の囚人だ。しかも接岸するはずの陸地がいかなるところであるかは不明である。ちょうど出立してきた陸地がどんなところだったかが上陸するおりに不明であるように。狂人は、自分のものとなりえぬ二つの土地(出立地と上陸地)のあいだの、あの不毛の広い空間にしか自分の真実と自分の生れ故郷をもちあわせない。西洋文化の流れにそって人がたどることができるのは、こうした諸価値を媒介として長期にわたる空想上の血族関係の起源にあるあの宗教的慣習なのだろうか?それとも逆に、古来、船旅の慣例を招きよせ固定化したのは、この空想上の血族関係なのだろうか?いずれにしても一つの事柄だけは確かである。つまり、ヨーロッパ人の夢想のなかで、水と狂気は長いあいだ結びあっているという点は」(フーコー「狂気の歴史・P.28~29」新潮社)

ラモーの甥はなぜ道化でしかないのか。自分が道化でしかあり得ず、狂気としてしか認知されない態度をあえて引き受けて生きているのか。自己疎外された存在であることを引き受け、皮肉に満ちた嘲笑を演じ、非理性の奥底から理性的なものを根拠づけるピエロでありパントマイムであること。しかもその嘲笑は他人の偽善的な態度をあばき立てるもう一つの偽善者の態度ではない。逆に偽善的ではありえないことから来る留保なしの切迫性。夜の街路でヴァイオリンを奏でる物乞いの「真実の姿」。「真実」を語るためにはピエロでありパントマイムでしかあり得ない絶体的な虚無性。

「極端な隔たりであると同時に絶対的な混淆である。破壊的な力しかもたないので完全に消極的であるが、自分が打ち消すものにおいて魅惑されるので完全に積極的である。こうした媒介こそ、非理性の妄想である。ーーーわれわれがそこに狂気を認知する、謎にみちた姿である。この妄想は、世界の感覚的陶酔を、困窮と外観との切迫したたわむれを、表現の力によって蘇らせようとする、その企てのなかでは、皮肉にも孤独のままである」(フーコー「狂気の歴史・P.374」新潮社)

自分が確実であるためには常にその逆説を演じ続けるほか方法はないという深い洞察。にもかかわらずその洞察の深さの理解者はどこにもいないという悲劇あるいは喜劇的人物。ところが社会的理性は理性自身が理性であると証明するためにこの種の道化=狂気を必要不可欠なものとしている。その点についてはヘーゲルを引用して述べておいた。ゴッホはそれから約百五十年後にやって来た。事情はますます混濁し異様に分割されている。ゴッホは非理性という位置で言う。この分割は正しくないと。だからといって再び合体させればいいと言っているわけでもない。ただ、世の中の人々の目に映って見えているこの自然の風景は、正しく映って見えていないと言っている。とはいえ、語っているのは絵画なのだが。そしてゴッホの《手》は《欲望する》。世間一般で正しいとされているありふれた風景は瞞着であり、さらによくないことに、自分で自分自身の目を欺くことによって始めて出現し正当性を得ているだけの自己瞞着でしかないと。自然そしてどこにでもある部屋や風景。それらはどれも、もっとねじまがり屈曲しているのだと。

「挽き臼によってわれわれ全員が呪いをかけられ、とうとう最後に自殺してしまったにもかかわらず、というのも、われわれ全員が、哀れなヴァン・ゴッホその人のように、社会による自殺者であるからではないのか!」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.155』河出文庫)

ゴッホは否定し、否定されたものを肯定した。画布には騒然と渦を巻き上げ流動する真っ赤な空が、ただし灰色の絵の具を用いて、描き上げられる。しかしそのための道具はどこにでも売っているごく当たり前の画布、絵筆、絵の具、画架。そして《欲望する》ゴッホの《手》である。しかしその態度は社会の側を激怒させた。したがって、ありもしない罪を問われ続け、社会的に葬り去られてしまった。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。結核という感染症による大量の死者。国家化された医学によって細分化され個性化された死。その死はしかし、古代の悲劇性をもはや持っていない。古代悲劇はもはやなく、「個性」の名において「抒情的なもの」へと置き換えられる。個々人として尊重されはするが、個々別々に細分化され記録され国家的管理下に置かれる。国家化された医学=医学をモデルとした国家は、あらゆる情報の中央集権化とともに様々な「死に方」を分析し組織化し商品化する。

「死はその悲劇的な、古い空を去った。今やそれは人間の抒情的な中核となった」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)

感染症者の生涯は抒情的な詩へ、抒情的な商品へ、と変換された。一七八九年フランス革命の文化的遺産。それは近現代の物語の出現、すなわち《神話》の生産様式の確立と叩き売りの始まりでもあった。事実としての結核の悲惨さは商業主義的物語化の過程ですっかり分離され、だから事実はほとんど反映されず、したがって解離されている。事実としての結核の悲惨さはむしろ物語化のための小道具の位置に貶められ、どこか暗示的な暗雲の影としてのみ取り出され大いに商業利用される。日本では徳富濾過「不如帰」がその種の方法を採用し大ヒットしたことで有名だが。しかし作品は事実としての結核ではなく、そこから抽出された「個性」として、抒情的なものとして、ロマン主義的でヒロイズム的な美貌のヒロインが「肺の病」を患うという「美しい物語」的抒情性においてのみ、大ヒットした。ところが大ヒットしたことで今度は蔓延する結核患者の事実面は忘れ去られてしまうのである。結核を始めとする感染症は人間の身体において主体的に生きられるもの、というより、解剖学的管理体制の樹立によって客体化可能になったことで病者の身体と切り離され、実際、綿密詳細に客体化(対象化/カルテ化)された。客体化(対象化/カルテ化)されるやいなやそれは「個性」として病者の身体を置き去りにしつつ流通網へ派遣される。客体化された患者の生涯は「個性」の名の下に商品として世界各地を駆け巡る。

「色白の細面(ほそおもて)、眉(まゆ)の間(あわい)やや蹙(せま)りて、頰(ほお)のあたりの肉寒げなるが、疵(きず)といわば疵なれど、瘠形(やさがた)のすらりと静淑(しお)らしき人品(ひとがら)。これや北風(ほくふう)に一輪勁(つよ)きを誇る梅花にあらず、また霞(かすみ)の春に蝴蝶(こちょう)と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕闇にほのかに匂う月見草、と品定めもしつべき婦人」(徳富蘆花「不如帰・P.11」岩波文庫)

特権的「美人」である。さらに軍人の恋人がいる。が、主人公は結核を患い徐々に死の淵へ近づく。このようなステレオタイプな女性の「キャラクター化」は一九〇〇年(明治三十三年)すでに始まっていた。何も昨今の日本のアニメ業界で突如として始まったことではけっしてない。

「個性の宿命は、つねに客観性の中で形をとることになるが、この客観性は個性をあらわしながら、これを隠し、これを否定しながらこれを創る。『ここでもなお、主観的なものと客観的なものとがその姿を交換する』。一見奇妙に思われるやり方で、十九世紀の抒情主義を支える動きは、人間が自分自身についてポジティヴな認識を持つに至った動きと、同一のものにほかならない」(フーコー「臨床医学の誕生・P.326~327」みすず書房)

この「ポジティヴ」という逆説的態度。フーコーは「個性の宿命」と呼ぶ。個性は言語において出現することができるけれども、その同じ言語が常に一般的なものでしかあり得ないことによって個性は覆い隠される。言語は個性を出現させると同時に言語によって個性を覆い隠す。ところで、患者の「個性」はそもそも或る種の「逸脱」から生じた。あたりまえの前提として、病気は「逸脱するもの」だからである。

「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)

だからなお、「ウイルスと人類との戦い」というキャッチフレーズは間違っていると言っておかねばならない。ウイルスは人間の諸活動と切っても切っても切り離せない関係にある。ウイルスは「それ単体」では何もしない。人間の身体に入ると同時に「感染症として」出現するのである。コッホが結核菌を発見したとき何が起こったか。結核菌は「個体」であるという《神話》が生まれた。なるほど個体ではある。だが結核が「感染症として」発生したのは結核ではなく結核菌というものが人間社会の諸活動とともにすでに流通開始していたからである。二〇二〇年の世界で出現した「感染=パンデミック」はとっくの昔に社会化されていた人間の政治経済文化活動のすべてにおいて合流するとともに分岐しつつ大きな流れを描く。もし本当に「長期戦」というのなら、それは暗黙のうちにウイルスと人間社会の諸活動との分離しがたさを前提していると言われねばならない。

さて、これ以上「感染=パンデミック」について、その逆説について、述べることは差し当たりない。そこで、「感染=パンデミック」終息がいつになるかを見据えながら、しかしなぜ「感染=パンデミック」発生の諸条件、とりわけアメリカ型資本主義=新自由主義という無政府主義的キャピタリズムについてはほとんど覆い隠されたままなのかについて考えてみる。まず第一に、本来的悲劇とは何か。

「さまざまな困難が途方もなく増大してしまっているような生涯というものがある、思想家の生涯がそれである。ここでは、その生涯について何かが物語られた場合には、ひとは、注意深く、耳を傾けざるを得ない、というのは、それを聞いただけで幸福と力が溢れて来、しかも後に来たる者の生活に光が照射されるような、そうした《生の諸々の可能性》について、ここでは語られるのを聞き取り得るからである、ここでは、一切のものが、極めて発明的で、熟慮に充ち、大胆で、絶望的で、しかも充ち溢れる希望で一杯であり、あたかもいわば最も偉大なる世界周航者の旅路に似た観があって、また実際に、生の最も辺鄙なかつ最も危険の多い領域の周航と、同じような趣きをもったものだからである。このような生涯において驚嘆すべきことは、異なった方向に向かって突き進む二つの敵対的な衝動が、ここでは、いわば《一つの》軛(くびき)の下で進むように強制されているという事柄のうちにある。つまり、認識を欲する者は、人間生活が成り立っている地盤というものを、何度でも繰り返し離れ去って、不確実なるものの中へと冒険的に突き進んで行かねばならないし、また、生を欲する衝動の方は、その上に立脚できるほぼ確実な立場というものを求めて、何度でも繰り返し探索してゆかねばならない」(ニーチェ「哲学者の書・P.404~405」ちくま学芸文庫)

さらに。一般的に言われる「健康/不健康」、「健常者/障害者」、「理性/狂気」、という恣意的に分割された意味での「健康」ではなく、逆に、まったく違った意味を与えられていた時代の「《大いなる健康》」ということ。それによって本来的な「悲劇」も可能になる。

「《大いなる健康》。ーーーわれら新しい者、名の無い者、理解されがたい者、まだはっきりしていない未来の早生児たるわれわれーーーそのわれわれは、新しい目的のために、新しい手段をも必要とする、すなわち新しい健康を、これまでのあらゆる健康にもまさって強壮な・才気縦横な・しなやかな・大胆な・活(い)きいきした健康を、必要とする。これまでの価値の願望の全域を隈なく体験し、この理想の『地中海』の岸辺という岸辺を残らず航行しようと渇望する魂の持主、また征服者や理想の発見者が、同様芸術家や聖者や立法者や賢者や学者や篤信家や予言者や古い型の教会離脱者が、どんな気持ちであるものかを自己独立の経験上の冒険によって知ろうと欲する者、こうした者はそのために何はおいてまず一つのものを、すなわち《大いなる健康》を、必要とするーーーこういう健康は、ただたんにこれを所有するだけでなく、なおも不断に獲得してゆくもの、獲得せねばならないものである。なぜならそれは繰り返し犠牲に供されるし犠牲にされねばならないものだから!ーーーこうして、われわれ理想のアルゴ号(ギリシア神話のイアソンがコルキスへの冒険旅行のときに乗った船の名ーーー快帆走者という意味を持つ)の隊員は、賢いというよりはむしろ勇敢に、また実にしばしば難破し災難に見舞われながら、それでも前述のごとく信じがたいほど健康で、危険なまでに健康で、くりかえしくりかえし健康で、永い航海をつづけた後に、ーーー今や、われわれには、その報酬として、いまだ何者もその際涯を見究めたことのなかった未発見の国が眼前にひらけたように、見えてくるものだ。すなわち、従前のあらゆる理想の国や理想の奥地の彼方なる世界が、美しいもの・珍しいもの・疑わしいもの・怖るべきもの・神的なものに充ち溢れた世界、それを見てはわれわれの好奇心もわれわれの所有欲も我を忘れてしまうような世界が、ーーーああ、われわれがもはやどんなにしても飽き足りることのないような世界が!こういうものを望見したあとで、良心と知識の点でこうした烈しい渇望を覚えた今になって、どうしてわれわれは《現在の人間》に満足することができようか?まったくもって困ったことだ、さりとて、われわれが現在人の最も尊敬する目標や希望を体裁取りつくろっただけの真面目さで眺めるにすぎないということ、おそらくは眺めさえももはやしないということは、やむをえないところだ。一つの別な理想が、われわれの眼前をよぎる、ーーー奇怪な、誘惑的な、危険に満ちた理想が。われわれはこれを誰に対してにしろ説きつけようなどとは思っていない、なぜといって、誰にしろ《それにふさわしい権利》があるなどとは、そうやすやすとわれわれは認めはしないからだ。それこそは、これまで聖とか善とか不可侵とか神的とか呼ばれてきた一切のものと、天真爛漫(てんしんらんまん)にーーーつまり意欲なく無我に、しかも溢れたぎる豊満と力強さからして、戯れるところの精神の、理想なのだ。こうした精神にとっては、民衆が当然にも彼らの価値尺度の準拠とする至高のものが、すでに危険・頽落・失墜を、あるいは少なくとも休養か失明か一時の自己忘失かの類いかを意味するものであろう。それは、人間的・超人間的な幸福と好意という理想であるが、往々にしてそれは全く《非人間的なもの》と見えるであろう。たとえばそれが在来のあらゆる世間的生真面目とか挙動や言葉や音声や眼差しや道徳や使命等におけるあらゆる種類のもったいぶりとかのそばに、まるでその思い設けぬパロディそのものとして持ち出されると、全く非人間的に見えるであろう、ーーーがそれにもかかわらず、おそらくは、その理想とともにはじめて、《偉大な厳粛さ》が訪れ、真の疑問符がはじめて打ちつけられ、魂の運命が向きを変え、時計の針がすすみ、悲劇が《はじまる》」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八二・P.456~458」ちくま学芸文庫)

また、知識について。悲劇的時代ではどのようであったか、あるいはどのようであるべきか。

「悦ばしきーーーそれが《われらの》知識の名であれ!」(ニーチェ「悦ばしき知識・プリンツ・フォーゲルフライの歌・P.485」ちくま学芸文庫)

しかし座礁、蹉跌、難破、災難はいつなんどきでも到来するし、到来しないわけにはいかなかった。そんな古代ギリシアにおける破滅的事態の解消方法について。

「そして、『愚かさ』・『無分別』・少しばかりの『頭の狂い』、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として《許した》ーーー愚かさであって、罪では《ない》のだ!諸君にはそれがわかるかーーーしかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーーー『そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。《われわれ》高貴な素性(すじょう)の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?』ーーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。『きっと《神》が瞞(だま)したのに違いない』とついに彼は頭を振りながら自分に言ったーーーこの遁辞はギリシア人にとって《典型的なもの》だーーーこのように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろ《より高貴なもの》を、すなわち罪を身に引き受けたのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・P.113」岩波文庫)

ひるがえって、近現代の悲劇とは何か。「ニヒリズムという病」の誕生。

「生成でもっては何ものもめざされてはいない、また、すべての生成のしたには、あたかも最高価値のうちでのごとく、個々人がそのなかにすっぽり沈み込んでよいような大いなる統一など支配していないという、これら二つの《洞察》があったとすれば、《逃げ道》としてのこっているのは、この生成の全世界を迷妄と判断して、このものの彼岸にある一つの世界を《真の》世界として捏造(ねつぞう)することでしかない。しかし人間が、こうした世界を組み立てたのは心理学的欲求に過ぎず、人間はそうする権利をまるっきりもってはいないとさとるやいなや、ニヒリズムの最後の形式が生ずる。これは、《形而上学的世界を信じない》ということをそれ自身のうちにふくみ、ーーー《真の》世界を信ずることをおのれに禁ずるものである。この立脚点に立って生成の実在性が《唯一の》実在性としてみとめられ、背後の世界の偽りの神性につうずるあらゆる種類の抜け道が禁ぜられるーーーしかし、《誰も否認しようとは欲しないこの生成の世界が耐えがたいのである》。

ーーーいったい何がおこったのか?『《目的》』という概念をもってしても、『《統一》』という概念をもってしても、『《真理》』という概念をもってしても、生存の総体的性格は解釈されえないとわかったとき、《無価値性》の感情がえられたのである。かくして、何ものもめざされ達成されず、生成という多様性をおおう統一は欠けている。すなわち、生存の性格は《真》ではなく《偽》なのであるーーー《真》の世界があるとおのれを説得する根拠は、もはやまったくなくなるーーー要するに、私たちが世界に価値を置き入れてきた《目的》、《統一》、《存在》という諸範疇(はんちゅう)は、ふたたび私たちによって《引きぬき去られ》ーーーいまや世界は《無価値のものにみえて》くるーーー」(ニーチェ「権力への意志・上巻・十二・P.29~30」ちくま学芸文庫)

その病は今なお続いているということ。むしろますます急速に悪化する傾向が表面化したということ。国家化された医学=医学体系的国家の主導のもとで非理性あるいは狂気経験は「悪いもの」と位置づけられるに立ち至った。そのとき何が起こったか。そのとき始めて「近現代の病としての狂気」が出現した。出現させた側の狂気は問われないまま。永遠回帰する不気味な言葉、その反復とともに。

「精神の上には雲また雲が積み重なり、ついに狂気が次のように説教をしはじめた。『一切は過ぎ去る。それゆえに一切は過ぎ去るに値するのだ』『だから時はおのれの子どもたちを食わざるをえない、この時の法則は、まったく正当なことである』そう狂気は説教した。『世のいっさいのことは、正義と罰とによって道徳的に秩序づけられている。おお、世の事象の流れからの救済、また<生存>という罰からの救済は、どこにもない』そう狂気は説教した。『永遠の正義が存在する以上、救済ということがありえようか。ああ、<かつてそうであった>という大石は、押しころがすことのできないものである。だからすべての罰も、永遠に存在せざるを得ないものである』そう狂気は説教した。『いかなる行為も抹殺(まっさつ)することはできない。罰を受けたからといって、どうして行為が行なわれなかったということになろう。そして<生存>という罰のもっている永遠性とはこうである。生存も、永遠にわたって行為であり罪責であることをくりかえさなければならぬのだ』」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・救済・P.224~225」中公文庫)

出現させた側の狂気というのはこうだ。

「人間はもし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである」(パスカル「パンセ・四一四・P.255」中公文庫)

なるほど個性の数だけ病はあるが、病の数以上に患者の個性は抒情化され、その商品化はますます増殖する。一九九〇年代末期のバルカン空爆にせよ、世界的な大手広告代理店が繰り広げてきた商法はここに起源を持つ。だがそのスポンサーは多様性ゆえ、目に見えないという事態が起こってくる。いつもすでに流動し絡み合う資本複合体としてだけ存在しているからだ。ところが、感染症についての悪質な言説の出現は、いつも、悦ばしき快癒への方法と同時に出現するという逆説がある。「近現代の病としての狂気=ニヒリズム」から快癒するための一つの方法。しかし近現代の社会的倫理制度の中に入ると、この方法の側が悲劇的だと勘違いされている始末なのだが。「運命愛」。

「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)

日本でも同じようなことを言った小説家がいる。

「それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まるーーー私は、そうも思います。アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。ーーーだが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています」(坂口安吾「文学のふるさと」『坂口安吾全集14・P.330~331』ちくま文庫)

一九四一年(昭和十六年)七月二十八日発行。一九四一年六月二十七日執筆の署名あり。太平洋戦争開戦の年(一九四一年)に当たる。それ以前すでに安吾は関東大震災を経験しており、なおかつ芥川龍之介の自殺に衝撃を受けるとともに或る違和感を覚えた一人でもあった。後に「生か死か」ではなくフーコーのいうような意味での「非理性」、すなわち「ファルス=道化」という方法を提案するに至る。しかしまた、一九四一年(昭和十六年)十二月八日の真珠湾攻撃がもたらした逆説について触れておかねばならない。日中戦争はとっくに始まっていた。しかしアメリカはまだ国内世論を統一できてはいなかった。そこに降って湧いた真珠湾攻撃。この電撃的攻撃がアメリカによる逆襲という《欲望》を生産したのである。たちまち“Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな)というキャッチコピーが登場した。アメリカ国内の世論統一を果たしたのは警察ではなく政府間交渉の帰趨でもなく、ほかでもないスローガンでありながら同時にキャッチコピーでもある“Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな)という言語の作用だったのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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延長される民主主義30

2020年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム
絵画制作にとって最低限必要なもの以外、ゴッホは何ら特別なものを用いたことはない。画布、絵筆、絵具、画架。

「ヴァン・ゴッホを見たなら、モチーフより乗り越え難い何かがあるということをもう信じることはできない」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.154』河出文庫)

ゴッホには絵を描くにあたってモチーフを持ったが、そのモチーフもまた特別なものではない。主題という意味ではあるのだが、その主題は彼の自然であり、彼の自然は彼の日常生活の中の、すなわちどこにでもあった風景ばかりだ。ゴッホの行為は二つしかない。第一にゴッホには「こう見える」ということ。ニーチェのいう「別様の感じ方」の実践である。第二にゴッホは「こう描きたい」という《欲望》の実践。たった二つの要素。この二つを合わせるとフーコーのいう或る「真実」が出現する。

「無媒介な確信と化した彼らの真実」(フーコー「狂気の歴史・P.375」新潮社)

何度もいうようにそれこそ社会の側が見たくなかったものである。だから社会はゴッホを葬り去ることにしたのだとアルトーは主張することを止めない。止めないでいるうちにアルトーはまたしても精神病院送りにされてしまった。この分割。社会的分割。ところが分割にばかり集中してしまうとゴッホにそのような絵画を描かせたものが何であったかが忘れ去られてしまう。最も身近なゴッホの動き。それはゴッホの《手》である。重要なのは身体という運動なのだ。ゴッホの身体。しかしそれはただ「それ単体」では動くことはできない。種々の事情の多層的要素のせめぎ合いとしてのみ、それは動くことができる。その意味ではマルクスが正しい。

「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.26」国民文庫)

そしてゴッホの《手》。もっとも、マルクスはゴッホよりずっと早く世界に登場した。だからゴッホについて論じる必要性はないしその必要性について論じる必要性すら必要ない。ところがゴッホの《手》は動くものだという意味では大いに関係がある。フォイエルバッハ批判の中で「彼」(フォイエルバッハ)の方法についてこう述べている。

「しかし、《彼が人間を単に『感性的対象』としてしか捉えず、『感性的活動』としては捉えない》」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.49」岩波文庫)

ゴッホの《手》はただ単なる感性的「対象」ではない。感性的「活動」でありなおかつそうである限りでゴッホの絵画は出現したのである。

「紫がかった枠のついた藁の肘掛け椅子の上に置かれた火のついた燭台という単なるモチーフは、ヴァン・ゴッホの手にかかると、一連のギリシア悲劇や、シリル・ターナー、ウエブスター、またはフォードの、もっともいまでは相変わらず演じられてはいないドラマの全シリーズよりも多くのことを物語る」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.154』河出文庫)

なるほどそうかもしれない、というより、ほぼその通りだろう。これらの中に「ギリシア悲劇」を含めるのはアルトーの自由である。だが安易に含めて語るには、ギリシア悲劇の多様性を考慮すると、いささか躊躇を覚えないわけにはいかない。後の名についてはその通りかもしれないが。

さて、この「肘掛け椅子」については前に述べた。「ゴーギャンの肘掛け椅子」として有名な作品である。アルトーは椅子の真ん中に置かれた「燭台の光」についてそれは「鳴り響く」という。しかも「優しい身体の息づかいのように」と。

「こうして燭台の光は鳴り響く、緑色の藁でできた肘掛け椅子の上の火のついた燭台の光は、眠りこけたひとりの病人のからだを前にした優しい身体の息づかいのように鳴り響く」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.128』河出文庫)

なにやらジュネのよだれを思わせないでもない捉え方ではある。ジュネにとって「よだれ」と「勃起」とは別物ではないのだから。それはどうでもいいのだが、ただし「充分開いた耳をもつことができたとき」に限りという条件には注意が必要だろう。「ゴーギャンの肘掛け椅子」から音楽を捉えるためにはそのための「耳」が必要だという。ここでも問題とされているのは身体でありその「活動」である。だとしてもなお、「原因と結果の取り違い」について訂正しておかねばならない。「充分開いた耳をもつことができたとき」に音楽が降りそそぐ、のではなく、降りそそぐ音楽を聴きとることができたときに始めて人々は「充分開いた耳をもつことができた」と言えるのである。
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なお、「感染=パンデミック」についてさらに。国家化された医学=医学体系化した国家権力という問題。それは細かく分化し個々人の身体における「個性」を隅々まで捉え記録し囲い込むところまで加速したという点まで述べた。「病的なもの」はさらに二つの意味に分かれる。一つは一般的な単純な意味で。

「『《病的なもの》』は、生が死において、自己の最も分化した形を発見するやりかたについての、精緻な知覚を可能にする。病的なものとは、生の《稀薄になった》形である。死の空虚の中で、生存が衰弱し、疲弊するという意味でそうである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)

もう一つの点はたいへん重要な部分に触れている。

「またもう一つべつの意味でもそうである。つまり、生存はそこで奇妙な容積をとることになり、その容積は、与えられた慣習、習慣、必然性などの一切に還元できないものである。それは、その絶対的稀少性が規定する《独自な》容積である。これは肺結核患者の特権である。曾ては、《らい》にかかると、集団的な大刑罰をうけたものだが、十九世紀の人間は肺結核になり、ものごとを急がせ、それらを裏切るこの熱病の中において、彼の伝達不能な秘密を成就する。それゆえ、肺の病は、恋の病とまさに同じ性質のものである。これらはパシオン(受難/情熱)なのである。つまり、死によって交換不能の顔を与えられる生なのである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.285」みすず書房)

肺結核は病気としては一つでしかない。だがそれは、言い換えれば、その「絶対的希少性」において「肺結核患者の特権であ」り、奇妙にも「恋の病とまさに同じ性質のものである」。一七八九年フランス革命前後、二つの情痴事件が法廷にかけられた。問題は金銭がらみの前者ではなく、金銭に関係のない後者において明確化される。

「一七九二年、弁護士ベラールは、当時五二歳のグラという職人を控訴審で弁護しなければならなかった。職人は、不貞の現場を不意におさえて愛人を殺したので死刑を宣告されたばかりの男である。ーーー自然のもつ知恵によってもはや限定を受けない、この後者の恋愛は自分の極端さにすっかり没頭している。それは、いわば空虚な心の凶暴さ、対象をもたぬ情熱の絶対的な作用である。この恋愛の愛着感は、愛する対象の真実とは関係がないのであって、それほどまでに、この恋愛はひたすら自分の想像力だけの動きに激しく夢中になっている。『主としてこの恋愛は心のなかで生きる、心と同じく嫉妬ぶかく凶暴になって』。すっかり自己陶酔におちいっているこの凶暴さは、一種のむき出しになった真実における恋愛、と同時に、孤独な幻想にふける狂気、である。場合によると、この愛の情熱は自分の機械的(メカニック)な真実にあまりにも合致したために疎外をおこすのであって、その結果、自分の動きの惰性だけのせいで、この情熱は妄想となる。しかもこうして、荒々しい行為を情熱の荒々しさと関係させつつ、しかも荒々しい行為から純粋状態における心理学的な真実を取り出すことで、人々はその行為を盲目・幻想・狂気の世界に位置づけるのであり、その世界では、この荒々しい行為のもつ犯罪上の現実性は巧みに度外視される。口頭弁論のなかでベラールがはじめて明るみに出したことは、あらゆる人間的行為にはその真実性と現実性のあいだには逆比例をうち立てる関係ーーーわれわれにとって根本的な関係がある、という点であった。ある一つの行為の真実性は、その行為をかならず非現実化させることができるのであって、その真実性はその行為にたいして狂気を、その行為の内密の姿の最終的で分析不可能な形態として差し出そうとする傾向をもっている。例の老人グラの殺人行為についていうと、結局もはや、『罪のある手だけ』がおこなった空虚な行為しか残っていず、他方、『理性の欠如と抗すべからざる情熱の責句となかで』作用した『不幸な宿命』しか残っていないのであった。人間を道徳上の神話から、そこで人間の真実性はずっと把握されていたが、解放する時、人々が気がつくのは、本来の姿をとり戻したこの真実性の真実が精神錯乱それじたいにほかならないという点である」(フーコー「狂気の歴史・P.474~475」新潮社)

ただ単に「妻が浮気した」、だから「脇目もふらず殺した」、というだけでは済まされない法的追求が出現した。被告の妻が「脇目もふらず」無我夢中で他の男との性行為に打ち込んでいるという「妻の真実」はほとんど無視されている。それは被告の妻が殺した側ではなく殺された側だから、というだけではない。殺していない限りで、妻の浮気は「狂気」と見なされていないからである。するとなぜかはわからないが、世間も司法も「妻に浮気されてしまった側」の男に夢中になる。フーコーは「情熱」がもたらす逆比例関係について言及している。被告の恋愛感情(愛の情熱)が強ければ強いほど「真実性」は高まる。そして殺害という現実的行為は覆い隠される。だが殺害という現実的行為に至るほど強固な恋愛感情(愛の情熱)は、それこそ人間の「真実」なのではとベラールは主張した。そしてそれが「精神錯乱」と呼ばれるのであれば、精神錯乱にまで立ち至った「疎外」こそ最も強固な恋愛感情(愛の情熱)の「真実」ではないのかと。なるほど言われてみればそうかもしれない。実際、二〇二〇年の今なお争われていることでもある。そこでフーコーが問題視するのは、被告の行為が狂気かどうか、ではなく、人間の中にある狂気が「客体化された」という国家-医学的視線の変化である。

「以後、《人間の心理的な真実》によって意味される事柄は、かつて長らく非理性に託されてきた機能と意味をふたたびおびる。そして人間は自分自身の奥底に、自分の孤独のはてに、幸福も真実らしさも道徳もけっして到達しない地点に、例の古くからの力を、古典主義時代によって悪魔ばらいされ、社会からもっとも隔たった辺境の地に追放された、例の力を発見するのである。非理性は、人間のなかにある最も主観的で最も内面的で最も奥深いもののなかで、無理やりに客体化されるのである。かつて長らく有罪の明示であった非理性は、今や無罪で秘密なものになる。そこでは人間が自分の真実を失う錯誤の諸形態を賞揚してきた非理性は、外見を越えたところ、現実そのものを越えたところで、最も純粋な真実となる。人間の心のなかで捕捉され、そのなかに追いやられる狂気は、人間のなかにある、もともと真実なものを表明することができる」(フーコー「狂気の歴史・P.476」新潮社)

近代の起源というのは要するに資本主義の生成期にあたっている。しかし、だからといって、ただ単純に資本主義を批判すればそれでことは片付くというほど事態は簡単でない。なるほど資本主義社会の成立は見逃しがたい大きな要素である。しかし、ともすれば資本主義だけを取り出してそれに問題のすべてを還元してしまおうとすると逆に、問題を安易な形式へ還元する形式主義におちいることになりかねない。形式主義はその主義化によって問題を解決させるどころか、かえって問題を延命させてしまう方向へ働く。資本主義はその運動そのものによって資本主義の形態を取り換えるのである。国家化された医学=医学的体系化された国家は、十九世紀いっぱいを通して、個々人の内面にまで分け入り、個々人を細分化し、情報の中央集権化を押し進めていく。狂気の中に「国家の道徳」を滑り込ませて狂気をどんどん分類することに熱中するようになる。差し当たり「良い狂気」と「悪い狂気」という分割がなされるわけだが、しかし、「悪い狂気」とはなんなのか。国家はその問いを自分自身で問おうとはしない。

「大革命に公開の席で弁護され判決の下された、最初の大規模な刑事裁判では、狂気の古い領域全体は、ほとんど日常的な経験のなかでふたたび明るみに出された。だが、この経験の規範をもってしては、狂気の古い領域は自分の重荷をもはやひき受けることはできない。しかも、十六世紀が想像上の世界の冗漫な全体性のなかで受け入れてきた事柄を、十九世紀は道徳上の知覚の諸規則にもとづいて細分化するようになる。すなわち十九世紀は、良い狂気と悪い狂気とを認知するようになる」(フーコー「狂気の歴史・P.479」新潮社)

一七八九年フランス革命という大文字の歴史が、フーコーが研究したような小文字の、しかし後々大問題となってくる国家的な「知の枠組み」の変化を覆い隠してしまうのである。この変化は今の日本の政治家に多く見られるようなただ単なる「言葉の意味の横すべり」といった見え見えでけち臭さ満開の政治的技術ではない。全ヨーロッパ世界を挙げてそれまでの認識方法が破棄され崩壊したということ。同時に全ヨーロッパ世界にまたがる新しい認識方法が再編されたということ。目に見えない断層が発生したという疑えない事実を意味している。

「新しい意識は狂気にその自由と積極的な真実をとり戻させているように見えるけれども、そのことは、狂気にたいする古くからの拘束がなくなったためだけではなく、次の二系列の積極的な過程の均衡のおかげである。つまり、一方の過程は解明、脱却、あえて言えば解放である。もう一つは、新しい保護の構造を急いで組み立てる過程であって、その構造のおかげで理性は、無媒介的な近接関係のなかで狂気をふたたび発見するまさにその時に、自ら自由になり、自らを守ることができる。これら二つの過程の総体は対立していない。しかも互いに補足しあうというよりも、それ以上のことさえ行うのであって、同じ一つの事柄でしかないのであるーーーつまり、それはある行為、《一挙に疎外をおこさせる構造のなかで狂気が認識に差し出されるようにする行為》の首尾一貫した統一性である」(フーコー「狂気の歴史・P.480」新潮社)

だから国家化された医学=医学体系的国家の出現は、目に見える監禁社会の終わりの始まりを意味し、目に見えない監禁社会の緩慢な出現と一致するのである。近代における「肺結核患者の特権」は特権化された「肺の病」という《神話》を生じさせる。事実としての結核は途方もなく悲惨なものだ。ところが結核は、この「肺の病」という言葉へ変換され、フーコーが告発した「恋の病」というアナロジー(類似、類推)的な次元へ組み込まれることで《神話化》されてしまうのである。そして十九世紀いっぱいをかけて国家主導で遂行された「病気の個性化」という作業は、個々人における《神話化》された「病」として商品化される。それは結核という感染症の事実の悲惨さにもかかわらず、むしろ悲惨であればあるほど個々人の症状においてロマンティックな次元へ移動させられ、悲惨であればあるほどますます高価格で売れる商品と化してしまう。流通するのは感染者の数字でありその商品化であり、事実としての感染症の悲惨さはどこか別のところに座を占めるという《ずれ》が、解離が、起こってくる。同時に《神話化》された感染症はその常としてロマン主義的加工を施され、一般のマスコミ視聴者はその切迫感にあふれたロマン主義ばかりを受け取り、時々刻々と切迫した様相で示されるロマン主義的マスコミ情報の虜となってしまう。視聴者は感染症に感染する前すでに、切迫感を漲らせたヒロイズム的マスコミ情報に感染するのである。だから、あちらでは商品Aが足りないとか、こちらでは商品Bが、そちらでは商品Cが、といったふうに様々な齟齬が生じてくる。だがこの齟齬は同時に次々と割り込んでくる混乱と矛盾、そして社会的分裂の中で、なぜか資本回転を、それも多国籍大手企業に限って、その資本回転だけを、加速させる動因となるのだ。

国家的道徳によって個人化された感染症は、個人の身体において現われる諸症状よりもその意味を担うものとして「客体化」される。それは「客体化」されることで、個々人における個々別々の症状とは切り離された「病という意味」だけがさらに様々な(ヒロイズム的、ロマン主義的)意味を与えられ商品化され流通し、貨幣交換を経て剰余価値を実現し、資本として回帰してくるのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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延長される民主主義29

2020年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホの絵画を見た後、人々はいつまでもそこに留まっている必要はない、とアルトーはいう。むしろそこに描かれている「自然」を見た後はそこから離れるべきだ。すると残るものは絵のイメージではなく印象でもなくその他もろもろの思い出でもなく、まぎれもない或る《音楽》が出現するに違いないというのである。

「この自然を見た後であれば、人は描かれたどんなカンヴァスに対しても背を向けることができる、それはもはやそれ以上われわれに語るべきものをもってはいない。ヴァン・ゴッホの絵画の荒れ狂う嵐のような光は、人がそれを見るのをやめたまさにそのとき、その暗澹とした朗唱を開始する」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.151~152』河出文庫)

芸術というものについてそのようにいうのは何もアルトーだけに限ったことではない。たとえばジュネもまた「泥棒、裏切り、性倒錯」といった目的が上々の達成を遂げたその時、あかたも稲妻のごとく音楽が出現すると述べている。ちなみにニーチェは音楽についていろいろ言ってはいるのだがヴァーグナー批判ばかり注目されていてあまり面白いものはない。だから音楽一般というよりも作品「ツァラトゥストラ」の中でやや唐突に「歌」について述べられた部分はなかなか感心を引く。

「見よ、上もなく、下もない。おまえを投げよ、まわりへ、かなたへ、うしろへ。おまえ、軽快なものよ。歌え、もはや語るな」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・七つの封印・P.376」中公文庫)

しかし歌というものは古代ギリシア悲劇において、コロス(合唱)というものは何を語っていたか。悲劇を語っていた。観客はとって悲劇は、その都度、ただ単に見るのではなく《生きられる》ものだった。ところが「ツァラトゥストラ」では「軽快なもの」の代表として「歌うこと」が奨励されている。近代の到来とともに出現した「重さの霊」から逃れるために。ニーチェの態度は歌について両義的な意味を認めているわけだが、歌の両義性は、近代社会の到来とともに何度も回帰することになる。古代世界にはまだ本当にあった悲劇的なものの終わりと、その末期的症状としての抒情的なもの(末人のセンチメンタリズム)の出現と。近代では悲劇が悲劇として成立しない。だからハムレットは狂人になるのではなく狂気を演じるほかない。一回限りの唯一性を剥奪され、模倣というコピー文化に浸透され、どの悲劇もつねにすでに演じられてきたものの反復=回帰でしかない。退屈の永遠回帰に耐えつづけていくことが要請されるようになる。

「ヴァン・ゴッホは絵画以外の何ものでもなく、そしてそれ以上ではない、哲学によっても、神秘思想によっても、儀式によっても、精神外科術によっても、または典礼によっても、歴史によっても、文学によっても、または詩によっても、彼の日に焼けた黄金の向日葵は描かれてはいない、それらは向日葵として描かれており、それ以上の何ものでもないのだが、しかし現物の向日葵を理解するには、いまやヴァン・ゴッホに立ち戻らなければならないのだ、同様に、現物の嵐を 荒れ模様の嵐の空を、現物の平原を理解するためには、もはやヴァン・ゴッホに立ち戻らないわけにはいかなくなるだろう」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.152』河出文庫)

ゴッホとニーチェについてフーコーはこう述べる。

「無媒介な確信と化した彼らの真実」(フーコー「狂気の歴史・P.375」新潮社)

彼らの芸術は直接的だというのである。何らの介在物も要しない。言語も貨幣も必要としないものだと。そんなことがあり得るだろうか。あるのだ。芸術の世界では。稀にではあっても。この中にさらにアルトーを加えると。

「この分離が西洋文化にとって哲学的で悲劇的な意義をもつようになるのは、単にニーチェの晩年の文章やアルトーにおいてでしかない」(フーコー「狂気の歴史・P.368」新潮社)

ここで言われている「この分離」とはどの分離なのか。分離するためには先に《結合》がなくてはならない。

「狂気と非理性とが結合している最後の人物たる《ラモーの甥》」(フーコー「狂気の歴史・P.368」新潮社)

そんなわけで、一七八九年フランス革命の少し前に書かれた「ラモーの甥」から関係箇所を参照する。まず、ヘーゲルによって「無思想」と定義づけられている「哲学者」の言葉。「哲学者」から見た「ラモーの甥」とはどのような人物なのか。

「わたしにしても、彼らに出会って、年に一度は心をひかれることがある。彼らの性格がほかの人々のそれとは対照的にちがっていて、彼らが、われわれの教育や社会の慣習や礼儀作法の導き入れたあの退屈な単調さをぶちこわしているからである。こんな連中の一人が会合の中に現れると、それは発酵させる一粒の酵母のようなもので、各人にその生まれつきの個性をいくらか取り戻させる。彼は人々をゆすぶり、揺りうごかす。また是認させたり非難させたりする。真実を掘り出したり、善人を識らせたり、悪党の仮面をひっぱがしたりする」(ディドロ「ラモーの甥・P.8」岩波文庫)

ラモーの甥は哲学者に向かって挑発するかのように言う。当時、「狂人」というものがどのような視線で取り扱われていたかが垣間見える。

「いかにもあんただ、あんたがたらしい言い分だね!わしらが何か気のきいたことでも言うとすれば、それは気ちがいか霊感でも受けた者みたいにひょっとしたはずみなんだ」(ディドロ「ラモーの甥・P.17」岩波文庫)

ラモーの甥は自分が狂人であるということを知っている。しかし彼の挑発的な言葉は社会的な理性による挑発を踏台にしている。

「あんたは、わしが無学で馬鹿で、気ちがいで、無作法で、怠けものだってことを知っておいでです」(ディドロ「ラモーの甥・P.25」岩波文庫)

自分が非理性であり狂人であり道化であることの自覚。それは決して深い絶望の淵に打ち沈んでいるわけではない。積極的に道化=狂気を買って出ている。だからといって彼は自分は「真実」であるなどと言うわけではない。非理性あるいは狂気こそ「真実」そのものだとはけっして言わない。むしろ彼が道化=狂気を演じることで嘲笑しようと欲しているのは「真理」という社会的妄想だからだ。しかしなぜそうなのか。フーコーはここでニーチェやアルトーの名を出して比較に応じている。

「非常に昔の人間像、なかんずく、中世紀を思い出させる道化の横顔を集中的に表わしている実在、そして他方、非理性のもっとも現代的な形態、ネルヴァルやニーチェやアントナン・アルトーと同時代の非理性形態をも告げる実在である」フーコー「狂気の歴史・P.368」新潮社)

理性が理性であるのはなぜか。非理性がその根拠として働いているからである。あるいは善悪の判断において善を支えているものはなんだろうか。悪が確実であるかぎりで善の観念の根拠として働くからである。「ラモーの甥」は理性《と》非理性とが「結合」していた最後の時代、中世末期から十八世紀末の《あいだ》に現われた。一七八九年フランス革命前後に大規模な形で実現されていく「判断すること=分離すること」という必要かつ殺人的作業の大いなる預言者として登場している。それはとても皮肉で逆説に満ちた、しかしそれ自体ではもっともでなおかつエスプリたっぷりな言葉の散乱として理性を不安に叩き込む。この逆説は理性が理性たらんとするには理性が理性のうちに非理性を所有していなければならないという不可避的構造を白昼のもとにあぶり出すものだった。

「長い間、道化という肩書で王様に仕えた道化はありました。が、どんな時代にも、賢者という肩書で王様に仕えた賢者はありませんでしたから」(ディドロ「ラモーの甥・P.89」岩波文庫)

さらに。

「賢明な人だったら、道化なんかもたないでしょうよ。だから、道化をもっている者は賢者じゃない。もしその男が賢者でないなら、道化です。たとえ王様だったとしても、その男は多分自分の道化の道化というわけでしょう」(ディドロ「ラモーの甥・P.89」岩波文庫)

次の一説をフーコーが取り上げているのは大変興味深い。ラモーの甥は道化として何にでも変身する。金銭を手に入れるためにそうしていると言っているのもまた予言的であり過ぎるわけだが。

「そして気の触れた人のように叫んだり歌ったり暴れたり、自分一人で男や女の踊り手にもなれば歌い手にもなり、オーケストラや歌劇の一座も全部一人でやってのけ、一つのからだを二十もの別々の役に使い分け、悪魔に憑かれた人のように、走ったかと思うと、立ち停り、きらきらと眼を輝かしたり、口から泡を吹いたりした。息もとまりそうなほどの暑さだった。そして、彼の額の皺や長い頬に沿って流れる汗は、髪粉とまじって、川のように、着物の上のほうにいくすじもの線をつけていた。彼が表わさないものが一つだってあっただろうか。彼は泣いた。笑った。溜息をついた。ある時は愛情をこめて、ある時は静かに、ある時は荒々しく、眺めた。悲しさに悶える一人の女になることもあれば、失望の淵に沈む一人の不幸な男にもなった。そそり立つ寺院であることも、落日に声なき鳥どもになることもあった。あるいはうら淋しくすがすがしいほとりにせせらぐ流れとも、また山々の頂から急湍となって走せ下る流れともなった。暴風雨でもあり、海荒れでもあり、風の唸り、雷の轟にまじる死にゆく人々のうめき声でもあった。それは暗々たる闇夜でもあったし、物影と沈黙でもあった。というのは、沈黙さえも音で描写されるのだから。彼の頭はまったく正気を失っていた。深い眠りからか、また長い放心状態から醒めた人のように、疲れきって、彼は茫然と、気がぬけたように、じっとしていた」(ディドロ「ラモーの甥・P.122」岩波文庫)

観察しているのは哲学者だがそこに映って見えている事態はどういうことなのか。社会全体はすでに脱中心化を起こし始めている。ラモーの甥はそう言っているのである。神の死。絶対的なものの消滅。中心的基準の消滅。移動する強度。変動相場制。中心点はもはやない。少なくともヨーロッパ全土を貫通する形で次のようなことが起こってきている。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)

ラモーの甥はフーコーによれば「明示された錯誤」である。

「ディドロの文章のこうした箇所では、理性と非理性との関係はまったく新しい相貌をおびている。そこでは現代世界における狂気の運命が、異様な仕方で予告されている。しかも、すでに一種の拘束をうけているといえるのである。そこを出発点として、一本の直線が、アントナン・アルトーへ一気にいたる不確かな道を描く」(フーコー「狂気の歴史・P.370」新潮社)

引用を続けよう。彼は大ラモーという偉大な叔父を持ったばかりに音楽には秀でることができた。けれども有名人ではない。むしろ食べていけない人々に属している。路上でヴァイオリンを弾いて小銭を得て暮らしている。当時の社会では最も軽蔑される物乞いの一人であった。彼は自分が路上で行うパフォーマンスについて述べる。

「そして、半ばあいた口のほうへ一本の指をもって行く動作で自分の極度の窮乏を表わした。ーーー『これからまた絃をかき鳴らし、ぽかんと開いた口へ指を持ってゆく身振りをして見せなくちゃなりますまい。この世の中にはなに一つ安定したものはありません』」(ディドロ「ラモーの甥・P.148」岩波文庫)

またこうも。

「一番いけないのは、不如意からわれわれが窮屈な姿勢をとらされることです。貧乏な人間は普通の人のような歩き方はしません。彼は飛び、這い、のたくり、足を引きずって歩きます。彼はいろんな姿勢(ポーズ)をとったり、してみせたりすることで一生をすごすんです」(ディドロ「ラモーの甥・P.150」岩波文庫)

不如意ではあるものの仕方がない。だからそうする。しかし大事なのは、姿勢(ポーズ)でありパントマイムであり、したがって《身振り仕ぐさ》である。彼は唯一の例外を述べる。

「全王国中で当り前の歩き方をしているのはたった一人だけですね。それは主権者でさあ。そのほかの者はみんなポーズをとって歩いてるんです」(ディドロ「ラモーの甥・P.152」岩波文庫)

だから要するに何かを演じていない人間はいないというのである。国王もまた必要に応じてパントマイムを演じている。その臣下は国王に対して、国民とはまた違った形で、パントマイムを演じざるを得ない。全世界が演じている。とすれば仮面は世界の全人口以上に必要になるだろう。その意を汲んで哲学者はこう総括する。

「実際、君のいわゆる乞食のパントマイムなるものは、地球の大円舞だよ」(ディドロ「ラモーの甥・P.152」岩波文庫)

混み入った事情のため、この一冊が世に出るまでにしばらく時間がかかったことは有名だ。それはそれとして、その後、「ラモーの甥」の言動についてヘーゲルがたいへん詳細な分析を行なっている。四箇所上げてみる。

「自己意識は、個別的側面をみな、捨象しうるものであるから、個別的なものに関し拘束される場合にも、自分で〔対自的に、自独的に、自立的に〕存在する実在として、いつまでも、承認されており、それ《自体で妥当する》ものである。だがその場合にも、自己意識は、自分の純粋で最も固有な《現実》、つまり自我の側面から言って、自分が自分の外に在り、他者に依存していることを見てとる、つまり自分の《個人格》そのものがあるひとりの他者の偶然な個人格に、瞬間や恣意や、その他、全くどうでもいいような事情などの偶然に、依存していることを見てとる。ーーーところで法状態においては、対象的実在〔世界の主〕の権力内に在るものは、捨象されてもかまわないような、《偶然の内容》として現われ、権力は《自己そのもの》に関わるのではなく、むしろ、自己そのものは承認されているのである。しかしながら、ここでは自己は、自己確信そのものが、最も本質なきものであること、つまり純粋人格が絶対的非人格であることを見る。だから自己が感謝するという精神は、最深の卑劣の感情でもあれば、最深の反抗の感情でもある。純粋自我自身は、自分が自分の外におり、引き裂かれているのを見るから、この引き裂かれた状態にあるときには、すべて連続的で一般的であるもの、法則とか善とか正義とか呼ばれるものは、同時にばらばらであり、没落してしまっていることになる。すべて等しいものは解体している。なぜならば、《最も不純な不等性》が、つまり、絶対に本質的なものの絶対的な非本質性が、自分で存在するものが自分の外に在ることが、現存するからである。言いかえれば、純粋自我自身が絶対的に分裂しているのである」(ヘーゲル「精神現象学・下・P.102~103」平凡社ライブラリー)

矛盾していないと思い込んでいるのが「哲学者」であり、逆に彼(ラモーの甥)こそ矛盾だらけであるにもかかわらず「疎外された者」ゆえに、さらに「絶対的な分裂」として、ヘーゲルは捉えている。

「しかし自己を遺棄し自己を失う実在は、言いかえれば、物となった自己は、むしろ、実在が自己自身に帰った〔反照した〕ものである。それは、《自分で》〔対自的に、自独的に、自立的に〕《存在する自独存在》であり、精神の現実存在である。ーーー《善悪》という二つの実在の《思想》も、やはりこの運動のなかで、転倒し合う。善と規定されたものは悪であり、悪と規定されたものは善である。これら両契機の各々の意識は、高貴な意識とか、下劣な意識とか、という形で評価されるが、その真実の姿においては、むしろ、またそういう規定であるはずのものの、逆のものであり、また高貴な意識は下劣で卑劣な意識である。それと同じで、自己意識の卑劣さも、最も教養ある自由の気品に転換するのである〔革命〕。ーーー形式的に考えるならば、すべては、それ《自身》で在るものとは《外面上》逆であり、また、ほんとうは、それ自身である通りのものではなく、そうありたいのとは別のものであり、自独存在はむしろ自己自身を失うことであり、自己を疎外することは、むしろ自己を維持することである。ーーーこうして、現存しているものは、すべての契機が一般的権利を互いに行使し合い、各々が、それ自身自体で疎外しているとともに、自分をその反対にしみこませ、同じようにしてこれを逆転させるということ、それである」(ヘーゲル「精神現象学・下・P.107~108」平凡社ライブラリー)

矛盾と転倒という現象が歴史の推進力となる。それは何もヘーゲルだから思いつくことができたとばかりは言えないかもしれない。ヘーゲルの生きた時代を構成するあらゆる諸条件の中で、その限りでのみ、ヘーゲルは「精神現象学」の作者として出現することができたからである。

「だが真の精神は、絶対に分離したものを統一することにほかならない。しかもこの精神は、これら《自己なき》両極の《自由な現実》が、この両者の媒語となることによってのみ、現存することになる。その定在はあまねく《語る》ことであり、分裂しながら《判断すること》〔分割すること〕である。この判断作用にとっては、全体の本質として、また現実的分岐として、妥当するはずの例の契機は、みな解体してしまう。そしてまたこの判断作用は、自己を解体する自己自身との戯れである。それゆえ、かく判断し語ることは、真であり、すべてに打ち克つけれども、打ち克たれないものである」(ヘーゲル「精神現象学・下・P.108~109」平凡社ライブラリー)

この辺りのフレーズはややこしい。相手が誰であろうが何と言われようが「勝手に勝つ」とでも言っておく。次の文章は総括的に述べられている箇所である。

「自己復帰の第一の面においては、あらゆる《事物の空しさ》は、自己《自身の空しさ》である、つまり自己は空しい《のである》。すべてを評価し、喋りまくるだけでなく、現実の固定した実在〔国家権力と財富〕や、判断の立てる固定した規定〔善悪、高貴下劣〕やが、《矛盾》していることを、精神(エスプリ)のある態度で語るすべを心得ているのは、自独存在〔対自存在、自立存在〕する自己である。この矛盾こそは、それらの実在や規定の真理なのである。ーーー形式上から考えれば、自己は、すべてのものが、自分自身と疎外関係にあることを、知っている。つまり、《対自存在》〔自独存在、自立存在〕は《自体存在》から、思いこんだことと目的は真実から、さらに《対他存在》が両者から、示されたものは本来の思いこみや真の事柄や意図から、離れているのである。ーーーかくて自己は、すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが転倒していることを、正しく言い表わすすべを知っている。自己は、各々のものが何であるかを、それがどのように規定されていようと、そのものが在る以上によく知っている。自己が実体的なものを知っているのは、実体的なものが自分で統一している《不統一》と、《対抗》との面からであって、一つであるという面からではないから、自己は、実体的なものを、非常にうまく《評価する》ことを理解してはいるが、それを《把握する》能力は失っている。ーーーそのさい、この空しさは、すべての事物の外に出て、自己の意識を自分でもつために、すべての事物の空しさを必要とする、それゆえ、この空しさを自分で生み出すとともに、この空しさを支える眼目である」(ヘーゲル「精神現象学・下・P.108~109」平凡社ライブラリー)

ほかの訳文も豊富に出ている。だから、おそらくだが、日本で最も有名な訳文の一つとされるフランスのイポリットからの訳文の用語を対照して言葉の一致を見ておきたい。たとえば、「自己の分裂においてしか自己に精神を回復させ得ないし、その粉砕する批判力は自分自身に対してまず自己解体の遊びを行わなければ効力をもたない」=「真の精神は、絶対に分離したものを統一することにほかならない。しかもこの精神は、これら《自己なき》両極の《自由な現実》が、この両者の媒語となることによってのみ、現存することになる。その定在はあまねく《語る》ことであり、分裂しながら《判断すること》〔分割すること〕である。この判断作用にとっては、全体の本質として、また現実的分岐として、妥当するはずの例の契機は、みな解体してしまう。そしてまたこの判断作用は、自己を解体する自己自身との戯れである。それゆえ、かく判断し語ることは、真であり、すべてに打ち克つ」。また、「諸契機の不統一と背馳の側面からのみ実体的なものを知り、その統一の側面からは知らないのだから、実体的なものについて非常に正しい判断を下せても、それを把握する能力は喪失している」=「自己は、すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが転倒していることを、正しく言い表わすすべを知っている。自己は、各々のものが何であるかを、それがどのように規定されていようと、そのものが在る以上によく知っている。自己が実体的なものを知っているのは、実体的なものが自分で統一している《不統一》と、《対抗》との面からであって、一つであるという面からではないから、自己は、実体的なものを、非常にうまく《評価する》ことを理解してはいるが、それを《把握する》能力は失っている」。というふうに。

フーコーに戻ろう。フーコーもまたアルトーに戻っていう。

「ヘルダーリンにつづいて、ネルヴァル、レーモン・ルーセル、アントナン・アルトーが、その危険をおかし、最後には悲劇ーーーつまり、狂気の放棄における、この非理性経験の疎外ーーーに達したのである。こうした人々の実在のそれぞれには、こうした実在の姿であるそれらの言葉のそれぞれは、執拗な時間のなかで、つぎの同じ質問ーーー多分、近代の世界の本質そのものにかかわる同じ質問をくりかえすのである。〔狂気にたいする〕非理性の差異・独自性のなかで自己を保持することは、なぜ不可能であるか?なぜつねに非理性は、感覚的なものの妄想のなかで魅惑させられ、他方、狂気の隠れ家のなかに閉じ込められて、分割されなければならないのか?どのようにして、非理性がこんなにまで言語を失ってしまうという事態がおこりえたのか?ひとたび正面からこちらを見つめた人々を石化させるあの力とは、《非理性》の試みを企てようとしたすべての人々に《狂気》を宣告するあの力とは、いったいどんな力なのか?」(フーコー「狂気の歴史・P.376」新潮社)

それについてはアルトーのゴッホ論とフーコーの狂気論とを対照させつつ先日来述べてきたつもりである。ところで、ディドロ「ラモーの甥」について、気になるのはいつもラストの一行だ。

「最後に笑う者が大いに笑うでしょうよ」(ディドロ「ラモーの甥・P.159」岩波文庫)

何が言いたいのだろう。パロディでもない。冗談でもない。ウィットでもないようにおもう。ニーチェのいう「笑い」でもないだろう。ちなみにボードレールは「笑いにおける」《自己二重化》ということを言っている。

「笑いは悪魔的である。ゆえにこれは深く人間的である。これは人間にあって、自らの優越性の観念の帰結である。そして事実、笑いは本質的に人間的なものであるから、本質的に矛盾したものだ、すなわち、笑いは無限な偉大さの徴(しるし)であると同時に無限な悲惨の徴であって、人間が頭で知っている<絶対存在者>との関連においてみれば無限の悲惨、動物たちとの関連においてみれば無限の偉大さということになる。この二つの無限の絶え間ない衝突からこそ、笑いが発する。滑稽というものは、笑いの原動力は、笑う者の裡に存するのであり、笑いの対象の裡にあるのでは断じてない。ころんだ当人が、自分自身のころんだことを笑ったりは決してしない、もっとも、これが哲人である場合、自分をすみやかに二重化し、自らの《自我》の諸現象に局外の傍観者として立ち会う力を、習慣によって身につけた人間である場合は、話は別だが」(ボードレール「笑いの本質について、および一般に造型芸術における滑稽について」『ボードレール批評1・P.227』ちくま学芸文庫)

一方、ドゥルーズはマゾッホの小説を手掛かりに「ユーモア」についてこう述べる。

「マゾヒストの服従のうちにひそむ嘲弄、このうわべの従順さのかげにひそむ挑発や批判力が、ときに指摘されてきた。マゾヒストはたんに別の方面から法を攻撃しているだけなのだ。私たちがユーモアと呼ぶのは、法からより高次の原理へと遡行する運動ではなく、法から帰結へと下降する運動のことである。私たちはだれしも、過剰な熱心さによって法の裏をかく手段を知っている。すなわち、きまじめな適用によって法の不条理を示し、法が禁止し祓い除けるとされる秩序壊乱を、法そのものに期待するのだ。人々は法を言葉どおりに、文字どおりに受け取る。それによって、法の究極的で一次的な性格に異議申し立てを行うわけではない。そうではなく、この一次的な性格のおかげで、法がわれわれに禁じた快を、まるで法がおのれ自身のためにとっておいたかのように、人々は行動するのだ。それゆえ法を遵守し、法を受け容れることによって、人々はその快のいくらかを味わうことになるだろう。もはや法は、原理への遡行によって、アイロニーに満ちたしかたで転倒されるのではなく、帰結を深化させることによって、ユーモアに満ちたしかたで斜めから裏をかかれるのである。ところで、マゾヒズムの幻想や儀式が考察されると、そのたびに以下の事実に突きあたることになろう。すなわち、法のもっとも厳格な適用が、通常期待されるものと逆の効果をもたらすのである(たとえば、鞭打ちは、勃起を罰したり予防したりするどころか、勃起を誘発し確実なものとする)。これは背理法による証明である。法を処罰の過程とみなすとき、マゾヒストはじぶんに処罰を適用させることからはじめる。そして受けた処罰のなかに、じぶん自身を正当化してくれる理由、さらには法が禁止するとみなされていた快を味わうよう命ずる理由を、逆説的なしかたで発見する」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.134~136」河出文庫)

すべての人々があたかもジュネのように「法」を味わうようになったとしたら。法そのものが厳格化されればされるほどますます秩序壊乱を目指さざるを得ない《欲望を生産する》変換機械。けっして「高笑い」しないデモーニッシュな嘲笑とでもいうべきだろうか。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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