白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

遍在する廃墟/空虚の遍在3

2020年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム
アルトーはもはや「症例アルトー」として取り扱われている。けっして医学的な意味でではなく、文学という制度の中でばらばらにされ、要するにミンチにされた。そして「総括あるいは概括そして《まとめ》」という身振りのうちに、社会は、何度も何度も繰り返し繰り返しアルトーを統一へ還元してしまう。

「私は姿を現し、私は元気を取り戻し、私は注意深く調べ、私は人目を引き、私は封印を解く、私の死んだ生は何も隠してはいないし、その上虚無はけっして誰の害にもならなかった、内部に戻ることを私に強いるのは、過ぎ去り、時として私を沈めるあの嘆かわしい不在であるが、しかし私にははっきり、とてもはっきりと見えるのだ、虚無でさえ私はそれが何であるかを知っているし、しかも私は内部に何があるのかを言うことだってできるだろう」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.167~168』河出文庫)

というふうにアルトーもまた自分で自分自身を、しばしば「総括あるいは概括そして《まとめ》」てしまうことがある。その意味でアルトーはたいへん深いところ、途轍もなく深いところで、「気が狂って」いたということができる。

「自然は何も欲しないが、しかし自然はつねに何かを達成する。ーーー《私たちは》何かを欲して、《つねに何か別のものを達成する》」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七二五・P.356」ちくま学芸文庫)

そういう意味では。だからアルトーはどこにでもいるごく当たり前の人間だったといえる。ただ単に或る部分がごく僅かに突出していたに過ぎない。ごく僅かな突出。しかしそれは病気である。世間から見ればなかなか病気には見えないが、権力という位置から見れば極めて危険なあり方である。そのあり方は病気として厳重に監禁され絶え間なく監視されねばならない危険極まりない病気である。しかし権力というものは世間とまったく別のものではない。むしろその動作環境はほとんどいつも一致している。けれどもアルトーやゴッホが恐れられたのは、自然の猛威が人間を恐れさせるように、アルトーやゴッホという突出部に対して社会の側が恐れたからである。アルトーは続ける。

「ヴァン・ゴッホは正しかった、人は無限のために生きることができるし、無限によってしか満足しないこともあり得る、地上と諸天球のなかには無数の偉大な天才を堪能させるに足るだけの無限があるのだし、ヴァン・ゴッホがそこから自らの生全体を照射する欲望を満たすことができなかったのは、社会が彼にそれを禁じたからである」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.168』河出文庫)

ゴッホが持っていた最大の欲望。それは性的欲望ではなく、少なくとも性的欲望はその一部分でしかなく、逆に無限という基準なき基準を創造しつつ「自らの生全体を照射する欲望」のことだった。しかし社会はそれをいつも禁じることにしている。だからゴッホの中でもまた次のような事態が生じた。

「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・P.99」岩波文庫)

アルトーもまた同じだ。

さてしかし、社会はなぜいつも社会規範を必要とするのか。個々人に向けて「空気を読む」ことを厳しく強制しつつ、社会は、個々人が《正しく》「空気を読む」ことができているか、自己点検させて止まないのか。かつてははっきり目に見えていた社会的文法。華々しい身体刑を伴っていたために誰にでも単純に理解可能だった。もはやそれは目に見えない。目に見えない次元へ移動した。社会は近代化すればするほど社会的文法を不可視化する。そして二〇〇年ほど前、管理のテクノロジーは身体刑という形式をほとんど必要としなくなる。とはいうものの身体刑は、実在する刑務所という執行機関が今なお強固に担っているではないかと反論することは可能だ。しかしそれは可視化された隔離という一部分に過ぎない。そういう単純な事情が問題なのではなく、隔離されていないところでいつもすでに執行されている管理という問題があるのだ。人間は個々人の次元で絶えざる自己点検という終わりのない新しい管理形態を受け取った。ただ単に受け取っただけではない。それを《欲望する》ほどにまで立ち至っている。

「《ただ、欲望というものと社会というもののみが存在し、それ以外のなにものも存在しないのである》。社会的再生産の最も抑制的なまた最も致命的な形態でさえも、欲望そのものによって生みだされるものなのだ。あれこれの条件の下で欲望から派生する組織の中で生みだされるものなのだ。われわれは、このあれこれの個々の条件を分析しなければならないであろう。したがって、政治哲学の基本的な問題は、依然としてスピノザが提起することができた次の問題(この問題を発見したのはライヒである)につきることになる。すなわち、『何故、ひとびとは、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、みずから進んで従属する《ために》戦うのか』といった問題に。いかにして、ひとは、<パンを切りつめても、もっと多くの税金を>などと叫ぶことになるのか。ライヒがいうように、驚くべきことは、ある人々が盗みをするということではない。またある人々がストライキをするということでもない。そうではなくて、むしろ、飢えている人々が必ずしも盗みをしないということであり、搾取されている人々が必ずしも盗みをしないということである。何故、人々は幾世紀もの間、搾取や侮辱や奴隷状態に耐え、単に他人のためのみならず、自分たち自身のためにもこれらのものを《欲する》ことまでしているのか」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.44」河出書房新社)

ただし、そこへ行くまでに或る種の、避けて通れない過程があったのである。道は平均的な人々が思い込んでいるほど平坦ではなかった。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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遍在する廃墟/空虚の遍在2

2020年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホの自画像。風景画とどこがどう違うというのだろう。違わない。ゴッホはいつものように「肉切り包丁でするように解剖する術」を用いている。

「人間の顔をこれほど圧倒的な力で探り、否み難いその心理を肉切り包丁でするように解剖する術」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.166』河出文庫)

自画像を描く際にも同様の方法を適応させる。アルトーは「フェルト帽をつけた肖像」に注目する。

「ある日人間の顔を見ることができた者は、彼自身によるヴァン・ゴッホの肖像を見るがいい、私が思っているのはフェルト帽をつけた肖像である」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.166』河出文庫)

けれども、アルトーが考えているその自画像の中で、あの「フェルト帽」はすでにトレードマーク化された。ゴッホの自画像、すなわち「あのフェルト帽」として世界中を流通している。何度も繰り返し商品化されてきた。事態がそうなっていくに連れて、そこにはもう何の驚きもないことに驚く。ゴッホは画廊のゴッホでよかったのだが、どういう事情でか、なぜか美術館のゴッホになってしまった。狂気は古代ギリシアの神々のようにではなく近現代社会の中で神格化された。売買取引の対象になった。もはや狂気は生きられるものではなく、貨幣を介して流通する諸商品の一つとして他の諸商品の無限の系列の中へ溶け込んだ。そしてそのための前提として狂気はすでにいつでも貨幣交換可能な状況下に置かれる管理対象として物件化されていた。商業の自由という不自由な制度の中に監禁されることになった。だからといって、生きられる狂気がなくなったわけではない。むしろ急速に増殖した。そこへモロイはやって来た。モロイは考える。

「つぶやくのが聞こえる、すべてが折れ、曲がる、まるで重荷に耐えかねたように、だが、ここには重荷などない、そして地面も曲がる、ささえの役にたたず、光も折れる、けっしてやってこないかのような終わりに向かって、なぜなら、こうした孤独にどんな終わりがあろう。そこでは真の輝きも、垂直も、たんなる基礎も一度たりとも存在せず、常に、事物は、朝の記憶も夕べの希望もない日の光の下で、傾いたまま終わりのない地すべりに押し流されていくのだ。それらの事物、どんな事物が、どこからやってきたのか、なんでできているのか?しかも、ここでは、なにも動かないらしい、一度も動いたことがなく、けっして動きそうもない、私を除いては。私もそこにいるときは動かない、だが見つめる、そして私を見せる。そう、それは、外見とは違い、終わった世界だ、それの終わりが出現させた世界だ。それは終わりながらはじまったのだ。これではっきりしただろうか?そして私も、そこにいるときは、終わってしまっている、両の目を閉じる、苦しみも絶える、私は終わる、生きているものにはできないように折れ曲がって。それでも私は聞くだろう、あの遠い息吹きを、ずっと以前に黙りこくってしまった息吹きをついに聞くだろう。そして、この点について、もっとほかのことも学べるだろう。だが、今のところ、私はもう聞かない、なぜなら、私は好きではないから、遠い息吹きが、好きでないばかりか恐れてさえいる。だがそれは、ほかの音のように聞きたいときに聞けて、遠ざかるか、耳をふさげばいつでも黙らせられるような音ではない。それは、どんなふうにか、なぜかもわからないまま、頭のなかでざわめきだす音なのだ。それは頭で聞く音で、耳はなんの関係もない。それは止めることはできないが、かってに、ひとりで止まる。だから私が聞いていても、聞いていなくても、同じことだ。いずれにしろ聞こえるのだから。ひとりでにやむまでは、たとえ雷でも私をそれから解き放ってはくれない。だが、私に好都合でないかぎりそれについて話さなければならないという理由はどこにもない、そして、今のところ、それは好都合ではない。そうだ、今私に好都合なのは、この辺で逃げ出して、わかっている、未完成のままだった月の話をすることだ。そして、たとえ、頭がほんとうにすっきりしているときほどうまくはいかなくても、とにかく、できるだけうまく話し終えよう、少なくとも私はそう思う」(ベケット「モロイ・P.56~57」白水社)

サミュエル・ベケットについての研究は数えきれないし読みきれないほど大量生産された。ベケットがノーベル文学賞を授賞してしまったからである。受賞拒否もあり得たが受賞した。が、もし受賞拒否していたとしたら作品そのものはもっと大量の研究論文の中に埋もれてしまい、錯乱しているのはモロイではなくベケットでもなく世論の側だということがはっきりしていただろう。ところでモロイは、肝心のモロイの「つぶやき」は、どうなったか。ネット社会のどうでもいい「つぶやき」の洪水の中で、何度も繰り返し襲いかかる「つぶやき」の暴力によって、おそらくとっくの昔に覆い隠され粉々に叩き潰されてしまっていたに違いない。しかし問題は、一度というより何度でも「ノーベル」と「賞」とを切り離して文学へと返してやることだ。制度化される前の文学というものがもし可能なら、という不可能な条件のもとで。モロイはただひたすら鏡に徹している。皮肉ではなく、動く鏡、現代社会というものをぐるぐる回る三面鏡の中へ叩き込んでどこまでも散乱させ続けている。そこに映し出されるものはすべて奥なのか手前なのかわからないという決定不可能性とともに出現するほかなく、したがって底というものがない。天井というものがないように。狂気というのは実に心もとない断片として断片ばかりを「つぶやき」続けることしか知らない。

「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・P.324~325」新潮社)

アルトーのいうゴッホ「自画像」の二重性。

「超-明晰なヴァン・ゴッホによって描かれたあの赤毛の業者の顔、それがわれわれを詮索してわれわれを窺い、また険しい目でにらみつけるようにわれわれを探っている」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.166』河出文庫)

ゴッホの習作時代の作品を見ると、当たり前のように結構リアルである。しかし晩年に近づくに従って思い切って大胆になったのではない。晩年になればなるほどよりいっそう繊細緻密に、ますますリアルになったのである。だから、リアルとはなんなのか。問題はしばしば移動するとともに散乱する。自画像の「険しい目」。自分で自分自身を見つめる「険しい目」は、しかし一体、誰を見ているのだろうか。ゴッホがゴッホ自身を覗き込む、あの「険しい目」。一方で確実に加速する狂気を、同時に他方で、狂人でない自分の眼で自分自身を捉えているゴッホとその自画像。何が起こっているのか。

「狂気の最初の声がニーチェの傲慢、ヴァン・ゴッホの卑下のなかに、いつ忍びこんだかを知ることは重要ではない。狂気は創作活動の最終的な瞬間としてしか存在しない。創作活動こそは狂気をそのぎりぎりの境界にまで際限なく追いやっているのであり、《創作活動が存在するところには、狂気は存在しない》、けれども、狂気は創作活動と同時期のものである、それこそは創作活動の真実の時間を始めるのだから。創作活動と狂気がともに生れ完了する瞬間、それは、世界がこの創作活動によって設定された自分を、またこの創作活動の全面にあるものに責任を感じている自分を見出す、そうした時間の始まりである。狂気の術策と新たな勝利である。すなわち、狂気を測定し、心理学によって狂気を正当化していると信じている世界のほうが狂気の正面で自分を正当化しなければならないのである。というのは、努力と論争によって世界は、創作活動の、ニーチェやヴァン・ゴッホやアルトーのそれのような度はずれた尺度をもとにして自分を測っているのだから」(フーコー「狂気の歴史・P.559~550」新潮社)

<性>についてなお。フーコーが射程に入れているのは近代に限ってのことではない。性的欲望の装置はなるほど近代化されはした。ところがこの装置は洗練されていない形態で、もっと以前から活用されていた。キリスト教が用いていた制度としての告白という装置がそうだ。宗教警察のごとき告白装置によって<性>について何かが、何でもいいのだが、語られるとき、その瞬間、性的欲望は装置としてその役割を実践していた。どんなささいなことでも構わないのだが、<性>について何かが語られるとき、語られるやいなやそこに欲望が出現する。その言語が人間の身体の内部に欲望の穴を穿ち、その通りに内面というものが形成されるのである。それまでは実はまったくありもしなかった欲望が発生する。以後、それは確実に性的欲望の装置として個々人の性欲を活性化させることに役立ってきた。

「キリスト教の改悛・告解から今日に至るまで、性は告白の特権的な題材であった。それは、人が隠すもの、と言われている。ところが、もし万が一、それが反対に、全く特別な仕方で人が告白するものであったとしたら?それを隠さねばならぬという義務が、ひょっとして、それを告白しなければならぬという義務のもう一つの様相だとしたなら?(告白がより重大であり、より厳密な儀式を要求し、より決定的な効果を約束するものとなればなるほど、いよいよ巧妙に、より細心の注意を払って、それを秘密にしておくことになる。)もし性が、我々の社会においては、今やすでに幾世紀にもわたって、告白の完璧な支配体制のもとに置かれているものであるとしたなら?すでに述べた性の言説化と、多様な性的異形性の分散と強化とは、恐らく同じ一つの装置=仕組みの二つの部品なのである。それらは、人々に性的な異形性のーーーそれがどれほど極端なものであってもーーー真実なる言表を強要する告白という中心的な要素のお蔭でこの装置のなかに有機的に連結されているのである。ギリシャにおいて、真理と性とが結ばれていたのは、教育という形で、貴重な知を身体(からだ)から身体(からだ)へと伝承することによってであった。性は知識の伝授を支える役割を果たしていたのである。我々にとっては、真理と性とが結ばれているのは、告白においてであり、個人の秘密の義務的かつ徹底的な表現によってである。しかし今度は、真理の方が、性と性の発現とを支える役を果たしている」(フーコー「性の歴史1・知への意志・P.79~80」新潮社)

というふうに。そしてまた、この装置は近代社会という大海を得て、水を得た魚のように大海を平滑空間化し、大海を制覇し、大海を制覇すると同時に今度は逆に大海となって内部に取り込んだ大小様々な魚の群れを大海の中で監禁管理してしまったのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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遍在する廃墟/空虚の遍在1

2020年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
アルトーのいう「実存」は、有機体としての諸器官に閉じ込められた身体を意味する。ゴッホは、そしてアルトーもまた、その意味での身体から解放されたいと欲した。

「彼が実存から解放されようとしていたまさにその瞬間に描かれたような、低い半円形の空をしたこの画布とともに、ヴァン・ゴッホ自身が言いたかったのはそれである、というのもこの画布は、誕生や、婚姻や、出発の、しかもほとんど荘重である異様な色彩をもっているからである」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.164』河出文庫)

だからアルトーの場合、「器官なき身体」という「別様の感じ方」で生きる別次元の身体を創造した。結果的に実現できなかったわけだが。しかし重要なのは、この「器官なき身体」という次元を創造したという事実にある。自殺は結果に過ぎない。失敗例としての自殺。ところが、結果というものはただ単に終わりということを意味しない。それ以上のことをする。自殺という結果は、結果という資格において、アルトーのすべての業績を覆い隠してしまう。アルトーはただ単に一種の狂人だったという否定的イメージの奥底へ還元あるいは監禁されてしまい、そのすべての業績は覆い隠される。「器官なき身体」という「別様の感じ方」で生きる別次元の身体の創造者という驚くべき到達点は、何かよくわからない意味不明な言葉としてとっとと忘れ去られてしまう。特権化された貨幣あるいは言語がそう立ち働くように。

「商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠す」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.141」国民文庫)

事情はそうなっており、そうである以上、そうだとしか言えない。ほかの幾つかの箇所でも同じことが書かれている。

「一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表わすのではじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。媒介する運動は、運動そのものでは消えてしまって、なんの痕跡も残してはいない」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.169」国民文庫)

「貨幣は、商品の価格を実現しながら、商品を売り手から買い手に移し、同時に自分は買い手から売り手へと遠ざかって、また別の商品と同じ過程を繰り返す。このような貨幣運動の一面的な形態が商品の二面的な形態運動から生ずるということは、おおい隠されている。商品流通そのものの性質が反対の外観を生みだすのである。商品の第一の変態は、ただ貨幣の運動としてだけではなく、商品自身の運動としても目に見えるが、その第二の変態はただ貨幣の運動としてしか見えない」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.205」国民文庫)

「貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。流通は、大きな社会的な坩堝(るつぼ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物にいたっては、なおさらである。貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去る」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.232」国民文庫)

「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫)

「労賃という形態は、労働日が必要労働と剰余労働とに分かれ、支払労働と不払労働とに分かれることのいっさいの痕跡を消し去るのである。すべての労働が支払労働として現われるのである。夫役では、夫役民が自分のために行なう労働と彼が領主のために行なう強制労働とは、空間的にも時間的にもはっきりと感覚的に区別される。奴隷労働では、労働日のうち奴隷が彼自身の生活手段の価値を補填するだけの部分、つまり彼が事実上自分のために労働する部分さえも、彼の主人のための労働として現われる。彼のすべての労働が不払労働として現われる。賃労働では、反対に、剰余労働または不払労働でさえも、支払われるものとして現われる。前のほうの場合には奴隷が自分のために労働することを所有関係がおおい隠すのであり、あとのほうの場合には賃金労働者が無償で労働することを貨幣関係がおおい隠す」(マルクス「資本論・第一部・第六篇・第十七章・P.61~62」国民文庫)

「資本主義的生産過程はそれ自身の進行によって労働力と労働条件との分離を再生産する。したがって、それは労働者の搾取条件を再生産し永久化する。それは、労働者には自分の労働力を売って生きてゆくことを絶えず強要し、資本家にはそれを買って富をなすことを絶えず可能にする。資本家と労働者とを商品市場で買い手と売り手として向かい合わせるものは、もはや偶然ではない。一方の人を絶えず自分の労働力の売り手として商品市場に投げ返し、また彼自身の生産物を絶えず他方の人の購買手段に転化させるものは、過程そのものの必至の成り行きである。じっさい、労働者は、彼が自分を資本家に売る前に、すでに資本に属しているのである。彼の経済的隷属は、彼の自己販売の周期的更新や彼の個々の雇い主の入れ替わりや労働の市場価格の変動によって媒介されていると同時におおい隠されている」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十一章・P.127」国民文庫)

「生産に生産手段の姿で前貸しされた資本価値も生活手段の姿で前貸しされた資本価値もここでは一様に生産物の価値のなかに再現する。こうして、資本主義的生産過程の完全な神秘化は首尾よくなしとげられて、生産物のなかにある剰余価値の起源はすっかり隠されてしまう」(マルクス「資本論・第二部・第二篇・第十一章・P.365」国民文庫)

「利子生み資本では、資本としてのその還流は、貸し手と借り手とのあいだの単なる合意によって定まる《かのように見える》。したがって、資本の環流は、この取引に関してはもはや生産過程によって規定された結果としては現われないで、まるで、貸し出された資本から貨幣の形態がなくなったことはまったくなかったように見える」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十一章・P.62」国民文庫)

「資本の現実の運動では、復帰は流通過程の一契機である。まず貨幣が生産手段に転化させられる。生産過程はそれを商品に転化させる。商品の販売によってそれは貨幣に再転化させられ、この形態で、資本を最初に貨幣形態で前貸しした資本家の手に帰ってくる。ところが、利子生み資本の場合には、復帰も譲渡も、ただ資本の所有者と第二の人とのあいだの法律上の取引の結果でしかない。われわれに見えるのは、ただ譲渡と返済だけである。その間に起きたことは、すべて消えてしまっている」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十一章・P.63」国民文庫)

有名な箇所だけだが上げてみた。このような事態が無数に発生し、数えきれないほど大量の裁判が起きているこの世界の中で、人々が「結果」と呼ぶものはいつもすでに絶え間なく途轍もない重量でのしかかる殺人的圧力と化している、という事情もまた忘れ去られてしまう。ゴッホの、そしてアルトーの、極めて重要な業績をも覆い隠してしまう。ちなみにマルクス「資本論」はどうか。未完ではあるもののほとんど最後まで書かれていることは周知の通り。とすれば資本論のラストが資本論の全体を覆い隠してしまうのではないか。ラストに至る叙述の全過程はただ単なる《神話》に過ぎないのではないか。そう反論することができる。ところがそう簡単に取り扱って破棄してしまえるような作品でないところに資本論の逆説性がある。というのは、マルクスの眼は一体どこにあるのかよくわからないからである。

「それだからこそ、私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め、また価値論に関する章のあちこちでは彼に特有な表現様式に媚(こび)を呈しさえしたのである。弁証法がヘーゲルの手のなかで受けた神秘化は、彼が弁証法の一般的な諸運動形態をはじめて包括的で意識的な仕方で述べたということを、けっして妨げるものではない」(マルクス「資本論・第二版後記・P.41」国民文庫)

ヘーゲル弁証法に即して、ヘーゲル弁証法に忠実であればあるほど、マルクスの眼はかえって生き生きしてくる。このような生き生きした眼を獲得して始めて資本主義という生き生きした諸力の運動を捉えることができる。日本では丸山真男が戦前の小林秀雄の振る舞いを参照しつつこう述べた。

「ヨーロッパ近代思想史において体系と概念組織と『歴史における合理性』を代表していたのはいうまでもなくヘーゲルであった。マルクスとキエルケゴールの仕事はまさにこの典型的な『体系』の物神崇拝性を《破壊する》ことであった。『資本論』を書きえたマルクスが弁証法的唯物論という言葉を一度も使わず、そういう名の理論体系を書物にしなかったのは偶然の外的事情だろうか。ところが日本ではまさに体系と概念組織を代表していたのが、ヘーゲルではなくてマルクスであった。だからこそ小林秀雄は『意匠』によって武装された、『思想の制度』としてのマルクス《主義》と《主義者》にはげしく敵対しつつ、通貨形態をとらぬ前のマルクスやエンゲルスの《個性的》思考と『文体』の前に脱帽し、またコトバとなった弁証法を極度にいみ嫌う反面において、曰く言いがたい究極のものに絶句したあげく奔り出た逆説として弁証法を認めたのである」(丸山真男「日本の思想・P.118」岩波新書)

しばしば言われるように、丸山真男やマックス・ヴェーバーといった歴史的業績を残している人々は、本音のところで第二のマルクスになりたかった大群の中で、ごく僅かに突出することができた稀有な部類に入る人々である。だから彼らが一斉にヘーゲル研究に打ち込んでいたことは何ら不思議でない。そして、とりわけ戦後、無数のヘーゲル「主義者」やマルクス「主義者」が登場してきた。しかし誰一人としてマルクスの眼を獲得することができた人間はいない。いるとしてもほとんどいないに等しいに違いない。なるほどヘーゲルについて言えることはマルクスについても当てはまる。けれども、ただ単にヘーゲルを転倒させただけではないところで始めてマルクスは出現する。

「私は、あらゆる哲学のうちには自己-脱構築的なもろもろの地点があると考えています。ですから、それらの地点はヘーゲルにもありますし、マルクスにもあるのです。そして、相変らず第三段階での話ですが、ヘーゲルについて言えることはマルクスにもあてはまることを私は明示するでしょう。こういったわけで私は、マルクスに大いに関心をもっているのです。そんなわけで私の考えでは、マルクスにはいわゆる弁証法的唯物論ないしマルクス主義哲学に属さないものどもがあります。もっと別なものがいろいろとあり、まさにそうしたものがいつも私の関心をひくのです。こういったわけで、マルクスは私の関心をひいてやみません。マルクスについてはあまり多くを書いていません。マルクスについては教室でたくさん教えましたが、あまり多くは書いていません。とはいえ、マルクスについてのご質問にお答えするとすれば、それは非常に差異のある、そして非常に異質な答えとなるでしょう。マルクスのうちには、形而上学であるような、現前性の形而上学、弁証法、さらには思弁的弁証法でさえあるような、諸言説の層がまるごと存在している、と私は言うでしょう。それから次に、もろもろの他のものがある、と。これら他のものは、ただ単に、マルクスによって書かれたテクストのうちにのみあるのではありません。それらのものは、単に『資本論』の総体として、あるいはマルクスの伝記としてあるのではありません。それら他のものとは、マルクスの著作を歴史に、労働運動に、そして歴史の歯車たちに結びつけているもののことです。マルクスのテクストはこういったものです。マルクスのテクストとは単にマルクスの書物に限られません。もしもマルクスのテクストを、労働運動の闘争という歴史的コンテクストの総体のうちで捉えて分析するならば、われわれはずっと複雑な諸命題に行き着くにちがいありません。それらの命題はおそらくある人びとには反-マルクス主義的であるだろうし、しょっちゅう、そして今日でもなお、評価し直されるべきものです。とはいえそれらの命題は、われわれがマルクスの書物で読んだり、ないしは大学で教えたりすることのできるような、マルクス哲学についての理論的諸命題に還元されません。マルクスのテクストとは、大学でそれについて言われるもののみにとどまりません。それは到るところにあるからです。マルクスのテクストは。ですから、こういったテクストに対しては、そのようなタイプの理論的諸命題で満足することはできません」(デリダ「私の立場」『他者の言語・P.242~243』法政大学出版局)

ところが、だからといって、ヘーゲルを脱構築すればマルクスになるというわけではない。むしろ自分で自分自身をどんどん自己-脱構築していくのは資本主義という諸力の運動のほうだからである。デリダに関していえば、後々有名になってから出版された中期から後期にかけてより、この講演録のような初期作品のほうが随分面白かったとおもわれる。それはデリダ自身がまだ自由奔放に哲学できていたことと関係がある。世界的有名人になることでかえってデリダは自分で自分自身を或る種の鎖〔来るべき民主主義というメシア主義〕に繋ぎ留めることになってしまった。最晩年の作品まで面白く読めるという場合、それは初期作品の面白味がどのような稜線を描いて変化していくのかを知りたいと《欲望する》限りでわかることではないだろうか。実際、絵画論(「盲者の記憶」みすず書房)などは面白いわけなので。それはそれとして、アルトーの問いは「烏の群れ飛ぶ麦畑」へ舞い戻ってきている。

「私には大地の上空でカラスたちの翼が強烈なシンバルを打ち鳴らすのが聞こえるのだが、ヴァン・ゴッホにはいまからもうその大地の波浪をくい止めることができないように見える」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.164』河出文庫)

ゴッホは或る異種の強度として通過する。あるいは「或る異種の強度の通過」がゴッホという名前を名乗っているに過ぎない。「大地の波浪をくい止める」義務など始めからゴッホにはない。そもそもそのような義務はいつどこで「でっち上げられた」のか。大いに疑問である。そのことが人間の「性」についても言える。「性」は自由でない。すでに先取られ義務化されている。

「性という自律的な決定機関があって、それが権力との接触面において性的欲望という多様な作用を二次的に産み出すのだ、と想像してはならない。性は反対に、性的欲望の装置の中で最も思弁的かつ最も観念的で、最も内面的ですらある要素なのであり、そのような性的欲望を、権力が、身体や身体の物質的現実、身体の力のエネルギー、身体の感覚や快楽に対するその掌握・支配の中で組織していくのである」(フーコー「知への意志・P.196」新潮社)

だから性的欲望というものは医学界を牛耳った国家による大々的な演出であり策略のための装置なのだ。<性>は以前より遥かに自由になったと言えるだろうか。<性>は解放されただろうか。むしろ成果主義の名の下に以前より遥かに強力に資本と接続されたのではなかろうか。男女平等どころかLGBTをも成果主義的観点からのみ短絡的に承認し、狡猾に資本主義内部へ組み込み、労働力商品としてさらにますます賞賛し、よりいっそう激化する競争戦へ投げ売りのごとく放り込んでいく。もはや人間が自分の<性>を決定するのではなく、あらゆる権力、とりわけ国家と多国籍大資本とによって、「性的欲望という装置(メカニズム)」を用いて<性>は無化されると同時に「性的欲望」へ変換され、何かと滑稽な様相でうまうまと動員され立ち働かされているに過ぎないのではないだろうか。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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夜の居場所4

2020年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホはその書簡に見られるようにたいへん几帳面な一個の感受性だった。アルトーがいうように「一個の感受性」であり、そうであるほか生きることができなかった人間の一人である。ゴッホが取り扱い方についてさんざん考えあぐね、取り憑かれていたとさえ言える「強迫観念」についてアルトーは述べる。

「ヴァン・ゴッホはすべての画家たちのなかで、最も深く、しかも緯糸が見えるまで、しかしちょうど虱でもとるようにして、われわれからある強迫観念を剥ぎとった画家である」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.163』河出文庫)

抑圧ということはほとんど問題でないように思う。性的欲望などなおさら関係ない。ゴッホは性的欲望から遥かに遠いところにいた。それが社会を激怒させた。社会と暗黙の共犯関係を結ぶことを明確に拒否しているゴッホの絵画。もっとも、実際のところ、体力的に自信のあるときにしかゴッホの絵画と向き合うことはできない。ゴッホとの遭遇は一定程度の体力を要する。無理やり向き合おうとするとたちまち疲弊してしまうことは確かだ。そしてその意味でもまたゴッホは社会を激怒させてしまう。社会という全体主義的複合体はゴッホやアルトーのような「他者」と出くわすたびに不安に駆られる。そして社会的に抹殺してしまう。社会的に抹殺するのであって、古代ギリシアのようにただ爽快かつ直截に処刑しただちに決済を済ませるのではなく、生かしたまま死ぬまで社会的な制裁を与え続けるのだ。恥と罪の意識のどん底を這い回らせて、それを上から眺め下ろして自分自身の悲惨さを覆い隠すのに役立てる。「他者」の出現はいつも社会を全体主義的に結合させる方向へ働く。ゴッホ、ニーチェ、アルトーといった悲劇を通して。彼ら「他者」の出現はほとんどいつも、市民社会を全体主義化する。社会の共犯者になることを拒否した罪で、その罰として、ばらばらに切断されたゴッホの身体は海へ遺棄されたということができる。目に見えないばらばら殺人があったのだ。しかし。

「事物を別のものたらしめる強迫観念、とうとう《他者》の罪という危険をあえて冒そうとする強迫観念だ、そして大地は液状の海の色彩をもつことはできないのだが、それにもかかわらず、まさに液状の海のように、ヴァン・ゴッホはその大地を続けて草取りの熊手でするように投げつける」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.163』河出文庫)

細切れにされ海へ不法投棄されたはずのゴッホはまさしくその海から還ってきた。ゴッホは自分で自分自身に対して「絵を描く」《欲望を実現する》という約束を果たした。この約束はディオニュソス的約束と余りにも似ている。

「寸断されたディオニュソスは生の《約束》である。それは永遠に再生し、破壊から立ち帰ってくるであろう」(ニーチェ「権力への意志・下巻・一〇五二・P528」ちくま学芸文庫)

市民社会の持つ性的欲望をゴッホは持ち合わせていなかった。性欲がなかったのではなく、市民社会が絶えず要求してくる性的欲望の装置の通りに動かなかったというに過ぎない。ほとんど素通りして済ませていた。社会規範というものの嫉妬深さは想像を絶する。とりわけ社会規範として装置化された性的欲望というものは、素通りされたと見るやいなや殺人的拷問意志を激発させる。そしてゴッホは、そしてアルトーもまた、自殺へ追い込まれた。十九世紀末すでに性的欲望の装置は十分に起動していた。なぜ起動していたといえるのか。第一次世界大戦を経て突如として増殖したナチズムの出現がそれを証拠立てる。王権時代の「血と法による支配」と近代的な「管理と経営による支配」とのどちらをも欲する第三勢力としてのナチスドイツ。フーコーはいう。

「ナチズムは、おそらく、血の幻想と規律的権力の激発との最も素朴にして最も狡猾なーーーそしてこの二つの様相は相関的だったがーーー結合であった。社会の優生学的再編成は、無際限な国家管理の名にかくれてそれがもたらす<極小権力>の拡張・強化と相まって、至高の血の夢幻的昂揚を伴っていた、それが内包していたものは、民族的規模での他者のシステマティックな絶滅であると同時に、自らを全的な生贄に捧げる危険でもあった。そして歴史の望んだところは、ヒットラーの性政策は全く愚劣な実践に終わったが、血の神話のほうは、さし当たり人間が記憶し得る最大の虐殺に変貌した、ということであった」(フーコー「知への意志・P.188~189」新潮社)

ドゥルーズとガタリはこの事情を次のように述べる。まずその前提となったドイツ国民のニヒリズムの消息について。

「ファシズムの場合、国家は全体主義的というよりも、はるかに《自滅的》だということ、ファシズムには現実と化したニヒリズムがある。全体主義国家が可能なかぎりあらゆる逃走線をふさごうとするのに対して、ファシズムのほうは強度の逃走線上で成立し、この逃走線を純然たる破壊と破壊の線に変えてしまう」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.141」河出文庫)

ニヒリズムがもたらす危険についてニーチェはドイツの中で、ドイツ国民に向けて、あれほど警告していたにもかかわらずドイツはナチズムという形で「現実と化したニヒリズム」を出現させる。そして何が起こったか。

「奇妙なことに、自分たちが何をもたらすのか、ナチスは最初からドイツ国民に告げていた。祝宴と死をもたらすというのだ。しかもこの死には、ナチス自身の死も、国民の死も含まれている。ナチスは、自分たちは滅びるだろうと考えていた。しかし、どのみち自分たちの企てはくりかえされ、全ヨーロッパ、全世界、全惑星におよぶだろうとも考えていた。人々は歓呼の声をあげた。理解できなかったからではなく、他人の死をともなうこの死を欲していたからである。これは、一回ごとにすべてを疑問に付し、自分の死とひきかえに他人の死に賭ける、そしてすべてを『破壊測定器』によって計測しようとする意志である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.141~142」河出文庫)

そしてフロイト。精神分析という方法は身体の器官-器質を医学する「神経-精神医学」とはまた別のものだ。もっとも、その初期には両者はまだはっきり分割されていなかった。フロイトが位置しているのは両者が「はっきり一線を画した時」に当たる。というのは、両者の境界線を明確化したのはフロイト自身だからだ。ナチズムの正反対の極でフロイトは「法と象徴的秩序と主権のシステム」と性的欲望の装置とを《接続した》といえる。

「正反対の極に、今問題にしている十九世紀末以来、性的欲望のテーマ系を、法と象徴的秩序と主権のシステムにもう一度書き込もうとする努力を追うことができる。まさに精神分析の政治的名誉であったことーーー少なくとも精神分析において整合的であり得たものの名誉であるがーーーそれは、性的名誉の日常性を管理し経営しようと企てていたこれら権力メカニズムの内部にあって、取り返しのつかぬ形で増殖し得るものに疑いをかけたことである(しかもそれは精神分析の誕生した時からであり、つまり病的変質という神経-精神医学とはっきり一線を画した時からそうであった)」(フーコー「知への意志・P.189」新潮社)

フロイト自身に悪意はない。むしろ性欲の復権を目指した。それは世界中のどこの誰にでもある根本的欲望なのであって否定されるべきものではまったくなく、むしろ突如として湧き起こってきた「血あるいは血統主義」を根拠化することで発生する人種差別や階級社会化への抵抗として、性欲の全的承認を求めたのである。その意味で反ファシズムではあった。ところがフロイトの作品群を見ると、精神分析的思考のための道具立てとして取り集められたもの、とりわけ<性>の分析についてのそれらは、よく知られた論文でいうと「トーテムとタブー」において多用されているように「法、死、血、主権」といった裁断装置をなしている。しかしそれでは権力装置としての性的欲望の分析は上手くいかないとフーコーはいう。なぜだろうか。

「性的欲望の装置は、それと同時代のものである権力の技術を出発点にして思考しなければならない」(フーコー「知への意志・P.189」新潮社)

もっともだと思う。十九世紀いっぱいを要して国家は性的欲望を「管理と経営による支配」のための装置へと置き換えた。にもかかわらずなぜ今さら「血と法による支配」なのか。逆流ではないかとフーコーは問うている。むき出しの産児制限や産児制限の抑制はただちに労働力商品の生産調整に直結しているため見た目にもわかりやすい。生殖行為に関する経済的国家管理である。だが問題は、生殖行為だけではなく、装置としての性的欲望、なのだ。「膣内」射精が問題なのではない。国家はまさしく「膣外」射精という《倒錯》にこっそり重心を移動させつつ途方もない注意深さで社会管理の網目を張り巡らせたのである。性的欲望はただ単なる生殖装置ではない。逆に生殖装置としての性欲など取るに足らなくなるほど労働力商品は大量生産されつつある。合法的婚姻制度だけで十分なのである。以後、国家はさらに考えた。「膣外」射精という《倒錯》をよりいっそう有効活用する方法はないかと。第一に女性のヒステリーの活用。子供という未来の労働力商品生産調整のための繁殖力の利用。家庭という制度の根拠として女性を家庭内に拘束すること。教育的道徳的責任の名において子供という未来の労働力商品を確実に安全保証する義務の打刻。第二に子供の自慰の教育的有効活用。自慰の管理によってなされる他の諸活動への積極的参加指導。多種多様な趣味への意志。スポーツへの意志。学問への意志。第三にフェティシズム。膣外射精の商品化として様々なフェチ商品の大量生産と大量消費とを実現させること。それに伴う資本増殖。たとえば一般的民間企業や教育機関で採用されている制服制度は最も資本化しやすいフェチ制度でもある。大量購入がいつも前提されているからである。また衣服、なかでもお洒落なファッションは、あくまで制服制度を前提として、そこからのちょっとした逸脱を実現することで始めてお洒落に見えるものだ(個性の発生)。それは「個性」の名において高額商品(ブランドの設立)を可能にした。さらに最も単純な次元においても言えることは「衣服は隠す」ということである。隠すことによってまさしくそこに視線は集中する。するとそこにこそ何か重要極まりないものが《あるに違いない》という錯覚が生まれる。と同時に隠されているものを見たいと欲する《欲望》がたちどころに生産される。第四に性倒錯の有効活用。ただ単なる膣外射精だけが目指されているわけではない。それだけなら女性の身体の活用による人口調整によって達成される。膣外射精はその目的がすでに他の行為へ置き換えられていることによって、いともたやすくありとあらゆる娯楽への接続を可能にする。今の日本でいえば「感染=パンデミック」の広域化を許した要因の一つは、意外でもなんでもなく膣外射精の娯楽への転化を押し進めた日本政府による性的欲望装置の活用ミスにほかならない。だから娯楽そのものには何らの責任もないのだ。さらに性倒錯の場合、よりいっそう緻密な分析を通して人間に関する科学技術=テクノロジーの高度な学問化を図ること。人間の身体の分析と集中的管理を通して行われるまだ明らかにされていない未知の領域の徹底的探査。要するに近代国家の出現とともに、近代国家の変容に寄り添いつつ、性的欲望の装置が目指してきたのは欲望の抑圧ではもはやなく、逆に《欲望の生産》とその《資本化》とである。だから国家の見る夢は性風俗の分析ではまったくない。あるとしてもそれはほんのごく一部に組み込まれている臨床的資料に過ぎない。問題はそうではなくて、国家のみならずありとあらゆる政治的権力が、性的あるいは性風俗的なものへ《語りかける》ことによって装置化された性の政治学なのだ。そしてこの政治学はいつもすでに絶え間なく《欲望》していると言わねばならない。

さて、なるほどフロイトは狂人たちを監禁から解き放った。その偉業は認めなければならない。しかし同時にそれ以上に余計なことをしてしまった。精神分析は言語を用いる。とりとめなく散乱する狂気の断片を断片のまま解放したわけではない。逆にそれら断片としての事実を事実そのままに認めることなく言語を用いて「統一する」という方法に打ち込んだ。事実は極めて断片的だというのにあえて「統一」を目指す行為。狂人たちの主体はフロイトの言語へ移動するとともにそこで収斂する。狂人たちは失われた主体でしかなくなる。代わって、狂人たちの主体はフロイトという人間の《言語において》統一され実現される。この倒錯。

「十九世紀の精神医学全体が実際にフロイトという一点へ集中する。彼こそ、医師-病人の組み合せの現実をまじめに受けいれた最初の人であり、その現実から自分の視線と研究とをそらせないことに同意し、その現実を多少とも他の医学的認識と釣合いを保っている一つの精神医学理論のなかに隠そうと努めなかった最初の人、この現実のもたらす結論をきわめて厳密にたどってきた最初の人である。フロイトは、保護院の他のすべての構造の欺瞞を解いた。すなわち、例の沈黙と視線をなくしてしまい、自分自身の光景をうつす鏡のなかでの、狂気じたいによる狂気の認識をやめさせ、有罪宣告をおこなう審判を中止させた。だがそのかわりに、医学的人間をつつむ構造を充分に活用して、その人間の魔術師としての力を増加し、その全能の力にほとんど神のごとき地位をあたえた。この医学的人間のうえに、つまり、完全な現存であるのに不在という形をとって、病人のかげで、そして病人のうえに目をつかむようにしているこの唯一の現存のうえに彼が移しかえたのは、狂人保護院の集団生活のなかにばらばらに区分けされてきた、すべての力であった。彼はそれらを、絶対的な<視線>、純粋でいつも表に出さぬ<沈黙>、言語活動にまで達しない審判によって罰し償う<審判者>に化した。彼はそうした力を鏡、そこでは狂気がほとんど不動の動きのなかで自分に夢中となり、そして自分から離れる鏡と化した。ピネルとテュークが監禁のなかで模様替えしてしまったすべての構造を、フロイトは医師のほうへ移動させたのである。彼ら《解放者たち》が実は病人を疎外してきた保護院の生活から、フロイトは病人を解きはなった。とはいっても、この生活のなかにあった根本的なものから解きはなったのではない。彼はその生活のさまざまの力を集めなおし、それらを最大限に緊張させて、医師の手のなかで結びあわせた。彼は精神分析という状況をつくりだしたのであり、そこでは天才的な一種の短絡的手段によって、錯乱(=疎外)がその解消になるのである。なぜなら、医師において、それは主体となるのだから」(フーコー「狂気の歴史・P.530」新潮社)

その意味でフロイトは、ナチスドイツの対極において、王権時代の「血と法による支配」と近代的な「管理と経営による支配」とを接続したのであり、ドイツの「総統」は全国民の「総統」になったが、他方、フロイトは<医師-狂人>の関係における全ヨーロッパの「総統」の地位を得たのである。だからフロイトの場合、一方に「善霊フロイト」が、他方に「悪霊フロイト」がいると揶揄される事態を招いたのだった。歴史的な「知の枠組み」の断層というものは目に見えないだけに関心が高く、なおかつ今も、かくも皮肉で逆説的な不可解さに満ちている。しかし謎解きは、ポワロでも金田一耕助でも夢野久作でも構わないし、マルクスでもニーチェでもフーコーでも構わないのだが、ずっと以前から続いている。これからもずっと。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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2020年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム
以下のことはすでにたいへん多くの研究者によって論じられており、今さらの感は拭い切れない。しかしこの部分を避けて通るわけにはいかない。よく読解するための準備、それは読解しないことでもある、という不可避的事情ゆえに。「読解しない」というのは、第一に、近現代の目に見えない社会的文法によって根底から規定されることから逃れるための逃走線が必要だからである。第二に、近現代の目に見えない社会的文法に従っている限り、近現代の《視線しか》持つことができないからである。だから近現代の社会的文法を用いて主題とかテーマとかを整理整頓することはかえって禁物であり危険な行為でさえある。

「激烈な激動の、たけり狂った心理的外傷の風景、正しい健康にそれを導くために熱に苦しめられる身体のそれのような」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.161』河出文庫)

ゴッホの「苦しめられる身体」。なぜ「苦しめられる」なのか。たとえば一人の人間。しかしそれはすでに一つの身体へと統一された器官としての身体であり《人間はこうでなければならない》という有機体への閉じ込めだからだ。世界もまた同様、有機体として動いている以上、世界という統一はいつも有機体の内部へ戻ることを命じる。だからゴッホは、そしてアルトーもまた、有機体として承認されているだけでなくその統一性を誰も疑おうとしない世界に対して愛想を尽かしたのである。解離したいと《欲した》。しかし当時それはただちに狂気への突入を意味した。としても、ゴッホは、そしてアルトーもまた、世界的規模でのしかかってくる理想という名の権力に耐え続けることはこれ以上できないという認識に立ち至った。《統一された有機体としての世界》という《幻想》はニーチェのいう「重さの霊」のことだ。

「かれは、大地と生を重いものと考える。重さの霊がそう《望む》のだ。だが、重さに抗して軽くなり鳥になろうと望む者は、おのれみずからを愛さなければならない」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・重さの霊・P.307~308」中公文庫)

なぜ《幻想》なのか。歴史教科書を開いてみる。するとそこには「一本の線だけで統一された歴史」というあり得ない事態が刻印されている。それは違うだろうとニーチェはいう。

「わたしの目は、目のとどくかぎりの遠方へと遊ぶが、ここまで至りついたのは、かぎられたただ《一本》の梯子をよじのぼって来たのではない」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・重さの霊・P.312」中公文庫)

事実としては、世界は多様性に満ちている。ニーチェはただ単にありふれた事実を述べたに過ぎない。それが世界を震撼させたのは余りといえば余りにも皮肉な現象だというほかない。一人の人間の身体にせよ、それら多数の統一として考えられた有機体としての世界にせよ、いずれにせよそれは「《一つ》の意味をもった多様体」でしかない。

「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫)

それはまた別の言葉で「多くの霊魂の共同体」と言い現わされる。

「多くの『霊魂』の共同体を基礎とした命令と服従ということが絶対に重要なことである」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.37」岩波文庫)

この「命令と服従」というフレーズについて。中心的なものの絶えざる移動ということに注目しなければならない。それらは絶え間なく回転しつつ依存し合っているということ。

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫)

さらにニーチェは十九世紀の人間として、すでに世界には絶対的なものはなく、逆に、あるのは「絶対的な中心の消滅」であり「中心的なものの絶え間ない移動」であり「変動相場制」であるということに敏感だった。もっとも、ニーチェが敏感であり得た理由は世間の「道徳」とその変化に対して極めて敏感だったからなのだが。というのも、「道徳」は呪縛するだけでなく卑劣でもあるからである。よく知られているようにニーチェは幼少期の頃から生涯を通して様々な病気に繰り返し悩まされた人間だった。健康な人々が病人を見下ろすときの目。同時に病人が健康な人々を見上げるときの目。それらはまったく別のものだ。道徳もまたそれに連れて狡猾に内実を置き換える。にもかかわらず唯一絶対的な「道徳」があるかのように世界は振る舞う。その欺瞞。自分で自分自身を偽る自己瞞着。それを許すばかりか誘導しさえする「道徳」という名の卑劣。ニーチェはこの呪縛ーーー近代化とともに出現した新しい呪縛ーーーに気づかないわけにはいかなかった。さらに目に見える鎖からの解放は同時に目に見えない鎖への呪縛だからである。そしてまた、何もニーチェやアルトーだけが特権的にそう感じ取っていたわけではない。

「《ルター》はたしかに《献身》による隷従を克服したが、それは《確信》による隷従をもってそれに代えたからであった。彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復させたからであった。彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心深さから解放したが、それは信心を内面的な人間のものとしたからであった。彼は肉体を鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説・P.86』岩波文庫)

マルクス、ニーチェ、フロイトへ繋がるこの発見。新しい世界が出現しているということを発見したことが、まさしくそのことが逆説的に、何度も繰り返しニーチェを苦しめることになる。

「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫)

というふうに。さらにアルトーは有機体としての世界-身体に縛り付けられたゴッホについてこう述べる。

「皮膚の下の身体は、過熱したひとつの工場である、そして、外で、病人は輝いて見える」(アルトー「ヴァン・ゴッホ」『神の裁きと訣別するため・P.161』河出文庫)

それは身体諸器官という監禁からの脱出の呼びかけである。

「私は強調する、その身体構造を作り直すため、と。人間は病んでいる、人間は誤って作られているからだ。決心して、彼を裸にし、彼を死ぬほどかゆがらせるあの極微動物を掻きむしってやらねばならぬ、

神、
そして神とともに
その器官ども。

私を監禁したいなら監禁するがいい、しかし器官ほどに無用なものはないのだ。

人間に器官なき身体を作ってやるなら、人間をそのあらゆる自動性から解放して真の自由にもどしてやることになるだろう」(アルトー「神の裁きと訣別するため」『神の裁きと訣別するため・P.44~45』河出文庫)

有機体という身体からの逃走。そしてまったく別様の身体に《なる》こと。それのみがよりよく生きるための方法だとアルトーはいう。しかしゴッホにせよアルトーにせよ「自殺」はその失敗例なのだ。二人は失敗を選んでしまった。その手前で留まることはできず、かといってその向こうへ飛躍することもできないまま。ところでこのような事例は、フーコーのいう「知の枠組み」の転換点ではしばしば起きる事例でもある。むしろ少なくない。かつてのように専制主義的王権が権力の頂点にあった時期では「血」が現実的だった。死刑執行は「血」をもって国家を統制する唯一絶対的方法として採用され有効活用されていた。それは「血を《通して》語る」のを常とした。だからこう言えるわけだ。

「血は《象徴的機能をもつ現実》である」(フーコー「知への意志・P.186」新潮社)

ところが近代社会の特徴として、「殺戮」ではなく「管理」という形で行われるよりいっそう有効活用可能な社会形態というものは、押し進めれば押し進めるほどその限度を知らぬ諸力の運動を加速的に実現させていく。だから専制主義的王権というかび臭く非合理的な「血による支配体系」は葬り去られるほかなく、フランスではルイ王朝の公開処刑において実際にも葬り去られた。しかし古典主義時代から十九世紀いっぱいを通して変化したのは、そのような華々しい歴史的事件においてではなく、たとえば国家化された医学=医学体系的国家において感染症が発生したような場合、病者あるいは狂人の「客観化=客体化」というまったく新しい認識方法の出現において見られる。

「解剖学的知覚においては、病気は必ず、ある程度の『動いたもの』を伴ってあらわれる。それは初めから、起始点、歩み、強さ、速度などの点で、ある自由なゆとりを持っていて、それがこの病気の個別的形態を描く。この形態は、病理的逸脱に加えられた逸脱ではない。病気とは本質的に逸脱的なものだが、その本性の内部において、それ自体、たえず逸脱するものなのである。病気には個別的な病気しかない。それは個人が自己の病気に反応するからというわけではなく、病気の作用が、当然のこととして、個性のかたちの中で、くりひろげられるからである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.280」みすず書房)

同時に。

「狂気は恐怖の一主題、あるいは、懐疑論によっていつまでも新たにされる一題目とは別のものである。狂気は客体となっているのだ。しかも、特異な地位を与えられて。狂気を客体化する動きそのもののなかで、狂気は客体化をおこなう諸形態のなかの最初のものとなる、つまり、人間がそれによって自己自身を客体的に把握しうるもの、となる。かつては狂気は人間のなかに、まばゆい光にともなう目のくらみを、ぎらぎら光るために光が暗くなる契機を示していた。ところが今や、認識にとっての事象ーーー人間のなかにある最も内面的な、だが同時に人間の視線に最もさらされているものーーーとなった狂気は、透明な大いなる構造として作用する。そのことは、認識作用によって狂気が知にとって完全に明らかになってしまっている、という意味ではない。狂気をもとにして、人間はすくなくとも理論的には、客観的な認識にとって完全に透明になることができなければならない、という意味である」(フーコー「狂気の歴史・P.482」新潮社)

一方に「狂気あるいは病気」があり、他方に「理性あるいは健康」があると言っているわけではない。単純な二極対立的構造になっているわけではない。そうではなく、「理性あるいは健康」というものはその内部に「狂気あるいは病気」を《所有する》ことと、それを客体化し(取り出し)て《鏡として》立ち働かせることで始めて自分は「理性あるいは健康」であると証拠立てるように活用することを覚えた、というわけだ。そしていったん「客体化」された(取り出された)狂気は、以後、「狂人」という《他者》の地位を与えられた個々人として出現することになる。

「客体という地位は、精神錯乱であると認知された個々人それぞれに一挙に押しつけられる」(フーコー「狂気の歴史・P.483」新潮社)

狂人保護院の誕生がそれを可能にした。同時に近代的な意味での「模範的人間」という観念が始めて出現した。国家によって医学は国家化されたのである。すると次のような認識が国家から生じ、今度は国家によって《模範的人間》という抽象的造形物が市民社会の隅々へと蔓延させられ規範化する。

「医学はもはや単なる治療技術と、それが必要とする知識の合成物であってはならない。それは《健康な人間》についての認識をも包含することになる。ということは、《病気でない人間》の経験と同時に《模範的人間》の定義をふくむということである」(フーコー「臨床医学の誕生・P.74~75」みすず書房)

医学の欲望がありさらに国家の欲望があり、両者は様々に錯綜しつつ、結果的に国家は医学を吸収し医学の上に立ったのである。第一に、国家による医学のモデル化。第二に、医学体系的国家の出現ならびに国家のための医学の従属。この二重の転倒。一七八九年フランス革命は「人間」という新しい観念を掲げて専制主義的王権を打倒した。ところがそうするやいなや自分たちのための専制主義を始めた。それは資本の脱コード化運動とともに押しすすめられ、またたく間に全世界を巻き込んだ帝国主義戦争へと発展する。しかしこの事情は性的欲望が病気あるいは狂気として取り扱われなくなっていく過程と緊密に関連している。前回も、性的欲望は抑圧されるものではなくなったと述べた。逆にそれは性的欲望を生産する方向へ価値転換される。十九世紀になって、社会体としての国家が「性的欲望《について》語り」、また「性的欲望《に対して》語りかける」ようになったとフーコーがいうのはその意味においてである。

「性的欲望は《意味の価値をもつ作用》なのである」(フーコー「知への意志・P.186」新潮社)

国家の管理欲望というものが認められる。それは一方で、性的欲望の意味はどんどん増殖することを《欲する》し増殖させられねばならない。それが「作用」だ。しかし他方、増殖する意味を常に管理しておく《欲望》をも生産する。それも「作用」である。

「古典主義時代の時代に準備され十九世紀に実行された権力の新しい仕組みこそが、我々の社会の《血の象徴論》から《性的欲望の分析学》へ移行させたのである」(フーコー「知への意志・P.186~187」新潮社)

とはいえ、この「移行」は十九世紀に入ってますます加速化したわけだが、加速化に伴う反動が生じてきた。「血」の特権化という復古主義的運動である。近現代の国家は市民社会の中へ不断に介入する。身体に狙いをつけて絶え間なく身体を計測し調整し管理する。それに耐えられない人々は国家が持つそのような合理性を半ば取り込みながら半ば否定するというダブルバインド(相反傾向、板挟み)に置かれる。そのとき「血の象徴論」か「性的欲望の分析学」か、ではなく、両者を結合させて新しい国家を樹立しようという第三の権力意志が出現した。ナチスのドイツがそうだ。王権時代の「血と法による支配」と近代的な「管理と経営による支配」とのどちらをも欲する第三勢力が。しかしこの「第三項」というのは市民社会の上に立つとき、いつも厄介なものとして登場してくる。貨幣がそうであるように。

「商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠す」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.141」国民文庫)

そうなるやいなや起源はたちまち覆い隠され忘れ去られてしまう。ところが起源とはなんだろうか。「接続あるいは連結」という言葉の用い方と極めて深い関係にある。

「人間は、十九世紀のはじめに、この歴史性との相関関係において、あのすべての物、すなわち、自身に巻きつき、みずからの並列をとおし、しかもその固有の諸法則にしたがって、自身の起源の近づきがたい同一性を指示する、あのすべての物との相関関係において、成立したのであった。とはいえ、人間がみずからの起源と関係をもつのは、物の場合とおなじような様態にもとづいてではない。つまり、実際のところ、人間は、すでにつくられている歴史性と結びついてはじめて姿を見せたのにほかならない。ーーー人間が労働する存在としてみずからをとらえなおそうとこころみるとき、人間が労働のもっとも初歩的な諸形態をあきらかにするのは、すでに制度化され、社会によってすでに制御されている、人間の時間と空間との内部においてにすぎない。ーーー人間がみずからにとって起源としての価値をもつものを思考することができるのは、つねにすでにはじめられたものを下地としてなのである。したがって起源とは、人間にとって、はじまりーーーそこから出発してその後の獲得物がつみかさねられていくような、いわゆる歴史の夜明けではまったくない。起源とは、それよりずっとさきに、人間一般が、あるいはどのようなものであれ任意の人間が、労働や生命や言語というすでにはじめられているものとみずからを連結させる、その仕方にほかならない」(フーコー「言葉と物・P.350~351」新潮社)

ニーチェのいう「別様の感じ方」への生成変化は、思いも寄らぬところ、かくも身近なところにあったのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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