新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ふと思い立って浅草 #1

2020-10-11 21:01:04 | タウンウオッチング

どういういきさつなのかよく判りませんが、ふと思い立って浅草まで出かけてきました。
取り立てて目的もなく、こんなルートで…。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅⇒上野東京ライン上野駅⇒銀座線浅草駅⇒徒歩浅草 (浅草寺→浅草神社→六区ブロードウェイ→かっぱ橋道具街→昼食)⇒徒歩田原町駅銀座線上野駅⇒徒歩東京国立博物館⇒徒歩上野駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

浅草に行くのは初めてではありませんでしたけど、以前出かけたときは、仲見世を通って、そして、浅草寺浅草神社にお参りしただけで、よくよく考えると、その他は、ほとんど土地鑑が無い

というわけで、街頭の案内図やスマホの地図アプリを使って、歩き回ってきた次第です。

久しぶりの銀座線・浅草駅は、日本最古の地下鉄駅とは思えないほど明るくかつキレイで、あれぇ イメージと違う って感じ…。
以前は、天井が低く薄暗かったのにねぇ…

そして、地上に出ると、、、、

雷門こと風雷神門

あれまぁ、青空

そして、けっこう観光客がいます
「コロナ禍で観光客が激減」というTVニュースで、散々、閑散とした雷門前の様子を見せられたこちからすれば、かなり人出が戻っている感じです。

でも、帰宅してからこのブログのバックナンバーをみると、私にとって10年ぶりの浅草(記事はこちら)で、10年前は、ハンパない人出でした

あのときに比べると、人出はかなり少なくて、仲見世シャッターを閉めたままのお店がチラホラ…。
もっとも、外国人観光客しか買わないようなお土産品がメインのお店だと、今のように日本人だらけの状況では商売が厳しいのでしょうね…

ところで、浅草の象徴ともいえる雷門、正式には「風雷神門」という名前で、左で雷神、右で風神浅草寺お守りしているのですが、なぜか略されてしまう風神不憫です

「雷門」大書きされたちょうちんにも、境内側には「風雷神門」と書かれているのですけど、

やはり風神不憫です…

それはそうと、ちょうちんがキレイ

それもそのはず、ちょうちんにも書かれているとおり、今年4月新調されたばかり

こちらの朝日の記事によれば、

東京・浅草のシンボル、浅草寺の雷門に下がる大提灯(ちょうちん)が7年ぶりに新調され、(4月)17日に掛け替えられた。これまではほぼ10年ごとに作り直されてきたが、昨年の台風などで劣化が進み、東京五輪も控えていたことから時期を早めた

だそうです。

このちょうちんは、松下電器産業(現・パナソニック)の創業者の松下幸之助さん寄進されたもので、ちょうちんの下の金具にも記されています。

ということは、ちょうちんメンテナンス費用は、松下家が持っているんでしょうね、K.I.T

そうそう、このちょうちん底部の彫刻見事です

金龍山浅草寺というくらいですから、がつきものです

   

さて、10年前に比べれば、これでも「閑散」といってもよい仲見世を抜け、

宝蔵門(仁王門)をくぐり、門の境内側の大わらじを鑑賞

この大わらじについて、説明板がありまして、転記しますと、

この大わらじは、山形県村山市の奉賛会によって奉納されている。延べ人員800人、一カ月をかけて制作されたものである。藁2600キログラムを要し、大変な労力が必要で、まさに信心の結晶といえる。昭和16年(1941)の奉納を最初に、宝蔵門再建後は、約10年に一度作られている。全長は4.5メートル。
わらじは、仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔がさっていくといわれている。また、健脚を祈ってこのわらじにふれていく人もいる。

で、現在のわらじ8代目で、2018年に寄進されたものだとか…。

そして、本堂にお参り
10年前は「平成本堂大営繕」の真っ最中で拝見できなかった本堂

今回は観ることができました。

でも、本堂の内部では天井画修復が行われていて、天井には養生幕が張られていました。

そしてそして、おみくじをひくと、

「吉」

10年前も「吉」でしたっけ…

「吉」といえば、「中の中」といった風情ですが、

若逢候手印 
好事始総々

もしこうしゅのいんにあわば
こうじはじめてそうそう

と、中の中から下がるのではなく、「」の御託宣で、よかよか

というところで、#2につづきます。

つづき:2020/10/19 ふと思い立って浅草 #2 

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ふるさと秋田にも競馬場があった!?

2020-09-16 18:43:48 | タウンウオッチング

先日書いた「近所の重要文化財を見学してきた 前編」で、旧黒澤家住宅で展示されていた古地図を見て、

南大通りのちょい北に、東西に伸びるがあり、秋田市民市場の通り沿いに南北に伸びる堀があったとは、きょうまで知りませんでした

と驚いた話を書きました。
このは、明治時代に入って早々に埋められたものだと、なんの根拠もなく思い込んでいたのですが、きょう、こちらの地図を見つけて愕然としました

この地図は、1945年米軍(いわゆる進駐軍)が作成したもの。
秋田駅前のかなり部分を大日本帝国陸軍歩兵第17聯隊が占めていたことは知っていましたが、1945年時点でも「東西に伸びる堀」残っていたとは
(「南北に伸びる堀」第17聯隊の敷地内なので、19世紀のうちに埋められたと推察)

/p>

このことをもっと早く知っていれば、詳しい話を両親(この至近の会社での職場結婚)から聞けたはずなのに残念 です。

   

この米軍作成の1945年の地図はかなり面白くって、0~10歳の私が住んでいた街付近を見て、喜んでいたのですが、、、、(私の母校・旭南[きょくなん]小学校が、「Asahi-nimami Grade School」になってる)

しげしげとこの地図を見ていると、八橋(やばせ)妙なものを見つけました

地図に「RACE TRACK」と書かれているこの楕円状のモノ????

陸上競技場にしてはかなりデカい
もしかすると、秋田にも競馬場があったのかもしれない

と考えて、調べると、確かにありました 秋田競馬場

Wikipediaによると、1948年10月から県営秋田競馬が開催されたものの、赤字続きで、1955年3月31日をもって廃止だそうで…。
6年半短い運命でした。

でも、1945年の地図に載っているということは…?

と、更に調べると、県営秋田競馬に先立つ1914~39年にも秋田県畜産組合主催の競馬が開催されていて、県営秋田競馬は、秋田県畜産組合からこの八橋競馬場を買い取って改装したらしいです。

この競馬場跡地はどうなっているかをGoogle Mapで見ると、、、

おぉ~、コースの一部が道路形状に残っています
第1回東京優駿(日本ダービー)が開催された「目黒競馬場」も、道路形状にそのなごりの一部を残していますけど、

秋田にもこんなところがあったとは

あ~、ビックリした…

まだまだ知らないこと多すぎます

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いつも赤信号な交差点 総集編 (後半)

2020-01-22 08:39:20 | タウンウオッチング

7年間にわたる職場からの帰宅ドライブの走行記録をふり返る「いつも赤信号な交差点 総集編 (前半)」のつづきです。

本題に入る前に、2014年8月に書いた記事「事実、練馬は暑い」を紹介させてください。
この記事は、真夏の帰宅ドライブの中で、

勤務先から横浜市内の区間(町田市も含む)が一番気温が低くて、川崎市に入るとちょいと上がり、都内は北上するに従ってどんどん暑くなり、荒川を渡って埼玉県内に入るとちょっとだけ気温が下がる

というイメージを抱き、実際はどうなのだろうか? と、いつもの赤信号のメモに加えて、クルマの車内に表示される外気温もメモして整理した「力作です。
その結果は、私のイメージ裏付けるものとなったのですが、それにしても、夜の21:00頃だというのに34℃にもなる東京の暑さに辟易したものです。

   

さて、私は、帰宅ルートのうち、R246区間(東名入口~瀬田:20km)環八区間(瀬田~観蔵院入口:13.4km)笹目通り区間(観蔵院入口~笹目橋:8.0km)のそれぞれの走行に要した時間メモしていました。

そして、各区間の平均値からの分布具合をグラフにしてみたところ、

走行時間分布

R246笹目通りはいわゆる「釣り鐘状」ですが、環八はかなりいびつ
要は、R246笹目通りの走破時間はある程度読めるけれど、環八まったく読めないということです。

でも、このグラフを見るだけでは、具体的なイメージが沸きづらいと思いますので、データを載せておきましょう。
また、走破時間から平均速度も算出してみました。

走破時間と平均速度

予期しない事故工事があると、迂回する余地もなく渋滞に嵌まってしまうものですが、25分程度で通過できると見込んでいた環八で、40~50分かかるのはザラ1時間半以上かかった2017年3月17日には、川南を先頭にした自然渋滞環八船橋まで5km以上続いておりました
こんなときは首都高速大渋滞になっているのが常ですので、こちらとしては、高井戸からR20⇒環七ルートに抜けるか、渋滞に身を委ねるか、迷ったものでした。

   

「いつも赤信号な交差点」シリーズでは、走破時間季節変動はあるのか?四半期ベースで何度か検討しました(例えば2019年3Q)
その総括として、四半期ではなく、月別走破時間と平均速度を見てみよう と「分析」してみました。

まず3区間それぞれに、毎月の平均速度をグラフにしてみたのですが、例えば環八の場合は、

環八の走破時間

なんとなく3月と8月の凹みが判りますが、R246はまだしも、

R246の走破時間

笹目通りは、もうグチャグチャで、かえって判りづらい…

笹目通りの走破時間

そこで、年別はやめて毎年同月の平均値でグラフを作ってみました。

月別平均走行速度

おぉ
情報量減ったけれど、逆に笹目通りには季節変動がほとんどないこと、R246と環八には季節変動があって環八はそれが極端なことがよく見えます

更に、3区間平均走破時間をたしあげて、月毎の違いを見てみますと、

月別の3区間平均走破時間合計

おぉ (2回目)
年末や年度末よりも夏休み渋滞酷いことがよく判ります
そして、意外なことに、12月より11月の方が時間がかかるんだ

クルマ通勤終えた今になってこうしたことが判っても大きな効用があるわけではありませんけれど、なんだか達成感を感じている私でございます。

ということで、良い気分「いつも赤信号な交差点」シリーズ幕を下ろします
長い間、おつきあいありがとうございました

 もちろん、このブログは続きますよ

コメント (2)
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いつも赤信号な交差点 総集編 (前半)

2020-01-21 08:53:36 | タウンウオッチング

2011年4月に始まった私のロングドライブ通勤は、昨年11月中旬で終了し、「いつも赤信号な交差点」シリーズ「四半期版」は、「2019年4Q」最後となりました。
その「2019年4Q」の文末に、

2012年10月末から2019年11月中旬までの「いつも赤信号な交差点」総集編は稿を改めます。

なんて書いてしまったものですから、その「総集編」を書きます。

   

そもそもの発端は、クルマ通勤を初めて2カ月を過ぎる頃、「いつも赤信号な交差点」(11/06/01)で書いたように、妙にいつも赤信号で停められる交差点やコンビネーションがあるような気がする、というものでした。

そして通勤開始から1年半近く経ったころ、それまでの漠然とした「『いつも赤信号な交差点』度を★で格付けしてみる」(2012/09/08)を書きました。

そして、単発的ながら、帰宅ルート中の「赤信号」をメモしてみたという記事が「きょうの帰り道はかなりスムーズ」(2012/10/22)でありまして、

しばらくこの「調査」を続けてみることにします。
さて、結果はいかに

と結んでいます。
そしてそして、その3日後2012年10月25日から、この「いつも赤信号な交差点」メモが本格的に始まり、そのまた約2ヶ月後12月3日からは、R246、環八・笹目通り3区間の走破時間メモするようになり、それが2019年11月15日までの約7年間続きました。

この間に収集したデータ数は、1,299
結構な数だと思いますし、こんなことをしないと、約2時間帰宅ドライブ約7年間も続けられませんって ということかな

   

ということで、この約7年間n=1,299のデータから編み出したランキングです。
最初は、元祖「いつも赤信号な交差点」

いつも赤信号な交差点

やはり御三家土支田千歳台、そして元祖「いつも赤信号な交差点」世田谷清掃工場前が、飛び抜けていて、まさしく十中八九赤信号」でした。

   

ここでいう「いつも赤信号」は、信号2回以上待ちになった「渋滞と、すんなり通過できたか停められた微妙なケースは、分母からも分子からも除外しておりまして、渋滞ランキングはこんな具合。

渋滞ランキング

なんともおぞましい交差点名が並んでいます…

「点」ではなく、「区間」として考えれば、環八川南=南荻窪一丁目南=環八神明通り=人見街道「旧・私の街の近く渋滞がとにかく酷かった(最悪のときは中の橋芦花公園前も超えて千歳台まで繋がる)

ここで見過ごすことができないのは、7位にランクインした観蔵院入口です。

この交差点のことは「いつも赤信号な交差点 2018年1Q (後編)」(2018/04/10)でも取り上げましたが、ここはとにかく渋滞しがちな地点で、その手前、井荻トンネルの後半で左車線が詰まっていそうな場合は、迷わず笹目通りではなく環八を走り続けて帰宅していました。

その気配が、渋滞ランキングに載せた標本数(n)で察せられると思います。
Worst 10 のうち、唯一、「n<1000」ですから…。

そこで、観蔵院入口渋滞を避けて環八に抜けたケースも観蔵院入口の「渋滞」とみなすとどうなるかを検討してみました。

すると、環八と笹目通りとの分岐点にもなっている井荻トンネルに入りながら、笹目通りではなく環八に抜けたケースは、246回(n=1,180)もありました
これが「渋滞」として渋滞ランキング補正しますと、

渋滞ランキング(補正後)

観蔵院入口7位から4位にランクアップ

「赤信号でも渋滞でも、とにかく停められた」交差点のランキングでは、観蔵院入口Worst 10 圏外ですが、

「赤信号+渋滞」ランキング

同様の補正を施すと、

「赤信号+渋滞」ランキング(補正後)

観蔵院入口8位に割り込んできます

それにしても、この「赤信号+渋滞(補正後)」ランキングを眺めると、通勤ドライブのことがしみじみと思い出されます
そりゃそうです。これら難関交差点の風景を一番長い時間眺めてきたのですからねぇ

   

ここで「渋滞」に話を戻すと、渋滞スポットにはいくつかのパターンが見いだせます。

三叉路がある
川南(環八神明通り南荻窪一丁目南人見街道高井戸西交番前~~中の橋名無し(ヴィクトリア)芦花公園にも繋がる渋滞の先頭)
つくし野(東工大入口の隣)

車線数が減る
観蔵院入口
左折車が左車線を埋めてしまう江田駅前つくし野(東工大入口の隣)

交差点の間隔が狭い
東工大入口<200m>つくし野
江田駅前<数十m>江田駅東<400m>新荏田団地入口<100m>荏田町<100m>荏田
川南<100m>南荻窪一丁目南<100m>環八神明通り

と、このくくりでWorst 10網羅してしまいました。

   

なんとなくまとまりのない状態ですが、赤信号渋滞についてのとりまとめはこの辺で完了 ということにさせていただきまして、総集編後半では、付随的にメモしてきた、R246環八笹目通り各区間走行時間(走行速度)について整理いたします。

つづき:2020/01/22 いつも赤信号な交差点 総集編 (後半)

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博物館と美術館に初もうで (番外編)

2020-01-15 07:14:13 | タウンウオッチング

「博物館と美術館に初もうで」シリーズ番外編は、一昨日、東京国立博物館(記事)大倉集古館(記事)をハシゴしたのお話です。

大倉集古館を出て霊南坂を下ると、左側にはアメリカ大使館白い塀が連なり、かつてはホテルオークラ東京・本館の宴会フロア用車寄せのあった右側は、というか公園みたいになっています。
そして、大倉コレクションらしい五輪塔やら五重塔が点々と置かれています。
せっかくなので、このの中を通って降りて行くことにしました。

それにしても、昔は政治家の資金集めパーティー業界団体のパーティーで何度もやって来たホテルオークラ東京面影まったくありません
知らない人が見れば超高級ホテルとは判らない中層の建物は風情があったものですが、土地効率を考えれば、高層ビルを建てて、一部のフロアをオフィス用に貸し出す方が経営的には良いのでしょうけれど…
ちなみに、ホテルオークラ東京「顔」だったといってもよいロビーは、昔の風情のままに復活しているようです(オークラ東京のHPのトップページはロビーの写真)

さて、この(公開緑地)、ほんとに良い雰囲気です。

都心のほぼ真ん中だというのがみたい…。

自然たっぷりそうに見えるのですが、

汐見坂まで降りてみますと、このの下は宴会フロア用の駐車場でした。

いやぁ~、ホントに変わった…
変わったといえば、虎の門病院も建て替えられているし…と、かつて私の職場だったビルに近づくと、、、おわぁ~~

これがマッカーサー道路かぁ~
2014年3月末に開通してからもう6になろうかというところで、初めてやって来ました
私がこの界隈をウロウロしていた頃は片側1車線「生活道路」みたいだったのに、今や完全に幹線道路です。(その割に、休日のせいか、交通量は少ない)
あの当時は、この道路の予定区画とおぼしき地域だけが、バリカンをかけたように低層の建物帯状に連なっていたっけなぁ~ と思い出したりして。

でも、この地点から虎ノ門駅までの風景は、まったく変わっていませんでした。
せいぜい虎ノ門交差点からTOTO看板がなくなったことくらいでしょうか?
当時は、桜田通りを挟んで、TOTO虎ノ門ビル「TOTO」の看板と、文科省に掲げられた「toto」の垂れ幕が向かい合っていて面白がったものでしたなぁ~

   

さて、私は虎ノ門駅から銀座線に乗って帰宅の途についたわけですが、ここでルートを検討しました。
私の虎ノ門勤務の頃の帰宅ルートは、

 虎ノ門駅銀座線赤坂見附駅丸ノ内線新宿駅埼京線
 虎ノ門駅銀座線渋谷駅埼京線

2つを使い分けていました。
地下鉄(東京メトロ)は通勤定期券があまり割安じゃなかったので回数券を使用、JRの通勤定期券は最寄り駅から新宿までも渋谷までも同額だったので最寄り駅~渋谷駅の通勤定期券を使っておりました。

で、乗り換えが1回で済む利点はあるものの、渋谷駅埼京線ホーム遠くてかなり歩かなければならないという弱点を抱えていまして、を使うことが多かった記憶があります。

ですが、一昨日はのルートを採用。
その理由は、もちろん、今年1月3日に営業開始したばかりの渋谷駅新プラットフォームを使ってみたかったから

そして、

あらあら、オシャレじゃございませんか
日本最古の地下鉄路線だけに、基本的に古い構造の駅だらけの銀座線の駅とは思えません

ただ、

というのが、偽らざる私の第一印象でした

それにしても新しい銀座線渋谷駅、これまで乗車ホームと降車ホームが別れ、メチャクチャ狭かった (1列に3~4人しか並べなかった記憶が…)のとは大違いです。

ところが、先に進んでいくと、改札口手前では、従来の降車ホームを通らなければならないのですな
最終的には広々としたコンコースが作られるのでしょうけれど、当分の間は、朝夕ラッシュ時は従来以上に大変そうです

大変だったのは、JR渋谷駅中央改札口を入ってから埼京線ホームまでも同様で、いや、私が通勤に使っていた頃は動く歩道もあったのですが、現在は動く歩道はなくなっただけでなく。仮囲いに囲まれて圧迫感があるし、足元も悪いなか、ひたすら歩くしかありません。
(現在、JR東日本が実施中の「機動戦士ガンダムスタンプラリー」渋谷駅スタンプがあるのは埼京線ホームの更に南新南口だそうで、これは参加者試練ですな)
こちらも今年春を目標に、山手線ホームと並ぶ位置まで350m移動するらしいです(JR東日本のリリース)

ホントに「仮設」だとしても埼京線ホーム移設今年春に完了するのかねぇ

楽しみにしておきます。

私が社会人になりたての頃は、勤務先のに住んでいまして、井の頭線⇒渋谷駅⇒銀座線⇒銀座駅…のルートで通勤しておりまして、銀座線渋谷駅とは古い付き合いです。
当時から「バリアフルだった渋谷駅は、(下の写真はこちらの記事に載せた「田中圭介+昭和女子大環境デザイン学科 田村研究室による『渋谷駅(2013) 構内模型』」)

激変真っ最中で、まだまだ不満を抱く利用者多いようですが、どうかバリアフリーで、使いやすい駅になりますように

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まだシャンシャンの寝姿しか見たことがない

2019-12-26 08:40:06 | タウンウオッチング

きのうの記事(こちら)で、上野動物園に行ったことをチラ書きしましたが、そのお話を…。

上野動物園に出かけたのは、去年5月以来のこと(記事はこちら)で、前回と比べてかなりの短縮版となりました。

仮正門から入ってすぐのジャイアントパンダ舎は、30分待ち」
平日なのにねぇ~

最初から行列に並ぶのは面白くありませんので、まずはプレーリードッグを観ました。

相変わらずかわいいなぁ
冬毛で、毛玉みたいになってる。

お次は、お坊さんが使う「払子(ほっす)」のような尻尾が印象的なアビシニアコロブス

長ぁ~い尻尾を、自分で踏んづけたり、仲間に踏んづけられたりしないのか、余計な心配をしてしまいます。

ニホンリスもかわいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 アジアゾウは、寒いのか、それともいつものことなのか、動きが鈍いなぁ。

ところで、動物園写真を撮るのは難しい
上の写真なんて、手前のワイヤーピントが合ってますもの。
AF(オートフォーカス)に頼ると、酷い場合はこんな風になってしまいます。

を撮ろうとしたわけじゃないのにね…

   

というところで、ジャイアントパンダ舎行列に並びました。

1年半前に来たときは寝ていたシャンシャン、きょうはどうだろうワクワクしながら…。

で、、、きのうも寝てた

しっかり目をつぶって寝てた

一方、シンシン母さんは、活発に動きまわっていらっしゃいました。

そして、リーリー父さんは、、、寝てた お尻に葉っぱをつけて…

リーリーの寝姿をもう1、角度を変えて。

1年半前に、

まぁ、パンダは、寝てるか、食べてるか、寝てるか、食べてるか、遊んでるかなわけで(アドベンチャーワールド「浜」一族を観て実感:記事はこちら)、こんな状況に遭遇するのは確率的に不自然ではありません

書いたとおりであります。

ちなみにユーラシアカワウソお昼寝中でした。

「2歳になったら中国に引き渡す」という約束が、「来年12月末まで」に変更されたシャンシャン、中国に渡るまでに、寝姿以外を拝見できるのでしょうか?

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好天に誘われて皇居見物 (補遺編)

2019-12-05 11:45:16 | タウンウオッチング

「好天に誘われて皇居見物 (後編)」のつづき、というか、書き切れなかったお話を…。

まずは大嘗宮落ち穂拾いから始めることにいたしまして、こちらの写真をご覧くださいませ。

これは、現場でいただいた資料ではと表示されている「膳屋(かしわや)」というもので、

神饌を調理した建物。⑩からは悠紀殿まで、⑪からは主基殿まで、それぞれ行列を立てて、神饌が持ち運ばれた。

いわばキッチンですなで、造りは、むしろの壁に、シート張りの屋根と、質素というか「粗末」なもの。ただ、気になるのは、壁一面につけられている「飾り」です。西側の膳屋⑪を間近に見ますと

一見、「榊(さかき)」? と思いますが、スダジイ(ヒゲじいではありません)小枝です

スダジイ膳屋2棟だけでなく、「新穀を保管した建物」斎庫(さいこ)の壁面、

さらには、「神域」を囲む芝垣にもあしらわれていました。

素直に考えると、神事にはがつきものですが、どうしてスダジイが使われているのでしょうか?これは「椎の和恵(しいのわえ)」「和恵差(わえさし)」あるいは「志比乃和恵」とも表記されるモノだそうで、「昔からそう決まっているみたいです

「後編」で、

まず目に入ったのは、皮をつけたままほとんど生木の部材が、鳥居や千木、鰹木などに使われていたこと。

と書きましたが、この皮をつけたままの木材を使った建築は「黒木造(くろきづくり)」というそうですが、この黒木造「鳥居や千木、鰹木」だけでなく、灯籠(黒木灯籠)とか、

「大嘗宮の儀に先立ち、天皇皇后両陛下がお召替えなどをなさった建物」廻立殿(かいりゅうでん)では、柱や梁だけでなく、階段まで黒木造でした

これもまた「昔からそう決まっているのでしょうが、昔(前回)とは違っているのが、悠紀殿・主基殿の屋根です。経費節減のため、前回までの茅葺きから板葺き変更したのだそうな。

でも「板葺き」といっても、大きな板ドーン ドーン と並べるのではなく、小板を並べているんですなぁ。これだって、相当お金がかかりそうです

   

大嘗宮参観の「落ち穂拾い」はこのくらいにしまして、その後のお話に行きます。

皇居東御苑平川門から退出した私は、「前編」に載せた行程にあるように、白山通りを歩いて神田神保町に向かいました。

皇居周辺のお食事処大嘗宮参観客混んでいるだろうと踏んで、神保町コスパに優れた昼食を摂ろうという算段です。時刻は13:00ちょい過ぎですから、昼食ラッシュも終わっているでしょうし…

神保町に着くと、まずはコーヒーショップ一服

ふぅ~~ 自宅を出発してから初めて一服効く~

一息ついたところで、食事処を物色した上で、とあるレストランに入って、エビフライ&ハンバーグを食しました。

もうちょいエビ太くあってほしかったのですが、それでも、これ(味噌汁は豚汁)1,000円ですから、さすがは神保町

若かりし頃(杉並の会社寮に住んでいた頃)2カ月に一回神保町出撃していた私ですが、ここしばらくは、1~2年に一回程度と、ずいぶんと足が遠のいてしました

変わるところは変わっているけれど、基本的に変わっていない神保町、ほ~~んとに久しぶりに足を踏み入れた古書店たちは、その店の佇まいも、店内の静けさ書架・平置き台の眺めも、そしてなによりも、店内に漂う独特の匂いに、昔のことを思い出さずにいられませんでした

それにしても、古書店って、古いモノなら何でも売っているんですな

三島由紀夫自筆原稿とか、澁澤龍彦からの書簡(旧・与野市円阿弥の人宛て)とか、陳列棚のガラス越しながら、ガン見させていただきました。

そして、こちらの購入しました

「昭和写真・全仕事 SERIES 14【入江泰吉】」でございます。

1984年2月刊(朝日新聞社)で、当時の定価が2,500円だったところを、1,000円(税込)で買えました。

2週間前の関西旅行(ダイジェストはこちら)のとき、入江泰吉記念奈良市写真美術館で拝見した入江さんの写真凄く凄くステキだったもので、購入してしまいした。

店頭ではセロファン包みだったため、中味を確認することができませんでしたが、自宅で中を見ますと、おぉ美術館で拝見した写真がたくさん載っています

いやぁ~、うれしい

改めてネットこの本を探すと、数百円で売られていたりしますが、いいんです、こんなことも、古書買いの醍醐味の一つなんですから

ずっしりと重くなったバッグを肩に、都営地下鉄新宿まで行き(いつの間にやら、都営地下鉄も急行を走らせるようになってるんですな)買い物をしたあと、埼京線に乗って帰宅しました。

いつもいつも工事中JR新宿駅、この日はコンコースの天井板が外されて、中の配線が丸見え

無数ケーブルがのたくっていて、なんだか大友克洋っぽい…

というわけで(どういうわけ?)で、ほぼ日中いっぱい歩き回って、途中の買い物でますます重くなったバッグを肩に、無事に自宅に帰還したのでありました。

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好天に誘われて皇居見物 (後編)

2019-12-03 23:32:52 | タウンウオッチング

「好天に誘われて皇居見物 (前編)」のつづきです。

「前編」で載せた「『大嘗宮一般参観』,『令和元年秋期皇居乾通り一般公開』参観経路」に、私の歩いたルートと、ちょっとしたスポットプロットしてみました。

「前編」の最後に載せた「私が最初に目にした大嘗宮」の写真は、Aで撮影したもので、時刻は11:20でした。
ここから大嘗宮前(★C)までが、行列嫌いの私(こちらをご参照方)には苦行以外の何ものでもありませんでした
せっかく「参観経路」図をいただいたのに、ろくに見ることもせずにバッグにしまっていた私、AからすぐにCに行けるものと早合点したのですが、周りの人たちの会話から、ちょいと雰囲気がビミョー なことに気づきました。
そして、本丸跡外周路反対側(東側)を見ると、、、、

あれまぁ~ 何ですか? あの行列

ここでバッグから「参観経路」図を取りだして、よく見ると、本丸外周路をほぼ3/4周しなければCに行き着けない…

今になって思えば、この行列の前半本丸外周路の前半=西側まだ良かった
紅葉も楽しめたし、

大嘗宮正面からその全貌を眺められましたから…

宮内庁前で別れた「大嘗宮だけ観られればいいや」組の人たちと合流するBから先(本丸外周路東側)見えるのはただただ前を進む人たちの後頭部のみ…

加えて、B地点(通過時刻は11:30)で群衆をさばいていた皇宮警察官「ここから約60分かかります。大嘗宮を観ることをあきらめた人は、ここから下に降りられます」という呼びかけもなかなかでした
せめてもの救いは、天候が良かったことくらいかな…
寒風にさらされたり、の中であんな行列に並ぶことを思えば、まだマシです。
天候が悪かったら、あんなに人が集まらなかったでしょうけれど。
今週末の東京は、それこそ「雨 or」の悪天候らしいです。

それはともかく、それでも行列ジワジワと進み、ついにC到着
ホント★Bから1時間を要して、時刻は12:30でした。

ここまで来ると、行列に並ぶことなく、ある程度自由に、大嘗宮を拝見することができました

まずに入ったのは、をつけたままほとんど生木の部材が、鳥居千木、鰹木などに使われていたこと。

近くで観ていた人からの、

皮をつけたままの木の方が風雨には強いらしい

という会話が聞こえてきて、真偽は判りませんほぉ~、そういうものか…と思った次第です。

と、ここで大嘗宮の全体図を…。(参観経路図の裏面です)

「天皇陛下がご即位の後、初めて新穀を皇祖・天神地祇に供えられ、自らもお召し上がりになり、国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝され、ご祈念になる大嘗祭の中心的な儀式」という「大嘗祭の儀」は、「悠紀殿供餞の儀」「主基殿供餞の儀」セットになっていて、大嘗宮も、東側の悠紀殿と西側の主基殿を中心に、ほぼ左右対称に作られています。

悠紀殿主基殿をしげしげと見ていた私、ある「違い」に気づきました

それは千木

どちらも、皮のついたままの木材半分にして、皮のついている側建物の外側に向けていますが、そのは、悠紀殿が、

水平に切られている、いわゆる「内削ぎ」なのに対して、主基殿のそれは、

主基殿の千木

垂直に切られている、いわゆる「外削ぎ」になっています

ここで思い出したのは、伊勢神宮でした。

こちらで書いたように、内宮(皇大神宮)の本殿は千木が内削ぎ外宮(豊受大神宮)の本殿のそれは外削ぎです。
伊勢神宮の内宮と外宮とでは本殿の鰹木がそれぞれ10本9本と違いがありますが、悠紀殿・主基殿鰹木は、どちらも2本×3組+2本=8本で同じでした。

それにしても、大嘗宮を構成する建物群を観ると、そのほとんどは、屋根と柱と梁しかない簡素なものです。

大嘗宮は、たった一夜大嘗宮の儀のためだけに使われるもので、再び使われるこことなく解体されてしまいます。
パビリオンですから、すべての建物を壁アリにするのはMOTTAINAIですものねぇ。

とか思いながら、悠紀殿裏側ギリギリ(D 、時刻は12:44)まで行き、しっかと目に焼き付けました

この眺めを最後に、書陵部の前を通り、梅林坂を下り、大手門よりも空いているという平川門から外に出ました(E 時刻は12:58)。

行列疲れしたぁ~。

でも、一生に一度あるかないかの機会でしたから、行って良かったと、心から思っていますよ、ホント。

皇居東御苑から退出したあとの話は、別立てで書こうかな…

それにしても、平日にしてこの人出今週末はどんなことになるんでしょ

今週末に皇居に出かけようと思われている皆様、Good Luck です

つづきのようなもの:2019/12/05 好天に誘われて皇居見物 (補遺編)

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好天に誘われて皇居見物 (前編)

2019-12-03 20:27:07 | タウンウオッチング

皇居では、11月21日から大嘗宮一般参観が始まり、11月30日から12月8日(日)までの9日間は、大嘗宮と乾通りの両方を参観できるSpecial Weekになっています。
先月半ばから、実質上の「無職」の私(正式には今は年休取得中)平日を狙って観に行こうと思っていたところで、きょうは好天 & ポッカポカが予想されたことから、皇居に繰り出しました。

まずは、きょうの行程です。右の画像は、現地で配布されていた「『大嘗宮一般参観』,『令和元年秋期皇居乾通り一般公開』参観経路」

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅上野東京ライン東京駅⇒徒歩⇒(二重橋前)⇒ 坂下門⇒(宮内庁前)⇒乾通り西桔橋(江戸城本丸跡)大嘗宮(梅林坂)平川門⇒徒歩(白山通り)⇒(すずらん通り)⇒神田神保町(&)⇒徒歩神保町駅都営新宿線新宿駅買い物新宿駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

出かける前は、平川門から皇居東御苑退出したら、竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)に行こうと考えていました。
ところが、平川門を出たのはもう13:00ちょい前で、腹が減ってきておりまして、MOMATより、安くおいしい昼食を摂ろうと、神保町を目指しました

さて、時間をさかのぼって、坂下門手前のセキュリティチェックの列の最後方にとりついたのは10:25頃でした。

想像していた以上に人が多くて、私が前回、乾通り一般公開にやってきた去年3月のとき(この日は日曜日記事はこちら)と同じくらいの人出でした。
やはり、数十年に一度天皇の代替わりのときにしか存在しない大嘗宮を観られるってことでやって来た人が多いのでしょうねぇ

そして、並び始めてから25分ほどでセキュリティチェックを終えて坂下門をくぐりましたから、ここまでは、去年春の乾通り一般公開とほぼ同じペースです。

宮殿を左に観ながら

宮内庁前までくると、ここで行列は二手に分かれます。
大嘗宮だけ観られればいいや という人は、右折して富士見櫓の下を通って本丸跡に向かい、

乾通りを歩くだけで十分 という人や、私のように「乾通りも大嘗宮もという人はそのまま直進

乾通り

う~ん、キレイでございます

一

と、途中までは、去年春と同じように気ままに歩けたのですが、乾通りから本丸跡に向かう西桔橋に近づくにつれてスローダウン

そりゃねぇ、本丸、それも天守直結するような通路の入口にある西桔橋(門)ですから、とにかく狭くつくられているのですよ…
でも、西桔橋の上から眺める本丸の石垣富士見多聞(現在、内部は非公開)の眺めなかなかなもの

西桔橋を渡ると、「昼なお暗い」狐坂を登って

視界が開けると、天守台 (現在は登れません)

そして、そして、大嘗宮です

素木造り清々しい

と、この写真を撮った時刻は11:20

大嘗宮はすぐ目の前だった のですが、実は、ここから「試練でした。
そのことは、「後編」で書きます。

つづき:2019/12/03 好天に誘われて皇居見物 (後編)

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いつも赤信号な交差点 2019年4Q

2019-11-16 13:59:00 | タウンウオッチング

まだ11月の半ばではありますが、恒例の「いつも赤信号な交差点」シリーズです。

2019年第4四半期(4Q:2019年10~12月)は、まだ1カ月半も残っていますが、なぜにこんな時期に「いつも赤信号な交差点 2019年4Q」を書くのかといいますと、実は、職場への通勤が昨夜の帰宅ドライブを最後に終了したのでありますよ。
まだ当分は、会社にが残っていますが、貯まりまくった年休ほぼ使い切り、そして退職いたします。
その辺の事情とか、今後どうするのかといった話は、気が向けば書くかもしれませんが、取り急ぎ、「いつも赤信号な交差点 2019年4Q」を始めます。

前期:2019年3Qの記事はこちら、前年同期:2018年4Qの記事はこちらです。

まずは、2019年4Qの、渋滞(信号2回待ち以上)を除いた「いつも赤信号な交差点ランキング」から。

いつも赤信号な交差点ランキング

例によって例のごとく、笹目通り「土支田」パーフェクトで、2017年4Qから9四半期連続のトップです

最後に土支田交差点をノンストップで駆け抜けたのはいつだったろうか? と調べてみると、2018年12月2日が最後で、それからほぼ1年間、ひたすら赤信号で停められ続けておりました
そして、79回連続で停められたところで、帰宅ドライブは終了となったのでございます。

上位にランクされた交差点は、交通量が多くてトロトロと走るから、どうしても赤信号に遭遇する確率が高いというものがほとんで、どんな速度(常識的な範囲)で走っても赤信号が多いのは、「土支田」を筆頭に、「千歳台」「世田谷清掃工場前」くらいかな? と思います。
そのことは、渋滞ランキングを見ると、そこはかとなく感じられます。

上に載せた二つのランキングを見ると、御三家「土支田」「千歳台」「世田谷清掃工場前」渋滞ランキングではパッとしませんが、他の交差点は、渋滞と赤信号の両方の上位に顔を出してきます。

R246では「東工大入口」&「つくし野」「江田駅前」(そして、この統計の対象外になっている「瀬谷入口」:基本的に迂回ルートを利用)と、スポット的ボトルネックになっているのに対して、環八では、「千歳台」あるいは「芦花公園前」から「環八神明通り」(元凶はその2つ先の「川南」)にかけて連続した渋滞域が存在しているのが明白です。

ところで、前年同期(2018年4Q)に比べて今年の渋滞酷くなっていますが、これには、私の帰宅時間ちょっと早くなっていたことも影響していると思われます。

   

最後に載せるランキングは、上の二つのランキングを合わせた、「とにかく停められた交差点ランキング」です。

渋滞+赤信号ランキング

なんともおぞましい交差点のリストでございます。

ここに並んだ交差点では、十中八九停められるのですよ

ということで、「いつも赤信号な交差点 2019年4Q」ここまでにして、2012年10月末から2019年11月中旬まで「いつも赤信号な交差点」総集編は稿を改めます。

つづき:2020/01/21 いつも赤信号な交差点 総集編(前編)

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