きょうは1月7日。
というわけで、今年も七草粥を作って食べました。
私は、七草粥にちょっとだけポン酢を入れて食べるのがお気に入りで、今年もそうやって食べました。塩だけで食べるのも悪くはありませんが、ポン酢はお勧めです
さて、ここまでの7日間を振り返ると、個人的には平穏でしたが、世間的には、なんとも穏やかでない新年となりました。
まず元旦。
私は、珍しく朝からビールを飲み始めまして、まず空きっ腹につまみ無しでビール
を流し込み、雑煮を作りながらビール
を飲み、雑煮とおせち料理を食べながらビール
を飲み、前夜録画したNHK紅白歌合戦
から「要らない部分」を削除
しながらビール
を飲み、それをBD
にダビングしながらビール
を飲み、そのBD用にレーベルをつくりながら
ビール
を飲み、届いた年賀状を読みながらビール
を飲み…と、昼過ぎまでビール
を飲み続けました。体調は上々だし、気分も良いしで、ビール
はかっぱかっぱとお腹に収まっていったのでした。
そんな状態で作った紅白歌合戦(4K版)
を収めたBD
用のレーベル、録画をダビングしたBD
に印刷したあと、それも本宅用と別邸用に2枚
つくりあげたあとっつうか、1月3日になって、重大なミス
に気づきました
お気づきでしょうか
これをどのようにして修正するか検討中です。
それはさておき、昼下がりになって、眠くなってきたので、ちょっと遅めのお昼寝を敢行しました。
ベッドの中でうつらうつらしていたとき、スマホの防災アプリのアラーム音が鳴りました。なんだろな? と起き上がり、TV
をつけると、能登半島地震でした。
この時点では、かなり大きく揺れた地震だったのだな…程度の感想でしたが、ほぼすべてのTV局が「重箱番組」を中止して地震関連ニュースに集中していたことで、ただならない地震なのだと理解しました。それでも、ここまで住民の人たちの生命や生活をズタズタにする震災になろうとは思いもよりませんでした。
新年早々、なんということ…
翌1月2日朝、私は帰省するべく、大宮駅から新幹線に乗ったのですが、隣のホームを出発する北陸新幹線「かがやき」が「長野行き」で運行されていて、う~む…
私が乗った秋田新幹線は、地震の影響は無くて幸いでした
と、新幹線の車内で、にゃんこの鳴き声が聞こえました
ケージに入れたにゃんこを連れて旅行している人がいらっしゃったのです。
まさか、これと似た話が、別のできごとでSNSを賑わすことになろうとは、私が知るよしも無いのは当然としても、予感すらありませんでした。
秋田駅に着くと、積雪はゼロ。雪寄せした小さな雪山がある程度で、しかもあまり寒くありません。
タクシーで別邸
に着き、水道の元栓を開けて錆混じりの水を流し、そして、若干の緊張感を持ちながら、トイレ
の水を流すと、、、、排水管は凍結しておらず、元気に流れて行きました
その後、本宅から持ち帰った生鮮食品を冷蔵庫に収め、冷蔵庫の製氷機能を復活させ、加湿器を組み立てて給水し、仏壇に花をあげて、Blu-rayレコーダーに翌朝の「HAPPYクリスマス おもちゃ屋MISIA [Special Edition]」の録画予約し…と、一連の作業を完了
そして、夜は、恒例になっている旧友たちとの新年会に参加しました。
その途中、ふとスマホを見ると、、、羽田空港での現実とは思えない写真が載っているではありませんか
大地震が起こった翌日は、羽田空港の滑走路上で飛行機同士が衝突って、何これ? です
1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が発生した1995年のようなとんでもない年になりそう…
そんなことを考えながら、私は新年会を一次会だけでおいとまし、友人のクルマ(奥様が運転)に同乗させていただいて別邸に帰りました。
そして、NHK BSでの「MISIA PEACEFUL PARK Dialogue for Inclusion 2023」をリアタイ視聴。BSP4Kでの放送も視て、BDにダビングもしているんだけど…
でも、改めて、このタイミングで聴く「明日へ」の響き方よ…
羽田の事故で、あの燃え上がる飛行機から400名近い乗員乗客が脱出できたことが、とりわけ海外で話題になったようですが、乗員の皆さんの奮闘と共に、こんなに自然災害が頻発する島で培われた日本人の特性みたいなものも発揮されたのかなと思っています。
1月3日は、近所、といってもあまり近くない神社に初詣しました。
神社にお詣りして、お札を授与していただき、おみくじを引くと、、
おぉ、今年は、
「中吉」でスタートです
去年は、この神社での「末吉」から始まり、「吉」(湯島天神)⇒「吉」(櫛田神社)⇒「大吉」(太宰府天満宮)と、順調に運気があがりましたっけ
今年はどうでしょうか
神社からの帰り道、たばこを買おうとセブンイレブンに寄ったら、「ベーカリー麦田の特製つぶあんぱん」が売られていて、思わず買ってしまいました。 前夜、ほぼ全国で放送された「義母と娘のブルース FINAL」は、TBS系列の無い秋田では放送されなかった
のですが、このパンは売られているという…
でも、秋田では、このあんぱんの意味というか意義がさっぱり判らない人がほとんどだろな
4日と5日は、帰省Uターンの新幹線チケット(11日に戻ります)を買ったり、日本赤十字社を通じて能登半島地震の義援金を寄付
したくらいで、基本的に家でゴロゴロして過ごしました。
1月6日は、私の父の命日。
毎年、この時期は、お墓が雪に埋もれていることが多いため、家の仏壇に向かって念入りにお祈りして済ますことが多かったのですが、今年は雪がないので、墓参りに出かけました。
バス停で1時間に1本しかないバス
を待っていると、バス停の貼り紙
に気づきました。
え? 私が降りようと考えていたバス停
(北都銀行前)は、去年7月の水害で崩壊した歩道の復旧工事のために迂回されてる
仕方なく、一つ手前のバス停(有楽町)でバスを降り、そこからお寺まで歩くことにしました。
五丁目橋から見たところ、北行きの車線を閉鎖して(南行きは通行可)、なかなか大規模に工事をやっていました。
(不鮮明な写真ですみせぬ)
しかし、歩道崩壊から4か月も経ってから工事を開始して、3月中旬までかかるなんて、なんとも遅すぎやしませんか? 知人が秋田市の最高幹部の一人なので
、あまり悪くは言いたくありませんが、ちょっとねぇ…
で、私は、川反通りの飲食店街を通ってお寺を目指したのですが、川反通りの、あまりのさびれ具合に、沈鬱な気持ちになりました。
かつては東北でも有数の歓楽街だった川反通りなのに、落書きだらけの壁と「テナント募集」「売りビル」といった看板ばかり…
人口減少と高齢化
が著しい秋田ですし、川反通りの「昔の光」は戻って来ないのだろうなと思います
川反通りから寺町に入った私は、気を取り直して(?) お墓参りを済ませたのでした。
なんとも明るくない話の多い記事になってしまいましたが、これからしめ飾りを外し、床の間の掛軸を入れ替えて平常モードに戻して、気分を転換させるのです