買い物することも食事することもなく近江町市場を通り抜けた私は、長町武家屋敷跡を目指して歩きました。
と、歴史のありそうな赤れんがの建物が出現しました。
この建物は、「金沢市立玉川図書館近世史料館」として
加越能文庫(石川県指定文化財)をはじめとする金沢の歴史をたどる貴重な史料の収集・保存の役割を担っています。
だそうですが、建物自体は、壁面のプレートによれば、
大正2年に日本専売公社たばこ工場として創建された建物の一部で、明るい赤レンガの外観は、創建時そのままの美しいイギリス積みを残し、内部補強の上、図書館本館と見事な調和を見せている。
だそうです。
このときは「通りすがり」だったので、ふ~ん…、そうかぁ 程度の反応だったのですが、改めてこの金沢市による説明文を読むとかなり不正確
現在のJT(日本たばこ)の前身の日本専売公社が設立されたのは昭和24(1949)年のことで、この工場が創建された大正2(1913)年には大蔵省専売局だったはずです。
正確にはどうだったんだろうとググると、2008年4月にJTが発表した「JT金沢工場の廃止について」と題するニュースリリース
が見つかりまして、そこに金沢でのタバコ生産の沿革が書かれていました。
やはりねぇ~、「金沢専売支局」として創建されたのでした。
そして、1972年に西金沢駅近くへ移転、そして、タバコ需要の減退
を背景に、2009年3月末を以て金沢でのタバコ生産が終了したという次第。
金沢市も、金属製プレートを登録有形文化財の壁面に埋め込むのなら、正確を期してほしかったぞ
そうそう、説明プレートにあるレンガの「イギリス積み」については、舞鶴旅行記のこちらをご参照くださいませ。
さて、玉川図書館の裏手には玉川公園の緑が広がっていました。
そして、大きな説明板
この説明板によれば、この地には「#1-0」にも登場した加賀藩の年寄(家老)職だった8家の一つ、長(ちょう)家の屋敷跡だったそうな。
前田家の家臣とはいえ、33,000石と大名級の家禄を誇っただけに、この屋敷跡も広大
で、明治に入った段階で約1万坪(約33,000㎡)もあったんですと
これだけの広さですから、
明治2年(1869)に版籍奉還が行われると邸は金沢藩庁となり、明治4年の廃藩置県後は金沢県庁となった。翌年に県庁が石川郡美川町(現白山市)へ移転した後は、金沢区会所、小学校、真宗学問所、前田家の別邸と移り変わったが、明治15年に焼失した。その後、明治22年から明治41年まで長町高等小学校となり、大正2年(1913)から昭和53年(1978)まで日本専売公社金沢地方局のたばこ製造工場を経て、昭和54年に玉川公園として整備され、現在に至る。
という使われ方をしてきたのだとか。
ということで、いよいよ「長町武家屋敷跡」に入ります。
ここで、「長町(ながまち)」という町名は、この長(ちょう)家に由来していることが私の頭の中に刻み込まれたのでありました。
鞍月用水の風情が大変によござんす
鞍月用水の「対岸」に、立派な低層マンション風の建物がありまして、いったい何だろ?
と思ったら、金沢市立中央小学校の校舎でした。
瓦屋根付きの土塀(風)の塀といい、外廊下の壁とか、屋根の風情とか、とても学校っぽくないです。
これまた良い感じの中央小学校前交差点を左折していよいよ長町武家屋敷跡のハートランドへ
長町武家屋敷跡の探訪記は「#1-4」で。